--/--/--:--――円つみれ・狂狼の現身
翌日、朝一番の飛行機で野雨に戻ってきたミルエナだが、どういうわけか既にチェックアウトを済ませる段階で――というか、起きた時にはスティークの姿はなかった。相変わらずなんだな、なんて感想が浮かんだのだから、会話は充分に行ったといえよう。
一直線に部室にきて定位置に腰を下ろすと、吐息が一つ。そこで自分が落ち着いていることに気付いたミルエナは苦笑をこぼし、それほど長い期間ではないものの、愛着が生まれているのかもしれん、なんて感想を抱いた。
そこから昼過ぎまでの行動は、いつも通りだ。不味い珈琲と携帯食料を食べながら、ぼんやりと何もしない時間を過ごす。腕を組んで瞳を瞑れば、今にも眠りそうな姿に見えるのだが、実際に浅い睡眠状態であったりもする。
つみれが顔を見せたのは、昼過ぎだった。
「ただいまー」
「うむ」
他人の気配に意識が覚醒する。いわばスタンバイ状態にある据置端末が、操作一つで元の画面を表示させるのに近い。
「戻ったか――なにを持っている」
「え、見ての通り自転車だけど」
肩に提げるようにして持ってきた自転車は、部室の隅に置いて、つみれは定位置に座るといつものようノート型端末を起動してから、バッグの中からお茶を取り出して置く。これはいわゆる、ミルエナの珈琲は飲まないぞ、というスタンスだ。
「あっちで足に使ったんだけど、一応は経費――じゃない、部費で落としたから、こっちに置いておこうと思って、今日は乗ってきたの」
「自転車を使ったのか……」
移動距離はどのくらいだったのかと、他愛のない話をしていると、続くように白井も顔を見せた。
「来たか――む、ミュウも自転車を持ってきたのか」
「ああ、一応は部費を使ったからな。つみれも持ってきていたのか」
「うん、同じ答え言った」
「なるほどな。――珈琲を淹れるが、つみれもいるか?」
「うん」
いつもの空気だ。
落ち着いた雰囲気である。
ああ、そうか。この場所の愛着よりもむしろ、この二人が来る場所になっていることの方が心地よいのかと、ミルエナは現実を受け入れ、むしろ嬉しさを感じた――そしてノック、入れの言葉と共に蒼凰連理が顔を出した。
「レン、なんだ、久しぶりではないか。私が言うのも何だが、もっと頻繁に顔を見せてくれてもいいだろう。これはあれか、私を焦らしているのか?」
「ばーか。詳細を聞きにきたんだケドね、私は――あ、珈琲ちょうだい」
「諒解だ、連理さん」
「んで、あっさり見つけたって? ミルエナはほかの仕事だったから、二人で? 常軌を逸してるケド、んでどういう流れよ」
「うむ。まあ――なんだ、まずは」
珈琲がくばられ、それぞれ腰を落ち着けた時点でまず、ミルエナは言う。
「今回の件は助かった。感謝する――なんだその顔は。私だって礼くらいは言う」
「楽しかったからいいんだけどさ、あたしは」
白井は一瞥するだけで、軽く瞳を伏せてしまう。これもまた、いつも通りだ。
そこからは一連の流れをそれぞれ話す。ミルエナは、合流に遅れてしまった原因である仕事の内容を、つみれと白井はお互いの行動をだ。連理はそれを、詰まらなそうに聞いているだけだ。
そもそも、連理は手出しをしたいわけではないし、口出しもしない。ただ、何がどうなって結果に――つまり現在に至ったのかを知りたいだけだ。それも半分は仕事、もう半分は興味本位である。
「んー、サギからの伝言ねえ」
一通り聞き終えた連理の感想は、それだけだ。つまり、引っかかりがあったのがその部分だけ、ということでもある。もちろんミルエナもつみれも、それを理解できていたからこそ、そこなんだ、と少し呆れ顔だ。
「……ま、いいや。んじゃ私、サギんとこ顔出してくるから」
ご馳走様と言い残し、連理はあっさりと退室してしまった。本当に詳細を聞きたかっただけらしい。
「相変わらずだな」
「ほんとに。――で? スティークさんとはちゃんと話せたの?」
「うむ、トイレ掃除もきちんとやったとも。従業員に渡したチップはもちろん私の財布からだ」
「よろしい」
「話はした。そして――うむ、この躰の使用権利を条件付きで得たとも」
「その条件は言わなくてもいいけど……そっか。そうなったんだ」
「うむ」
「――つまり、今の少尉殿ならば手合わせも可能ということか」
「ははは、ミュウはそちらへの興味か。そうとも、可能だ。近く場を整えよう」
「頼む」
「さて、これからの行動指針――というか予定になるが、私はこの躰を上手く使えるようにならなければいかん」
「今は?」
「残念ながら、意識して制御することが困難だ。スイッチを入れればあとは自動的に片がつく――といった感じだな」
「それはそれで凄い技術だなあ、とは思うけど」
「せっかく許可が下りたのに、そのままではもったいない」
「ん、そだね。あとは?」
「あとは、少し野雨について調べたい。この地はいわば魔窟としての評判が高いのだが、その原因ないし理由については、さっぱりだからな……」
「それ、なんでまた?」
「今まではどうでも良かったことが、疑問として感じられるようになった――と、私は受け止めているが、おかしいか?」
「ううん、それはいいの。野雨かあ、知識としてはあたしもそれなりにあるけど、じゃあ答え合わせというか、そのうちしよっか。こっちも機会があったら調べておくね」
「ああ、そうしてくれ。私もそういう類のものをスマートに進めることは、まあ、たぶん苦手な部分でな」
「だろうとは思ったけど……」
「つみれのほうはどうだ?」
「これから? ん……これ、ぽろっとスティークさんが漏らしたんだけど、あたしが原初に関わってるって言ったんだよね」
「原初?」
「うん。なんだと思う?」
「私は知らんが、額面通りに受け取るのならば、何かの始まりか――まさか、アカシックレコードではないのだろう?」
「それは違うはず。あたしの知識がそっちに干渉してるなら、とっくに理解できているか、あたしって器が壊れているはずだし。世界の記録そのものへのアクセスが、可能不可能はべつにして、実行された時点で、人としては終わりだと思うし」
「――いいか」
関係ないかもしれんがと、薄く目を開いた白井が口を開き、珈琲に手を伸ばす。
「原初とやらはともかくも、世界という単語で思い出したが……つみれ、いや少尉殿もそうだが、魔術ではなく魔法という言葉に関しては、どうだ」
「え……?」
「なんだそれは――聞いたことはないが」
「あたしも、知識にはないかな」
「そうか。それが何なのかは俺も知らん。ただ世界そのものに関わりのある、何かだと聞いた覚えがあった。それだけだ、混乱させたのならば謝るが」
「ん……いいよ、ありがと。ミルエナ」
「うむ、そちらも探りを入れてみよう。ただし、あまり目立たずにな」
「聞く相手を間違えなければ大丈夫だとは思うけどね。とりあえず、そんなところかな?」
それ以上、特に問題の提示はなかったため、各各が好き勝手にする時間が流れた。
しばらくして白井が授業に出ると席を立ち、つみれはノート型端末を叩いて作業中だったセキュリティの構築などを行い、キーの叩く音の中で心地よさを感じながらミルエナが珈琲を飲む。
彼らは、お互いに拘泥はしない。依存もしない。ともすれば、三人で集まっているのさえ不思議にすら思えるような間柄で。
けれどでも。
だからこそ――信じられているのだろう。
「ああ、そういえば……まさかミュウは逃げたのではあるまいな」
「え、なに?」
「エイジェイに提出する今回の報告書の作成があるんだが」
言うと、つみれは誰にでもわかるような嫌そうな顔をした。
「それあたしの役目?」
「なにも議事録を作れとは言わんが、部費を流用した時点で報告書の作成は条件に入るだろう。どうだ、ミュウに任せるか?」
「……それは嫌だ。なんか、頼んだら間違いなく完璧に仕上げそうで変な劣等感抱きそう」
「うむ、私もそう思ったところだ」
「しゃーないなあ」
とはいえ、どこまで書くべきかは悩む。となればだ。
「じゃ、エイジェイさん呼んできてよ。話しながら、どこまで書くか決めるから」
「そうだな、私の問題でもあったわけだ、そのくらいの労力は惜しむまい。連絡を入れてみよう。いない可能性も高いがな」
まあ、そうなったらそうなった時に考えればいい。
このあと、事後処理って大変なんだなあ、なんて実感をすることになるのだが、それはまたべつの話だ。
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