--/--/--:--――円つみれ・友人の定義
湯上りにはマッサージ――なんてことはせず、なごみが手配してくれた部屋を確認だけしておいて、浴衣姿のままエントランスに出たつみれは、紅茶を一杯貰ってから待合場所の一画に向かった。一人になるのも良かったが、それは夜でもできる。ならば今は、誰かがいる雰囲気の中にいようと、なんとはなしに思ったからだ。
そこで、来た時に見た男性二人がまだ話しているのを見つけた。それもまた頭に引っかかっていたものの一つであり、こうした行動をとらせた一因なのだろうと思っていると、知っている男性の方が軽く片手を挙げてから、手招きをした。
「やあ円さん、久しぶりだね。時間があるようならどうだろう、少し私たちと話をしていかないかな」
「うん、お邪魔するね」
落ち着いた物腰に、柔らかい言葉はいつも通り。その対面に腰を下ろしている、やや小柄な男性は足を組み、片方の腕をソファの背もたれに預けた、やや雑な格好でこちらを見ていた。
睨むように――ではなく、どこか好戦的な瞳だが、しかし。
――入店した時は、こんな気配じゃなかった。
疑問形ではなく、断定する。自分がここへ来たから変わったのだ、という結論から理由を推察しつつも、気配が変えた技術についても参照し、花楓の隣に腰を下ろしながら視線を合わせる。
見たことのない相手だ――つまり、初対面。けれど、鷺城鷺花がそうであったように、こちらを知っている前提で考えた方が素直だろう。
そもそも、気配を変えた理由はなんだろうか。メリットやデメリットではなく、結果だけで考えれば誤魔化しや騙し――うん?
騙して、誤魔化す。あるいは嘘をつくように、他人の認識を操作する。
知り合いに、そういう面倒で厭らしい人物が、二人ほどいなかったか?
「あー……」
紅茶に手を伸ばす頃、なんだか結論を補填するだけの理屈が浮かばないがままに、ただ一つの名前が頭に浮かんでしまって、つい、ここのところ意地悪をされるように先制されることが多いので、意趣返しにしては八つ当たりに近いのだけれど。
「初めまして、少止さん」
「おう、初めましてだ、円つみれ」
躰を揺らすよう、喉の奥で少止は笑った。
「――ま、及第点だ。どちら様と言うようなら、ペンキ屋を紹介してやろうと思ってたぜ。なあ花楓」
「私は以前から知り合いだったからね。少止のそれも、随分と久しぶりに感じたよ。鈍っていないどころか、磨かれている」
「ンな当たり前のことを言われても、嬉しくはねえなあ……」
「友達って感じでもないけど」
「俺と花楓が? 友人ってのも間違いじゃねえよ」
「いうなれば戦友かな。以前は、一緒に行動して未熟な頃を過ごしたからね。今はお互いに一人前……とは、まだ言えないけれど」
「だな。知ってるかどうかはわかんねえが、言っとくと、俺はイヅナの弟子だ。んで、ミルエナの部下、つーか弟みてえなもんか」
「知ってる。本人からは聞いてないけどね。もしかして、今のミルエナに接触した?」
「したさ。あの馬鹿姉貴は、てめえが何をしたいのかもわからず、以前の続きをただ甘んじようとしやがった。蹴り飛ばすのは弟の役目だろうが」
「いやあ、しょうがないじゃん。ミルエナってあれで、不器用だし」
「おめーが言うな」
それよりもと、花楓が話を変える。
「先ほどからサミュエル・白井に関して話をしていたんだよ」
「ああ、それだ、それ。おい円、あいつは更生しちまったのか?」
「更生って……いやまあ、思うところがあるのは確かだと思うけど、そのくらいしか知らないよ?」
「知らねえのかよ、お前が頭じゃねえか」
「――へ?」
「少止、毒づいても仕方ないだろう? 私たちの情報不足は否めない。鈴ノ宮に所属しているとはいえ、あくまでも個人だ。しかも、それ以外の仕事をしていない」
「ま、網にかかったのはミルエナに接触してから、ようやくだったしなあ……俺のじゃなく、花楓の方はどうなんだ」
「私の方も似たようなものだよ。それに、私の網の基本は、少止と同じだ。それほど意外性を求められても困るね」
「だからって、この場で円から情報を抜こうにも、面倒がある」
「うん……私はそっちの方が問題かな」
「面倒や問題って?」
「俺の場合はイヅナに筒抜けだ」
「私はそうでもないけれど、鷺城さんがいる以上はね、どうも。まあ彼に関しては、直接当たるか、ほかにしよう。悪かったね円さん、詰まらない話を振ったようだ」
「いやあ。ところで、ついでに変な質問なんだけど、花楓さん」
「どうぞ」
「あたしは今知ってて、前はぜんぜん知らなかったんだけど、なごみには?」
「そうだね……私のことは知っているけれど、知らない。なんて言えばいいかな……私の仕事には一切足を踏み込まないけれど、それが、私がなごみと共に在るためにやっている、ということは知っている」
「わあお、ご馳走様」
「変わったなあ、お前も。ま、悪くはねえよ」
「はは、なごみとも、さんざん喧嘩をしたからね」
「羨ましいなあ」
「ありがとう。……お疲れみたいだね、円さん」
「あーうん、ちょっとさっきまで、訓練してたから」
「へえ? ンなに追い込む訓練が必要なのかよ」
「必要っていうか、あー知らないのかな? 芽衣さんの招集で、うちらも一緒に」
「……」
「ああ、なるほど」
面倒なことを聞いた、と顔に出す少止と、納得と共に呆れたような苦笑を漏らす花楓。
「芽衣さん、ほんと何してんだ……」
「アレに付き合う兎仔はどうかしてる」
「なごみを甘やかしている間は、平穏なんだけれどね。私も見せろと、たまに言われるよ」
「参考までに聞かせろよ、たわいのない閑談だ。今日の訓練はどうだったんだ、円」
「うーん、そうだねえ。――あたしって性格悪いかも」
「あァ?」
「なんか裏を掻いてばっかでさあ」
「はっ、詰まらねえことを言ってやがる」
「私には、裏を掻くことで少止よりも上手だとは思えないな」
「馬鹿、俺だって師匠相手にゃ騙されてばっかだ。つまりだ円、お前の性格が悪いんじゃなく、相手連中が素直馬鹿だったってだけだろ。実際、イヅナの師事を受けたのか?」
「んにゃ、遊んでもらっただけ」
「だったら、少なくとも――俺の方が性格が悪いんだろうぜ。そこんとこ、花楓はどう見える」
「まあそうだね、戦闘という領分では私もそれなりだとはいえ、少止は厄介だと思うよ。術式を使われると、さすがに本気にならざるをえない」
「けっ、よく言うぜ。対人戦闘は領分じゃねえから武術家だと? あほぬかせ。そんなもん、二年も前の話じゃねえか」
与太話の類だと、少止は吐き捨てる。言葉が悪いのか、悪い言葉を選んでいるのかはともかくとして、険悪そうに感じられるものの、花楓は全く気にした様子もないし、言っている少止にしたって半ば睨むような視線を向けてはいるが、本気ではなく、認めている。
認めること。
そうだ、たぶん、それが今のつみれには足りない。
「――ね、変なこと聞くけど、頼るんじゃなく、相手を認められるっていうのは、どうなのかな?」
「そう簡単にできるものじゃないよ。私だって、確かに少止は友人だけれど、全幅の信頼を置いているわけじゃない」
「こうして話はするし、そりゃ外でだって逢うさ。望んで戦闘を挑もうなんて思いもしねえが、だったら警戒してねえかって言われりゃ、否と答えるのが俺たちだ。後手に回ったところで封殺できる材料を、こっそり揃えておくくれえのことはする」
「そして、それは警戒であっても、相手への否定ではなく、むしろ信頼の一つだよ。そうしなくては困る相手というのは、友人でいられる一員かもしれないね」
「まったくだ。お互いに昔を知ってっから、余計に性質が悪い」
「……うん。そういうことを言い合えるっていうのは、素直に羨ましいとも思うけど」
「けれどだ、過ごした時間には関係なく、多少は相手のことを知らなきゃ、認めることなんぞできやしねえよ。まあ――わからねえ、知らねえ、届かねえ、そういう圧倒的な何かも、含まれるけどな」
たとえば、鷺城鷺花のように。
たとえば、朝霧芽衣のように。
「俺らにとって友人は足枷じゃねえ。むしろ、引退したとかぬかして、腑抜けになってるのを見りゃ、手出しできねえのは承知の上で、クソッタレと毒づきながら、こうして花楓と愚痴を言い合うくらいにゃあ、面倒な間柄だ」
「待って。そういう人がいるかどうかはともかく、手出しができないって、なんで?」
「そりゃお前、友人なら――手を貸せと、相手が言って来るまで、何もできねえよ。勝手に支えて? 路傍の石を退ける真似をしたンなら、そりゃもう友人じゃねえ。ただの侮辱で、保護だ。守りたいと思う相手は、友人じゃねえよ」
「言葉は悪いけれど、確かにそうだね。私も少止も、お互いの背中を追いかけたり、横に並ぼうと足を進めたりはする。でも、前に出て邪魔をしないし、向いている方向も基本的には違う。ただ、たまにはこうして、向きを合わせるよう、逢うこともある」
「なるほど――」
つまりと、つみれは人差し指を立てる。
「
「へえ、いい表現じゃねえか。気にいったぜ」
「つまり、円さんとは事情が違うから、あまり参考にはならないかもしれないね」
「仲間――か、組織ってところか。せいぜいうまく使ってやるんだな」
「え、いや、なんであたしが動かすこと前提で言ってんの……」
「……花楓、説明」
ひらひらと手を振って視線を逸らす少止に、花楓は苦笑する。
「疲れたから私に振るのもどうかと思うけれど、ただまあ、円さんたち三人、厳密には四人を知っている人間の大多数は、円さんが頭であると認識しているってことだよ」
「なんで?」
「そういう意図が読めるから、と答えておこうかな。こういう誤魔化しは少止の領分じゃないか」
「お前がどう対応するかも、ちゃんと俺の経験になってんだよ。ンなこた、そのうちわかる。それよかイヅナ、どうしてんだ?」
「あたしが出る時には、まだうちにいたよ」
「んー……となると、裏の裏だな。悪い花楓、そろそろ出るわ。そろそろクソ師匠に挑んでくらあ」
「うえ、んなことしてんの、少止さん」
「んー? おー、そりゃま、俺は弟子だからな。そうでなくとも」
挑まずにどうすると言って立ち上がった少止は、顔を歪めるように笑う。どこか楽しそうに。
「挑まずに猿山で気取ってるだけなら、壁に向かって話してるのと同じだ。俺は御免だな――そんなことじゃ、妹に笑われるくだらねえ兄貴になっちまう」
話し過ぎたと、背中を向けた少止の気配はもう変わっていて、思わず目を細めてしまうほど薄く、どこか薄幸とも呼べるような気配だった。
凄まじい速度での変わり身だ。
「義父さんの弟子、か……ピンとはこないけど」
「それはまた、どうして?」
「うん。義父さんって、誰かに何かを教えて育てることよりも、まだ自分が成長することで手一杯――みたいな感じがあったから」
「それは……初耳だね」
隣を見ると、面白そうに笑みを浮かべている花楓がいて、話しにくいなと思って対面にまで迂回する。
「生活していて?」
「そう。当たり前のことかもしれないけど、なんだか未熟をずっと抱いているような……高みよりもむしろ、誰かの背中を追いかけているような感じがしてさ。あ、これあくまでも感じね?」
「……これは、本当に興味本位なんだけれど」
「うん?」
「今の円さんに、私はどう見えますか」
「それはつまり、感じってことでいい?」
「そうだね、構わないよ」
どうなのだろうか。
以前に見えていた印象で言えば、年齢の割に落ち着いている――だ。確か二十歳くらいで、年上なのはなごみに聞いた。人当りが柔らかく、思考にも柔軟性があって角を立てない。注意の払い方が独特で、先手を打つのではなく、あえて障害に当たらせてから手を引くようなやり方を、なごみの言葉から知ることはできた。
けれど――今は、どうだ?
「比較しようがないんだけど、今の花楓さんは楽しそう」
「おや……楽しそう?」
「なんていうのかな、やりがいを感じてる? 複雑さそのものの解決方法に、一定の道筋を立てるだけの理由がある? 筋が通った? うーん、どれも違うようでいて、合ってるような……ごめん、そんな感じ」
「いや、ありがとう。参考になるよ」
「なるかなあ……あ、鷺花さんだ。お風呂あがったんだ」
おそらくは名前に反応してだろう、こちらに向かってきた鷺花は、つみれ同様の浴衣姿でテーブル前で一度足を止めると、つみれを見てから花楓を見て、一見すれば座る場所をどうするか悩んでいるようにも思える仕草をしてから、つみれの隣に腰を下ろした。
「どう?」
「へ?」
「――正直に内心を吐露すれば、怖いですよ。気を抜けば、突きだされた指が動くままに視線を揺らしてしまいそうになります」
「敬語、いらないって以前に言ったはずだけど?」
「ああ、申し訳ない。どうも、鷺城さんを見ると条件反射で出るみたいだ」
「あーわかるかも。鷺花さんの態度って、男にゃわかりにくいもんね」
「つみれも余計なこと言わない。ただ――……まあいいか。私の干渉もたかが知れてる」
「鷺花さんのそれって、制限外れることあるの?」
「んー? そうねえ、望んで顔を合わせたくない連中が相手なら、外れることもあるわよ。目下の問題は今日の食事メニューね」
「あー……鷺花さんってさあ、自分が食べたいものは作らないのに、きっちりした食事は作れるとかいう、変なタイプじゃない?」
「あら、よくわかるのね」
「うん、なんかそういう我儘、好きそう。やれば全部できるのに、誰かに作らせた方が楽って感じ。まあ食事なんて、そういうものなんだけどさ」
「私にはわからないけれど、確かになごみの料理は好きだな」
「――それはともかくとして、花楓もそろそろ一度、雨天に顔を出しなさい。私から父さんに連絡しておくから」
「――ん? え? 父さん……父親? 雨天!?」
「ああ……やっぱりね」
「鷺城さん、円さんを試すのに私を引き合いにしなくとも」
「引き合いにしたのは事実だけれど、言葉も事実。いいわね?」
「わかった、わかったよ。
「えっと」
「つまり、私の情報をどこまで知ってるのか、探りを入れただけよ。もちろん嘘じゃないし、さして重要な話でもないわ――知っている人間が限られていたり、私が意図的に隠していたりと、その程度のことで」
「っていうか、お風呂で話して気付いてたと思うんだけど……」
「確認はいつだって必要よ。おおかた、イヅナじゃなくてベルから最近の情報一覧を仕入れたってとこ? まだ未読って可能性も考慮して、慎重に風呂場では様子見してたけれど、私のことをあまり知らないとなると、それはそれで面倒よね?」
「私に聞かれても、困るな。内心を吐露してしまえば、私としては知ってしまったことで、こうした現状を受け入れざるを得ないことが、それなりに頭を悩ます問題なのだけれど」
「そうかしら。お前は甘いってよくセツには言われるし、ウィルなんかは私が動けばすごく楽になるって評判が良いのよ?」
「化け物たちの名前を連ねられても困るね――おっと、そろそろ夕餉の時間だ。行こうか、二人とも。話の続きはそこでやればいい」
ついでだから逃げればいいのに、続きを促す辺りがどうにも、この蹄花楓という男は、気が利くのだ。
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