--/--/--:--――円つみれ・術式ではない在り方
訓練を終えてから、本来ならば一人で帰宅しようとしていたところ、追いついてきたミルエナと共に、一杯やろうと誘われて連れて行かれたのは、フラーンデレンの名のついた酒場だった。
以前の白井ならば、迷わず吐き捨てて断っただろうけれど、断る理由がなかったというよりもむしろ、共に食事をすることに嫌悪を感じなかったことが、素直に頷いた理由だったのかもしれない。
「しかし――」
文句くらいは言わせてもらおう。
「なんだってここなんだ。営業時間とはいえ、望んで親父とツラを合わせたいとは思わないんだがな、俺は」
「そう言うな。ミュウのことだ、調べようとも意識しようともしていないだろうから、この際に教えておくが、野雨市に点在する店には、細工がしている場所がある。ここもその一つでな、パーティションで区切っているだけではない。そこの柱を調べてみろ」
区切られているパーティションの角、天井にまで伸びる細い柱は、あくまでも装飾の一環としてそこにあるのだろう。オルヴァルと名のついたビールを口にしつつ、左手を伸ばして触れてみるが、なにもない。
だから、感じ取れていないと理解した白井は、軽く〝共感〟の術式を使う。それだけで、わかった。
「――
触れた手の先には、刻まれているはずの文字は見えない。しかし、確実に存在はしている。
「うむ、文字式そのものを見える形で刻むのは三流のやり方だ。こうすることで、内緒話がしやすくなっている」
「まあ、だからといって盗聴防止ほど強くはないな。気休めか」
「ないよりはマシといった程度だが、心配りは理解できよう。もっとも、喫茶SnowLightのような魔窟もある。それに、私は久しぶりに飲みたい気分だったからな、構わないだろう?」
「まあいい……だったら、店員はどうなんだ? 今日はウエイターのようだが、以前はウエイトレスだった。二十三時以降も営業しているのならば、危険もあるはずだ。帰りに護衛をつける金額を上乗せしているとは、到底思えない」
「私たちがエイジェイの名を借りているように、店主の庇護下に入っていること。情報を持っていても漏らさないと確約――いや、制約か。それがあるのも一つだ」
「狙われるデメリットを上乗せしているのか」
「まあ、それでも、秘密の保持に耐えられなかったり、夜の街に出れば脅威の一つくらいは転がっている。入れ替えも激しい可能性は考慮しておきたいところだ。まあお前のやっている掃除と似たようなものだな」
「……そう言われてみれば、そんなものか」
「うむ」
なかなか視線が外に向いてきたなと、ミルエナは言った。
「気が変わったか?」
「つみれの影響だろう」
「……どう見る、今回の訓練」
やはり本題はそれかと、瓶を置いた白井はサイコロステーキにフォークを刺して口に入れ、少し考える時間を取ってから口を開いた。
「正直に言えばキツかった」
「ミュウの成果はどうだ?」
「ああ、基礎の構築は多く見積もって四割程度はできた。殺しと戦闘がべつものだと意識できたのは僥倖だろうな。少尉殿はどうなんだ」
「昔の感覚を取り戻すには苦労する。私の本質は取り込むことではなく、変わることだからな。せいぜい二割――といったところだろう。これでも〝狂狼〟に拾われる頃は、死地を作っていたものだ。とはいえだ、それでも目的だけはある程度、達せられたといえよう」
「――だが」
けれど、新しい問題があった。
「せいぜい二度だ。たった二度だけ、つみれに合わせることができた」
「試行回数は十五は超えたというのに――な。こう言ってはなんだが、上手く行かずにつみれが考え込む時、背筋がぞっとしたものだ」
「……ああ。つみれが間違えたんじゃねえ。俺たちが追いつけなかっただけだ」
「だからこうして、飲みに誘った。――この、敗北感にも似た感情は、一人で酒を飲むと倍増しそうな気がしてな」
そうでなくとも、先ほどから酒が不味く感じるのは、どうやら白井だけではなかったようだ。
不味いというよりも――苦い。
敗北感。そう言われて気付かされれば、確かに負けていた。
つみれは自らが動くことによって場を支配して見せた。最初に見せた、田宮への攻撃を視線だけで誘導したようなことを、戦場レベルで複数人を相手に行いつつ、決定的であるべく望んだ一手を、つみれ自身ではなく、白井やミルエナにその一手の隙間を衝かせた。
簡単に言えば、こちらの動きを把握し読み取った上で、効果的な一瞬を作り上げて、はいどうぞと主導権を渡してくれたのだから、ありがとうと受け取っても良いものだが――。
しかし、そう簡単にはいかない。
ぽっかりと空いたようなその隙間に身を投じた瞬間に、つみれの意図が全て入り込み、周辺状況の動きが瞬間的に加速したような状況に陥ってしまう。まるで、誰かの乗っていた馬から、手綱だけを急に渡されたようなものだ。馬の癖も知らなければ、今どこで、どれほどの速度で走っていたのかすら、わからない。
それを二度ほど経験した白井は、いやミルエナもだ、それでは駄目なのだとわかった。
隙間に身を投じるのではなく、そもそも最初からその隙間にいなければならないのだと実感し、それを行動に移した。
つまるところ、つみれの意図を読み取りながら、その最適とも呼べる行動を取捨選択し、いうなれば動かされる駒としての役目を、思考し行動することで全うしようとしたのだ。
それでも、できたのは二度だけ。
「俺は駒だと自負していたところもあるが、甘かったと痛感させられた」
「うむ」
「少尉殿は、つみれがああなっていることを、最初から知っていたんじゃなかったのか?」
「まさか――冗談だろう。確かに私は、つみれを逃がすために円の両親を事故死させる実行を、まあ上からの命令でさせられた。それに、円の家系についてもある程度は知っている――が、それでも私は、つみれ自身を知ったのは、ミュウと同時期だ」
「そうであっても、似たような性質の人間を知っていて、合わせられるかと思ったが?」
「確かに、似たような連中は知っているが、殺した相手だ。加えて、私は今まで単独行動しかしてこなかったからな。――今さらながらに、グランマの言葉が身に染みるよ。戦闘とは、領域の侵し合いだと」
「それは痛感した。たとえそれが、味方の領域であってもな」
「あの程度では、どうやら朝霧は満足せんようだったがな……あれは、一歩踏み入ればひっくりかえせると思っていたに違いあるまい」
「問題はそんなことよりも、俺……たちの方だろう」
「まあ、言い直したところに好感は持てるが、確かに田宮たちの問題ではないな。しかし、それもそうだがミュウ、戦闘のやり方が変わったな?」
「ん……ああ、エイジェイの繋ぎで雨天に顔を出してきた。何かを教わったわけじゃねえが……勉強にはなる」
「――暁は」
なにか言っていたかと、店主の姿のまま、新しい酒瓶を持ってきたエンスは、空いた酒瓶を手に取りながら言う。
「一応は僕の馴染みだからね。次があるようなら、同伴じゃなく一人で酒を飲みにこいと、そう伝えて欲しいな」
「ん……ああ、そうしておく。以前、やり合った間柄らしいな?」
「遊びでね。僕はその程度さ。じゃあミルエナもごゆっくり」
「うむ」
「……なんだ、少尉殿も常連か」
「というより、エイジェイと飲みにきたことがあってな。言っただろう、それなりに契約を持ちかけたと。まあ、こちらが不利になるようなことは何もない。庇護下に入ったとはいえ、面倒をかけないことと、観察権利を与えただけだ」
そんなことは気にしてないと、白井は新しいビールに手を伸ばす。
「ん? ロシュフォールか。というか、これは注文の品じゃないだろう」
「サービスだと思って受け取っておけ。支払いは割り勘だ」
「奢りだと言われたら飲めなくなっていたところだな。それでだ、つみれにはまだ、この先があるとみて間違いないか?」
「おそらく、そうだろうな。やれやれ、参る話だ。――戦闘に限り、といった話なら猶予もあったんだが」
「そちらもか?」
「まだどうなるのかもわからんが……」
「だったらその時に悩めばいい。俺は先を予測してまで落ち込むほど、賢くはない」
「それは賢明とは言えん行為だが、まあ確かにそうだ。怖気づいて逃げるわけにもいかん」
「確かに、怖くはあるな」
「ほう……それこそ、珍しいな。ミュウが怖いなどと言い出すとは思わなかった」
「今まで俺が感じていた怖さとは違ったがな。どちらにせよ、定期的に続けたい」
「――それが現場の、物騒な仕事でもか?」
「……可能性の話か」
「コゲラを名乗ってしまった以上はな、可能性としては捉えておきたい。それが我我の過去に関連するものなのか、それともコゲラを名乗ったことでのことか、その分別も加味した上でな」
「その言い方――」
「そうとも」
面白そうにミルエナは笑いながら頷いた。
「どうであれ、我我がコゲラであることに変わりはない。つまり、報告の義務は怠るなということだ」
「――巻き込めと、そう言うのか」
「一人で解決できる問題でも、面白おかしく巻き込んでしまえば、見えてくるものもある。嫌だ面倒だと言いながらも、ミュウもつみれも私に付き合っているだろう? あれと同じだ。私も面白そうだと言いながら付き合おう」
「そんなことがなければ――いや、あるだろうな、クソ面倒くせえ」
「ははは、すぐにそうなるとも限らん。可能性の話だ、零ではないと理解していればそれでいい。――それと、伝えておくことがある」
「なんだ」
「ホンカスを潰したのは、私の手際だ」
「そうか」
あっさりと、酒を飲みながら短くつぶやいた白井に対し、ミルエナは首を傾げる。
「うむ?」
「予想はしていた。それに――あの時のことを、俺が思い出さないとでも考えていたか」
「…………」
「おい、俺は馬鹿か」
「ははは、冗談だとも。ミュウは馬鹿ではない。――まあ、原因の究明をしていたというのは、驚いたが」
「シャノには気をつけろ」
「ほう……」
「といっても、種明かしをすれば団長の言葉だ。どういうわけか、俺にしか言わなかったが」
「そうか――あの野郎は、ミュウにだけ明かしたんだな」
「そのニュアンスだと」
「ああ、これも潜入方法の一つでな。最初から、あの野郎は私が――いや、当時はシャノと呼ばれていた人間の変わり身であるところの私が、どういう理由で入り込んだのか、それを知っていた。私が明かしたと言ってもいい」
「団長は受け入れていたのか……」
「諦めではない、むしろ抵抗だ。それでもなお、あの野郎は団長だ。越えてはいけない一線を、踏み越えてしまったことを理解していた。だから〝仲間〟であった私の手引き……まあこの方法は教えないし、方法そのものを見抜かれていたとも思えないが、少なくとも私の存在は黙認していたというわけだ」
「何故俺に?」
「それこそ、あの野郎に聞かなければわからん。何しろ私だとて初耳だったのだからな。あるいは、ミュウの親父にでも訊いてみるか?」
「……いや、いい。どうであれ俺は、今ここで生きている」
「それでも昔を思い出すことはある、か」
「生きていれば、そんなものだろう。寝苦しい夜には慣れた」
「そういえば以前のバカンスでは、寝ていなかったな」
「人がいる場所でまともに寝れた試しはない。だったら起きていたほうがマシだ」
「ミュウの寝真似は、なかなか堂に入ったものがある。しかし、つみれの影響もあって、今ではあれほど無関心を通せまい」
「つみれのお蔭、か。少尉殿、俺は変わったか?」
「そういうことを問う辺り、随分と変化したとは思うが、これで終わりだと思っているのならば大間違いだ」
「……あんたは、あまり変わっていないように見えるが」
「ははは、私が変わるのは外見だからな。内面そのものは、根本的に変化できないよう構築されている。初歩だ」
「少尉殿の術式までは詳しく知らない」
「術式ではない、在り方だ。……うむ、まあ似たようなものかもしれんな」
「待て」
酒を飲もうとしていた手を止めるどころか、身動きの全てを停止させたかのような一瞬の間を置いてから、白井は瓶から手を離し、少し考え込むように視線を落とした。
「危うく聞き逃すところだった。気軽なつもりで言ったのかもしれんが、掘り下げるぞ。少尉殿、似たようなものといったな。そして、在り方だと――否定した」
「否定とは言葉が強いな。似たようなものだと付け加えた心象を加味してくれ」
「術式は道具ではない。そう捉えて構わないな?」
「……鷺城鷺花という名に心当たりはあるか」
「ある。雨天の家でツラを合わせた」
「引っかかりを覚えたのならば、――そういうことなんだろう。何を言われた」
「何も。軽い助言のようなものは受け取ったが」
「……それはそれで、判断に困るものだな」
「知っているようだが、鷺城はどういった人物なんだ?」
言うことは容易く、表現が難しいゆえに、しばしの沈黙を挟んでからミルエナは口を開いた。
「私も深く知っているわけではない。だが、間違いなく彼女が魔術師であることは確かだろう」
「……? どういう意味だ」
「そのままの意味合いだ――と言いたいところだがな。こう言ってしまえば、浅いと、そう返されることをわかっていながらも、私が言えるのは、鷺城鷺花以上の魔術師はおらず、そして完成はされていない」
「余計にわからん。簡単に言えば、魔術師として最高峰、ということか?」
「そんな言葉では語りきれんよ。それこそ、世界で一番の魔術師だ――なんて、子供じみた言葉を吐きたくもなるが、な」
「なるほど、次に逢った時に当人に聞こう」
「それでも理解できるかどうかはわからんが、少なくともミュウは始まったばかりか、あるいは終わっているのか、どちらかだろう。否定も肯定もされずに、助言を受けたのならば――そしておそらく、現状を鑑みるに、始まったばかりなのだろうな」
「……よくわからんな、それも」
「なあに、鷺城鷺花に否定された魔術師は数多いというだけのことだ。かくいう私もそのクチでな――まあ、否定も助言の一つだと受け取ったものだが、さて、成果がどうかは知らん。その程度の付き合いしかない。ただ、つみれも同様に接触していることだろう。むしろ、そちらが本題のはずだ」
「まだ伸び白があると受け取っておこう。俺もいくつか考えている。つみれほどじゃないにせよ、いくつかの状況には対応できるようにしておくつもりだ」
「そうだな。せめて、つみれの要求には応えたいものだ」
「そちらの方が難題だろう」
「ははは、それもそうだが、目は逸らせんよ。――まあしかし、田宮たちには埋め合わせをしてやらんとな」
「ああ……破壊された人形の大半は、連中の損害だ。よくそれだけの痛みを我慢したものだとも思うが、それも芽衣の訓練かもしれないな。それと少尉殿、あの場を誰かが見ていた気がする」
「朝霧以外にか?」
「そうだ」
「ほう……その手の感覚には疎いが、事実だとするのならば幾人か名前は浮かぶな。監視、ないし観察の類だろう?」
「どちらかといえば、限りなく傍観者に近い。探りを入れている雰囲気はなかった」
「ならばそれで良い。悪意があったのならば、朝霧が気付くだろうし、つみれも考慮しているだろう。もし――術式に関しての訓練がしたいのなら、鈴ノ宮をノックしろ。繋がりはあるんだろう?」
「……あまり頼りたくはないが、第三者の気配に気づいた以上は、それなりに構えておく」
殊勝なことだと、ミルエナは笑う。
おそらく、鷺城鷺花が何も言わなかったのは、白井が自覚しているかはどうであれ、零から初めているからだろう。そして、最初からの一歩を踏み出すということは、何よりも先に己自身を見つめ直すこと、そこから自己を形成するところから始めることとなる。それは魔術師において、基礎中の基礎なのだ。
どこまで突き進んでも、壁に当たったのならば、起点に戻って己を見る。
それが魔術師――魔術を扱う者の、成長だ。
先が楽しみであるのと同時に、ミルエナもまた、このままではいけないとも思う。
自覚がどうであれ。
一足飛ばしに駆け抜けた円つみれの背中が、ずっと先に見えているのだから。
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