10/18/18:00――円つみれ・無自覚なコンパス

「ただいまあ」

 鍵をあけて中に入ると、どういうわけか、おかえりと声が返った。重い旅行鞄を玄関に放置してふらふらとリビングに行けば、そこに養父である根ヶ布慶次郎が座って煙草を吸っている。

「義父さん」

「おう、ちょっと待ってろ。たまには俺の珈琲でいいだろ?」

「あー、いいかも。でも最近はミュウの珈琲飲んでるからなあ……」

「それなりに飲めりゃいいだろ。あの馬鹿のクソ不味い珈琲、まだ飲んでないのか」

「え? あー……そういえば、なんか少尉の珈琲のこと、言ってた気も……」

 ソファに腰を下ろして、ああそうだお風呂入れなきゃ、などと考えるのは癖だ。いくら疲れていても、このまま寝てしまおうとは思わない。夕食も作らないといけないし。

「ほいお待たせ――ってつみれ、お前、旅行帰りなのに夕食のこととか考えてんだろ」

「わかる?」

「そりゃあな。で、楽しんでこれたか?」

「うん、いろんな経験させてもらったし、楽しかったよ。あーでも、面倒なことはあったけど」

 いやちょっと待てと、つみれは珈琲を飲んでから、改めて口を開く。

「……少尉のこと、知ってるの?」

「ああ、あいつは――畑違いだけど、まあ俺の知り合いっつーか、向こうはこっちを知らないけど、なんだ、俺の師匠の繋がりで……まあ聞き流しておけ」

「いいけどさ」

「で? 何が面倒だって?」

「知らない内に終わってたんだけど、海賊が近づいてきて、それをミュウが片付けちゃったんだって。いや、べつにそれはいいんだけど、なんであたしに詳細を話すのかなあと」

「へえ……どうコメントしたんだよ」

「お疲れ様って言っといた」

「ははは、そりゃいい」

「っていうか、あたしにどんなコメントを求めてるのかがわかんない……」

「それでいいんだよ、それで。思ったことを素直に口にしてりゃいい。しかし――実際、どうなんだ? つみれから見て、少尉の馬鹿はともかくも、サミュエルはどう見える」

「ミュウ? うーん……好きにしてるようで、周囲に気遣い過ぎって感じ。なにかなあ、境界線を意識してる? 踏み込まれることは勝手にさせてるけど、踏み込まないし、ふいにどうでもいいって顔になる」

「猫みたいか?」

「あー……犬、かなあ。忠犬? 指示を待ってる感じ。あたしが、あれやる! ってテンションあがっても、なんだかんだで付き合ってくれるし」

「なるほどねえ」

「義父さんから見たらどう?」

「ここに核爆弾のスイッチがあるとしよう。ありふれた話ですまんな」

「いいけど……」

「俺は、理由があれば押せる人間だ。面白そうだってのも理由な? で、結衣は押そうとする人間をスイッチの前で待つ人種になる。あとは、押すことを命じる人間ってのもいるな。そうなると、まず間違いなく、つみれは押せないだろうぜ。どんな理由があってもな」

「うん、たぶん押せないね」

「でだ、サミュエルの場合は命令があれば押せる人間だ。誰かが命じる、その権利を持つ人間の口からそう言われれば、押すだろう。逆に言えば、命じなければなにもしない。隣から誰かが手を伸ばしても、見届けるだけだな」

「命令かあ……」

「気付いてねえな」

「なにがよ」

「あの殺人装置はな――命じる人間を選択する。ちゃんと拒否権を持ってんだよ」

「殺人装置って、ちょっと言い過ぎじゃない?」

「怒るなよ、実際にそうなんだから仕方ない。もしあいつが五人いたら、一人二百万円で購入したい組織が山ほどある。そういう危うさは、つみれの方が感じてると思ったけどな」

「そりゃ……そう、だけど」

 そもそも、白井の行動には感情が伴わない時が多い。たまには文句を言うし、断ることはあっても、面倒だと口にしながら――それしか、知らないかのように、振舞う。

 その件に関しては、田宮もぽろっと口にしていた。

 ――あいつは。

 ――感情じゃなくて義務感が強い。

 けれど、それすらも、誰かに与えられたものだ。

「からっぽ……に、近いのかな。紅茶を淹れればティーカップ、珈琲や牛乳を入れればマグカップ、お茶を入れれば湯呑になる」

「うん、いい筋だ」

「でもさ、そういう人もいるってことでしょ?」

「そりゃそうだ。野郎は野郎、同情も偏見も筋違いってやつだな。こっちじゃ常識だが――ま、つみれにはまだ早い。どうしようもなくなって、泣きついたら教えてやるよ」

「泣きつかないし」

「ははは、そうだろうな。どうしようもなくなる状況を作らないのが、俺と結衣の役目だ。まあ、実際にそうなっても、ちゃんとフォローしてやるよ。たぶんな」

「期待しないでおく」

「で、ほかはどうだった? 田宮の小僧も一緒だったんだろう」

「うん……って、田宮さんのこと知ってんの?」

「あの小僧には、それなりにな」

「義父さんって……」

「いやいや待てよ、そりゃ勘繰りが過ぎる。べつにつみれの交友関係を洗って、接触してるわけじゃねえって。実際、朝霧と田宮くらいなもんだ。ほかの連中は知らねえよ」

「……いいけどさ、そういうのはあたしに黙ってやってくんない?」

「ははは、言うじゃねえか」

「そういうのバラされた時の情けなさったら……こう、かなりくるんだもん。田宮さんはなんか、ミュウとも知り合いだったみたいだし、ほかの人たちの中心にいる感じ。知識も結構広い分野で取り入れてる」

 そうかと、慶次郎は笑う。その光景は想像するに容易いが――まだ、気付いていない。

 つみれは気付いていない。

 無自覚だ。

 今回のバカンスの最中、ずっと中心にいたのは、自分であることを。

 いや――違うか。

 白井とつみれの二人が居たからこそ、動いた場なのだから。

「結衣を止めた甲斐があったなあ」

「え?」

「いやな、様子見に行くって言って聞かないから、大変だったんだぞ。特に朝霧、あれがいけねえ。どうも結衣と朝霧は――険悪じゃないんだが、相性が悪いというか、好き勝手に遊ばれるというか、まあそんな感じでなあ」

「少尉とは違った意味で大変な人だったけどね……でも、面白い人よ?」

「そうか、そうか、そう感じたか。――いやおかしいだろ。面白くねえよ。関わりたくない相手を選べって言われたら、十人の中に入るぞあいつ」

「義父さんの仕事は詳しく知らないしね」

「それもそうか……まあいいや。それより、なんか質問があるなら聞くぞ?」

「うーん……あ、少尉がババァって言われて落ち込んでたんだけど」

「ぶはっ、……クックック、ンなこと言うのは朝霧だろ」

「うんそう」

「実際にババァかどうかはともかくも、年齢としちゃたぶん、俺より上だぜ」

「うえ、義父さんよりも? あの若作りで?」

「そういうこった。まあ悪い気はしねえんだろ?」

「そりゃまあ……アップダウンが結構激しいっていう発見もあったし」

「つっても、さすがに疲れたろ。そろそろ風呂、できるぞ。入ってこい」

「おー……義父さん」

「なんだよ」

「そういう気遣い、ちゃんと義母さんにすりゃいいじゃん」

「――よし。じゃあ今から電話してやる」

「そうしなよー」

 まったく、お前こそ、その気遣いはどうなんだと思いながら、煙草に火を入れた慶次郎はテレビに電源を入れ、ちょうどやっていた自転車レースの再放送に固定、ただし音は消しておく。やがてシャワーの音が聞こえた辺りで携帯端末を取り出し、耳にかけた。

 どちらにせよ、ここからの話をつみれに聞かせるつもりはない。

『――はい、お待た。どしたの』

「いやあ、結衣に気遣えってつみれに言われたから」

『ばぁか。経過報告?』

 そういうことだと、慶次郎は言う。

「だからまあ、残念だけど――仕事の話ね、ラルさん」

『ん。こっちもリック・ネイ・エンスから話は一通り。海賊をぶつけるのはどうかと思ったけど、まあ芽衣もいたしね……結果は?』

「予想通りスイッチが入って、一人で殲滅。ありゃ根深いねえ」

『スペインで放置してから、とっくにくたばったと思ってたって。あんな殺人装置だから、誰かが拾えば別なんだろうけど』

「結果的には、ジェイル・キーアが拾ったじゃないか。たまの仕事を回すだけ、なんだけどねえ」

『少尉の方は?』

「意図は読めないねえ。けど、俺としちゃ、読める意図を持ってないってのに一票かな。無理やりにでも〝先〟を創ってるって感じも否めない。ありゃあ少止の馬鹿が干渉してる」

『古巣では同僚だったし、姉みたいなものでしょ。つみれは?』

「いつも通り――を、装ってはいるね。疲労はあって、今は風呂。回線繋ごうか?」

『シャワーヘッドに取り付けた小型カメラ?』

「タイルの隙間に埋め込んだマイクのほう」

『や、どっちもいらない』

「冗談だよ。ただ、現場は確認していないし、飲み込んだつもりでも、そいつは現実じゃあない。心配になるねえ」

『今から、いつかサミュエルが殺すだろう現場を見るつみれの心配?』

「そう単純にはいかないよ」

『……なによ』

「装置の命令権をつみれが握ったから」

『――はあ? そりゃまたなんで』

「今回のは命令じゃなく、反射だってのが現場にいた芽衣ちゃんの判断だよ」

『……実行はしてないでしょうね』

「ないね。だから、実際にそれが現実になるかは、まだ不明ってとこだけど、俺の見解じゃ七割行くね」

『ほぼ確定じゃない……』

「人相の確認は六十パーセント程度で、ほぼ同一人物とされるしね」

『混ぜ返さない』

「はいはい。でもまあ、こんなとこかな?」

『そうねえ』

「ということで、結衣。今日はこっち来る?」

『慶次郎はどうなの』

「俺? んー、つみれの様子を見つつだけど、どっちでも」

『そ。じゃ、たまにはそっちに戻る』

「んじゃ夕食頼んでいい? それとも俺が作っとこうか?」

『それは止めて。――慶次郎の料理食べると、すっっごく負けた気分になるから。材料買って、十五分でそっち行く』

「はいはい、待ってるね」

 電話を切ると、ちょうどつみれが戻ってきた。

「相変わらず早い風呂だなあ」

「ん? ほら、ご飯の準備もあるから」

「年頃の娘がバスローブにタオルってのも、どうかと思うけど、これって俺が注意するところか? まあいいや……夕食なら、結衣がするって」

「へ? 電話したんだ」

「おーう、ちゃんと気遣いができる男をアピールしといた」

「ふうん。紅茶飲む?」

「飲む飲む」

「っていうか、義父さんって外で義母さんと逢うんでしょ?」

「ん? 親として逢うことはねえな。あったとしても、年に一度あるかないか……仕事としては、半年に一度くらいは顔を合わせてるぞ。あ、外ではな」

「えーっと……それ、普通なの?」

「うん。俺と結衣は昔からそんな間柄だよ。あ、ちなみにつみれと一緒に過ごしてた頃は、ちゃんと休職扱いだったから、仕事はほとんどしてなかったぞ。俺はまあ、ある程度、結衣の立場的に必要なフォローとか入れてはいたが……」

「うん。正直、仕事を言ってくれるまで、残念な人だと思ってた」

「その勘違いもしょうがねえか、ははは」

「――ねえ、義父さん」

「なんだ?」

 紅茶を淹れる作業をしつつ、背中を向けたまま、つみれは問う。

「あたしを生んでくれた両親の方、事故死って言ってたよね」

「育ててくれた、じゃねえのかよ」

「それは義父さんと義母さんだし」

「ふうん? まあ、確かに事故死だよ。いくら全自動化され、整備された交通網でも、必ずどこかにバグは出る。そりゃ以前の体制なら比較にならねえくらい、事故の数は減ったけどな」

「……それって、暗殺の暗喩?」

「ははは――」

 慶次郎は笑う。笑って、煙草を片手にその背中を見る。

「――誰かに言われたことで、つみれが調べたんじゃないなら、俺は素直に答えられねえなあ」

「期待してなかったけど、やっぱり。でも、可能性として、そういうことってありえるんだよね?」

「そうだなあ……つみれ、少尉のことを調べるんだろ? そっちはどうすんだ?」

「継続するよ? あたし、着地点も見えない状況で放棄したくないし」

「じゃ、先にそっちをやれよ。ヒントだつみれ」

「え、なに」

「少尉のことがわかれば――そっちのことも、ある程度は掴めるレベルになる。あ、これ、結衣には内緒な?」

 よく聞く台詞だなあ、と思いながらも振り向くと、慶次郎は笑っている。

 自分の日常はここにあって、つみれはそれを恵まれているとも思わない。そもそも、誰かと比較しようとは思わないし、それでも、背中を押してくれるのはいつだって養父で、そのためのやり方を教えてくれるのが養母だ。

 つまりそれは――敵わない、ということでもある。

「……うん、やってみる」

「楽しめよ」

「らーじゃ」

 そうだ、落ち込んではいられない。考え込んでもいられない。いつでも楽しまなければ、その先に良い結果が落ちていることなんて、ないのだ。

 来客のチャイムが鳴る。養父と同様に、鍵を開けろと催促する養母がやってきた。

 まったく、自分の家なのになあとぼやくつみれの背中を、慶次郎は視線で追う。

 ――ま、どうかなあ。

 蒼凰連理は監視としての役目に就いていて、直接的な干渉はしないだろうけれど、慶次郎としては、なかなか、難しいところだ。

 分岐点に足を踏み込んだ娘のために、父親はなにをすべきか?

 見守って、責任を取ってやることだ。

 けれど――でも。

 難しいのだ。

 何故ならば、気付いていない。

 つみれが持つ、〝乱針の矢印デッドコンパス〟は、未だ無自覚だ。

「何しろ、この俺や結衣までが巻き込まれたしなあ……」

「――え? なにか言った?」

「いんや、なんにも」

 さて、どうなることやらと思いながらも、久しぶりに家族が揃った今を、とりあえず楽しむとしようか。


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