10/16/07:00――サミュエル・反射行動
その手口を、白井はよく知っている。
スコールは周囲が見えなくなるが、逆に言えば周囲からも内部が見れない。つまり天然の迷彩、スコールのカーテンを利用した船での移動。強烈な雨を受け続けるコツを知っているのも、白井がそれを経験していたからこそのものだ。
だから――警戒していた。
していて、引っかかった。
雨に混じって聞こえた駆動音、雑音として聞こえていたそれの消失は、接岸したことを如実に示す。それを消すための技術を持ち合わせてはいなかったのか、それともスコールの先にあったこの小島を見逃していたのか。
やや距離を空けて匍匐移動を開始――人影を目視、知っている姿ではない。何より服装がばらばらで、騒ぐ声も聞こえる。
海賊だとしたらアマチュアだ。戦利品に喜ぶのは、全ての始末が済んでからだと、それ以外に無駄口を叩くなと白井は教わっていた。
連中は、白井たちが乗ってきた駆逐艦に足を踏み込む。
――俺の。
領域に、踏み込んでいた。
――俺の戦利品に。
刃物や銃を持っているのが、見えた。
――俺の相棒に。
笑い声が耳につく。
――俺の居場所に。
手を伸ばした己の足にあるナイフを、掴んだ。
――足を、踏み入れたな……?
ナイフと己が〝
海賊が己の戦利品を奪われそうになったら。
海賊が棲家を奪われそうになったら。
海賊が勝負を挑まれたら。
やることは一つしかない。
――殺す。
相手が何人いようと構うまい。こちらが死ぬまで、殺し尽くすだけだ。
森から飛び出した白井は、駆逐艦の上で立って中を見ていた馬鹿の背中に飛びつくと、そのまま首を背後から切る。その上で屍体を壁にしたまま、男が手に持っていたサブマシンガンのトリガーを引いた。
屍体を壁にして、極力一撃必殺を狙いながら、しかし、通用しなければ何度でも斬る。手を切る、足を切る、そして首を斬る。時にはナイフを投げて無手になり、それを奪うために飛びかかって斬る――己は、ただ一つの刃物だ。
その様子を遅れて到着した芽衣は、普段と変わらぬ表情で腕を組み、やや目を細めるようにした。手伝おうにも、一人で戦うことを基本とした動き方だ、余計なことをすればこちらも敵にされる。だとすれば、白井が死んだ時に出ればいい。
「……その必要もなさそうだがな」
そもそも、これはある筋から、白井に対する行動として芽衣も情報を得ていたものだ。この結果はともかくも、手ごろな海賊が一つ壊滅するシナリオなど、芽衣にとっては大したものでもない。
「――」
「来たか田宮。……ほかの連中は置いてきただろうな」
「あ、ああ――こいつは」
「予定内のシナリオだ。想定の範囲ではあるが……いささか、問題ではあるだろう」
「エルがやったのか」
「やっている、が正しい。十数人、今はもう駆逐艦の内部に這入った頃合いだろう。狙撃をしてあちらの船を壊すようなら、それで終いだ」
「手を貸さなくていいのか……?」
「元よりサミュエルのために用意された場だ。どうするとも、手を貸せとも言われていない以上、任せるしかあるまい」
「く……」
戦場の流儀など、知らない。そもそも田宮はこんな戦場に足を踏み入れたことも、誰かと共闘して生き残った経験もないのだ、こんな時に何をすればいいのかすらわかっていない――そのことを、悔しく思う。
そうだ。
いつだって、田宮は、後片付けばかりで、渦中に身を置いたことなどない。
ふらりと駆逐艦の橋に人影が見え、思わず身構えたが、芽衣が手をひらひらと振って制止する。よく見れば、右腕側を血色に染めた白井だ。
呼吸の停止、短い間での呼吸といった、まるで海の中に潜っている時のような呼吸だった白井は、口の端から大きく息を吐きながら、ゆっくりと左手を使って右手のナイフを引きはがす。それは音を立てて甲板上を転がり、それを再び拾い上げてブーツへ差し込んだ。
「――手を貸してくれ、屍体を連中の家に帰したい」
「田宮」
「お、おう……」
「心配するな、全員始末をつけた」
屍体のすべては甲板上にあったため、それを運ぶのは田宮の仕事だ。といっても、田宮の特性上、そう難しいことではなかった。
そして、最後に白井は向こうの船に入り込み、戻ってくると、何度かの爆発音と共に船は屍体と共に自沈する。それが海賊の手向けであることは、なんとなく想像がついた。
「なあ――」
「サミュエル、答えろ」
「なんだ」
「何故、連中を殺した?」
「……」
「元より殺しても良い連中であることは、貴様の鼻が嗅ぎ取ったように、事実だろう。貴様がやっていなければ、私がやっていた。しかし――何故だ」
「連中は俺の居場所に踏み込んだ」
「今の言葉、間違いはないな?」
「……ああ」
「貴様は、自分の居場所に踏み込んだから、殺したのか」
「そうだ」
「――なるほどな。では最後の確認だ。答えろ。そこに、つみれや少尉は含まれていないな?」
「……――、そうだ」
「自覚しているのなら構わん」
腕を解いた芽衣は、ふうと吐息を落として背を向けた。
「さて、私は戻ろう。連中が戻ってくる前に、掃除をしておけよ? 田宮は好きに使っても構わんからな。ははは」
「俺の意志は関係なしかよ!」
「首を突っ込むからそういうことになるのだ。せいぜい、次からは気をつけろ」
ったく、そりゃいいけどとぼやきながら振り返ると、顎に手を当てた白井が視線を足元に落としていた。
「なんだ……? どうしたエル、悩んでんのか? おい、そんなお前を見るのは初めてだ」
「いや……芽衣には感謝しているところだ。すまん、いつものように手を動かそう」
「お、おう。なんだよ、どういうことだ?」
「頭に血が上ってしまったのは事実だ」
昔の癖なのだろう。間違いなく、先ほどの白井は〝海賊〟として行動を起こしていた。
「……俺はまだ引きずっている」
「忘れようと思ったのか?」
「いいや、そうじゃない。これは俺の条件反射だ」
「――おい、この結果が、条件反射だと?」
それは、熱いものが触れた手が、意識するよりも早く離れるように。
「そうだ」
頷き、デッキブラシを片方渡しつつ、海水を汲み上げるホースで洗い流しを始めた。
「俺の中にある〝海賊の流儀〟が、同業者を相手に踏み込まれた時、相手を殺すよう仕込まれているものだ。俺が」
そう、それは白井が。
「命令なしに殺害できる唯一の状況だ」
「――……お前さ、いや、わかんねえけど。だったら、それがわかってて、なんで悩んでんだよ。お前がそれで、俺を殺すってんなら話はべつだけど」
「田宮が海賊になったらな」
「冗談だろ」
「俺の性質はそういうものだ……が、芽衣の言った通りだ。俺はその時、誰のことも考えていなかった。引きこもりのガキみたいにな」
「なんだそりゃ」
「暗い殻の中にこもって、命令って光だけを待つガキってことだ」
「ふうん。それでいいのか? それとも、悪いのか?」
「変わりたいとも、このままでいいとも、俺は思ったことがない」
「根深いじゃねえか……。ま、どうであれ、自分のルールがあるヤツにちょっかいかけるほど、俺は暇じゃねえし。相談くらいは受けつけるけどな」
「正直に言えば、田宮と芽衣を見た時に、ああ丁度良いと思った。後始末は面倒だ、手を貸せと言ったことは本心だろう――が、俺は芽衣に言われるまで、つみれや少尉のことなど忘れていた」
「おいおい、状況入りしたらほかが見えなくなっちまうのかよ」
「そんなものだ」
「だったら、あー……ま、多少は踏み込んでもいいか。だったら、エル、お前にとって少尉……はともかくも、つーかあのアマなんなんだ、アイウェア持ってってやるけど……いや、ともかくだな」
「ああ、少尉のことは気にするな。俺も気にしてない」
「気にしてやれよちょっとは……じゃなく、お前にとってつみれってのは、なんだ?」
「光だ」
「――は?」
「言っただろう……俺は暗い殻の中から、命令という光だけを待っている」
「……ってことはなにか? つまり、いいように使ってくれる相手ってことか?」
「少なくとも現実的に、俺の使用権は握っているだろう。自覚があるかどうかは知らん。……とはいえ、誰かを殺せという命令は出されんだろうが」
「けど、もしその時になったら、頷くんだろお前は」
「拒絶する理由はない」
「それでお前が死んでもか?」
「……? おかしなことを訊くんだな」
そもそもと、白井は言う。
「駒なんてのは消耗品の使い捨てだ」
「駒が言うのかよ、それ。本来は指揮官の言葉だ」
「そういうふうに育てられてる。戦場に出たら真っ先に死ぬタイプだ――が、けれど」
そうだ。
親父は、あのリック・ネイ・エンスこと、あの酒場の店主が言ったのだ。
「俺は――理想的な殺人装置だ」
「……そりゃそうだろうけどな。海賊ってより、傭兵に近いだろ、それは」
「誰かと比べたことはない」
「あー、それっぽいなあ。けど、なあエル、助言とかそういうんじゃねえけど――お前さ、誰かと比べてみたらどうなんだ?」
「誰か……と言われてもな」
「いや、俺とか、つみれとか、少尉とか、朝霧だっていいさ。なんか俺、今のエルが変わったところ想像したら笑えてきた。なあおい、どうよ」
「……気が向いたらな。そうだ田宮、一つ、聞こうと思っていたことを思いだした」
「おー、なによ?」
「作り笑顔というのは、やはり鏡の前で練習するものなのか?」
問うと、ぽかんとした表情をした田宮は、海水が流れる甲板の上で、腹を抑えて笑い転げた。
どうやら、やはり練習するものではないらしい。
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