10/19/15:00――朝霧芽衣・監視者の苦労
朝霧(あさぎり)芽(め)衣(い)にとって音楽とは、ただ流れているだけで何かしらの効果がある、極めて簡単な万能装置の一つだと捉えている。しかし、それは感銘を受けたり、没頭したりする人にとっては違うだろうし、意識しなくとも音とは溢れているものだけれど、芽衣にとっては音としてしか捉えることはなく、以上も以下もないのだから、どのような効果があるのだろうと本格的に考え出すのは、いつだって暇な時だ。
喫茶SnowLightに訪れると、常に店内は音に溢れている。時刻こそ昼時ではあるが店内は空いており、注文したカルボナーラを平らげたあたりで、ふいに音楽が流れているのだと意識した芽衣は、皿を片付けるウエイトレスの
芽衣にとって、まともに音楽を聴いた記憶というのは、ほぼない。いうなれば現状がそうであるが、じゃあどうなんだ、と問われても感想を出すには苦しむだろう。ノイズ交じりのラジオを聴いていたことはっても、それだとて流れていただけで、耳に入ってくる音として捉えていただけだ。
人には過去があり、生活がある。過去の積み重ねによって現在があるのならば、それは全員が違う現在を生きていることの証左でもあるだろう。けれど、この日本という国は、前へ倣え的なみんな一緒などという感覚が強いが故に、そこを理解していながらも、自分の常識がさも同然のように跋扈する。
だからこそ、生きにくい。けれど、生活はしやすい。何しろ治安も悪くはないし、金さえあれば食べ物も転がっている。まあ悪くはないんだろうと頷いたところでようやく、来店した
「お待たせ。サギ、いちご大福と玉露ちょーだい」
「はあい。――食後のデザートのつもりだと太るわよ」
「うっさい」
「女は少しふっくらしていた方が良いぞ、連理。世の中には抱いてる最中にぶん回したいから小柄な方が良いという連中もいるが――」
「あんたもうっさい」
じろり、と睨まれるがまったく怖くないのは何故だろう。むしろ、うんうんと頷いて受け入れてやるくらいが大人の度量だろう、とすら思ってしまう。
「相変わらず良い音出してるなあ……」
「なんだ、わかるのか?」
「うちの父さんと同じ趣味だから。ここのだと、あんまし出ないウーハーをダブルでつけてるし、低音がよく出てる。かといって出過ぎってこともないしね。まあそんなことは、どうでもよくて」
「ふむ……」
「どうだった? 一応、私のほうでも一連の流れは聞いてるけど。馬鹿な海賊を誘き出して、それを白井が殺したって?」
「その通りだ――が、あくまでも反射行動に過ぎん。いわばサミュエルにとっての敵とは、海賊であり、棲家を荒らされた条件で、自律的に――かどうかはともかく、行動できた。その結果だろう」
「つまり、日常生活の中じゃまず発揮されない?」
「ああ、そうだろうな。私のように、スイッチを状況に合わせて自ら入れることもしない……否、できない。殺人そのものへの忌避感もなければ、終わったあとに落ち込む様子もなかったが」
「腕は?」
「どこを判断基準とすればいい。私か?」
「ハンターランクで」
「条件次第でランクD……だな。どの程度見込めるかはわからんが、競売にかけずとも百万円は最低ラインで出ると思うが」
「使える?」
「殺人装置としてはな。かつての私もよく言われたが、アレと比較すれば私など粗悪品だろう。個人の意思で動く、ただ生還するだけの私など、な」
「あー面倒だなあ。つみれは?」
「そっちは、連理の方が知っているだろう。現場を見ていないこともあってか、すんなり受け止めた。納得も理解も、しているようには見えなかったがな」
「……じゃ、状況的にはどうなってんの? つみれの今の両親のこととか」
「ふむ。状況か」
「そう。一応、監視の仕事だし、マルヒトの馬鹿がどうすんのかも課題の内」
「そうだな、少尉に関しては一通りは知っているが、円に関してはほとんど知らない。言うなれば、少尉もサミュエルも同じ側だ。蛇の道は蛇となれば調査も容易いが、いかんせん円は違う。であればそうそう気軽に踏み込めまい」
「そりゃそうだケド」
「連理も私同様に、円の両親については知っているんだろう?」
「もちろん。少尉が白井と接触した時点で、つみれが事前に白井を調べてたのは知ってたから、すぐ連絡入れたし」
「では前提から話そう。同一人物ではあるが、
「でも、それが同一人物だとは知らない――か」
「少尉に関して言えば、ラルのことも知ってはいるかもしれん。ただし、帯白であることは知らんだろう」
「ああもう、本当に面倒だなあ……そもそもさ、私は父さんから頼まれたんだケド、マルヒトの監視なんて必要あるの?」
「いや――ないだろう。あれは基本的に無害だ。基本的には、な。ただし、お前が監視に就いている、その事実が影響を及ぼすのも事実だろう。私としては気軽にやれ、と無責任なことを言ってしまっても構わないがな」
「個人的には、つみれとは顔見知りだし、放っておけないのも事実だケド、付き合ってらんないってのも本音だよね」
「ならば私と付き合え」
「ヤだ」
「――なら私に付き合う?」
「サギとなんてもっとヤだ……楽しいけど大変なんだもん」
「残念。はい、大福と玉露」
「あんがと」
言いながら、鷺花は芽衣の隣に腰を下ろした。芽衣も気にした様子はなく、煙草はあるがどうだと勧めている。なんだか逃げ場を失ったように思えたのは連理だけらしい。
「で、スーレイの話? 芽衣の方で経歴は調べたんでしょ」
「ふむ? ホンカスであることがわかった時点で、まあいいかと放置しておいたが。何しろ連理と違って、私は実害がないからな」
「そうねえ……スーレイを拾ったのが誰かまで調べてないのよね?」
「鈴ノ宮ではないのか」
「いつでも調べられるからって、後回しといて、暇だ暇だと言わないのよ、あんたは。レンの方は?」
「知らないケド……」
「じゃあ一通り――」
「まあ待て、その前に一つ質問だ鷺城。柄にもなく、口を挟むではないか。私としては貴様が要求する対価ならば、可能な限り支払うだろうが、それでも先に話しておいてくれると、私はそれなりに喜ばしいのだがな?」
「先にネタばらしを要求するのね? まあいいわよ、これはね、蓮華(れんか)さんから送られた情報なのよ」
「父さんが?」
「そ。レンに話しておけってね。もちろん、折りを見てってことだけれど」
「なるほどと、ここは納得しておこう。私に直接的な関係はない話題だ、続けてくれ」
「それもそうね。まず海賊団〝ホンカス〟が地中海を根城にした海賊だってことだけれど、そもそも、地中海に存在した海賊が一斉に消失した時期があるのよ。ちょうど十五年くらい前ね」
調べる時間をくれ、と言いたいところだなと芽衣は苦笑する。しかし、それが連理に対する説明である以上、要求は通らないのだとよくわかっていた。
「で、実際には当時、ある海賊団がほかの海賊を壊滅させた上で、解散したのよ。その海賊団の名前は……ま、公表もされていないし、口にしても知ってる人はほぼいないだろうから言うと、〝エイクス〟と名乗っていた。当時の艦長はジェイキル・エイクス。今だと賞金が二千ドルになってる――のを、ちょっと前に確認したわよ。安すぎる」
「ふうん……ホンカスは、その空白時期を境に、地中海に?」
「外から来たんじゃなく、内部から発生というか、陸地から海に出たというか……ホンカスはもとより、奪った船で活動することを基本にしていたから、特定のベースを持ってはいなかった。ただ、家族だったのは確かね。幼いころに海で拾われたスーレイが、どういう経緯で流れ着いたのかはともかく」
「ふむ、そこは知らんのか?」
「奪った〝荷物〟の中に居た子供で、海賊の生活に馴染めたのがスーレイだけってことよ」
「人身売買かあ……」
「あの性格だから、いいように使われていたのは確かだけれど、物心ついて銃を持つようになってからも、団長はそれなりに配慮して、知り合いの酒場の店主にも話を持ちかけていたし、相談されていたってのも事実ね」
「しかし、ホンカスは解散した」
「というより、ほかの海賊に潰されたのね。ちなみに、ありふれた話になるけど身内の裏切りで全滅。陸地に流れ着いたのは三人――現状で生き残ってるのはスーレイだけ。それを拾ったのが、酒場の店主……つまり、あの、リック・ネイ・エンスね」
「ふむ……」
「あの人かあ」
「教えたのはナイフの技術と、陸地での生き方。とはいえ、まあ早い内にスーレイがただの人形であることを見抜いたから、手に負えないと判断して、放置して撤退しちゃったわけだけど、その時点でエンスはもう、スーレイが死ぬと思っていたらしいわね」
しかし、実際にはそうはならなかった。あちこちから恨みを買っていたサミュエル・白井はナイフと銃を頼りに生き残り、そして、ただ生き残ることだけを考えて、ほかは何もしなかった。
「生き残れと、命令はしたみたいだから、それはそれでどうかと思ったけれど――まあそれで、恨みを晴らしたというか、恨みを持っていた連中を残らず始末したスーレイが生きていたのを知って、しょうがないから拾ってくれとジェイル・キーアに連絡したと」
「なに? では、キーア殿が拾ったのか」
「そうだけど、驚くこと?」
「私はキーア殿を尊敬しているのでな。行為自体は疑わないが……」
「……? あ、そうか、説明忘れね。ジェイキル・エイクスは現在の名をジェイル・キーアで、海賊団エイクスにはリック・ネイ・エンスも所属していたのよ。ちなみにエンスが刃物で先陣を切って、ジェイキルは後方狙撃ってのが王道パターンで、前団長が生前の頃からの付き合いよ。といっても、エイクスは最終的に南シナ海まで出たんだけどね」
「……」
「ふうん。え、メイはどしたの」
「いや……さすがにそこまでの情報は得ていなかったのでな。ふむ、それであの狙撃の〝癖〟があったわけか」
「ま、それはともかく、拾ってからしばらくはあっちに居たけれど、ジェイルも仕事があるし、こっちに戻ってきた時に、スーレイもこっちで生活を始めたのね」
「じゃあ、命令を待つ狗ってのは変わらないんだ」
「そういうことね」
「んー……それ、白井は自覚してると思うんだケド」
「だろうな。鈴ノ宮は良い拾いものをしたと、そう思っていることは聞いている。ちなみに、一応聞いておくが鷺城、サミュエルを欲しがっているところはどの程度ある」
「さすがに二桁までは嗅ぎつけてない、かしらね。ただ国内に――というより、鈴ノ宮に、野雨にいる以上、面倒は起きないから安心なさいね、レン」
「はあい」
「ただミルエナはねえ、どうかしら」
「――? 誰それ」
「なんだ連理、知らなかったのか。少尉の名だ。一番長く使っていた、一番古い名だが」
「えー? 私、あの人が三〇一だったことくらいしか知らないんだけど」
「失言だな」
「どうかしら。でもまあ、そうねえ、芽衣も知らない事情をここで話すのも筋違いね。またレベルが上がったらいらっしゃい」
「どこの長老なの、サギは……」
「レンも、もうちょっと学生生活を楽しんでみたらどう? 今しかできない遊びもあるんだからね」
「そうとも――私のように遊んでみろ。楽しいぞ」
それだけは御免だと思った連理は、頬杖をしてため息をついた。いずれにせよ、監視は遊びではなく仕事なのだ。その境界を曖昧にしつつ、状況に応じて切りかえるなどといった器用な真似を、連理はできないのである。
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