10/06/20:00――転寝夢見・暴走の理由

 夕刻、連絡を受けた夢見は、それに断れないことをわかっていながらも、一人でその店に到着した。外観はひどくシンプルな石造りの建物で、看板こそ出ているものの、一体なんの店か瞬時に理解できる人間はそういないだろう。特に一般人ならば、それが店であることはわかったところで、足を踏み入れることに躊躇いを覚えるはずだ。

 初めての店だが、指定された場所であるし、夢見はため息を落としながら中に入る。そこは綺麗な酒場であり――フラーンデレンという名がついていた。

 通称をロンドというベルギーの自転車レースを知っている夢見は、たぶんその名前でいいのだろうと、適当に思いながら、まずはカウンターに向かう。

「いらっしゃいませ」

「待ち合わせなんだ――ん? いや、もう先に来てる。フランドルはあるか?」

「ありますよ」

「じゃあそれと、シメイレッド」

「わかりました。どうぞ席へ」

「頼む」

 そのまま真っ直ぐ歩き、ちょうど中央より一つ奥のテーブル席に、その少年は。

 芹沢企業開発課ですれ違った時に感じた雰囲気を一切持たず、まるで路傍の石のように、見ただけでは硬さも種類もわからないような、無表情に限りなく近い顔をして。

 鷹丘少止たかおかあゆむは、先にビールを飲んでいた。

 席に座らず、立ち止まると、視線だけで座れと指示される。それが気に入らない。

「俺みたいな一般人を呼び出すとは、どういう了見だ」

「なんだ、付き合ってる女が不安げに〝私のどこが好きなの?〟って言うのと同じ台詞だぜ、それは。私の返答は決まって同じだ、――知ったことか」

「嘘でも、愛してるって誤魔化すのが男だとも思うけどな……」

 やれやれと対面に腰を下ろせば、店主がすぐにビールを運んできた。見れば少止もフランドルを飲んでいるようだ。

「変わらねえな、夢見」

「そいつは俺の台詞だクソッタレ。呼吸をするように周囲を騙す性格は、そう簡単にゃ変わらねえか」

「馬鹿、私が言ってるのはてめえが腑抜けてからの話だ」

「腑抜け、ね。俺の話ならいいけどな、姉貴に対する文句ならすぐに帰るつもりだぜ?」

「アレに関しては私もお手上げだ。仕事を頼んだこともねえよ」

「それを俺に対してもやってくれりゃ、違う意味で両手を上げて喜ぶところだ。ま、花楓かえでも一緒にいるって話なら、最初から断ってたけどな」

「ふん、あいつとならこの前に話した」

「そうかよ」

「おい、なんだ夢見、えらく棘があるじゃねえか」

「見ての通り、こっちは半ば引退したようなもんだ。それをお前はいいように使って、雨音あまねの様子を連絡しろだの、なんだのと俺に押し付けやがる」

「ついでに周辺の情報も押し付けてやったじゃねえか」

「いくら粗品を積んだって新聞はとらねえと言ってるんだ」

「そこまで警戒してでも、ESPは使いたくねえのか」

「封じたのは俺の意志だ」

「そこだ。いや、私としちゃ文句を言うつもりはねえんだが、あれからもう数年だ。俺も見ての通り魔術師になる――戻ったことだ、改めて確認だけさせてくれ」

「確認?」

「そう――つまり、夢見がESPを封じた理由に関して、だ。もちろん、花楓からお前が変わってねえと、そういう連絡を受けた上での接触なのは確かだが、だからってこいつが本題ってわけでもない。そうだな、私としては興味本位――ないし、私の警戒の一つだと思っておいていい」

「回りくどいな。少止なりの見解がある、そういうことだろう」

 まあなと言って、少止は次の瓶をあける。見れば、ローデンバッハとラベルに記されていた。

「使えば使うほど強くなる――その言葉を以前、私は聞いた。偽りはないか?」

「ない」

「だろうな。そして、これも確認だ。夢見はそいつが暴走に繋がる危険性から、抑制ではなく封印の手段をとった」

「そうだ」

「なんだかんだで、お前は周囲を巻き込むことを特に嫌ってたのは、私も知ってる。だから判断については、私から言うことは、やっぱりねえよ。ただその機能……仕組みか。魔術師にも似たような傾向を持つヤツが――昔にいたって話を、最近聞いて、それで思い出したんだけどな」

「最近じゃねえか……」

「細かいとこ気にするな。この場合はパターンがいくつかあるんだが、魔力にゃ容量と消費量、それと根幹にある魔術回路の三つがある。どれが拡大するかにもよるんだが……暴走、つまり危険性を孕む場合になると魔力そのものが増加する傾向だ。単一術式に適量の魔力を込めるのは基本だが、こうなると魔力を多く詰め過ぎる。何事も過ぎると面倒だ」

「毒と薬の境界線だな」

「だから――お前の場合、全部だろ」

「なに?」

「あのな……私や花楓をどこかの節穴だと思うなよ。あれだけ慎重で精密制御をとことんまで突き詰めたお前が、封印してまで手放すとなりゃ、相当なモンじゃねえかと思うくれえに私らは付き合いがあったんだ」

「俺としては、そういう辺りが面倒だと思うんだけどな……そういうのが嫌で、俺は六六むつれさんのところに厄介になってんだ」

「私とは入れ違いだったけどな」

「……まあ、そうだな」

「もしかして知ってたのか?」

「花楓からの情報。時期をズラせと忠告されたんで、気になって調べたら、そういうことだってな」

「花楓の配慮か。ま、一緒になったらなったで、私も動きにくかったとは思うから、結果オーライだ。けどまあ――正解だろ」

「まあ、な」

「で? 現状の器から洩れたぶんの力はどう処理してんだ」

「……お前、俺に探り入れてんのか」

「最初からわかりきってることを、今さら言うな。だいたいな、本来なら夢見だって、私や花楓の立場と同じところに居てもおかしくはなかったんだぜ? それがどうだ、お前だけ部外者面して呑気にしてやがる」

「当事者になるつもりはねえな」

「夢見も知ってるんだろう、田宮正和に、前崎鬼灯や鈴白あやめ」

「知っている」

「あの連中を見てみろ、狩人になりたての初心者だって、もうちっとマシな動きをする。私だってそこそこでしかねえのに、そんな私でさえそう思うんだぜ。スイまでとは言わずとも、立ち回りもなっちゃいねえ」

「だから俺に動けってか?」

「いいや、だから、夢見が動けねえ現状に不満があるって言ってるんだ」

「俺に不満をぶつけるなよ……そりゃ確かにな、少止の言う通り、今の俺の器から溢れる力そのものは、消費することで安定を保つ。魔術師がどうかは知らないが、ESPに限っては〝安定〟そのものが本質だ」

「使えば、強くなるんだろう?」

「ああ、使用に関しての制限がないことは、確認している」

「それだ。おい夢見、そこがあいつらにゃ足りてねえ。てめえのことなのに、研究がねえんだよ」

「だから俺に教えろって言うんならお門違いだ。野郎と一緒にゲイバーに行く趣味はねえよ」

「ちっ……で?」

「ああ。ただ、使い方や指向性の与え方で、増加する割合は減らせる。つまり、一度使えば器が十も広がる力に対して、コンマ一のものならば回数は増やせる。以前、俺が暴走しかけた時、お前と花楓が止めただろ。あれを基準にして――まあ、安定させてるさ」

「あの時、耐えられなかったのは、肉体と精神、どっちだ?」

「両方だ」

「どっちにせよ、こりゃ楽観視かもしれねえが、成長した今では、上限が変わってきてる――そうも捉えられる」

「だからって試そうとは思わない。現状では、その必要もないと判断してる」

「なるほどな、よくわかった」

「わかるのかよ。……ったく、だからお前との相性は悪いんだろうな。そうやって懐に入りながらも、結局はてめえの判断だと、あっさり身を引く」

「花楓と違って、私はそれほど心配性じゃない」

「過保護なだけだろ?」

「うるせえよ。それも火丁に対してだけじゃねえか」

「知ってる。雨音は無事にやってるか?」

「ああ……寮にもそのうち、顔を出させる。今はまだ、それほど優先順位が高くないとか言って――ん? ああ、お前、寮の連中とは普通に会話してるよな」

「普通かどうかはともかく、やっていけている。もちろん、俺がESP保持者であることは知らないが」

「だったら話は早い」

 ビンに直接口をつけて飲み干す少止は、口調とは相反して、やはり表情が動かない。このちぐはぐさも昔は気になったものだが、すぐに慣れた。いや、慣れようとして馴染ませたのだ――こうして、少止が表情を作らない相手が限られていることを知ってから。

「極秘だが」

「おい」

「実際にはオフレコってことだ。学園でソプラノ……鈴ノ宮清音が公演するって話、聞いてるか?」

「いや――最近、学園には顔を出してなかったからな。そんな話が出てるのか?」

「出てるんだよ。学内のネットワークくらい目を通せよ。学内掲示板にもスレ立ってたぜ。そこでだ、こっからが極秘……じゃない、オフレコなんだが、ソプラノがどうも、火丁に歌わせるらしい」

「へえ……雨音の歌は軽くしか聞いてねえけど、いいんじゃないか」

「休日のシフトだったはずだから、寮にいる連中……つっても、花刀(かたな)と九か、ついでに朝霧にも連絡入れて連れてこい。どこまで話すかは夢見に任せる」

「はは、確かに過保護だな。まあそんくらいなら、俺にも手伝えるか。いいぜ、話しは通しておく。あいつらも気にはしてたからな」

「……一般人が、あいつらよりも情報握ってるってのはどうなんだ?」

「うるせえ、勝手に入ってくる情報まで遮断できるか。それを言うなら逆だろ、元闇ノ宮の下位組織の四十物谷に、元暗殺代行者の橘の九番目が、なんでそんな情報も知らないんだっての。いや口にも態度にも出さねえけどな、内心じゃ呆れるってもんだ。実際、大丈夫なのかあいつら」

「まったく大丈夫じゃねえよ。私はともかく、朝霧なら、殺しても問題ない相手だろうと頷くところだ。役に立たんなら食料の消費を減らせるから良い、なんてな」

「朝霧ってことはお前、国外の仕事でか?」

「さすがにそこまでは知らねえか」

「いや、俺はお前や花楓のことまで詳しく調べたりしねえよ」

「ふうん? まあ――同じ組織で、違う部署。そういうことだ。仕事を一緒にしたこともあったけどな」

「その朝霧に、野雨西の文化祭に顔を出せと言われてる俺はどうすればいいんだ?」

「行けよ。私は鬼門だが、そういえば遠々路は行くらしいな」

「夜笠まで乗り出すと面倒だ」

「そりゃねえよ」

「ただでさえあいつは――……そういや、刹那の同郷が戻ってきたとか言ってなかったか?」

「――忘れろ」

 私は考えたくないんだと、額に手を当てた少止はその表情を隠した。


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