10/06/10:20――橘九・ゴーストバレット

 硝煙の匂いがした。

 なんだろう――運動場を注視しても発見できなかったそれは、結局のところ勘違いか、僅かな匂いでしかなかったのだろう、そんな結論を出したたちばなここのは、外周から離れて中央付近に向かう。そこには、持参しておいたビーチマットが広げられており、周囲には食料があれこれ並んでいる。

 女性にしては背の丈も高く、発育は並み。スタイルが良いと評判の九だが、今日はもちろんワンピース型の制服を着ており、髪も結ってはいない。いくら文化祭とはいえ、学校行事だ。こうしてサボるくらいのことはあっても、日常から大きく逸脱はしたくない九は、馴染むことを優先していた。

 といっても、九だとてどちらかといえばスイッチを切り替える方法を選択した人間だ。それが入るようなことにならなければ、自分が元暗殺代行者の技術を身に着けている橘であることすら、見抜かれることはそうそうない。だからといって嗅覚そのものまで消してしまえば、危険を嗅ぎ分けることができなくなる。その辺りのバランスは昔から母親に叩き込まれてきた。

 ビーチマットに腰をおろし、クッキーに手を伸ばす。文化祭の屋台といえば定番ものが多いのだが、この学校は定番だからといって敬遠する傾向にあるらしく、より食べ歩きがしやすい食品が多い。手作りのサンドイッチのクオリティといったら、コンビニで買うものと比較にならないほど良いのだから、自炊をしない九は唸ったものだ。

 九はお祭りは好きだ。けれど、自分の好きに行動できない祭りは嫌いだ。だからといって役目を放棄するほど無責任ではないので、こうして楽しみながらも、明日のための準備は手伝うし、九のクラスが作った自主作成映画に関しても、かなり手伝いもした。だからこそ勝ち得た自由行動は、気が楽だ。

「ふんふんー」

「――ボケが」

 気配も感じず、真後ろから背中を蹴られた。顔から倒れようとする躰を制御するため、やや前へ跳躍するようにバランスを保ちつつ振り向けば、今しがた九がいた位置にどっかりと腰を下ろした小柄な少女、潦兎仔にわたずみとこがいた。

「ちょ――」

「いや、ボケじゃなくて間抜けか」

「急に出てきて背中に足跡つけといて、勝手に食べないでよ!」

「相手に気付かれるような間抜けを相手にするなら、丁度良いくらいだろーが」

「なに言ってんの」

「だから、てめーがさっき、運動場で見てたのを、当人が気付いたって話だ」

「へえ……私、誰だかわからなかったんだけど」

「はははは、――寝ぼけてんのか、てめえ」

 膨れ上がる殺意に、足元から背中に向かって冷たい何かが走る。あぐらをかいて、こちらを見もしない兎仔から発せられているそれは、瞬間的に九の脳裏に逃走経路を浮かばせた。

「仮にも橘の、末席とはいえ九番目が、初陣を終えたばっかのクソガキと同列だと? そこらにいる連中と同じなら、マジで殺すぞ」

「……なによ」

「いいや? 殺すにしたって半殺しがせいぜいだろうなって思ったところだ。いいから座れよデカ女」

「兎仔って……なんかさ、こう」

「なんだよ」

「……なんでもない。そっちって、なんか出し物してるんじゃなかったっけ?」

「あー、一応あるみてえだな。あたしは生徒会の仕事をメインにすっからって逃げた。ちなみに生徒会からも逃げてる最中だ。連絡入れてもいいぞ。どうせ仕事で花刀は動けねえし、茅もふらついてる最中だからな」

「いや、そんなことしないから」

「それはそれでチキンだな」

「あの、私をどうしたいわけ……?」

「あ? べつに何かしようってわけじゃねーって。言ったろ、逃げ回ってる最中。あちこちを転転として居場所を攪乱してんだよ。情報処理科に助力を願うと、あいつら、集団行動で統率も取れるから厄介なんだが、まだその段階じゃねえしな」

「そんなに仕事あったっけ?」

「さあ……一ヵ所に確保されるのが嫌いなだけだぞ。仕事はきっちり終わらせてる。どのみち、生徒会の役目なんてのは、あってねえようなもんだろ。文化祭実行委委員の八割は情報処理学科だ、連中が職務を放棄するなんてこたあねえよ」

「だからって、私のとこにこなくたって……」

「――お前、最近は仕事してねえらしいじゃねえか」

「え、それは、まあ……」

鷹丘少止たかおかあゆむがいねーから、必要ねーってか? そんなだから、野郎を見つけることもできねえんだよ、お前はな」

「いや、だって、少止もマジで隠れてるじゃん」

「だから間抜けだって言ってんだよ。あれが隠れてるっていうなら、子供のかくれんぼだって見つけられねーぞ」

「なによお」

「いい加減にしとかねーと、本気でクズ扱いになるから注意しろってことだ。――ま、一度は少止とツラ合わせといたほうがいいぞ? 今のお前のレベルじゃ、到底辿りつけねえ位置にいるからな」

「……」

「お――なんだ、花楓かえでがきたぞ、おい」

「よくわかるねえ」

「お前と違って寝ぼけてねーからな。ちなみに、なごみと一緒。つーか、なんか妙な連中が集まってんなあ」

「それ、運動場でやってるアレ以上に妙なわけ?」

「なんだよ、そんなに妙か? 緊急時における適切な処理ってのは、覚えといて損はないぞ? 使う機会があるかどうかは別にしてな」

「いや、その適切な処理までが問題だと思うんだけど……」

「ちなみに、緊急処置のライセンスは大半がもう取得済みだからな。といっても、研修を一週間も受ければ貰えるやつだけど。そういうところ、上手くやってると思うぞ」

「そういう問題……? っていうか、これ、どうやって誤魔化してんの?」

 これ、とは視線の先にある運動場だ。高さもあるし中央であるため、ほとんど見えないけれど。

「正攻法だろ。正式許可とって、ほぼゴリ押し。手榴弾も基本的には音がメインで威力はほとんどねえし、近くで破裂してもせいぜいが火傷、くらいなもんだ。安全性が確保されてるんなら、祭りは無礼講だろ、どうとでもなる。裏であたしも、茅も動いてるしな。――職員室じゃ数人が頭抱えてっけど。あはははは」

「あの子ら、徹底してるからなあ……悪巧み好きよね」

「悪巧みもそうだけど、純粋に楽しんでるんだろ。ぎりぎりの領域を探ってるってのも、アタリだろうぜ。こういう〝要領〟ってのは、社会に出た時にも役立つもんだぞ。……まあ、主導になったのは、そういう世間を知ってるやつらだけどな。朝霧さんは特殊だとしても、田宮とか」

「ふうん……」

「お前も、一応は橘なんだから、体面くらい保てって話なんだぞ?」

「私、そんなに駄目かあ」

「……あたしらの世代は、人数が多い。それがどんな理由かまで説明はしねーし、あたしだって推測の域を出ねえけどな、それでも落差があり過ぎる。それでも、鈴ノ宮にいる男連中が最低ラインだ」

「げ、あいつら元軍人とかばっかじゃん」

「だから――間抜けだって言ってんだよ。そんなだと、あっさり見限られるぞ、お前。つーか、あのな? あたしは口が悪ぃからどう聞こえてっか知らねーけど、最初っからこれ、助言だからな?」

「ああうん、本当に口が悪いね」

「うるせえ。まあ説教はしねーよ、こういう場だしな」

「――って、ちょっ、いつの間にそんなに食べたの!? 私の食料!」

「お前も細かいとこうるせーな……また買えよ」

「いやそこ、あんたが補充するところでしょーが!」

「本当にうるせえな、てめえは。おい水が足りねえ、ちょっと行って買ってこいよ。うるせーから、ちっと頭冷やしてこい」

「――! ――ああもうっ!」

 死ぬほど文句もあったし、後から来て何様だと叫ぶのは簡単だったが、これ以上の面倒を積み重ねられても、最後は負けて自分が買い出しに行くことが予想できた九は、がに股でのしのしと屋上を去った。その背中を見送った兎仔は、ごろりとビーチマットに寝転がった。

「そっち、どうだ茅」

「――特に問題はないけれど」

 やっぱり気付かれてたかと、給水塔の影から姿を見せた茅は、軽く肩を竦めて見せた。

「僕の気配が問題かな。それとも糸?」

「両方」

「精進するよ。白服がここに二人ってことは、生徒会室には花刀かたなさんが一人か。まあ、問題が発生しても実行委員が解決できるから、僕たちなんて結局は偶像だよね」

「あたしらじゃなくて、花刀がな」

「浅間さんが気付いたのは兎仔さんじゃなくて、九さん?」

「あたしがそんなヘマするかよ」

「いや、もしかしたらわざと気付かせたんじゃないかな、と思ったから」

「それなら直接ツラ出すだろ。おー、なごみきてるぞ」

「知ってるよ。ひづめのがどうするかはわからなかったけど、姉さんには僕から誘っておいたからね。一緒にきてるようなら、挨拶する必要はなさそうだ」

「あいつこの前、マンション麻雀に連れてったら、かなり勝ったぞ。大丈夫なのかあれ」

「姉さん……なにやってんだ。違うな、なんで連れて行ってるんだよ、兎仔さん」

「うん? そりゃあれだ、なごみが来るっていうから。当人が言うには波があって、負ける時は徹底的に負けるらしいぞ。ある意味、何か持ってるよなあ」

「身内なだけに笑って済ませられないね。――兎仔さん。兎仔さんから見て、僕や少止、それから蹄のは、どこら辺りに位置してる?」

「あ? んなこた知らねえけど、あたしとしちゃ中堅として捉えてっけど?」

「なるほどね」

「不満か?」

「それがあるとしたら僕じゃなくて、兎仔さんだと思うけど」

「言うじゃねえか。それでも、あたしができることは、せいぜい助言を遠回しに渡すくれえなもんだぞ」

「それでは充分な効力は見込めない?」

「言われてできるヤツは、その前にとっくにやってるって話だ」

「ためになるね」

「なんかあったか?」

「少し前に、少止と蹄のが話していたんだよ、そんなことを」

「あの二人か……あたしがこっち――日本に戻ってからも、結構注目してたんだよな。立ち回りも上手いし、情報収集に余念がねえ。いくつか遠回しに情報貰ったこともあるんだぞ」

「――この際だ、いいかな」

「いいから隣、座れよ。こっちも躰起こしてやっから」

「僕は立ってる方が気楽だから。遅れたけれど、お茶の差し入れだよ」

「おう」

 あとで九さんがまたうるさいだろうけれどねと、茅は笑う。

「僕は、あっちでの兎仔さんはある程度知っているけれど、こちらに来た頃はどうなのか、知らないから、どうしていたのかなと思ってね」

「そりゃお前がこっちに来た時と似たようなもんだ。つっても、あたしは鷺城と付き合いが長かったこともあるし、アキラとの縁もあったから、戸惑うこともなかったし、ある程度は向こうで、こっちの情報網を作るくれえのことはしたぞ。いくつかの情報屋にワタリをつけて、セーフハウス見繕って、音頤おとがいとのパイプ作って――そんなもんか? あとは現地入りして適当に」

「適当か。……怖いなあ、適当で済ませられる辺り。そういうのって感覚?」

「まあ、経験で培った直感って意味合いなら、感覚だろ。それにあたしは、裏の嗅覚をガキの頃に身に着けてっから、そこらへんも影響してるぞ」

「――そういえば、兎仔さんの出生というか、昔っていうと槍に入る前のことだよね」

「あ? 知らねーのか? あたしがアキラに拾われる前は、まあ声を失ってた時期でもあるけど、うちの組織はマイナーどころだったからなあ……その頃のあたしは〝G・Bガーヴ〟なんて呼ばれてたぞ」

「ちょ、ちょっと待って」

 半歩、兎仔から距離をとった茅は掌を前に出し、片手で額を抑える。急激に上がった鼓動が浮かばせる額の汗は、暑さからのものではなく。

「おー、その反応、まだ残ってんのか、あたしの話。もう十年……ってこたあねえけど、それに近いくらい前の話だぞ」

「……整理させてもらえるかな?」

「おー、なんだよ」

 だらだらと流れる汗を拭う素振りもなく、茅は目を泳がせている。

「ガーヴ……つまり、ゴーストバレットG・B。弾丸のように使い捨てで、捨てられたのに生き残ってるって意味合いの、幽霊。何度でも発射される弾丸……だよね」

「そんな感じで言われてるみたいだな。消耗品なのに、何度も使えるって辺り、重宝されたんだぞ」

「……世襲制というか、弾丸と同じで、複数人の〝武器〟の総称じゃなくて?」

「そう考えるのは、まあ普通だよな。適当な人数のガキを確保しといて、適当に訓練させて一度限りの戻ってこない弾丸にするなんてのは、末席の組織なんかが追いつめられてやりそうなもんだ。実際にそれも当たりだぞ。あたしもその一人だった――けど、最後の一人のまま残ってたってだけで」

「暗殺専門なのに真正面から――」

「んな手口まで広まってんのか? 当時のあたしは向こう見ずだったし、やり方もほとんど知らなかったから、仕方ねーんだって。腕の一本くれー落とされたって、すぐ回復できたし。まあ肉体改造はされてたからなー、それなりの無茶も可能だったってわけ。武器になる前に、とっくに生まれた頃から仕込まれてたぞ」

「……」

「つーか、よく知ってるじゃねーか。有名なのか?」

「ん、まあ……僕たち傭兵団の間じゃ、それなりにね。何しろガーヴには、敵も味方もない。死ぬまで殺して、殺してから死ぬ、なんて言われてる。日本じゃ橘が暗殺代行者としての代名詞だったように、僕たちは冷や汗を浮かばせながら言うのさ。ガーヴじゃねえことを祈れ、なんてね」

「実物いねえのに代名詞扱いかよ、ははは」

「僕の間違いじゃなければ実物が目の前にいるんだけど……」

「ま、当時はガーヴの名をあちこちに売って歩いてたからなあ。組織の方が、あたしが戻ってくることを問題にして、戻ってこれねーような場所に突っ込ませて、んで生き残ってたら回収ってのを何度か繰り返してたし」

「そうなの? 戻ってくる弾丸なら、有効利用できそうなんだけど。コスト的にも」

「戻ってきたら、一度きりって利点が消えるんだよ。ツラも割れるし面倒が多い。で、結局は標的にしたアキラにあたしは確保されて、声を取り戻して自意識をきちんと確立すんのに半年くらい使ってから、槍にぶち込まれたんだよ」

「……参ったな。藪をつついて蛇を出した気分だ」

「つっても、今のあたしとかつてのあたしは、違うぞ?」

「わかってるよ。もっと恐ろしいってことは、よくわかる」

「なに言ってんだ、鷺城見てみろ、あれと比べてどーよ」

「あはは、あれは比較対象が違うんじゃないかなあ。――や、おかえり九さん」

「……なんで茅がいんの?」

 あたしがくるより前に居たぞと、兎仔は笑った。

「だからまあ、コイツとは畑違いってとこもあるな」

「ああ、それもそうだね……僕はそういう仕事、したことないから、なんとも」

「あたしは軍でやってたけどな」

「やってたんだ」

「え、なんの話。――はい兎仔、スパークリング抹茶」

「おうさんきゅ。……苦味が足りねえなこれ、抹茶は甘いとかって半端なイメージ持ったやつが作ってんだろ。売れ行きよりも名前に見合った作りしろって製作者に伝えとけ」

「あんたが行きなさいよ」

「買ってきたのはてめーだろ」

「まったくもう……で、なんの話よ」

「暗殺の話だ」

「僕は苦手でね。九さんは得意分野だろうけど」

「そりゃまあ……そういう技術は教えられてるし、基礎になってるけど」

「ちなみに聞いとくけど、お前は四と比べてどーなんだ?」

「え、四と? じょーだん……私が四に勝てるわけないじゃん。七さんの仕込みよ? 母さんみたいに気まぐれでなに考えてんのかわかんない人じゃなくて!」

「ぼけーっとしてて嫌なことは嫌だからって何もしねー女だって、あたしは聞いてるけどな」

「いや実際に、四と顔を合わせることもあるけど、まったく手も足も出ないし」

「へえ……どうよ、茅」

「僕は評する立場にないかなあ。単純な個人技量としては、僕も似たようなものだろう?」

「あたしから見れば、四も茅も似たようなもんなのは確かだけどな。つまり、はっきり言ってやると、あたしにせよ茅にせよ、お前の首根っこ掴まえてやるくれーのことは、簡単だってことだぞ?」

「はっきり言わなくてもいいのに……あ。花刀から連絡があって、めっちゃ書類整理に忙しいから馬鹿二人探してきてって言われたんだけど?」

「馬鹿二人?」

「九さんと……もう一人は誰かな」

「わかんね」

 あんたら二人のことだと言った九は、飲み物を片手に持ったまま盛大に吐息を落とした。


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