10/06/10:00――浅間らら・野雨西の文化祭

 結局、誘われていたということもあって、浅間ららは野雨西高等学校の文化祭の初日に顔を出すこととなってしまった。

 あれからしばらく、浅間はまともに照準器を覗けなかった。何を標的にするのでもなく、射撃姿勢になっただけで、現場の緊張から脂汗が浮かび、いつしか己の呼吸が停止していることに気づき、荒い呼吸を繰り返す――そんな状況を五日ほど続け、最近ではようやく、現実と精神の擦り合わせができた。

 浅間が経験した仕事は、確実にどこかで存在しているもので、本来ならば関わることがなかったものだけれど、それに関係することができた。つまるところ、非日常が現在に浸食した結果として、混乱してしまうのだから、スイッチを作ってしまえばいいと、そんな結論に至った。

 平時と、そうではない時の切り替え。少なくともその結果として、浅間は安定した。

 だからこうして、遊びにも出られる。膝を抱えていた頃とはおさらばだ。

「――とは言え」

 これは一体なんなんだ。

 入り口でパンフレットを受け取ったのだが、配っている生徒がなぜか軍服だったのだ。妙に生地もしっかりしていて、本物の感触――というのも変だが――があった。校舎側から中に入れば、ちらほらと同じ軍服の生徒がいる。

 妙に落ち着かない空気を感じながらもパンフレットを開き、そこでようやく、田宮がどのクラスに所属していて、どの出し物をしているのか知らないことに気付いた。

「どうしようか」

 ここのところ、佐原や戌井とも逢っていない。そもそも訓練がなければ接点がほぼなかった相手だ、それほど寂しいとは思わないけれど、どうしているのかは気になっている。一緒に来ようかとも考えたのだけれど、向こうからの連絡待ちをしていたら、結局当日になってしまったというわけだ。

 浅間は、騒がしいのは嫌いではない。特に祭りともなると、それなりにテンションが上がる。だからといって、自分が主導するのは好まないのだから、なかなか厄介な性格であるかもしれないけれど、こうして参加する側ならば文句は言われないだろう。

 適当に何か食べ歩きでもしてれば見つけられるかな、などと思っていたら、一人の軍服の女性が手元に持った携帯端末を確認し、ふいに近づいてきた。

 誰だろうか――いや、間違いなく知らない相手だ。

「失礼します。間違っていたら申し訳ありません、貴殿は浅間上等兵殿ではありませんか?」

「へ? ……確かに、浅間だけれど」

「は、でしたら浅間らら上等兵殿。よろしければ自分が、田宮上等兵殿のところへご案内致します」

「そう……じゃ、よろしく」

「は、こちらであります」

 背筋を正し、直線で動く。それでいてこちらの歩幅を考えての誘導に、おいおい、これは一体どういうことだと疑問も浮かぼう。しかも上等兵呼ばわりだ、わけがわからない。

「田宮のクラスの子?」

「いえ、自分は二学年に所属しております。今回の祭りでは情報処理学科合同で出し物をするため、自分のような若輩者も、三学年の田宮上等兵殿たちの指揮の下、働かせていただいております」

「そう」

 パンフレットを見ると、確かに合同で、緊急時における救護実習の出し物と記されていた。

「ということは、朝霧さんも一緒に?」

「は、朝霧上級大尉殿が統括指揮を執られております」

 こりゃ大変かもしれないなあ、などと思いつつも案内されたのは運動場で、すぐに軍服の田宮が気付いてこちらに近づいてきた。

「浅間上等兵殿をお連れしました!」

 踵を正した直立に対し、おうと田宮は頷く。

「ご苦労だった、所定の任務に戻ってくれ」

「イエス、サー!」

「……よっ、初日に来たんだな。一応、数人にお前の特徴を教えておいて正解だったぜ」

「ふうん? いいけど、……なにこれ」

「なにって、緊急時における救護実習だけど」

 嘘だ。

 というか、あちこちで怒号が響き、土嚢を使った壁を利用して、運動場内では三つ巴の闘いが繰り広げられている。エアソフトガンも使っているし、ペイント弾でも使用しているのかと思えば、対爆防御の声が上がり、爆音が響いていた。

「コラ貴様ら! 何をしている!?」

 教員なのだろう、妙に厳つい男が大股でずかずかと来たかと思えば、軍服の男性がそこに対応する。

「何って、どう見ても緊急時における救護実習だろ!? ほら見てくれよ! 負傷兵だ、クソッタレ、救護班まだか!?」

「バッカモン! この煙はなんだ! 爆発物じゃないだろうな!」

「なに言ってんだよ、埃だよ埃! 詳しく言えば煙陣だって! だいたい爆発物なんて使ってねえよ! 音と光が出るやつだよ! ちょっと威力が出るやつだって!」

「だったらこの硫黄の匂いはなんだ!」

「火薬じゃねえよ! あっちで科学部がやってる実験の匂いが流れてきてんだよ! 安全性を確保した上での撮影です、真似しないで下さいってあっちの看板に書いてあるじゃねえか!」

 などと、まるで返答になっていない、誤魔化せるわけもない誤魔化しを延延と続けている様子を見れば、どれだけ水面下で準備を進めてきたかわかるというものだ。

「ちなみに、救護実習ってのはマジ。一般参加可能で、物資の補給役なんかも兼ねてる。一年、二年、三年でそれぞれ五ヵ所の土嚢を使った仮塹壕を、できるだけ多く奪取するかってゲームだな。牽制用の弾とは別に、撃破用のペイント弾も用意してる」

「やたら凝ってるねえ……朝霧さんは?」

「おう、あっちにいる。行こうぜ」

 運動場の隅にある天幕にて、英字新聞を眺めていた芽衣は、田宮の声に気付いて顔を上げると、組んでいた足を戻し、新聞をテーブルに置いた。

「おお浅間、きたか」

「きた。っていうか……いつの間に上等兵になったの、私」

「仕事を完遂しただろう、階級としては丁度良いくらいだ。どうだ、座るか? 中に入れ」

「あーうん……朝霧さんも軍服なんだ」

「これか? 私が以前に所属していた組織が使っていたものだが、解体と共に在庫が余っているのは知っていたからな、捨て値で回収したのを流用したものだ。行軍用だが、なかなか、連中にも似合っている」

 ちなみに自前のものはとっくに売ったと、芽衣は言う。

「勲章も一緒に質屋だ、こんなことなら体育館で行われているバザーにでも出すんだったな。どうだ浅間、参加していくか?」

「ええー?」

「服が汚れるのを気にしているのなら、服の貸し出しもある。見ろ、後ろの天幕が着替え用だ。女性、男性ともに警備もついている」

「そうなんだ。んー……バランス崩さない?」

「程度によるだろう。田宮、ライフルの用意を」

「あいよ」

「これ断れない流れだなあ。じゃあせめて、上着だけ貸して? 今日はロングスカートだから、下はまあ、大丈夫だろうし」

「サービス精神が足りんな。そら、上着だ」

「ありがと。ゴーグルは?」

「必要ないだろう?」

「例外を作っちゃ駄目ってこと。言い訳がきかなくなるし」

「私が言いくるめておいてもいいんだがな……ああ、そうか。元は狙撃部だったな。忘れていた」

「私も最近、忘れがちなんだけどねー。それで、なに持ってく?」

「そうだな、物資よりも食料だろう――と、いかんな、その辺りは参加者に任せることになっているのだが」

「そろそろ昼も近いし、食料でいいんじゃない?」

「おう、待たせた。照準器のマウントも済ませちまったけど、よかったか?」

「ああうん、大丈夫。中は普通の弾?」

「ポイントツー・バイオだ。そうだな、浅間には三発のペイントをやろう。これが当たれば負傷扱いで退場になる」

「向かって右手側の近く、あれが一年の場所だ。そっちに入ってくれ」

「はいはい、じゃあ行ってくる。すぐ戻るけどねー」

 麻袋を一つ受け取り、銃を肩に提げたまま、周囲を確認しつつ、ひょいひょいと指示された場所に近づく。

 土嚢を三段、ないし四段積んだ塹壕だ。本来ならば穴を掘るところを、壁にしたもので、適当な感覚で五箇所に積まれている。ただ、直線距離にしても一番近いところで十メートルくらいなもので、あまり効果的だとは思えないけれど、これはゲームだ。

「補給食だ、受け取れ」

「お――」

 男が一人反応するが、こちらが田宮や芽衣の知り合いとはわからないだろう。だから端的に、狙撃銃を肩から外して言う。

「戦況はどうか?」

「正直、旗色は悪いんだ。特に三年は、何を考えてるのかわからない」

「三年はどっち?」

「向かって左側」

「そう……二年との連携は考えてる?」

「いや――」

「じゃ、作戦参謀に打診しておくといいよ」

 一発目を薬室に叩き込み、小さく吐息を落とす。

「――前へ行くなら、援護するぜ?」

「必要ない」

 土嚢の配置は、いわゆるか鶴翼陣形と同様で、中央が開いている。おそらくは二年、三年の両側を警戒した配置なのだろうが――まずは一発、真正面に向けて放った。

 ――銃の性能には助けられない。

 あくまでも一般的なエアソフトガンだ、ある意味で浅間の技量そのものが直接出ることになる。だからこそ、外せない。

 素早く照準器の調整を行った浅間は、弾装を取り出して三発のペイントを入れ、軽く瞳を瞑って深呼吸をし、己を感じた。それはほんの一瞬であっても、切り替えには充分だ。

 思い出す必要はない。

 どうであれ、これは仕事だと考える。

 それだけでいい。

 スイッチが、入る。

「――」

 初弾を装填して目を開き、おもむろに上半身を出して狙いを定める。早ければ早いほどいい、だが当たらなければ意味はない。姿勢維持は弾が射出されるまで、着弾の確認など乱戦においては不必要だ。

 一発、すぐに装填して次――二発、そこまでの作業、一呼吸を停止させた状態で行った浅間は、一度顔を引っ込め、すぐに飛び出した。

 弾が土嚢に当たった音がする、感覚が鋭敏化されて周囲の光景と音が遅くなる。

 飛び込む先は戦場、狙うは右側の塹壕、一回転して伏射姿勢で装填、最後のペイントを二年側に向けて放った。

「――援護射撃!」

 声を放つと、数人が立ち上がって弾をばらまく。その間に立ち上がった浅間は、二発だけペイントではない弾を打ちながら元の位置に戻った。

「ふう……」

 じわりと滲んだ額の汗を拭い、掌にも緊張から発生する汗が浮かんでいることを自覚し、スイッチを切った。

 あちらと、こちらを区切る。

 切り替える。

 とりあえずは、こうして安定しているのが一つの成果だ。問題があるようなら、また別の方法で馴染ませるしかないけれど。

「よし、私の仕事はおしまい。陣形はともかくも、二年とのパイプは作っておいた方が何かと有利よ? ま、がんばんなさい」

「イエス、マァム」

 なんだその返事は、と思ったが、頷いてその場を去る。芽衣のいる場所に戻るまでに、スカートの埃を軽くはたいて落とした。

 ふいに見れば、浅間が撃った一人が掌を赤くしたまま出てくる。そこに数人が集まり、観客へと救護要請を行う。そして、手を怪我したという前提での実演が行われていた。実に丁寧な教え方で、そちらは一般向けだ。

「ただいまあ。はい、銃と上着は返すね――あ、私が着てプレミアつくかな?」

「おい浅間、朝霧みてえなこと言うなよ……」

「そう気にするものでもあるまい。田宮が嫌ならば別にしておくが?」

「…………俺、どう返答すりゃいいんだ、こういう場合」

「ヘタレ」

「ヘタレめ。ふむ、状況に合わせての狙撃、意識の切り替えか」

「なんかまずかった?」

「いや、問題がなければそうしておけばいい。そして、問題が出たら解決すればいいだけの話だ。さて――田宮、しばらく場は私が預かる。浅間の案内をしておけ」

「りょーかい。終わったら合流すっから、問題あったら直通で連絡いれてくれ」

「私が対処するから連絡はないと思え」

「へいへい……行こうぜ浅間」

「ん。じゃあ朝霧さん、またね」

「楽しんでくるといい」

 二人になり、どうすると問われたので、軽くなにか食べようとのことにした。田宮は軍帽の位置を正し、ふいに、吐息を落とす。

「安心したぜ。撃てるようになったんだな」

「なんとかね。田宮はそこらへん、どうしてた?」

「俺は、そういうこともあるって、日常にしちまった。驚いたり、嫌だなと思うこともあるけど、仕方ねえって感じか」

「そっか。それはそれで凄いとも思うけど」

「スイッチを作れる方が俺は羨ましくあるけどな」

「ところでさ、屋上って封鎖されてる?」

「ん? 基本的にうちの屋上はフェンスもねえし、入るには一旦外に出て壁をのぼる形になってるぞ。行きたいのか?」

「じゃなくて、さっき――見られてる、そんなふうに感じたから」

「上からか?」

「そう、俯瞰に近い。一瞬だったけど」

「ふうん? どうだろ、ちがやあたりはそういう気配、見せそうにねえけど」

「あ――そっか。見せる程度には未熟ってこと?」

「そういうもんだ。さて、それよかどうするよ。食べ歩きか? 座るか?」

「じゃ、最初だし座って軽く」

「オーケイ、クオリティが高そうな二年のとこ行くか」

「任せるよ」

「おう。しかし、ほかの連中はどうしたよ?」

「私は知らない。田宮は?」

「佐原がドイツまで行ったってのは聞いてる」

「初耳なんだけど」

「佐原はあれだ、ドイツにある言術研究所ってところに」

「え、そんなとこ行ってるんだ」

「厳密には元だ、とか言ってたなあ。どんな場所か詳しくは知らねえけど」

「それ、朝霧さんから聞いたの?」

「いや――ほかのツテで鈴ノ宮に顔を出したんだ。その時にいろいろとな。俺としちゃ、挨拶のついでって感じだけど」

 幾人かの軍服とすれ違い、そのたびに挙手敬礼をされる。田宮の服装が原因だろうことに、当人が気付いたのは建物の中に入ってからだった。

「悪い。着替えた方がよかったか?」

「へ? ……あんまし気にしてなかった」

「そっか、ならいいや。っと、そこな。紅茶とクッキーなんかが出る店だ」

 入り口で先に料金を支払うシステムで、紅茶の種類と茶菓子を選択し、金は田宮が全額を持った。中に入ると、すぐに後ろから茅が顔を出す。

「――やあ、お邪魔していいかな」

「ん? あれ、茅くん……うわ、白色の学生服なんだ」

「そう、白ランっていうやつだね。どういう因果か、生徒会副会長なんてやってるから、仕方ない。四人席は空いてるかな? うん、ちょっと話したいことがあってね」

「おう」

 窓際の席を浅間が嫌い、廊下側の四人席へ座る。しばらくして頼んでいたものが運ばれてきて、それから浅間が先に口を開いた。

「茅くん、さっき屋上の辺りから見てた?」

「いや? 僕は運動場にいたよ。屋上となると、ここのじゃないかな……僕に言わせれば、気付かれるなんて甘いってところだけれど、結局は彼女もその程度ってことかな」

「橘九、か……」

「田宮も知ってる人?」

「知ってるっつーか――ああ、そうか。こっちの業界じゃ、橘とその分家については、結構有名なんだよ。元は暗殺代行者キルスペシャリストって稼業をしてた連中で、ええと……まあ、俺もあんまし詳しくは知らないし、今はそうじゃないってこと」

「硝煙の匂いでもしたんじゃないかな? 僕も見ていたけれど、うん、成長していると感じたよ」

「ありがと。それより、話って?」

「ああ、うん。浅間さん、今回の仕事について手を貸してくれて、ありがとう」

「――え? いや、仕事だし……茅くん、なんか関わってるの?」

「そうか。田宮くんも知らなかったかな――仕事の内容についてはどこまで?」

「詳細を朝霧から聞いてるぜ。俺も一緒にな」

「そうか。じゃあ、元棺桶屋の一人を逃がしたってことは、知っているんだね。あれは僕の古巣なんだ。つまり逃がした一人は、僕の仲間でもある。だから、ありがとう浅間さん。助かったよ」

「え、っと……どう、いたしまして?」

「うん。もしかしたら、鈴ノ宮にいるシルヴァンが声をかけるかもしれないけれど、彼は僕が育てた子だから、よろしくしてやってくれると助かるよ」

「ああ、新入りとか言ってた人ね」

「僕にも動けない事情はあるし、何よりも動くと私情が絡むからね。ありがたい話だよ。それでこれも聞いておきたいんだけれど、浅間さんはこれから、どうするつもりなのかな」

「どうする……っていうと?」

「仕事を」

 続けるつもりがあるのかなと、茅は問う。浅間はそれに即答できない。

「君の事情を度外視して、僕だけの望みを言えば、続けて欲しいと、そう思う。おっと、理由に関しては聞かないで欲しい。決めるのは君だし、強要してどうにかなることじゃない。ただね、田宮くんも覚えておいて損はないと思うけれど、世間的に見て、鈴ノ宮にいる連中が――基本的に、最低レベルだ」

 最低限。

 死なない、というレベル。

 ――それは、一体、何に対して?

「誰もが口を揃えて言う鉄則は、慣れるな。だが馴染め、だよ。……余計なことを言うなと、芽衣に怒られそうだ。じゃ、デートの邪魔をして悪かったね。また機会があれば」

「え、あ、うん……」

「言いたいことだけ、言いやがって……ま、あいつはいつも、あんな感じか」

 あんまし深く考えるなよと、田宮は言う。

「考えるな、とは言わないけどな。ほれ」

「ん――……あ、美味しい」

 口に突っ込まれたクッキーを飲み込めば、ほのかな甘さが口の中に広がる。

「クオリティ高いね」

「三年は受験前で、俺らみてえに真面目にやってる方が少ないからな。でも、正直に言えば、浅間の作ったやつのが美味いけど」

「あんがと」

「そういや、大して気にはしてなかったけど、浅間が作るモンってデザート系ばっかだよな」

「田宮のとこで作るのは、大抵そうかな。食品生活科だから、授業内容なんかは大雑把に、やっぱり食事系が多いから、デザートはあんまりなくて」

「ああ、それで俺のとこで作ってたわけだ。んじゃ食べ歩きとかはしてんのか?」

「……してないけど、必要?」

「舌を肥えさせるためには必要だって聞くけどなあ。高級料理店の味を知ってるのと知らないとじゃ、比較対象も変わってくるだろ。そういう感じだと思うけど」

「あ、もしかして、田宮の作った妙に家庭の味がしないミートソースも、それ?」

「そんなに違うか?」

「少なくとも、簡単には作れないものだから」

「んん、まあ、ドレスコードのある店なんかにも、何度か行ってるから、たぶんそれで」

「――行ってるの!?」

「じゃなかったら、あの味出せねえよ。ん? そういや、臨時収入もあっただろ。行けばいいじゃねえか」

「服とか持ってないし」

「あー……ん? それなら、朝霧に訊けばいいと思うぜ? 最近、うちの担任を酒場に連れてったとか言っててな、職員室じゃちょいとした話題になってた。なんでも、落ち着いた店で騒ぐのには適さないが、酒を純粋に楽しむなら最高の店で、ベルギービールが揃えられてるとかなんとか」

 そこで、自分が一緒に行ってやるとは言わないんだよなあ、などと思いつつもクッキーを食べていると、ふいに来客と視線が合う。その人物も軍服で、小さく会釈をすると近づいてきた。

「――失礼する。あなたは、軍人……いや、それとも少し雰囲気が違うように見受けられる。よろしければ、少し訊ねたいのだが」

「なんだよ夏……」

「田宮、俺は正直、お前に興味はない」

「私? 軍式訓練は受けてるし、仕事もしたけど、普通の学生よ?」

「そうか。しかし――……いや、よそう。俺は藤堂とうどうなつだ、もしも進学先に困るようなことがあったら、こちらに一度連絡をして欲しい」

「はあ……」

「おい夏、こんなとこで勧誘すんなよ」

「良さそうな人材を見逃すほどに、俺は一時的なものに縛られん。それよりも、なんだはこちらの台詞だ田宮、こんなところで何をしている」

「ん、ああ。俺と浅間は――」

「――見ての通り、デートの最中なの」

「ばっ、おい浅間、マジでそりゃ」

「なるほどな。――全体通達」

「おい夏!」

 インカムに軽く手を当てた彼は、片手で田宮を抑えて続ける。

「現在、田宮がデート中との言質を得た。……いや、違う。相手は二次元ではないし、幼女でもない。受けか攻めかの論議はそちらに任せるが、残念ながら男でもない。きちんとした女性だ。……そうだ。――なに? 一目確認したい?」

「あー、あー、くそう、こいつらマジに連携して追いつめるからなあ」

「え、もしかして私、判断間違った?」

「待て、今判断を仰ぐ。……失礼、まだ名を聞いていなかったか」

「浅間よ」

「そうか。どうだろう、余興の一つとして浅間殿、田宮と一緒に逃げ回るというのはどうだろうか」

「数は?」

「三十人近くはいるだろうが……」

「ん。田宮に任せようか?」

「――こっちの邪魔されるのもアレだし、ルールだ。基本的には捕り物」

 言いながら、田宮は軍帽を脱いで、浅間の頭に乗せた。それから自分のインカムのスイッチを入れる。

「今、浅間の頭に俺の軍帽がある。お前らはそれを確保して、朝霧のところ――本部天幕に無事に持って行けば、お前らの勝ち。しばらく回って、浅間が帰ると言いだす頃合いまで帽子が無事なら、俺らの勝ち。ただし、実力行使をするなら場所を選べ。特に出し物なんかに触れてる間は、遠慮しろ。あとは――ま、いいか。俺も適当に相手してやるよ」

「では、報酬はどうする?」

「浅間、要求はあるか?」

「そこも任せた」

「じゃ、あと決めな。開始は今から十五分後だ」

 言い終えてスイッチを切る。実はインカムそれ自体がGPSの発信機になっており、居場所を特定可能なのだ。

「という具合で、どうだよ夏」

「ああ、適当な判断だ。――すまない、浅間殿。定期的な見回りだけでは、やはり退屈でな。さすがに本戦に全員参加させるほどの領地もない」

「いいよ、面白そう」

「では、――楽しんでいってくれ。俺たちも、可能な限り、楽しもう」

「俺をだしにして笑いたいだけだろ、お前ら……あと、景子ちゃん――担任のフォロー、忘れんな」

「そちらも随時やっておく」

 ちゃんと手回しもしてるんだなあと、そう思いながら軍帽の位置を正す。

 ――ま、面白そうだしいいか。

 それよりも先に、デートの否定はしないんだろうかとも思ったが、それは口には出さないでおいた。


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