10/04/17:00――円つみれ・調査の仕方

 ただいまと、マンションの自宅に戻って言うのは、昔からの癖というよりも、借りているとはいえ、一時期は己の住居になるのだから、場所に対しての感謝だと思って円つみれはいつも言うようにしている。

 つみれは昔、交通事故で両親を亡くしている。それから祖父母の厄介になると思ったら、養女にしたいと名乗り出てきた人がいて、その人たちが今の養父母だ。養ってもらっている自覚もあるし、今はもう彼らと過ごした時間の方が長い――気もする。ただ、こうして独り暮らしを始めてから、随分と甘やかされていたんだと気付いた。何しろこの3LDKのマンションで暮らす手筈を簡単に整えてくれたのだ、ありがたいことこの上ない。

 情報が欲しいと、そう思ったのは、両親の事故の真相を知りたかったからだ。明言はまだ避けるが、実際にそれは解決しておらず、目下調査中である。

 けれど、あくまでも自己満足だ。警察のように、犯人を捜したり、解決に導いたりするわけでもなく、疑問があるから調査しているのが現状で、いつかは全てを知りたいと思うが、今知りたいと強く思っているわけでもなかった。

 ともあれ。

 リビングのソファに鞄を放り投げ、手首に巻いた女物の時計に目を走らせれば、十七時を過ぎたくらいだ。頭を冷やそうと思って徒歩移動したのがいけない。野雨市はかなりインフラが整理されていて、短距離移動も容易いが、それでも女の足だ、時間はかかる。

 今日の晩御飯はどうしようかなと思いながらキッチンへ行き、まず開くのは野菜室だ。たったそれだけのことで、料理ができることを見抜かれることもあるのだが、今はそれほど関係ない。

「あ、そっかなすが……」

 あったのだった。ちょっと前に近所の奥様から家庭菜園でしこたまとれたからと、お裾分けをされたもので、だいぶ消費はしたがまだ残っている。漬物にしたのは奥様にお返ししたし、この際だから一気に食べてしまおうかなとも思う。というか独り暮らしの自分にあれだけ大量のなすを渡す奥様は、あれか、結婚でもしろと、そういう意味合いなのか。まだ学生なのにそれはどうかと思う。あと、家庭菜園なのは間違いないが、マンションの一室を畑にしてしまったのはどういうことだ。よく許したな管理人。

 飽きているわけでもなし、焼いて、味噌汁に入れて、がんばって二本消費しよう。ほかに食べる人がいれば、麻婆なすなどもいいが、あれは一人で食べると少量で一杯になってしまい、消費量としては少なくなってしまう。

 米を研いで炊飯器をセット。先に着替えちゃおうかなと思ってリビングで鞄を手にすれば、来客を告げるチャイムが室内スピーカから流れる。

「はいはい――ん?」

 リビングにあるシステムに表示される映像を見れば、見知った顔が、明らかなカメラ目線を向けていた。だからつみれはスイッチを押して、言う。

「どうぞー。室内AI、ロック解除」

 カチン、と電子音がいくつか重なった音が一つ。返事は、玄関の扉が閉まってから放たれた。

「おーう、ただいまあ」

「おかえり義父さん」

 靴を脱いだ男性、根ヶ布ねかぶ慶次郎けいじろうは軽く頭を掻きながら、おうと声を上げた。

「っていうか、鍵持ってるでしょ? なんでいつも確認するわけ?」

「ん? いや、だってここ、つみれの家だろ? 俺も結衣ゆいも、たまにゃ使うけど、客扱いじゃないか」

「客じゃないけど……そんなもん? 変だなあ。あ、ご飯食べてく? これから作るけど」

「じゃあ頼んだよ。つーか、つみれの料理美味いから、それ目当てってのもあるんだぜ?」

「あんがと。じゃ、着替えてくるから」

 リビングを通り抜け、玄関から一番遠い部屋がつみれの自室だ。内装はそれほど凝ってはいないが、使いやすいようにはしてある。学習机の横にある黒色のノート型端末がやや浮いているが、このくらいは学生の必需品だ。

 義父、そして義母の帯白おびしろ結衣は、こうやってたまに顔を見せる。それを嬉しく思うし、というかここ六年ほどは、たまにしか顔を合わせない間柄になりつつある。養女になって二年は一緒にいたが、中学に上がった頃からこうなった。

 というのも、二人の仕事は狩人なのだから、仕方ない。

 狩人法――ハンターズシステム。起源を辿れば米国の軍部解体騒ぎに発端を成すものだが、仕組みとしては単純に、出された依頼を請け負って遂行する人物だ。超法規的措置も受けられるが、法律違反そのものが発覚された時点で逮捕されるという、ぎりぎりのラインに立つ人種。

 たとえば。

 ある情報の裏付けを取るためにビルに侵入し、情報を盗んだ。その結果として裏付けを得たのならば、狩人として依頼の遂行が完了したことになる――が。

 たとえば痕跡一つ、足跡や指紋が現場に残っていれば、警察がそれを捜査する。その結果として対象狩人が確保された時点で、依頼は失敗どころか、単なる犯罪者として摘発されてしまう。

 だから狩人は、そもそも、犯罪を行ったという、事件性がある痕跡そのものを、作らずに動く。己の身を一つ、過酷な世界に放り投げる――だからこそ、依頼達成時の報酬は、それを賭けるに値するだけの金額が得られるらしい。

 しかし依頼と一括りにはするものの、政府から出される公式依頼ならばともかくも、非公式依頼を含めればその種類は多くある。非公式統括所Rabbitでは、日常的に数万件の依頼を更新していると、聞いたこともあった。

 つまり、狩人には依頼を選択する権利が与えられている。そして、選択する依頼の傾向によって、彼らは専門を持つ。

 確かめたわけではないし、仕事を見たこともないが、本人曰く、養父の慶次郎は捜索――特に、人物の捜索を専門にしており、養母の結衣は調査を専門にしているらしい。

「むしろ、あたしには関わらせたくない……ってところかなあ」

 そういう仕事だとは教わったけれど、それ以上はないのだ。

 ワンピースの服に着替えたつみれがリビングに戻ると、どこからか灰皿を取り出した慶次郎が、室内AIに換気扇を回させて煙草を吸っていた。煙の配慮はするし、昔からの光景なので、どうとも思わない。

「義父さん、なんか飲むなら淹れるよ?」

「飯作るんじゃないのか?」

「これからだから、大丈夫。紅茶でいいよね?」

「おーう」

 年齢は――どうだったろうか。もう四十間近だった気もするが、風貌は若い。背丈は男性平均よりもやや低いくらいで、落ち着きこそあれど、口調はそこらにいる男子学生とそう変わらない。ただそれは家の中という話であって、外ではどうか知らないけれど。

 それなりに危険な仕事をしているためか、本来はこのマンションもセーフハウスの一つだったそうだ。聞けば、一時的な拠り所を複数所持しているらしい。どれだけ金があるんだと、呆れて言った覚えもあるが、当人たちは金の問題ではなく、必要だから用意するだけ、とのこと。

 狩人という職種は、それなりに大変そうだ。

 彼らは行動する際に、本名ではなく狩人名と呼ばれるコードネームがある。本名を隠すため――なのか、それとも本名を捨てているのかは定かではないにせよ、つみれはそれも聞いていない。教えてくれないのだ。

 何しろ、まあこれも家訓なのだろうけれど。

 ――知りたいなら自分で調べろ。

 昔から、養父にも養母にも、そう言われていた。

「はいお待たせ。ダージリンね?」

「あんがとさん。なんだ、茶葉から淹れたのかよ。インスタントでも構わねえのに」

「あたしも飲むからいいの」

「それより、いいのか? 俺がきた時にはもう炊飯器動いてたぜ」

 目端も利くのだ、この男は。いや養母もだけれど、隠し事がばれずに済んだ試しがない。まあばれても、黙って見守ってくれていることもあるけれど、こいつらは、それに気付いた当人の恥ずかしさを知らないのである――たぶん。

「明日のお弁当のだから、大丈夫。ないならちゃんと言うし」

「おう」

 エプロンをつけて料理開始。男が一人増えたのならば、なすの消費に一役買ってもらおう。

「で、最近どうだ? 結衣きたか?」

「養母さんは、……来てないかな。あ、義父さんには黙ってろとか言われてないから」

「……本当だよな? な? 俺、マジで結衣が隠し事とか泣くよ?」

「だから、言われてないってば。義父さんはほんと、義母さんには弱いなあ」

 それは自覚してるよと、キッチンとダイニングの仕切りに両手を乗せて、こちらを覗いてきた。煙草は――うん、ちゃんと消してある。持っているのはティーカップだ。

「で、どうだ学園は」

「楽しくやってる。今ね? 電子戦公式爵位にアタックしようかなーって準備してるんだけどさ」

「ああ、あのオープンでハッキング技術を競うやつな。男爵バロンでも一度取っておくと、就職じゃ引手数多だぞ」

 電子戦公式爵位――それは爵位持ちと呼ばれる相手が一般領海グローバルネットに繋いだ端末を所持し、それに対して一般人のハッキングを許可している。相手の端末の中核にある情報を無事に取得できれば、相手の爵位を自分のものにできるのだ。つまり、最初は男爵なのだが、これがまた大変だ。

 何しろ、男爵位であったところで、国家レベルで重宝される人材が持つくらいの技術が必要だからである。そりゃ就職にも困らない。

「義父さんは持ってないんだよね」

「ん? あれはなあ、持ってると逆に面倒なんだよ。行動制限っつーか、足枷だな。だから子爵はすぐ手放した。記録も一応消しておいたし――あ、これ結衣には内緒ね。知ってるかもしれないけど」

「なんで?」

「中途半端じゃないか、子爵カウントって。侯爵マーキス公爵デュークまで行けばまだしも」

 なんでそこで恥ずかしがるのかは、よくわからないが、一応頷いておいた。

「あたし、電子戦の関係はほとんど義母さんに教えてもらってて、今の初耳だかんね」

「俺も初めて言ったからなあ。といっても俺の場合は、そういうは基礎訓練でやった部類で、継続してないから。できるってだけで発展がない。自慢するもんじゃないだろ?」

「そんなもんかなあ……」

「極論を言えば、両足で立ったことを自慢しないってことだ」

「義父さんって、たまにそういうデカいこと言うよね」

「そうか? うーん、まあそうかもな」

 などと会話をしつつ料理は四十分ほどで完成し、ご飯も炊けた頃合いでダイニングに運んだ。ちなみに、一人で食事をする場合もそうする。早食いでもないし、のんびり食事をする時間というのも、なかなかに有用なのだ。

「いただきます」

「はい召し上がれ」

 食事の時間は、よく考える。ぼんやりと、ほかに気を取られることもなく、一日の回想から始まって、明日のことを含めて考えるのだが、いつものようにそれをやろうとして、すぐに問題というか、やるべきことに気付いた。

「自分でやるのは当たり前なんだけどさ」

「ん? どうしたよ」

「言えないことは言わなくれいいけどね? たとえば――うん、一般論? でいいのかな。あのさ、誰かを調べようと思った時に、義父さんならどういう手順を踏むの?」

「……つみれ、状況をまず説明しなさい」

「あい……」

 何故か丁寧に強く言われた。まあ顔は笑っているので、冗談交じりなのだろうけれど。

「や、いろいろ事情はあるんだけど、今から調べようって本人にね? どこまで調べられるか、自分のことを調べてみろって言われたの。えと……誰とか、そういう話はなしでいいかな」

「んー、いいぜ。つーか、その説明でも充分だ。俺なら、試されたんだと、その一言で通じる」

「それはそれでどっか変だけど……で、やってやろうかなって思って。今日のことだから、ようやく落ち着いたくらいで、んー、改めてどうすればいいのかなあって思ってさ」

「そうだなあ」

 食べながらも、飲み込むまでの時間は無言になる。目が泳ぐような慶次郎の動きは、なにを話すべきか迷っているようにも見えた。

「俺なら――ってのは、ちょい難しいから、一般論に近くなるな。それと、これはまず忠告だ。順序を立てる時に、できることとできないことは除外しろ」

「へ? そうなの?」

「行き詰っただろ」

「あ、うん」

 そうなのだ。

 自分ができる範囲でどうしようかを考えると、すぐ行き詰ってしまう。ああしたら、こうしたらと考えはするものの、選択肢はどんどんと狭まってしまうのだ。

「できる、できないはあとで考えればいいんだよ。できないことも、違う方法でできるかもしれないし、それは別の思考になるだろ? そういうのを一緒にしちまうと、できる一手も見落とすことがある――と、まあこりゃなんでも同じだけどな」

「義父さんって、こういうためになる話してくれるから好きだなあ」

「結衣はそうじゃないか?」

「義母さんはどっちかっていうと、スパルタな感じ。あ、普段じゃなくね?」

「ああ……ま、そうかもなあ。結衣は俺に対してもきっついし」

 でもそれは期待と愛情を基本とした信頼だと思ったが、言わないでおいた。そんなこと、慶次郎はもう知っているだろうから。

「つっても、どこから調べるかが問題だろ。正直に言っちまえばな? どっから手をつけても調べられるってのが、実際だ」

「え、なにそれ」

「調べることが、解決することとは別物だと思えってこと。いいか? 誰かを調べようとしたら、まずは情報を集めること。そして、情報を整理して目的のモノを引き抜いて整える。これでようやく、調べものが終わるわけだ」

「あ……ああ、そういうことか。つまり、どんな情報でも集めるのが先決なんだ」

「んー間違っちゃいねえけど、かなり大変なのはわかるよな」

「そりゃ、まあ」

 何しろ、個人でナンバリングライン上にある無数のデータ群そのものを構築しようというのだ、無茶な話である。

「でもほかにやりようがないし……」

「じゃあ、とりあえずそれでいいとして、どうやって情報を集めるかだ。調査対象で知ってることは、多少あるのか? それとも、手つかずか?」

「名前くらいなら……」

「ほうほう。んじゃ、それが偽名って可能性、考えてるか?」

「――あ」

 やっぱ考えてなかったかと、笑われる。その頃になって食事はお互いに終わったので、洗いものに取り掛かった。

「調べろって、親しい間柄じゃないんだろう?」

「んー、まあね。一方的にあたしが気になってて、ちょっとだけ情報を仕入れたことがあって……うん、接点ができたのは、ちょっと嬉しいし、怖いかな」

「詳しい事情までは突っ込まないが……結衣なら止めるんだろうなあ」

「え、そうかな、やっぱり」

「結衣の場合、自分で責任が取れねえ行動はすんなって、止めるよ」

「義父さんも?」

「いや、俺はつみれに甘いから止めない。責任が取れないなら、親の俺が取ってやりゃいいし」

「ありがと。泊まってく?」

「夜にゃ出るよ」

「らーじゃ」

 お風呂の準備を先にやろうと思って、紅茶のお代わりを二人ぶんおいて席を立ち、それから戻れば、タッチパネル形式の携帯端末に触れながら、煙草を吸っていた。

「あれ? その機種、現行のものじゃないよね? 古い……タイプにも見えないけど」

「つみれが持ってるのと一緒で、オーダーメイド。市販のものだと改良が面倒なんだよな……やっぱりOSから独自に組み立てないと」

「あーうん」

 それはそれでどうかと思うが、ここ一年ほどっけて自分の端末も別のOSを作り上げて組み込んでいるので、反論できなかった。

「じゃ、話の続きをするか?」

「だね。やっぱり外見的特徴とかで調べるべきなのかな?」

「それもやり方の一つだが、まだ前提の話が終わっちゃいない」

「え、まだあんの」

「あるよ。結衣はこれ、いつも普通にやってるから、覚えておいて損はないぞ。あ、俺はやんねえけどな」

「義父さんはやんないんだ……」

「いや、あのな? 何を調べるのかって話がまだだろ」

「え、だから人を……」

「今のか? それとも、これからか? あるいは過去か? 対象人物の周辺ってのも、中にはありうる」

「あ、そっか……全部じゃ容量オーバーするね、うん」

「まあつみれの場合は、過去だろうな」

「だね。対象のことを知りたいわけだし」

「どちらかと言えば、過去のことは、まあ、簡単な部類に入る」

「そうなの? 今の方が簡単そうなのに」

「過去ってのは、もう決まってることだからな。このご時世だ、記録に残らない方が難しい。今が知りたいなら、尾行でもしとけって話になるだろう」

「座ったままの情報を鵜呑みにするな……?」

「――ん、それ、誰かに言われたのか? 俺の言葉の先を予測するなんて真似、今までしてなかったし」

「あ、うん、調べようとしてる本人に、忠告みたいな感じで」

「じゃ、そこらへんはいいか。……よし、んじゃ俺が導入部分だけ指示してやるよ。そんくらいの手助けなら、大丈夫だよな?」

「うん、あたしは助かるけど」

「一回やっとけば、つみれはすぐ覚えちまうから、結衣が怒りそうだなあ……」

「怒られそうになったら、あたしが強要したって言ってもいいよ?」

「馬鹿、それじゃ立場が逆だ。気にするな。で、これは確認だが」

「ん?」

 慶次郎は、紅茶のカップに手を伸ばしながら、こちらを見て口元だけ、にやりと笑った。

「調査対象人物は、サミュエル・白井で合ってるよな?」

「え――」

「まあ、本当は白井じゃなくて、スーレイなんだけどな。はっはっは」

「むう……」

「睨むなって。タイミングよく、俺が帰宅したの、おかしいって――いや思わないよな、普通は。おう、そりゃそうだ。ははは、まあこっち側じゃ常識でも、そっち側じゃ非常識どころか、異質だ。しかたねえ」

「異質?」

「簡単に言っちまえば、たとえばつみれの情報処理学科で、明らかにレベルが違うヤツがいるだろう?」

「うん、いる」

「そいつはもう一般的じゃねえ、異常のレベルだ。それが、そっちの認識。俺みたいな狩人になると、そのくらいで普通」

「うげ……それって、異質な人が一杯いるってことじゃん」

「あーまあそういう捉え方もあるかもな? 専門を持ってたって、狩人なんだ。ほかのことができないってわけじゃねえし」

「ふうん。でも、確か義父さんって人捜しでしょ? 情報収集とかしないの?」

「しないで発見する方法もあるんだよ。相手の名前すら知らなくても、な。ここらへん、あんまし話せないぞ?」

「らーじゃ」

「よし」

 揃って立ち上がって向かうのは、つみれの自室の隣だ。中に入ると、やや冷たいと思うくらいの温度で管理されているサーバルームがあった。もちろんサーバだけではなく、荷台の端末も置いてあり、ディスプレイは席を囲むように四つあり、正面上部にも一つと合計五つ。椅子に座ればワイヤレスのキーボードが二つ並び、マウスも一応二つ用意してある。

 この二台はスタンバイ状態で、キー操作をしてパスワードを入力すれば、すぐに使用可能だ。ちなみにサーバは結衣の持ち物で、この二台はつみれが自分で組み立てたものである。情報処理学科を選択したのも、これが理由だ。

 革張りの心地よい椅子に座るのは、もちろんつみれだ。背もたれに軽く手をかけ、覗き込むように慶次郎が横に並ぶ。

「やり方は教えてやれても、技術そのものは教えないからなー」

「義母さんとは逆だね。らーじゃ」

「じゃあ手っ取り早く行くか。音声情報に当たりつけて、対象の名前で検索かけて引っかけろ。それだけでかなり情報抜けるぞ」

「え――いや、あの、義父さん?」

「なんだ?」

「音声情報ってさ」

「おう」

「…………携帯端末契約会社の、通信記録データとか?」

「各会社にアクセスするくらいなら、エシュロンでいいじゃないか」

 頭上を仰ぐようにすると、なんかおかしいこと言ったか、みたいな顔をされた。

 ちなみに、エシュロンとは、通信傍受シギントのためのシステムだ。米国などではもう本格的に導入されているが、日本では表向き、利用されていないことになっている。何しろ、本来は軍用システムだ、日本は軍隊を所持できない。

 あらゆる通信を傍受可能なエシュロンは、逆に言えばどこからでもアクセス経路があることになる――が、それが機密である以上、最大の防御がなされているだろうし、何よりも。

「かんっぺきに犯罪じゃん!」

「あれ……? そういう話じゃなかったっけ?」

「いや、あたしだってほら、そういうつもりではいたけど、エシュロンにまで飛び火すると、完璧にダークゾーンじゃん。表向き、ほぼ使ってないことになってんだよ? あるのも知らないよ? できるなんて考えもしないけど!」

「あーごめん、ごめん。そう怒るなって」

「怒ってないけどさ……」

「ま、できる範囲でやってみろ。下手打っても問題ないよう、俺がどうにかしてやるから」

 本当は独自のデータ構築しとくといいんだけどなと、慶次郎は言う。

「いわゆる情報の塊だな。調べる内容以外のこともまとめて構築、情報サーバにしちまえば、あとが楽になる」

「今さらじゃん」

「だな。しょうがね、さすがに俺が無茶言ってるのはわかってるし……つーか、はいそうですってやられた方が問題だ」

「ちょっと、義父さん」

「ははは、許せ。さすがの俺も、つみれがどの程度できるかまでは知らなかったからな、探りを入れてみただけだ。じゃ、セオリーで行こう。どうせ音声データ拾ったところで、格納場所も確保してねえからな」

「あ……そっか、そだね」

 そういう準備はしていなかった。調査する対象だけの情報なら、大したことがないのも事実だが、調査そのものに際して使用する情報量を侮っていた――というか、想像すらしなかったつみれの失態だ。

「アプローチの方法もまったく考えてなかったのか?」

「んー……そう、だね。たぶん野雨市に居を構えてるだろうから、名前から探って住居の割り出しを、とか考えた」

「次がねえな、それは」

「え?」

「それがわかったから、なにになるって話だ。探って、わかって、おしまいだろ? そこから先がない調査方法は、時間がかかる上に無駄手間になる場合が多いから、基本的には一石二鳥くらいを考えるといい」

「うーん、たとえば?」

「じゃあやるかあ」

「らーじゃ」

 ここ一年で創り上げたつみれ専用のハッキングルーツを立ち上げる。ちなみに、ハッキングもできるツール、が正しい。基本的にはプログラムのチェック、デバック、解析などに使用している。

 右の画面に進行表示、左の画面には対応表示、上部にはその中から危険度の高いものを抜粋して表示するよう指定してから、メインコマンドは目の前のものへ。

「途中、まずいと思ったタイミングで横から手を出すからな」

「お願い」

「じゃあまず、サミュエル・白井の名前で、銀行のデータベースに検索をかけろ」

「らーじゃ」

 手順までは言われない。だからまず、いくつかある銀行の中から、適当に直感で一つを選択し、アタックを仕掛ける前に解析プログラムを実行する。結果は右側のディスプレイに表示されていく。

 どういう系統の壁で保護しているのかがわかった直後から、アタック開始だ。まずは痕跡を消すプログラムを三重起動したのちに、一般ユーザ権限でアクセス開始。ここで注意すべきは、最初から顧客情報を狙わない、ということだ。

 疑似アタック経験はある。いわゆる爵位と同様に、攻撃をしていい端末を用意し、防御側と攻撃側に別れて行う実技授業が、何故か情報処理学科にはあるのだ。その際に痛感したことがある――つまり、一足飛びをすると、失敗の確率も飛躍的に上がる、ということだ。

 つみれがまず狙うのは、内部で仕事をしている人間の端末であり、いわゆる職員権限を奪うこと――これには、成功した。しかし、ほっと胸をなで下ろしている時間はない。サーバにアタックを仕掛けているのだ、時間との勝負である。いくらミスをしない自信があっても、長居をすればしただけ、尻尾を掴まれやすい。

 職員権限でデータベースにアクセス、当然のように情報が返るが、やはり詳細情報は得られない。なにしろ入金、出金、口座開設の場合のみにアクセスする形式だ。口座情報そのものは開示できない。

 それらの情報を一応、左側に表示させつつ、右側の進行を見ながら、つみれが打ち込むのは短いコマンドだ。長くてもアルファベットで十文字程度、そこに複合させて同時実行する場合もあるが、長いプログラムを打っているわけではない。二百ほどのコマンドの中から、対応順に呼び出して実行させているだけだ。

 時間との勝負。であればこそ、こうした準備が必要になる。

 さあ、ここから管理者のアクセス権限を奪取しなくてはならない。この場合は、データベースそのものにアクセスしている管理者の経路を逆走しての奪取が、順序としては簡単か――いや簡単じゃないけれど。

「ここ五年以内の入金、出金データを抜け」

「らーじゃ」

 いくつかのコマンドを打ち込みながら、冷静に、堅実に、けれど手早く、無数の経路の中から管理者の――ハッキング、職員と同様のセキュリティを突破、権限奪取、データベースへの再アクセス開始。

 サミュエル・白井の名前で検索をかける――該当あり、ヒット。情報取得――。

「――うわっ!」

 アクセスが開始された直後、高い警告音(アラート)が響く。気付いて上のディスプレイを見れば、やはり警告表示。

 失敗した、と思った直後に打ち込むコマンドは二つ。痕跡消去と一斉ログアウトでサーバそのものからの脱出だ。相手に発見されたのならば、情報の取得時間を待つのは愚行である。

 芋を引いたのだ。乗っ取ったと思った管理者権限そのものがフェイク。であれば、それを使ってアクセスすれば迅速に電子警察側へと通報され――そして、ログアウトしたのにも関わらず、中継していたアメリカのサーバを抜けた後でも追跡は続行だった。

 攻撃と防御が、逆転する。

「くそう――」

 警告表示が次次と並んでいくのに比例して、背中には汗が浮かんでくる。

 こうなることは予想していた。いや、初めての行為でなくとも、発見されたのちの対処を確保しておくことなど、当然で、それがなければ何もできない――が。

 甘く見ていたのも、確かだ。

 デコイを投げて攪乱しつつ、痕跡を消して移動距離を稼ごうにも、片っ端からリアルタイムで反応が出る。このままでは、この場所が明らかになるどころか、警察が踏み込んでくる可能性もある。

 ミスは、――臆病なのが売りなのに、慎重に行けず、見落としをしたことだ。

「やるとは思ったけど、本当に芋引いたなあ。ははは」

 慶次郎の右手が伸びる。使っていなかった隣のキーボードのテンキーを叩くが、文字列が表示されることもなく、最後に実行キーを押し、そこから更にAからLくらいまでのキーを左から撫でるよう押して、実行キーを押した瞬間、全ての表示がぴたりと停止した。

「え、なに――」

 打ったコマンドが現状の反応を返す――と、その一瞬の間に普通の一般領海にアクセスしている、いわゆる通常のネットに触れているだけの状態に戻っていた。

「――え? え?」

「取得した情報の確認」

「え、あ、らーじゃ!」

 ダウンロード途中で終了してしまったファイルは、もちろん破損していたため、リカバリのコマンドを打ち込んで修復を待つ。ファイル容量は二百メガバイトくらいだ。

「……あー、デコイに引っかかったかあ」

「スムーズに事態が進む時は、一度立ち止まれってな。初めてのハッキングにしちゃ上出来だ、復元データに期待しとけ」

「義父さん、なにしたの?」

「ん? 対電子警察用のウイルスプログラム。一気にルートを三十六箇所に分散して、食いつかれた部分から一気にログアウトして戻るタイプ。簡単に言えば、デコイとウイルス撒いて、ネット接続そのものを切る感じか」

「痕跡は?」

「今現在もデコイが作ってくれてるなあ」

「うわ……デコイって、いや確かに囮って意味合いだから正しいんだろうけど、そんな使い方もできるんだ」

「身代わり的な意味合いで使うヤツ、多いからな」

「でも、大したコマンドも入力してないのに……」

「つみれと一緒。どこかにある俺のプログラム群に、ここからアクセスしてコマンド入力してやっただけだ。やってることは同じだよ」

「遠隔……? でもこれ、あたしの組み立てたオリジナルの端末だよ?」

「けど、サーバを経由してネットにアクセスしてるよな。だったらどの端末だって俺には同じだ。あー、そこらへんの知識は薄いかもな」

「うぬう……」

 言っていることの意味はわかるが、それをどうやれば実行できるのかがわからない。汗を感じたまま睨んでやると、笑って躱された。

「五十秒以上粘らなければ、電子警察の対応も自動的だから、覚えておいて損はないぞ?」

「あ、うん。さっきの対応はまだ覚えてるから、対策プログラムを組み立てておくつもり」

「おう、行動が早いのは良いことだ」

 けれど、犯罪が発覚しそうになった現実を受け入れて、すぐに行動できる人間など、そうはいない。背中の汗だとて、慶次郎が気付いているように、本人も強く自覚しているだろう。

 つみれの厄介なところは――もう一度やってみろと言われた時、確実な成果を出すことだ。同じ失敗を二度しないのは当然だが、何よりも、対応の仕方、もっと大きく言えば情報の抜き方そのものを、もう理解しているだろう。

 コツを掴むのが、人並み以上に得意であり、それを自覚しない。けれど、コツを掴むためには一度くらい失敗をしなくてはいけないのが、難点だ。ゆえにそれを、成長速度が速いと表現するのだろうけれど、一を教えれば八は修得するのだから、慶次郎の立場としては、どこまで教えていいのかの判断が難しい。

 それに加えて、直感も鋭いのだから、手に余る。今まで慶次郎や結衣に感化されず、裏側に秀でてこなかったのが僥倖だろう。もっとも、わかっていて二人は、つみれに一人で暮らすことを促したのだけれど。

「そうも言ってられねえか……」

「え、なに? なんか言った?」

「いいや、つみれが気にすることじゃないよ。ほれ、復元失敗してるぞ」

「あれ? あ、ほんとだ。おかしいな……じゃ、こっちか」

「入金と出金のデータが出たら、まず確認するのは場所な。それと、金の流れは基本的に一方通行だけど、ネットと一緒で各地を経由して振り込まれる場合があるから、表示される場所そのものを鵜呑みにするなよ」

「らーじゃ。でも、金の流れを洗うって……入金時の情報なんかも、特定箇所から抜かないと詳細はわかんないよね」

「情報収集じゃなく、調査になるからなあ。だからまずは、金のやり取りがどうのっていうより、どういう金の使い方、ないし振り込まれ方をしているのかを、全体の流れとして把握してみろ。それで行動範囲の推測が立つ。振込みの履歴にも目を通すの、忘れるなよ」

「だね。データが復元するまで、まだ時間あるけどさ……よく考えると、お金の動きを洗うのって、かなり有効だよね。口座開設時にも身分証は必要になるし、生活している以上は必ずどっかで使うわけで」

「一般人が相手ならな」

「やっぱり対策する?」

「国外で〝死人〟になってから、国籍を〝入手〟した場合、そこで途切れるだろ?」

「そんなことできるんだ……」

「あとは複数口座を使い分ける場合だな。こっちは、一般人でも利用する手だ」

「……ねえ義父さん」

「なんだ?」

「こういうこと、あたしに教えてもいいの? てっきり、教えないようにしてきたと思ってたんだけど」

「あー……」

 正解といえば正解だなと、慶次郎は言う。正しくは、つみれの周囲に訪れている環境そのものが、前に足を踏み出す以上、もう無自覚ではいられないから、先に教えておいて失敗を目で見える範囲でさせている――のだが、さすがにそれを察しろというのは、酷だろう。

 慶次郎の周囲にいる狩人ならば、このくらいの推察は、それこそ日常的だが。

「ま、そろそろいいだろうってことだ」

「ふうん……あ、じゃあ、ついでに一個、いいかな?」

「いいぞ。答えられるかどうかは、聞いてからだ」

「この場合、名前がわかってる場合のアプローチじゃない。もしも、名前すらわからなかったら、どうする?」

「それ、名前を探らずにってことか?」

「あ……うーん、どうなんだろう。さっき言ったみたいに、偽名だった場合とか」

「まあそうだなあ、これも一般論しか言えないが、直接逢って探るのが第一条件だな。声とか、風貌とかじゃなく、いやそれも必要なんだが、どちらかっていえば雰囲気。歩き方や動作、視線、そういったものから過去を推察した上で、当たりをつける」

「ってことはそれ、経験がいるよね……」

「そりゃもちろん。エシュロンにアクセスするなら声、街頭カメラのネットワークにアクセスするなら風貌、携帯電話会社ならメールや電話ログ、それでも集められるのは表面上のデータでしかない。本人が全ての情報を持ってるのは確かなんだから、やっぱ直接抜くのが一番早いけど、それなりに技術がいる。あとは発想だな」

「発想?」

「頭の柔らかさ。たとえば――ある人物が、玄関を出る時に右足から出ました。何故でしょう?」

「うん? いつも右足から出てるから、いつも通りに躰を動かしたら右だった。あるいは逆で、左からって昨日気付いたから、今日は右にしてみた。……あとなんかある?」

「おーい、つみれ、十個くらいは出そうぜ」

「って言われても……あ、玄関を開けたら何かおいてあったから、とか」

「とっさに出るのは、まあそんなもんか」

「う……義父さんはもっと?」

「これも、思考訓練の一つだよ。発想力を育てるのと同様に、頭の使い方ってのを学ぶんだ。そうすると、別方向からのアプローチがすぐ浮かぶようになる」

 たとえばと、慶次郎は笑いながら言う。

「左手で玄関を開けたから。松葉づえをついて右足しか動かなかった。左足を玄関のレールに引っかけた。玄関が躰を横にしないと出れないくらいにしか開かなかった。左手に持った荷物が重かった。そもそも右足が利き足だった――ま、このくらいでいいだろう」

「うわ……言われれば頷けるのに、思いつかなかった」

「そんなもんだよ。――けどまあ、データも復元するだろうし、言っておくが、本気で情報収集をしたいと思ったなら、結衣に連絡をしとけ」

「義母さんに?」

「ん、結衣は教えられるだろうし、俺からもそのつもりで連絡しておくから。ただし」

 慶次郎は言う。

「これ、同じことを結衣も言うだろうけど――あのな? コレを仕事にしようとするなら、話は別だから、そのつもりでいろよ?」

「らーじゃ」

 さすがに犯罪行為を仕事にしようなどとは思わない。けれど、あくまでも本気で学びたいと、そう思ったのならば、連絡を入れることにしよう。

 ナンバリングラインに頼り、調査員をしていたつみれは、ここにきて、本当の意味での調査や、情報収集と呼ばれるものの困難さを、自覚することになった。

 また同時に、ナンバリングラインを作り上げた人は、たぶん情報屋そのもので、大勢を使った上でのデータベースなんだなと、ようやく理解が追いついた。


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