08/29/19:30――田宮正和・そこにある境界線

 魚が主体で、すずめが一人一匹。

 鳥をさばくのに苦労はしたものの、最低限の食料は確保できたといえよう。だから芽衣は特に何も言わず、野うさぎを三匹ときつねをメインにして、山菜などを水で煮込んでスープにした、比較したのならば贅沢な食事を鬼灯たちにくばり、食べ終わらせた頃、陽は落ちていた。

「――さて、今日はしばらくゆっくり休め。そうだな、二十二時からはローテーションを組んで見張り……というか、火を絶やさないようにしろ。ただし、最初は田宮、お前だ」

「俺? いいけど、なんでだ?」

「私にとって都合が良いからに決まってるだろう。一人で飲むなら強い酒、誰かのおごりなら高い酒ではないか」

「そりゃお前だけだ。あ、いや朝霧の都合だからそれでいいのか……」

「朝霧殿、見張りを立てる場合の交代時間には目安がありますか?」

「ふむ、人数や状況でも変わるが」

「では、たとえば朝霧殿ならば、いかがですか」

「私か? まあ確かに、軍部に所属していた時は四人のチームだったが、基本的に夜間をキャンプで過ごす場合は二時間程度で適当に交代はしていたな。しかし全員、仮眠にしたとしても浅い眠りだ。見張りが襲撃に気付いた時には、全員が起き出す状況だな」

「二時間、ですか」

「四人で八時間、一人の休憩時間は六時間。キャンプは夜明け前に片付けて、明るくなったらすぐ移動できる」

「なるほど、ありがとうございます」

「つっても、俺は余裕があるし、最初は三時間くれえな。次は……」

「私がやるよ。さっき二人一組だったし、丁度いいじゃない」

「なら僕が次にやる」

「最後が私ね。佐原の気遣いには感謝しておくわ」

 明日のことを考えたのならば、最初と最後が一番長く休める。だから田宮は三時間を申し出たし、途中で起きて半端な時間を休むのを体力がある佐原がやることになった。

 もっとも、これも個人の生活があるため、一概にどれが、とは言えないのだけれど。

「なあ朝霧、さっき浅間と話してたんだけど」

「なんだ?」

 二つの火を囲み、ちょうど真ん中辺りにいる芽衣が振り向く。

「最近、魔術師って多くなったよな?」

「――ふむ」

 芽衣は腕を組み、しばし間を置いた。

「確かにその通りだが、その中にはお前たちも含まれる」

「うん、そうですよね。でもこう、目立って馬鹿をやるやつらがいないので、どういう理由なのかなと」

「そういう馬鹿はとっくに殺されてる。もともと日本は狩人の時間が決められているが、それでも時間外に活動してはいるからな、鼻の利く狩人ならすぐ発見できるだろう。本来は魔術師協会や教皇庁がその役目を担っていたのだが――まあ事情もあってな。野雨に限って言えば、鈴ノ宮の目も光っている。そういう馬鹿には容赦がない」

「そういえば、この山も鈴ノ宮の所持物だって言ってたわよね」

「ああ、そうだ。だから術式を行使しても問題はない」

「――すまない、口を挟むが」

 軽く手を上げるように、鬼灯が割り込む。

「そもそも、何故、世間的に魔術師は目立つことができない――否、混乱を呼ぶのはわかる。わかるが、それ以上の問題があるのか? 俺には、殺すのがやり過ぎだと感じる」

「魔術は隠匿すべきだ、という古い風習が根付いているのも一つの原因だ。実際にかつては、組織に属さない在野の魔術師と呼ばれる連中はほんの一握り、組織の襲撃を回避可能なだけの実力を持った魔術師しか存在しなかった」

 しかし、それだけではない。ないが。

「おそらくと前置した私の仮定はあるが、お前たちには理解はできまい。おいそれと口にできるものでもなし、確かに理由は存在するとしか言えんな。だが公然の秘密とでも言うべきか、こうして手順を踏めばそう隠すものでもない。もちろん、私の庇護下というのも一つの理由なのだが、感謝しろとは言わんよ」

「実際にゃ助かってるけどなあ。……少なくとも、朝霧は単独で夜を出歩けるくらいには、できるってことか」

「七人程度なら保護することも、と付け加えておけ。さすがにマカロにはできん。もっとも、あいつのことだ、自覚があってやろうともしないだろうがな。過信は身を滅ぼす」

 それよりもと、芽衣は肩越しに振り返る。

「鈴白と旗姫は休んでおけ。中は好きに使え」

「はい、ありがとうございます。行きましょう旗姫」

「あ……はい」

 登山でかなり疲れているのか、既に眠そうな旗姫は、失礼しますと一礼してから中に入ってしまう。鬼灯はそのまま、近くにあった木を火の中に入れる。

「朝霧は俺の師匠……ラルさんのこと、知ってたっけか」

「ああ、顔見知りだとも」

「答えが欲しいわけじゃないんだ。ただ前にイヅナに聞いてな」

「イヅナも知っているが、何を言われた」

「ラルさんの前で嘘を吐け――って。ちなみに、朝霧はできるか?」

「ふむ。……おそらく可能だろうな」

「そっか」

「なんだ、狩人になるのを迷ってでもいるのか?」

「迷うっつーか……まあ、そうなんだろうな。考えてる。どうしてラルさんが肯定してくれないのか、その理由とか、いろいろ」

「悩め。それは時間のある若者の特権だ。私に言わせれば、迷えるようになったことを喜べ。それは進歩だ」

「へいへい」

「……そうか。田宮と朝霧は同じ学校だったな」

「おう、野雨西で同じクラス。つーかキチョウ、今気付くか?」

「俺だとて全て何もかも知っているわけではない」

「この際だから聞いておくけれど、キチョウもESPが使えるのよね。そもそもESPとは何なのかしら?」

「何と言われても、田宮から聞いているかもしれないが、人の感覚を延長したものだ」

「具体的に話せない?」

「そうだな……では戌井、今から少し実践してみるが、驚くな。驚いても、動くな。問題ないとは思うが下手をすれば怪我をさせるはめになる」

「ええ――ッ、え?」

 ふわりと、座った姿勢のまま戌井が浮いた。高さはちょうど、田宮たちの頭上付近だ。

「今、俺はESPを使っている――と明言せずともわかるだろうが、ここで問題だ。人を浮かせるにはどうすればいい?」

「どうって……」

「小石を持ち上げるのと同じだ。俺は今、同様の感覚で戌井を浮かせている。両手で下から支えて持ち上げる――」

 ゆっくりと戌井は再び同じ位置に落ち着いた。

「――これが、感覚の延長だ。もちろんエネルギーそれ自体を使ってバリアを張ったり、衝撃を与えたりすることも可能だが」

「……叩いて殴ることと変わらないのね?」

「そういうことだ。汎用性があるようでいて、本質は俺という個人そのものになる。だから田宮のようにこのような訓練を行うのは、一つの道だろう」

「だから、現象がどうであれ、結構簡単なんだよな。扱うのはべつにして」

「そう、なるほどね」

「おそらく――もっとも人間に近しいのが第四進化種だろうな。しかし、全体としての人数はかなり少ない」

「だろうな」

「確かに、そう言われりゃ変な話だよな。人に近いのに少ないってのは」

「だから、お前たちは感謝しておけ」

「おい、なんでだよ朝霧。いやなににだ?」

「馬鹿か田宮――ああいや、馬鹿なのは知っている。説明しなくてもいい」

「おっ――おい、俺の台詞なくすなよ!」

「稀少であることは、絶滅しないことを確約されたようなものだ。そういう流れを作ったヤツがいるはずだからな」

「はずって……いいけどさ。ついでに、いいか?」

「なんだ」

「そもそも、朝霧ってどんくれえのレベルなんだよ。戦場で単独で生き残れるってことはランクAくらいだってのはわかるが、師匠だって朝霧のことを話すと嫌な顔するぜ?」

「心外だな。ラルとは友好的な関係を築いている。私が調べろと言えば調べるし、酒を飲むぞと言えば付き合う間柄だ」

「私が同じ状況なら、完璧に嫌な顔をするわね……」

「まあ――現実として、ラルと私の間には一つの境界線がある。これは、ランクCとランクBの間にある溝と似たようなものだがな。これを越えると、見た目でわかるほど如実な力の差が発生する。だからこその境界線なのだが」

 とはいえ、その境界線を飛び越したのも、朝霧にとっては最近だ。それだけの実力を所持していたことは疑わないが、それでも明確に超えたのは、組織を抜けてからだ。それ以前はそもそも、越えてはならないものとして認識していた。

「だが、私の上にも一つの境界線がある。簡単に言ってしまえば、その境界線を越えた辺りが現役の五神がいる位置だな。つまるところ私のレベルというのは、お前たちと一緒にされる、同じ括りでの上部に位置している、といったところだろう。こういう自己評価はあまり好かんし、当てにはならんが」

「僕らと一緒ということは、朝霧殿、時間をかければ上り詰められるということですか?」

「なんだ佐原、来たいのか? まあ無理だと断定することはしないが、難しいだろうな。現役の狩人でも、ランクBであったところで、私の位置に居るかと問われれば、実際にはそうでもないからな。ただ――確実に言えることは、私がこちら側にいることと、あちら側には行けないことだ」

「行けない――とは、どういうことだ」

「ふむ、……そうだな、一応撤回しておこう。不可能だと、断定することは避ける。鬼灯ならば知り合いも多い、私の言葉が原因で余計なトラブルが起こると私が困るからな。まあ――あちら側は、制約が多くてな」

「ランクSSは国家の認証がなくては動けないが、五神もそうなのか?」

「いや、そういうことではない――というか、さすがは蓄積学科だな、妙なところまで知っているではないか」

「一般常識だ。それで?」

「連中は……誇張表現ではないが、なんでもできる。片っ端からだ。しかし――できることを、やれない。そういう特定のラインのようなものがある」

「難しい話になってきやがった」

「馬鹿は放置しておくが、詳しくはどういうことだ?」

「詳しくは話せんな――いや、私も完璧に把握しているわけではない。だから曖昧な情報として受け取っておけ。これも簡単に言えば、こちら側で処理できることは、あちら側では、できない」

「どうしてだ? 効率が悪いように思えるが」

「それでも蓄積学科か鬼灯、できない理由を思考しろ」

「む……」

「そりゃ、ガキのやることに親は手を出すなってのと同じだろ? 理由なあ……こっちが役立たずになるってことくれえか」

「――……朝霧、一つ、突飛な思考帰結があった」

「では答えよう。こちら側でできる仕事を、あちら側が行った時点で、それが主流になった時点で、こちら側の必要性が下がる。世の中にはな、必要性がないのならば消えてしまったも構わない、そういう強引な流れが存在する。そこが理由だろう」

「……」

「話が逸れたな。ともかく、私はあちら側の連中と、どういうわけか交流がそれなりにあってな、よく面倒な仕事を押し付け……られることもないが」

「ねえのかよ」

「朝霧、もう一つある」

「何でも答えるとは思うな」

「わかっている上での問いだ。お前の言うものの中に、武術家はどう含まれている?」

「あれらは単一特化型だ、比較対象にはならん。少し前に都鳥と試合いをしたが、体術のみではさすがに追いつかなかったな。――師範には」

「それでもそっちレベルかよ!」

「連中は動きに無駄がなく綺麗だ。師範となると、そこに実戦経験も含まれる。私のように実戦で鍛えた女では、さすがに道場で真正面からとなると後れを取ってしまうものだ。これが戦場ならば、ほかの手もあるんだが……まあ、だから連中はやや特殊だな。もちろん、教えを請うことを否定はせんが」

「まだそういう話ができるほどじゃないと思うなあ……でも明日は訓練だったよね」

「ああ、基礎訓練ではなく、それなりに面白いことをしてやろう。楽しいぞ、何しろ吐くものがないくらいに、食事も少ないしな、安心するといい」

「一個も安心できる要素がねえよ……」

 まあいいと、田宮はごろんと寝転がって空を見た。

「とりあえず、そろそろ休めよ。日付変わってから、交代頼むな」

「はいはい。じゃ、中の寝床に行こうか」

「そうだな。田宮さん、頼んだ」

「寝ないように」

「おう。ちゃんと起きてくれよ」

 残ったのは田宮、鬼灯、芽衣の三人で、妙な静けさが周囲に広がっている。それを嫌うのでもなく受け止めていた田宮は、しばらくして躰を起こす。

「小屋、結界張ってねえ?」

「何故だ?」

「物音が聞こえねえし、なんつーかこう、隔たりがあるんだよ」

「ふむ。ま、正解のようなものだ。戌井か浅間ならばもう少し、詳しく感じているだろう。後で聞いておけ」

「オーライ。確かに、俺もそうだけど、佐原もべつだもんな。あいつは呪術っつーか言術だし」

「二十三時……には、まだ少し時間があるか」

「なんだ、紅月の出現に備えてでもいるのか?」

「未だに俺は慣れん」

「それを言うなら俺だってそうだ。つーかあれ、慣れちゃ駄目だろ」

「ふむ、慣れるかどうかはともかくも、夜を明かすなら付き合う相手ではあるな」

「朝霧は慣れてるのか?」

「付き合いはそれなりにある」

「誤魔化すなあ……」

「徹夜にも慣れている様子だな。ずっと起きているつもりなんだろう?」

「ん? ああ、そちらは慣れている。私の場合は半分眠った状態で一部の意識を覚醒しておく手法をとる。いわゆるスタンバイ状態だな、操作をすればすぐに復帰だ」

「そりゃ慣れっていうか、訓練の一環か?」

「もちろんそうだが、軍人なら誰でもそうだとは思わないほうがいい。お前たちのように交代で休憩するのは一般的である上、ベースそのものが設置されていることの方が多いからな。そして前線ではそもそも、休憩する暇などありはしない。乱戦ならば特にな。任務内容にもよるが……」

「では、何故、朝霧はそうした休息方法を得た?」

「得ておけば、こうした時に困らないだろう」

「結果論だ」

「ふむ。では、いつか必要になるだろうと予想可能な技術は、鬼灯にとって不必要だと、そう捉えても構わないか?」

「いや……そうではないが」

「今のは極論だが、私にとってはその程度のものだ。必要に迫られてからでは遅い、というのは経験だがな」

「そりゃ、後悔をしねえ生き方ってのと似てるな」

「似て非なるものだとは思うが」

 さてと、芽衣は立ち上がって裾の埃を軽く払った。

「田宮、一時的にESPの使用許可を出す」

「え? いや、おう」

「なあに、さっき結界だと言っただろう。逆も然りでな、こちらで騒いでも連中には伝わらんはずだ。ま、伝わったところで構わんが」

「おい、なにを不穏なこと言ってんだよ」

「なんだ、初めての女じゃあるまいし――……うん? 夜に出歩くのは初めてではないだろう?」

「まあ、何度かは」

「となると……運が良いのか、タイミングか。まあいい、時間だ」

 突如として、空の色が黒から紅へ――そして、一面に広がる月の表面は、威圧感を伴って出現した。精神的に押しつぶされそうな感覚に、思わず息が詰まる。

 そんな中、ただ平然としている朝霧は、さてと呟いてから抜き身の軍刀を組み立て、軽く肩の上に乗せた。

「状況はわかったと思うが」

「え、なにそれ。わかってねえし」

「俺もさっぱりだ」

「なに、これも私の仕事だ。今回の件を承諾する代わりの労働といったところか――だからこそ、あまりおおっぴらにはしたくなくてな。田宮ならばちょうど良いと思って配備した。わからんならば、知覚範囲を広げてみろ。ざっとこの山全体だ」

「そんなに広くできねえよ……ったく、なん――」

 口を開いたまま、田宮は固まった。いや、それはきっと、鬼灯だとて同じだったろう。

 まさか、紅月が出現しただけで、この山に数えきれないほどの妖魔が集まっていようとは――考えも、しなかった。

「手は打つが、万が一、近づく妖魔がいたら適当に潰しておけ。それと、私の邪魔はしてくれるなよ。なあに、九十分もあれば済む。気楽にしておけ」

 気楽になんていられるか。

 そんなことを口にするよりも早く、芽衣は単独で山の中に消えていった。


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