08/29/10:00――田宮正和・記憶の底

 何故、と問われた時、それに答えられるのならば、きっと迷いがない場合だろうと田宮は思う。けれど、迷っていないことと、道筋が見えていることは少し違う。

 だから田宮は今、昔ほど狩人に拘泥していないのだと、改めて実感することになった。

「つまらねえ話だぜ」

 そう、面白い話ではない。

 彼らは授業の一環として訓練に触れ、その延長としてこの場に居る。もちろん望んでいたのだろうし、魔術師としての覚醒があった、というのも理由の一つだろう。彼らは否定するかもしれないが、あくまでも流されて選択したのとは違い、田宮は以前から選んでおり、都合が良かったからこの場に居るのだ。

 しばらく無言だったが、佐原が戻るのを確認してから田宮は言う。

「六年前だ。ちょうど、俺の転機になった時期。まあ……ちっと長い話にはなるが、休憩とすりゃ、いいか」

 たかが、十八年だ――田宮は言う。

「大した人生じゃねえ。朝霧に比べれば、俺の知り合いに比べれば……いや、最初から人生なんて比較するもんじゃねえか。ただやっぱり、基準はてめえになる。己だ。だかれこいつは俺の話で、お前らの話じゃない。俺にとっちゃ過去で、今の俺に必要な部位だろう」

 悔いはない。やり直したいとも思わない。過去は、過去だ。

「物心ついた頃から、うちは母子家庭でな。幼い頃から、他人とは違うことを押し付けられ続けてきた。俺は俺で、毎日のよう夜中まで残業してくるおふくろを見てきたから、とっとと働いて支えてやりてえと、少しでもおふくろを楽にさせてえと、そんな、同じような環境なら誰もが抱くような感情をずっと持ってた」

 当たり前、だったのだろう。当然だ。自分を育ててくれる人の苦労が、幼い目にも見えていたのならば、その感情を抱いてもおかしくはない。

「で――六年前に過労でぽっくり逝ってなあ。はははは」

「それ、笑うとこじゃないでしょ?」

「いや、あっさりしたもんだった――というか、これもESPの弊害だってのを、最近知ったんだけどな。俺はそもそも、ESPを所持している自覚みたいなもんはあったが、使ったことはなかったし、ESPって名前自体も知らなかった。それは、俺が昔から抑え込んでたものだからだ」

 だから、お疲れさんと思っただけで、悲しみも特に強く抱かなかった――いや、抱かないようにしていたのだ。

「強い感情の揺れはESPを暴走させる。感覚の延長みたいなものだからな……それを防ぐために、俺は感情そのものを強引に抑え込んでたんだ。実際に六年前までの俺は、かなり根が暗くて、口数も少なく、近寄りがたい野郎だったんだぜ? ま、あれ以降しばらくして、コツを掴んできたんだけどな」

 落ち着いた――というか、何をすべきかを改めて考えたのが切欠だったのだろう。

「祖父母のところに引き取られたんだが……」

 実際に、驚いたのを覚えている。

 何しろ祖父は芹沢の重役だったらしく、そもそも金銭に困ってなどいなかった。母を育てた実績もあるし、今さら田宮を含めて保護することも簡単だったらしい。

「だが、おふくろはそれを拒んだ。理由は簡単なもんだ――二十歳を過ぎれば一人前。親元を離れたのなら、自分の力で生きるのは当たり前のこと。祖父を頼れば、半人前だと認めることになる。それでは胸を張って生きられない――ってな。それを聞いて、祖父母はそれでも生きていて欲しかったと言っていたが、俺は納得したよ。血筋っつーか、おふくろの生き方を見てきたからか、なるほどなってな」

 だから。

「俺も一人で生きようと思った。といってもまだガキだ、一人前になるまではよろしく頼むって具合で頭を下げて、ESPのことも含めて俺のことを話したよ。半月くらいかけて、じっくりと。で、知り合いだってことで紹介されたのが師匠――〈白輪の大花パストラルイノセンス〉って狩人だったんだよ」

「それで弟子入りってこと?」

「んや、弟子入りは断られてる。今もな。ただ俺はその生き様ってのに……感銘を受けたのは確かなんだが、今は少し違う」

「ん?」

「狩人になりたいと、前ほど思わなくなった。俺は結局、おふくろみてえに、自分の信条のために生きる姿ってのを、羨ましく思ってただけなんだろうな。狩人ってのは手段で、結果じゃねえ。認定証を手にすれば何かが変わるわけでもないのにな。だから、諦めたわけじゃなく、以前ほど没頭……追いつめられている感じはない」

「……そっか。ありがと」

「その狩人と知り合ってからは、どうなのよ?」

「どうって、最低ラインでの助言はいくつか貰ってるし、サバイバル訓練だって紹介してもらえたし……全部が全部ってわけじゃねえけど、ある程度だけは見てくれてるな。師匠の感じからすると、放っておくと面倒だからって理由かもしれねえが」

「妙に知識を持ってるのはそれが原因なのね……」

「経験したことがねえ部類はさっぱりだけどな。あと、魔術はともかくESPの場合は、普段こうして生活している感覚の延長だから、使わなくても感覚の扱いは上達するもんだ。俺の知り合いに言わせれば、普段から扱いが上手くないとESPを使っても最大効力を発揮しねえんだと」

 だから幅広く、知識を得ているし、反応できるだけだ。

「状況を受け入れやすいって欠点もあるんだけどな。朝霧に言わせりゃそれは利点なんだろうし……お前らがどうってわけじゃねえよ。まあだから、いろいろとなー、表面上取り繕っちゃいるが、親がいねえってのはやっぱり考えさせられるぜ。否応なく自立を促されるし、俺はそっちに流れちまったが」

「……そうか。僕には想像もできないけど」

「何を言ってんだ、俺なんて大してお前らと変わらねえよ――おい朝霧! お前」

「怒鳴らなくても聞こえている」

 どこかで聞いている、とは思っていた。だからタイミングを狙って田宮は姿を見せろと言うつもりだったが、それよりも前に返ってきた声は丁度、彼らが影にしている岩の反対側から聞こえた。

 といっても、せいぜい一メートルくらいの岩だ。それほど厚くもない。

 けれど、本当に姿を見せるまで、気付かなかった。

「――なんだ、まるで女だと思っていた相手が男だったような反応だな」

「いつ……から、いたんですか、朝霧さん」

「浅間、それを聞くのは野暮だろう。まあ構わんが、田宮に狙撃をした後ですぐこちらに来て隠れていた。行動の先を読んだ結果だな」

 そう驚くことでもないだろうと、それがさも当然のように言った芽衣は、岩に背中を預けて腕を組んだ。

「それで、どうかしたか田宮」

「あ、ああ、いや、俺が平凡だってことを証明するのにちょうど良いと思ってな。朝霧、話せる範囲でいいから教えてくれ。お前の生い立ちってのはどんな具合だ?」

「私の? そうは言うが私だとて平凡なものだ。六歳だったかそこらの頃に、目の前で両親が殺されてな」

「――おい、どこが平凡なんだ」

「よくある話だろう? まあ、殺した相手は私が殺したんだがな」

「……どこが平凡なのよ」

「ふむ? 実際に私の意志とは無関係に返り討ちにしていたらしいから、ノーカウントだろうこれは。それで私は師匠に引き取られたわけだが」

「朝霧殿にも、師がおられるのですか」

「当然だろう。もっとも、師匠がしたのは私の躰を作ることくらいで、実際に何かを継いでいるわけではないが……軍人のいろはを教わったのは確かだ」

「ってことは、その人は軍人なのかよ」

「いや、違うな。ジニーは狩人だ」

「おい、おいおいおい、待てよ。ジニーってあのジニーか?」

「どのジニーだ? ジニー・コールディンなら最近の建築家にいるが」

「馬鹿、佐原、そうじゃねえ――って、お前らは知らんか。いや知っててもピンとこないか? ジニーっていやあ、あれだろ。ランクSS狩人〈守護神ジーニアス〉――これ、一般教養で教わるじゃねえか」

「あ……そういや、聞いたことある。確か現行のハンターズシステムを構築したのが……え、もしかして」

「まあ、どう言われているかは知らんがそのジニーだ。五年くらい前にくたばったがな。ざまあみろ。だいたい、それを言うなら、マカロだとてジニーに師事していたんだぞ? あれはまるで継承者としてふさわしくはないが」

「とんでもねえ人に拾われたんだな……」

「繰り返すが、たいしたことは教わっていない。アレがしたのは戦場の手配くらいなものだからな。もちろん、基本的なことは教えてくれたが、後は好きにしろといった具合だ。その流れで師匠がくたばったから、軍部に所属することになって、いろいろと生活していたが、今は退役した身というわけか。どこにでもある話ではないか」

「軍部じゃそうかもしれねえけどな」

「いや? 軍部でも人殺しなどそういないが」

「――充分にとんでもねえだろ」

「ねえ朝霧殿、この際に聞いておきたいのだけれど」

「なんだ戌井」

「そもそも、軍人は戦場で戦うために訓練されているのよね?」

「基本的には、そうだ」

「実際には違うのかしら。かなり無茶なことをやっていると思うのだけれど……それが必要になる戦場というのが、想像できないのよ」

「ふむ」

 なるほどそんなものかと、芽衣は頷く。そもそも彼女にとっての戦場は幼い頃から生活の範囲だったし、生き残るのも当然のようにしてきた。だが、それが特殊な事例であることも理解している。

「そうだな。正直に言えば訓練での成果が発揮される戦場など、少ない」

「少ないのか?」

「軍人には勝ちも負けもない。命令には従うのが軍人だが、戦場で生き残れるのは実力ではなく運に頼るところが多いからな。戦場でわかるのは自分が生き残っていること、くらいなものだ。最初の内こそ、どれだけ殺したかを覚えているが、それもすぐに忘れる。殺した数と殺された数で勝敗は決まらんよ。どんな屈強な戦士でも、訓練で最高の成果を上げようとも、流れ弾一発で死ぬ」

 原因はそれだけではない。訓練不足、技術不足、さまざまな理由がつけられるが――それでも、その中の多くは、不運だったと、そう言えるものだ。

「朝霧殿。それは、どうしようもない……ものなのですか」

「ないな。私は神に祈れとよく言ってやったが、軍では神よりも人に祈る。特に同胞相手にはな。その場合も、後を頼むといった意味合いが強い」

「……理不尽です」

「そうだ、理不尽だ。駒なんてのは否応なく理不尽を押し付けられる。それは魔術師だとて同じだ――私はまあ、単独で生還可能な技術を多く身に着けているから、余程窮地に立ったとしても生き残るだけならば、そう難しくないが、それは魔術師とイコールではない。戦場で気を付けることは二つだ。一つは生き残ること、もう一つは仲間を失わないこと」

「ちなみに、参考までに訊くが朝霧、戦場を単独で生き残るってのはハンターランクだと、どのくれえなんだ?」

「ふむ。依頼――つまり任務の達成をしつつも、と前提を置くならばランクA指定になるとは思うが。もちろん、一概にそうとは言えない状況もあるが、どの任務でもと括るのなら、そのくらいか」

 だから。

「全方位警戒の欠点は自覚しているな、田宮」

「おう。結局、てめえの場所が晒されるってことだろ」

「まあ、隠れるために使う方法もあるにはあるがな。ああ、気付いたとは思うが食料は現地調達だ。最低でも十六時には山頂に到着しろ――と、そうそう、ゲストが三人ばかり別ルートで来るからな、期待しておけ。私はそちらの様子見もかねて移動するが、次も撃たれないように気を付けろ」

「わかったわ」

「諒解です」

「はい」

「イエス、マァム」

 ほらみろ、俺なんて平凡の極みじゃねえかとため息に乗せて田宮が言うと、比較対象が違うわよと戌井がそれを否定した。

「まあいい、それよか佐原、魚は?」

「小魚は発見できた。釣りには時間がかかるし、追い込みの漁も今すぐにはできないと思う」

「ある程度、まとまった時間がねえと……やっぱりベースを作ってからって話だよな。浅間、鳥は撃ち落とせるか?」

「やったことないから何とも言えない」

「だよなあ……ま、しょうがねえか。野兎やリスなんかの形跡は発見してる、そっちを捕獲すりゃ飢え死にはしねえだろ」

「簡単に言うのね」

「戌井ちゃん、難しいの?」

「あのね浅間……たぶん、拳銃の発砲音に反応してすぐ逃げるような小動物なのよ、簡単には捕まらないわ。走って追うなんてもってのほか。警戒心はかなり強いけれど、鹿の方がよっぽど簡単に捕獲できるわよ」

「詳しいんだな、浅間さんは」

「爺さんの与太話よ」

「実際にその通りだぜ? 罠と人を使った追い込みが基本、拳銃の使用許可があるなら動く先を想定しろって話だ。つってもあいつら、ほぼ全方位に動けるからな……そこらへんは慣れと経験だとか言ってやがった」

「以前に参加した訓練のことか?」

「そういうことだ。どうせザックにゃ空きがあるし、時間もまだある。朝霧が戻る前に、集められるものを集めつつ、山頂を目指そう」

 胸のポケットから方位磁石を取り出した田宮は川の流れる方向を確認し、立ち上がって周囲を見渡した。ある程度の方角を決めるためだ。

「狂ってなけりゃ、あっちの方向だな。一応頭に入れておいてくれ」

「ん。集めるものはなに?」

「じゃ、戌井と佐原は食べ物関係を意識してくれ。俺と浅間はまず枯れ木と、ツタの類だな」

「ツタは罠のためよね。枯れ木は?」

「馬鹿、後で火を熾すのに必要だろ。できれば直径が四センチ前後のものがいいが、多少は細かいものも必要になる。目安としては、山頂に到着した時点で全員のザックが一杯になるくらいだ。夜の間もずっと火は消せないからな」

「生木は混ぜないようになさい」

「おう。そっちもきのこだけは避けろよ」

「はいはい」

 じゃあ行くかと、四人は立ち上がる。額から流れる汗は、森の中に入ってしばらくしてから引いた。


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