08/28/10:00――田宮正和・仲間と

 その部屋は、まるで今日から仕事が始まる新しい事務所のように荷物が少なく、学習用のパイプテーブルに椅子、布団や本は押入れにあるため、二十畳はある部屋は本当に、なにもなく感じる。ただし掃除の手は行き届いているのか、埃は見当たらない。

 学生の一人暮らしとして考えれば、物件としては良いのだろう。キッチンはあるし、トイレの個室もそれなりに広く、部屋数は合計で四つもある。もっともこの部屋の様子も見てわかる通り、空き部屋が二つあるだけで、残りはこことキッチンだけだ。使っていない部屋も軽く掃除はしているが、埃くらいは見当たるはずで、使っている当人としてはこの広さがあれば充分――とのことらしい。

「はい、質問があります」

 このアパートを借りている、つまりは部屋の主であるところの高校三年、田宮たみや正和まさかずは、大きく吐息を落としてから小さく片手を上げて口を開く。髪は耳が少し隠れる程度、やや小さい瞳は丸く一重であり、全体としてはほっそりとした体躯であるものの背丈は一八○に少し届かない。

 最近、ごたごたしたこともあり、今は絶賛訓練中の正和だが、それを知っている知り合いになるのか、見返すのは四つの瞳だ。

「どうしたんだ?」

 窓際に腰を下ろしているのは巨漢だ。背丈こそ正和とそう変わらないものの筋肉質であり、腕の太さだけでも倍くらいはあるだろう。いわゆる五分刈りの頭髪で、ややたれ目でなかなか愛嬌のある高校一年、佐原さはら泰造たいぞうは腕を組みながら首を傾げる。

「なによ」

 やや釣り目の女性は唯一の椅子に腰かけて足を組み、テーブルに肘を立てて拳を頬に当てている。腰まである長い黒髪は艶やかだが、背丈が一七○弱とそれなりに高く、発育の具合は態度のデカさに負けてはいる、高校三年の戌井いぬい皐月さつきが睨むように言うと、あのなと前置きした田宮は立ったまま額に手を当てて頭を横に振った。

「――なんでお前ら、俺のウチにきてるわけ? たまり場にしてんじゃねえよ! 許可してねえよ!」

「何を今さら言ってるのよ、この馬鹿。私がちゃんと許可して連れてきたんじゃない」

「そうだったかな……僕はよく覚えてないけど、でも田宮さん、もう四度目だ」

「んなこたわかってる。わかってるが俺はあえて苦言を呈したいね。この野郎、俺の家だぞ特にそこの完璧に寛いでる態度でけえ女め」

「遠慮してるわよ」

 これでしていると断言する戌井が素晴らしい。

「それに今さらじゃない。私は最初からこうよ? 椅子が欲しいなら言いなさい、土下座で明け渡すわ」

「ぜんぜん遠慮してねえだろ!」

「はいはいお待たせ――って、なに、どしたの」

 お盆を片手にキッチンからきたのは、長い髪を背中の付近で一つにまとめた女性だ。この中では背丈が一番低く、丸みを帯びた瞳が特徴的か。薄い紅色のエプロンをした高校三年の浅間ららは、今しがた仕上げたシフォンケーキを唯一の机に置くと、氷の入ったお茶を手に取ってそれぞれに渡す。

「ありがと。田宮の家にくるのは何回目かしら、という話よ」

「ぜんぜんちげーよ。似てるけど」

「んー、まだ六回か七回くらい? あ、ケーキの味見は田宮からね」

「おう」

「あらなに、浅間はそんなに来てるの?」

「だって寮のキッチンって許可いるじゃない。私はそこまでしたいとは思わないけれど、たまに自分で作りたくなるから借りてるだけ。どう?」

「ん……美味いな。つってもティアで食ったのと比べると微妙だ」

「ありがと。はい、戌井ちゃんと佐原くんもどうぞ。んで、なんのはなし?」

「もういい。てめーら勝手に俺の家をたまり場にすんじゃねーぞって話だ」

 彼ら四人はVV-iP学園で軍式訓練の授業を受けており、教官である少尉に言わせれば、それなりに育っているらしい。また、朝霧芽衣の訓練もたまに受けている――そういった間柄で、こうしてたまにお互いに顔を合わせて他愛ない会話をするのだ。最初は喫茶ティアだったのだが。

「で、訓練の成果はどんなもんだ?」

 だから自然と、会話はそちら側へ向かう。

「馴染んできた頃だ。体重は増えたけど、躰は締まった気がする」

「おいおい佐原、女の前で体重の話は厳禁だぜ? つーかお前の場合、相当体力あるよな」

 持久走とは名ばかりの、教官の笛を合図に繰り返すダッシュアンドランではいつも前にいる。それどころか、一人で耐えられる体力があるため、連帯責任で田宮たちもついでに同じ量を走らされる罰則があってこの野郎、と思ったこともある。いや、いつも思っている。

「昔から、これを取り柄にしたきた。でもさすがに、最初の内は僕も地獄だと思ったよ」

「俺も最初は酷い有様だったけどな。そっちは?」

「私は調子が良いわよ。訓練を始めてから肌の調子も良いし」

「戌井ちゃんの場合、夜更かしできなくなったからだと思う。私はウエスト締まったし、いくら食べても太らないし、健康的でいい感じ。でも不思議と、筋肉質にはならないんだよね」

「そうね。男女で訓練の質を変えてるから、その辺りが理由でしょう。この前に大尉殿が、本来ならば個人で違うメニューを与えた方が効率的なんだが、と言ってたわ」

「そいつはそれで、想像がつかねえな……体力をつけることと筋力をつけることが、つまりイコールじゃねえってことなんだろうが」

「そういう田宮はどうなの?」

「ああ、最近、弊害かもしれんが新しいことに気付いた」

 いいことなのかなあと呟いた田宮は頭に手を置き、天井を仰いでから口を開く。

「この前、俺の知り合いの藤堂って野郎の家に行ったんだが」

「――ん? あら、それってあの人材ネットワークのToDDじゃないのかしら」

「知ってるなら話は早い、その藤堂だ。同級生で学校じゃそれなりに親しいんだよ。んで、ちょいと遊びに行った時の話だ。客分つってな、まあ藤堂の客なんだが泊まり込みで親睦を深めるみてえな、そういう人がいたわけだ」

「どこかの組織みたいだな。それがどうかしたのか、田宮さん」

「廊下ですれ違ったんだよ。んで、あっちは藤堂の客分で俺は友達の客だ。となると、まあ友達も一緒にいたわけだが、俺らが先に譲るのが礼儀なんだよ」

「ま、そうでしょうね。でも先に譲られた場合は別かしら」

「ちなみに、当たり前だが俺の知ってる相手じゃなかったよ。成人男性、まあいわゆる大人だよなと思いつつ隅によって中央を空けた。そうしたら相手の男は立ち止まって、どうしてか俺に向かって苦笑を落とした。そして、こう言われる――プライベイトだから、敬礼はいらないと」

「え? なんで? 敬礼なんてしたの?」

「いや、俺も言われるまで気付かなかったし、実際には姿勢を正した直立だな。敬礼までは習ってねえし。けどまあ、失礼と言いながらもばっちり休めの姿勢を取ったままだった。わけがわからんと考えていたら、まあ友達が教えてくれたわけだ。――この方は、軍人だと。んで考えてみりゃ、確かに少尉殿に似てたんだよなあ気配が」

「あはは、あんたは軍人レーダーか。笑い話としちゃ上出来だけれど、……たぶん私も似たような反応をするかもしれないわね」

「いやマジで、本当に俺ら軍式訓練受けてんだなって思ったぜ。んでちょいと話をしたんだけどな。べつに疑っちゃいなかったけど、改めて実感した」

「それが田宮の訓練の成果だったら笑っちゃうね」

「笑いごとで済めばいいんだけどな……ま、いいや。それよか少尉殿、しばらく戻れないって言ってたよな。訓練はどうするって話をしようぜ。とりあえず俺は毎日のランニングの距離でも伸ばそうかとは思ってるが」

「へえ、田宮ってそんなことしてたんだ。いつから?」

「六年くらい前からだな。最近だと毎朝八キロメートルくらいが目安ってところだ。うちはだいたい野雨西と学園の中間くらいだから、いろいろとルートを変えられて退屈はしねえな」

「ああ、それで体力は元からあったわけね。私はどうかしら、あまり筋肉質にはなりたくないのよね」

「それわかる。でも生脚出してもオッケーな肌は保ちたいし……あ、今日は黒ニーソで絶対領域だけどね?」

「見てねえし聞いてねえよ。それとも凝視した方がいいのかよ浅間。どれ、よく見せろ」

「あはははは。……蹴り飛ばしていいかな? 今なら照れ隠しで誤魔化せる?」

「誤魔化せないから完全犯罪にしておきなさい」

「冗談に冗談で返したか。……冗談だよな? そういうことにしておいてくれ。いやしておこう。んで佐原はどうすんだ?」

「僕は、まだ考えている。大尉殿の訓練は不定期だ」

「せっかくの休みなんだし、普段と違うことしたいよな。この前のあれは良かった。砂浜での狙撃訓練。すげー疲れたけどなあれ」

「たかが数百発って大尉殿に苦笑つきで言われたっけ」

「集中力の持続が大変だった。結局、五百ヤードだったな」

「微風で障害なし、五百ヤードなら照準器なんかなくてもワンホールだと大尉殿は付け加えてたわね」

「どんだけなんだよな、あいつ。まあ狙撃兵らしいって――あ、すまん。電話だ」

 テーブルに置いてあったタッチパネル形式の携帯端末が音を立てたため、田宮は一度立ち上がって空の皿を置きながらイヤホンマイクを引出して耳につける。こうした状況では密談にもならないが、相手の声は最低限聞こえないだろう。キッチンにでも行こうかと思いながら、「はいよ」と電話に出る。見知らぬ番号だったが、敬語を使う必要もない。

『――私の噂でもしていたか?』

「……はあ? なんでだ?」

『ふむ。噂くらいしておけ、礼儀だ』

「開口一番で無茶言ってんじゃねえよ!」

『馬鹿な。二番だ、間違えるな』

 相変わらず無茶を言う相手は、大尉こと朝霧あさぎり芽衣めいだった。そのため向かう足を止めて、入り口付近に背中を預ける。

「んで、どうしたよ。デートならお断りだクソッタレ。ぬいぐるみでも抱えて行ってろ」

『まさか、お前のような軟弱者を隣に連れていれば、私の正気が疑われる。もっともつり合いが取れないから止めておけと忠告されるのは田宮だろうがな』

「うっせえ。今度、つり合いそうな抱き枕をプレゼントしてやるよ」

『ふむ、なかなかいい感じに口が悪くなってきたな。それはそれでいいとしてだ、とりあえず本題に入ろう。マカロの件は聞いているな?』

「おう。しばらくこないってな」

『長引きそうだ。そして、マカロがいないとどう訓練してもいいかもわからん新兵が揃っているところに、嬉しいお報せだ。私が抱えていた問題が見事に解決できたのでな、しばらくは時間が空く。ま、強制はしないが連絡でも取って返答を寄越せ』

「あー、そりゃ丁度いい。全員ここにいるぜ」

『ふむ、……なるほど、そういう縁もあるか』

「は?」

『気にするな。では今から九十秒以内に、この番号へ連絡しろ』

「……そういや、番号変わってたな」

『それも、あまり気にしない方がいい。いいか? 九十秒以内に全員が、まあ同時でも構わないが、私に対してコールを……三度だ。四度でもいいが、そうしたら切れ。田宮はいらん。いいな?』

 どういうことなんだ、と訊いた言葉は既に通じない。馴染み深い切断に際した音が繰り返されている。耳からイヤホンマイクを外して画面を見て、吐息を一つ。その様子に何を思ったのか、浅間が首を傾げて言った。

「だれ?」

「朝霧。とりあえずお前ら、自分の携帯端末でこの番号にかけてくれ。三か四コールしたら切っていいとさ。九十秒以内って制限つき」

「なによそれ」

「いや知らんし。俺がそれ聞きてえのに切りやがった」

「大尉殿らしいと僕は思う」

 それぞれがコールしたのは三十秒後で、その二秒後にすぐ全員にコールがあった。お互いに視線を交換しつつも出る。

『――ふむ、これで問題ないだろう。ちなみに私は喫茶店で珈琲を飲みながら休憩中だ。隣にいる女は容姿端麗でかつ幼女が少し入った感じだが私は幼女趣味ではないし同性愛の趣味はない。肩に手をまわしてチップを挟む……胸もないな。どうしたものか』

「殴られるぞ朝霧。つーか、俺以外はあんまお前のプライベイトと繋がりねえんだから、言い回しに絶句してるぞこっちの連中。なんなんだ」

『雰囲気を和らげる小粋なジョークだ。隣には誰もいない、私にとっては珍しく一人だ』

「いやそうじゃなくて、通信だよ。これ電話だろ?」

『なんだ、並列通信も知らんのか。一人と電話中に第三者からの連絡があると、基本的には待ちになるわけだが、一度サーバに転送してプログラムを中継すれば通信機のように使えるようになる。常識だ。無線を所持していなくても、衛星通信を利用して電話で済むのが容易でいい――が、サーバをハックされると一蓮托生なのが痛いな』

「あ……と、大尉殿」

『浅間か。いや戌井と佐原もいるのだろう、挨拶は不要だ。少し話があってな――マカロがしばらく、休職するかもしれん。とりあえず、しばらくは私も暇がある、どうせならば一日中、どう暇を潰そうか考えながら過ごすよりも、お前たちの訓練を見た方が良いとの結論に至ったのが一八○秒前でな、その打診だ』

「なんていうか、即決即断よねそれ」

『戌井、それは私が暇を持て余している子供だと、そう言いたいのか?』

「子供かどうかはともかく、似たようなものでしょう。でも大尉殿、私は子供だから喜んで賛成するわ」

「大尉殿、学園の施設は使えないんじゃ?」

『まあそうだな。前回のように、普段はしないようなものになるな』

「それはいいですね。僕も賛成です」

「ちなみに、どんなのを予定してんだよ」

『そうだな、何泊かで山登りがいい。明日の○六○○時に田宮のアパートの前に集合でどうだ。服も装備も私が用意しておこう。来るのが面倒ならそのまま田宮のところに宿泊するといい』

「しないわよ。貞操の危機じゃない」

「んー……」

『ふむ、浅間は考えているようだが?』

「つーか俺が許可しねえよ」

「えー」

『えー』

「朝霧も復唱すんな! しかも音程が棒読み過ぎてぜんぜん不満そうに聞こえねえよ!」

『よし、田宮の突っ込みは健在のようだな。よろしい。さて最終確認だが、不参加の者は大山を除いて、いるか?』

 全員無言。それは当然のことだ。訓練を見てくれる相手が、無条件でどうだと誘ってくれているのだから、それを望む彼らが否定的であるはずがない。ほかに用事があったところで、こちらを優先する。

 まあ、優先できない場合もあるけれど。

『よろしい。今日の運動は控えておけよ。それと私への直通連絡先だ、登録しておくといい。もっとも、出ない場合もあるが』

 ではなと最後に言い、通話は切れた。どこか狐につままれたような感じではあったが、誰とはなしに笑い声をあげた。

「――はは、こりゃいい。相談するまでもなかったじゃねえか」

「私は怖いわよ。どこまでもお見通しって感じ」

「ほんとにね。でも、大尉殿が見てくれるなら楽しみ。登山かあ、どうなるんだろ」

「――僕は、あなたたちと行動できる方が、楽しいけれど」

「お、なに言っちゃってんだよ佐原。似合わねえ」

「うるさいな、本心だ。僕は田宮さんと違って素直だから」

「馬鹿、お前、俺の素直さを知らねえのか? 悪巧みなんて言葉を俺に使った野郎は……あ、結構いるな。むしろ素直だと言われたことねえかも」

「馬鹿ね」

「馬鹿だ」

 うるせえよと、田宮は笑う。どうやら彼らの夏休みは、まだ面白いことが多く待ち受けているらしい。


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