08/28/06:00――朝霧芽衣・都鳥との腕試し

 鷺城さぎしろ鷺花さぎかに言われたから、というのも、結果だけ見たのならば間違いなく影響しているだろうことを朝霧あさぎり芽衣めいは否定しないが、やはり素直に従ったと見られるのには納得がいかないものの、現実に芽衣は三重県にある都鳥の道場へ足を向けていた。迷いはそもそも、素直に従いたくはない心情がはじき出した結果であり、特に何かが忙しかったわけでもなく、むしろ暇であり、食べ歩きをするのにも誰かを連れて行くような理由がなければしない芽衣は、ストレッチと大の友達になってしまったと思うくらいには日常を謳歌していたのだが、無碍にもできず、そういえば都鳥には同世代が一人いたんだっけな、と思い出したので、吉日と思い込んだのである。

「さて、間が悪くなければいいのだが」

 さして気にしてもいない癖にそんなことを言う。今日はスラックスに薄手のシャツ、躰のラインが出過ぎるのでジャケットを羽織った格好だ。もちろん長袖のもの。世界各国を仕事で渡っていた時の癖もあり、どのような過酷な状況であっても長袖を着用するのは、紫外線から肌を守るよりも、毒を持つ昆虫などの防護の意味合いが強い。

 暑さにも寒さにも耐性はある。何より軍部では我慢しろ、という理不尽は山のように受けてきた。誰の命令でもないのならば、なおさら我慢できてしまう。

「邪魔をする」

 敷地の内部に入った時点で気づかれていただろうが、道場の入り口でそう言った芽衣はしばし迷い、靴を脱いで上がった。

「ふむ」

 老人と、少女が一人――いや、少女とは言えないのか。年齢としては自分よりも上のはずで、だとすれば自分が少女……いかん、爆笑してしまいそうだ。せめて失笑くらいにしておこう。

「クククッ……おっと、失敬。さて、そっちの都鳥りんは私を知っているか? いや覚えていないならそれでいい。そして、あなたが都鳥の大将か」

「そうだが、何を笑っている」

「いやなに、自分の年齢を確認した上で、外見的特徴から心象に残る、いわば偶像としての己を俯瞰した際に、笑えてしまってな。簡単に言えばそこの凛――よりも年下なのだが、一見して少女がいると認識してしまっただけだ。あまり気にしてくれるな」

「で――何用だ」

「ああ、そちらの話が本題だとも。しかし、どうやら邪魔をしてしまったようだな。これから始めるところだったのだろう? とはいえ、仕切り直すのも私がいては邪魔か。では遠慮なく話をしよう」

 といっても難しい話ではないと、芽衣は苦笑した。

「ある古い付き合いの知人から、一度都鳥に見てもらえと言われたから来たまでだ。どうだろう、頼めるか?」

「見るとはなんだ」

「文字通り、見てくれ。指南は望んでいない。大将ならばわかるだろう? 対峙すれば、否応なく感じ取れるはずだ。まあなんだ、手合わせを一つ頼みたいと言った方が簡単だろうか」

 立ったまま、都鳥の大将ことれいは足元から頭上まで、無遠慮に見て腕を組んだ。

「武術の素養はないだろう」

「もちろんだとも。だから私も、何故そう言われたのか――ああ、得物が二本だからかもしれないとは思っているが、実際のところはわからん。わからんからこそ、こうして足を運んだわけだが……しかし凛、何を黙っている」

「……? 考え中。どこで見たかと」

「すれ違った程度だ、覚えていなくとも構わん――ふむ、そうだ、忘れていた。私は朝霧芽衣だ」

「……記憶にない」

「私への認識など、その程度だろう。それで大将、どうだ?」

「誰に言われたのか――は、口にするつもりはないようだな」

「今のところはな。それを言うのはなかなかに癪だ」

「だったらまずは凛とやれ」

「――え」

「とりあえず問うが、何故だ?」

「俺に見せる前に、凛とやって程度を晒せと言っている」

「と言っているが?」

「あたしは別に……断らない。ちょっと驚いただけ」

 言いながらも、凛の表情は揺れない。元より感情を表情に乗せるのが苦手なのだろう。

「そうか。ではやろう。流儀に合わせて靴下を脱いでもいいのだが、このままでも構わんか?」

「お主がそれで良いのなら構わん」

「端的で結構だ。ああ、言い忘れたが私は魔術師で――」

 両手に、無骨なナイフを組み立てる。ExeEmillionの刻印が入った、三番目のナイフを。

「――こうして得物を取り出す。なあに、魔術戦闘などせん。目的はあくまでも体術だ。よほど私が追いつめられん限りは、これ以上の術式行使はせんよ。安心しろ」

「……上から言わないで」

「すまんな、これは癖のようなものだ」

 何しろ元上級大尉だ、部下も多く教育もしてきた。

「だからというわけではないが、ついでに言わせてもらおう。――どこからでも好きなように来い」

 言って、芽衣は構えをとった。

 刃渡り四十センチほど、やや歪曲したナイフ。刀身は厚く、握りはやや太く、両手に握られて二振り。軽く右足を前に出しつつも膝を軽く曲げ、上半身を倒しながらも顔は前へ。下から見上げるような恰好だが、距離があるためそうでもない。

 左手は腰付近に、ナイフは逆手で持つ。右手はだらんと下げて曲げた膝の外側に、切っ先は床に触れるか否かの位置。

 まるで、スタートの合図を待つ短距離走のような印象もある。けれど芽衣の重心は動かず、足に溜めはなかった。

 腰裏に二刀をそれぞれ左右から抜けるように佩いた凛は僅かに腰を落とし、芽衣の構えに合わせるよう戦闘を意識する。いつしか芽衣の表情からも笑みは消えており、けれど張りつめたものはなく穏やかだ。

 攻撃する意志がほとんどない。あってもせいぜい一割で、むしろ芽衣としては凛がどこまでできるのか見極めるつもりで防の一手を選択している。勝つとも負けるとも考えておらず、やはり手合わせだという意識が強いのか、それとも上の者としての度量か。

 構えてはいるものの、全身は弛緩している。これは自然体とも違い、意図して力を抜いているのだ。ちなみにいつものことで、芽衣の戦闘はそこから始まる。

 力が入れば見抜かれるからだ。

 特に鷺城鷺花を相手にする時には決して悟られてはならない。だから攻撃の起点は隠し、見せようとせず、終点を悟られないことが第一で、当てるだとか狙いだとか、攻めるだとかいう思考は二の次だ。

 それは体術ではなく、芽衣が好む狙撃にも同じことが言える。

 当てる、とは決して思わない。そう感じるのはいつだって引き金を絞った後だし、つまり弾を放出して後戻りできない直後に感じるものであって、それ以前に当てようなどとは考えない。

 むしろ芽衣のレベルの狙撃手になると、当てて当たり前なのだ。どんな状況でも、よほど過酷であっても、引き金を絞れば必ず当たるし、当たらないなら絞らない。そういうものだ。

 その姿勢で三十秒が経過しただろうか。なるほど、踏み込んではこないのだなと冷静に状況を見ながらも、芽衣はぴくりとも動かない。ただ凛の額に浮かんだ汗が、顎を伝ってぽたりと床に落ちるのを認識する。

 視線は直線ではない。凛を見ているが、全体を見渡すよう視界を広く保っており、そして意識に割合を使うのならば、二割程度しか凛を意識しておらず、残りはやや背後付近に位置する冷へ向けられていた。

 視線は向けない。だが何よりも意識すべきは第三者だ。戦闘においてそれは鉄則である。

 安全圏にいる第三者ほど観察は容易くなる。奥の手、あるいは切り札、そういったものまで見抜かれて対策をされることを回避するのはもちろんのこと、その場においてもっとも実力がある者を、いくら眼前に戦闘中の状況があるとはいえ、無視はできまい。

 ――しかし。

 こういうことは口で言ってもわからない。経験させなくては身につかないだろう。場違いにも訓練をしてやっている若い連中の顔が浮かび、あいつらも暇ならば遊びに付き合わせるのも悪くはないか、などと思った。

 一分が過ぎようとした頃、芽衣は上半身を起こす。その動作に反応した凛は前へ――ではなく、芽衣から距離を取るように道場の隅にまでバックステップを踏むようにして離れた。

 やれやれ、だ。

 前へ出るようなら見込みもあるんだがという思考を振り払う。ここは戦場ではないのだし、武術家としての判断ならば、そこに芽衣が口を挟むのは筋違いだ。

「さて、これをどう見るか――は、野暮だな。ふむ、大将、これで構わんか?」

「……ああ、凛では無理だとわかった」

「いやすまん、私も変な意地を張らずに素直に言えば良かったのだが、まあこれも凛のためにはなっただろう」

 荒い呼吸を整えようとする凛に一瞥を投げ、芽衣は肩を竦めて言った。

「というのも、鷺城鷺花と手合わせをした際に、一度訪ねておけと言われたから、こちらに来た。それだけの話だが、私としては対等でありたいと思っているのでね、まるで鷺城に踊らされている一人だと勘違いされるのが癪だという話だ」

「聞くが、どういう知り合いだ」

「さしずめ――お互いに殺し合いができる間柄で、お互いに殺さない間柄だ」

 殺せないのではなく。

 殺さない。

「どちらが、とは訊くな。技術レベルも戦闘レベルも鷺城が上なのは理解している。昔はともかく今はな。それにこう見えて――凛が子供に見えるくらいに、私は戦場で生きてきた。相手にならんことは最初からわかっている。こちらにやる気がなくても、凛ならば感じ取るだろうとは思っていた」

 良い経験になっただろうと笑いながら言うと、凛はだらしなく座り込み、瞳を閉じて深呼吸を繰り返していた。

「……ふむ。殺意を向けていたわけではないんだが」

「いいだろう、俺が見てやる」

「ありがたい。さて凛、出入り口側に移動しておけ。邪魔になった私が蹴り飛ばす前にな」

 では始めよう。

 まだまだ自分にも成長の余地があるのかどうか、確かめてみようじゃないか。


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