06/27/23:00――朝霧芽衣・殲滅作業

 私が休暇に出された目的は、まだわかっていない。それは確かなことだが――しかし、軍部の目的だけは先に知らされていた。

 難しいことではない、〝見えざる干渉〟の解体だ。

 とはいえ、状況を考えれば知らされていたというより、この状況下での配置における予測をした上で、上司に掛け合ったのが一昨日のことであって、確証を得たのもその時なのだが。

 簡単に言ってしまえば、配備される理由がわかっても、どうして野雨だったのかは未だに解決していない――ということか。とはいえ、予想できていても、すぐに答えを出さなくてはいけない問題でもない。ただし、準備だけはきちんとしておくけれど。

 インクルード9がどうして解体され、見えざる干渉に姿を変えたのか。その原因は多くあるけれど、最大の理由は米軍の介入にある。本来なら間借りしつつも、ほぼ独立した組織であったのにも関わらず、米軍の意向を強く受け過ぎたのだ。そのため解体を余儀なくされた。

 同じ失敗を二度繰り返す馬鹿はいない。だが現実として、七〇の情報操作専門部隊、二〇の電子戦闘専門部隊など、その多くが軍部の勢力が強く混入していた。つまり、同じことを繰り返しているのだが、これを馬鹿と呼ぶには不可解な部分が多い。

 内部にいた私から見れば、最初から二〇や七〇は、そのために作られたのではないかと、そう思えてしまうのだ。電子戦や情報操作、そこに必要なのは事前情報などであり、ほぼ情報部と呼ぶに値するような働きをしている二つは、米軍とのかかわりが強くなるのは自然だ。私ならば真っ先に除外するし、そんなものが現場でどの程度役立つかなど、一度でも試せばわかってしまう。

 だから、最初から必要だった崩壊因子であると、私は結論に至ったわけだ。もちろん日本にくる随分と前からの考えで、それは一種の警戒として行動に出ていたはず。それを同僚に、ほかの六〇連中に気付かれなかった時の私の落胆といったら、筆舌に尽くしがたいものだったし、だからこそ組織がある間の付き合いだと割り切ったものだが――それもまた、彼らには通じていなさそうだ。

 ともあれ、これが組織での最後の仕事かと思えば、気が楽になるというものだ。今まで隠していたことを知られても、そう問題にならなくなる。

「問題は、どうやら野雨近辺を中心に動くことだろうが……いかんせん、その辺りが、根本的な理由に関わってきそうなものだ」

 誰にともなく呟いて見上げれば空。地形把握のために、周辺を徒歩で移動していた私はぴたりと足を止め、目を細めるのでもなく狙撃可能位置を把握する。

 朝霧才華は、父方――祖父母の家で厄介になっている。そして、私への脅迫材料としての彼は、それなりに価値があるのだと、情報は流布しておいた。もちろん嘘ではないし、アキレスとまでは言わないものの、私が原因で彼らに影響を与えることを好まないのは同じである。

 つまり、連中――もう敵でいいだろう。敵の目的は才華の拉致であり、それを材料にして私、ひいては私の所属する見えざる干渉の上層部への発言権を得ようとの魂胆だ。裏付けを取らなくとも、それくらいは想定済みであり、その件に関しては直接の上司であるアキラ大佐も同じ意見だった。

 朝霧家からは三区画離れた位置で、仕事用の携帯端末を耳にかける。小型で会話重視のものだ。

 は、と落ちた息が風に乗って消える。寒さはない、ただし暑くもない。ここが異常なのか、それとも野雨の空気が異常なのか――たぶん後者だろうけれど。

『あいよ。配置についたか?』

「配置もクソもないだろう大佐殿。準備というなら、ここにくる前に済ませてある。それこそ一昨日に、雨天家へ赴いた頃にな」

『可愛くねえなあ、お前は本当に。風狭かざまはどうだ?』

「夜だというのに、出歩く狩人の気配が感じられるのは、未熟な証拠だな。野雨のように寝静まった夜がいい――ただし、危険度は間違いなく野雨の方が高いか。どうせ大佐殿のことだ、周辺封鎖の依頼も出していないのだろう? 風狭の管理狩人に一言、断りくらいは入れたんだろうな」

『一応作戦行動だからな、なにが起こっても目を瞑れとは言っておいた』

「では確認だ」

『今のもそうだろう……なんだ、言え』

「私が防衛に当たることを、流布したか?」

『あっちの耳に入るよう情報は拾わせた。ぎりぎりの段階であちらさんの動きに気付いたと、そんなふうに伝わっているはずだ』

「私一人だと情報が行っているのなら、それでいい。油断しているかどうかは賭けだが」

『――なんだ、そんなことが今のお前に必要か? 笑い話だ』

「ふむ。逃げる敵に追撃はしない、それも構わないな?」

『ああ、お前は事前に準備しておいた通り、防衛に徹すればいい。そういう約束だったしな……ま、だからといって逃がすつもりはねえよ』

「殺害でいいな?」

『引き抜く情報もありゃしねえよ。殺した上で俺が利用する。解体は九割がた終わって、残り一割のために俺はまだ椅子に座っていなくちゃならねえってところが、悩みの種だが、朝霧には関係がねえな』

「まったくだ。では最後に一つ」

『おう』

「私がここで、全力で対峙しても構わないんだな?」

『その結果、俺が受ける被害については、まったく気にするな。ただし、お前自身がこれから被るモンに関してまで、俺に文句を言うな』

「わかった。文句は鷺城に言うとしよう。――ああ、もう一つあった。こんな適当な仕事なのにも関わらず、目が多い。どうしたものか」

『潰せるもんなら、潰してみな』

「はは、さすがにそれは無理な話だ。――では、二十分後にまた連絡を入れよう」

『必要ねえよ。終わったらこっちから連絡する』

「諒解だ、アキラ大佐殿」

 通話を切って、ポケットへ滑らす。今の私は最後ということもあって、軍服を着ていた。米軍のものではない、いわば見えざる干渉の制服といったところだ。最後の仕事をさせてやろうと、そんなことを思ったのである。

 二〇の百足、七〇の蜘蛛を中心として、ざっと三十名ほど。一人で相手をするのにはいささか多い、と以前なら言っていたところだが、制限がなくなればそう難しい問題でもない。もちろん、相手の錬度がわかっているからこその言葉だが。

 連中は、あまり特異性がない。〝槍〟のように一人が単独で既に脅威であることもなければ、〝かっこう〟のように見分けがつかないわけでもなく、〝ハヤブサ〟や〝ホオジロ〟のよう戦闘機や艦の中にいることが休暇と思えるほど突飛でもなく、私たち〝忠犬〟のように歪なわけでもないのだ。

 ただの軍人であって、以上もなければ以下もない。現実にそれは脅威だが――野雨市に集まっている連中に比べれば、その一人よりも劣る。いくら人数を集めたところで烏合となれば、蹴散らすだけだ。

 狙撃手が配置されるのを待ち、私は行動に出る。そもそも狙撃は、何よりも背後や自分が狙撃される可能性を考えるものだ。安全圏から撃って当てるだけが狙撃ではない。それに必要な、遠方からの視線に関しては、鷺城と殺し合った時に鍛えている。配置して照準器を覗き込んだ直後に、私は右足を軽く上げて地面を叩くのを合図にして、自己領域を一気に拡大させた。

 一キロ。

 おおよそ、私の〝組み立てアセンブリ〟の領域はそこまで広がることができた。以前はそれこそ一メートル程度しかできず、腰にある拳銃を手に組み立てるのが精一杯だったが、今ではこうして儀式陣の補強なしで一キロの範囲をカバーできる。もちろん研究や実験は必要だったが、なんのことはない、広範囲探査術式グランドサーチの要領で使えばいいだけのこと。

 そして、私の領域の内部に入った人間の感知は容易い――対策を練っている相手ならば尚のこと、そのわずかな抵抗だけで、そこに居た形跡として察知できる。これに気付くか気付かないかで、戦場が大きく左右されることを知るのは、独りで生きている人間だけだ。

 誰にも頼らず、誰かに頼られず、ただ独りで死ねる人間は、いつだって警戒を身にまとうものだから。

 迷わず、迅速に五名に向かって私は組み立てる。

 なにを?

 解体から組み立ての作業、所用時間は二秒とかからない。それだけで私の領域内部ならば、どこにでも移動できる。弱点もあるが、そこを突けるのならば複数で行動などしないだろう。

 そう、移動だ。それが自分自身であろうとも――刃物と呼ばれる武器であっても。

 座標を確定して組み立てる。多くの人間が、自分の体内に発生する異物に対処することを、そもそも想定しない。戦場に足を踏み入れ、ただ一手目で心臓を遠距離から握りつぶされる可能性など、思いつきもしないのだ。

 ナイフでなくとも、針でいい。たったそれだけで、場所を選べば人には致命傷になる。

 私が動いてもいいんだが……兎仔以外の観客もいる。あまり手の内を晒したくはないし、この行動に気付くような相手ならば尚更、放っておけばいい。

 続けて狙撃位置にいる二名を殺害。そこで数秒の間を置く。

 残りは――二十四名。こちらの動きに対抗するような予兆はまだない。慢心はしない、油断もなし。手数は充分、一つの手立てしかないような人間は、戦場を生き残れない。対策されるのは当たり前、防がれて当然、それを突破する手段は常に用意しなくては。

 ――追いつめられた状況にこそ、成長は潜む。

 鷺城との殺し合いで余計に強く実感したもので、今でもこの持論は曲げていない。教育学を専攻した理由は先述の通りだが、成長には欠かせないものだと思っていた。窮地、それは命の危険に晒されることとイコールではなく、時間に追われ締切間際の状況であっても同様だろう。ただし、窮地というものは、そうそう近くに転がっているものでもない。

 つまるところ窮地とは、経験だ。頭で覚えるだけでできるのならば、人はそれほど苦労しないだろう――なんて言えば、同じ大学の連中は揃って妙な顔をするのだが、それもまた人生経験の差だと痛感したものである。

 コロンビアを選択したのはアキラの指示によるものだ。私としても教育学をそれなりに学べるのならばどこでも良かったのだが、組織の仕事と並列するため、それなりに制限がある。そのため上官に打診した結果なのだが、今にして思えば鷺城との縁もあったのだろう。運よく鷺城と顔を合わせることはなかったが、どうやら時期が違ったようだ。

 私は異分子だった。当然だろう、同じ軍人の中にいても異端ならば、それは大学でも同じだ。逆に考えてしまえば、どこにいても私は私だった、とも言える。

 あれは――大学のテラスだったか。

 人間観察は周囲に馴染むために必要な手順の一つ。一人で珈琲を飲みながら気配を隠し、声をかけられぬよう雰囲気から除外されつつも、隠れるようにしていた時だ。私の隣を過ぎて、びくりと驚いたように振り向いた彼女が、私を視認したのは。

 背の丈は私よりもやや高く、すらりと整った体躯。なにより異質なのはその鋭いとも思えるブルーアイよりもむしろ、頭の上で主張する二つの猫の耳だった。それから隠蔽系の術式を感知し、なんだ一般人からは見えないようにしているのかと、そう納得したあたりで私を発見できた要因も、なんとなく気付いた。

 この時点で私は、彼女がエッダシッド教授であることを悟っていた。縁がどうのというよりも事前情報だろう。ろくな講義もせず、大学から請われて研究室を持ち、人と触れ合うことを好まない、気まぐれな教授。それでも写真くらいは手に入るし、大学内に存在する以上、気配くらいは掴める。

 だからといって、私はここで自分から話そうとは思わなかった。いくら教育学を専攻しているとはいえ、その教授が相手だろうと、私は積極的に取り入ろうなどとは考えないし、上手く利用してやろうとも思わなかった。そんなことは、組織の仕事で充分だと、そう判断したのだが、しかし。

 彼女は軽く肩を竦めて対面に腰を下ろした。

「邪魔をするよ」

 良い声だ、と思った。暇なんだろうと思って私は口を開く。

「邪魔ではない。それとも、私がそんな嫌そうな顔をしていたか?」

「処世術さ。君の名前は?」

「朝霧芽衣」

「驚いたよ、僕がまるで気付かなかったからね」

「耳が四つあるからといって、聴覚に頼るからそうなる。海軍では目で見て確かめろと怒鳴られるところだな」

 猫族との混血か、あるいは猫族そのものだろう。人型になれる猫族のほとんどは、人間と同じ寿命だが、尾が二つに裂けていれば長命だ。こうして人に紛れても、ちょっと足が速いくらいの扱いでしかなく、教授のように迷彩術式で特徴的な耳などを隠せば、人となんら変わらない。

「君は軍人なのかい? まだ若いじゃないか」

「東洋人の風貌から若く見えるというのなら、眼科に行くといい。老いて見えると言われるがな」

「うん。専攻は?」

「教育学だ、エッダシッド教授殿」

「へえ……よく調べている、と言った方がいいのかな? 軍人の中でもスペシャルな部類だね、君は」

「私への評価は勝手だが、私の何かを読み取ろうと会話を重ねるのなら、ほどほどにしておけ」

「君に興味があるからね。今わかったことは口が悪いってことだ。メイ、口が悪い五月の子、一つ訊きたいことがある。これも好奇心でだ」

「なんだ」

「人が成長するために必要な要素を三つあげろと言われたら、君はなにを言う?」

 ようやく、私はそこでテーブルに肘をつくよう対面に座った教授を見た。口元には小さく笑み、やや乗り出した姿は本当に好奇心が先行しているようにも思う。大して気を引くようなことは言っていないつもりだったが、まあいいかと判断した。

「ふむ。いつもなら二十秒くれと言うところだが、三つならすぐ浮かぶ。知っているかもしれないが、人の成長において極限の状況下、ぎりぎりまで追い込まれた時にこそ人は成長するのだというのが、私の持論だ」

「経験が必要だという点ならば、納得だよ。それで?」

「疑問、発想、それに伴う知識の三つだ」

「一応聞いておくけれど、それはどうしてかな」

「何故、その疑問はあらゆる場面において発生する要因を持ちながらも、それに気付くか否かは個人の感覚でしかない。だが、気付いて考えるか否かが、結果を左右するのが現実だ。そして、世界における何故には、答えが用意されていない場合が多くある。そこで発想だ。想像力と言い換えてもいい。何故、に対して思考する。時には突飛と思える発想が偉大な発明に繋がることは歴史が証明しているだろう。そして、発想に必要なのが知識だ。いくら発想を広げても、知識がなければ平面になりやすい。思考とは常に多角的でなければ致命傷になる。それらを経験したのならば、人は成長するだろう」

「うん、うん、君はよく考えている。けれど、それこそ疑問ではあるかな。君は理解している。そうだ、そこが基本だ。僕が教えているのも、そういった部類になる。基礎学習の過程において、疑念に対する発想は実に有意義で、それがひいては知識を蓄えることに直結する。わかっていてどうして、君は教育学を専攻しているのかな?」

「それを、私が理解して納得している道筋を、私の生き方から経験として積んだ結論を、私はどうやって人に伝えるのか、それを知りたくてここへきた」

「君は、誰かを育てたいのか?」

「今はそんな余裕はない。世話くらいはしてやるが」

「じゃあ、どうして?」

「今はそうであっても、いつか必要になるかもしれないだろう? ごく自然な疑問から、発想した結果として知識を蓄えようとしている私に、何故も何もないだろうに」

 そう返答した私に対し、教授は大笑いだった。それから翌日には教授の教え子として別のカリキュラムになり、それなりに厳しい講義を受けることになる。なにが気に入ったのかと問えば、返答が良かったとのことらしいが。

 私の答えは、ほとんど戦場で見つけたものだ。命を賭して命を奪う、お互いの目的が合致せずにすれ違ったまま、争いをすることにすら麻痺してしまう戦場で、ぎりぎりの一線を越える代わりに得た教訓である。それもまた、教授には真新しく新鮮だったのかもしれない。

 そう考えれば、今の私も成長したのだろう。少なくとも、教えるためには、私の言葉が通じるように育てなくてはならないことを知ったし、戦場においても、ここで得られる何かを伝えるならばどうすれば良いか、なんてことを考えるようになった。あるいは、私が作った戦場で、彼らはなにを学ぶのかを。

 たとえ、一方的な惨殺だったとしても――だ。

 私が好んで可愛がっていた猫は元気だという話だし、また顔を出すのもいいかもと思っていたら、私の領域がひび割れるようにして消えた。時計に目を走らせれば六分。手を変え品を変え対応していたが、持続可能時間はまだ先で、誰かがようやく、領域を壊したのだ。

 遅すぎるなと組んでいた腕を外した私は、流れる動作で踏み込みの形から、地面を蹴って走り出す。上半身を起こすアスリートの姿勢ではなく、地を這うように接敵する暗殺者のそれに近い。

 一歩を前に出すのと同時に私は術式を組み立てる。隠蔽、迷彩、誤認、同調、身を隠すための術式の羅列は歩数ごとに増えていく。これもまた、予防線のようなものであって、あくまでも突破されることを前提にして私は動く――というのも、まあ、なにをやってもそれが術式ならば、解析して無効化や逆用する某鷺城の影響が強いのだ。あの女、どうかしてる。

 汎用性がありながらも、根源が一つしかない〝組み立て〟の魔術特性そのものは、あまり普遍的ではない。未だにどの魔術師も――ふむ、鷺城ならばあるいはできていて黙秘しているのかもしれないが、あれは例外として、基本的には魔術回路と呼ばれる術式を発現可能とする骨子を図面化した者はいないため、一体どのような姿をしているのか定かではないが、ともあれこの特性は、組み立てしか使えなくなる。

 たとえば七則、地水火風天冥雷の属性で考えれば、雷の属性は浮いている。こと属性に限った話なのだが、たとえば〝四大属性〟と呼ばれる魔術特性ならば、地水火風をまんべんなく扱うことを得意とする。天が得意な場合は冥を苦手とするなど、これらは相関しているのだが、雷はただ単一の雷として扱われ、ほかの混ざることはない。逆に、雷の属性を個性として持っている魔術師は、ほかの属性を扱えなくなる――なんてこともありうるくらいだ。

 けれどそれは属性の話であって、突き詰めれば、決して雷属性とほかの属性の両立ができないわけでは、ない。この条件には複数あって、実現不可能だろうと諦めるのは個人の裁量に委ねられるが、決定的ではないのだ――が、しかし。

 組み立ての魔術特性の話になれば、違う。

 得手を魔術特性と呼ぶ場合が多い魔術師の世界において、組み立ての魔術特性は得手不得手がまったく関係なく、むしろ在り方そのものに近いのだ。

 何故ならば。

 どのような術式を使おうとも、それは組み立てることを前提としてしまう。

 今使っている迷彩系の術式も、広範囲探査術式も、それがどのような基礎レベルの術式であっても、私は〝組み立て〟ることでしか使えない。

 ――逆に言えば、組み立て可能ならば、どんな術式でも使えるという汎用性を持つ。とはいえだ、それは魔術研究を念頭としたものであって、戦場で誰かと戦うのならば、そこはそれ、デメリットだろうがメリットだろうが、如何に使うか、そんな個人の技量に大きく左右されるわけだが。

 だから、組み立ての術式を鷺城は使わないし、使えない。それなら創造系列の術式で代用する、なんて昔に言っていた。基礎どころか基盤、あるいは根源を固着させるなんて真似は、最初からそうならともかくも、途中で変えようなんて覚悟と時間が必要だ、なんて呆れていたか。

 私の魔力領域もまた、組み立てられたものだ。それを破壊するのは、目の前にある壺を破壊するのと同じ――は、言い過ぎにせよ、似たようなものだ。

 破壊された瞬間は捉えている。その上、水面下に張ったままの探査術式(サーチ)まで破壊されたので対象の察知もしやすかった。目的対象との接敵まで六十秒とかからず――。

 ふいに、目の前に〝なにか〟があった。

 一切の知覚をさせず、鼻先に触れる位置。物理的な何かではないと判断した直後、ぴたりと勢いを殺して停止した私は、横に回避するのではなく、上半身を逸らすようにして迫りくるそれの速度を把握、僅かに空いた隙間に左手で組み立てた三番目のナイフを滑り込ませ、――当たる。

 術式ではない、そう思いながら地面を足の裏でこするようにして後退しつつ、勢いを殺しながら右手に同様のナイフを組み立てる。三番目は二本で一つ、存在も一つ。馴染んだ動作に不備はなく、それが単なる〝斬戟〟の現象であることを確認した私は、右のナイフを振ることで斬戟そのものを弾いた。

 やや前傾姿勢。左手は下に――地面へ向けてだらんと下ろし、右手は腰の裏付近へ。握りはあくまでも弱く、常に持ち方を変えられるようにする、私の基本とする戦闘態勢。対するは同様の軍服を着た男――無手、いや違う、その男がずるりと力なく地面に落ちた裏に本命が。

 ――空には紅月がある。黄色ではない、紅色の月。今にも地表に落ちそうなそれは、灯りとなって男を照らした。

「――ご苦労さん」

 アキラ大佐が、左手に鞘ごと刀を手にして、そこに立っていた。

「大佐殿か……」

 五秒、私は視線を合わせて戦闘態勢を維持したが、とんでもない化け物であることを実感できたあたりで自然体に戻しつつ、ナイフを分解する。紙吹雪のように消えるが、構成物質は体内に蓄積される形だ。もっとも三番目のナイフの場合は、収納する形に限りなく近いのだけれど。

 雨天彬。

 顔を合わせる時はいつも士官室だったけれど、こうして戦場の片隅で、武装としては頼りない刀一本を手にしている姿は、雰囲気に隠された鬼を感じさせられる。今の斬戟にしても、衝撃を飛ばすのではなく、間違いなく斬戟の現象そのものを飛ばした形だ。その上、空気を斬るのでもなく、その狭間――隙間を通すような技術。おそらくは雨天家が百年以上を費やして積み重ねた技術なのだろうけれど、理屈がわかってもそう真似できるものではない。

 得体の知れなさはあったが、私の上官は――師匠の友人は、これほどまでの使い手だったのかと、痛感した。

 そんな心情を表に出さず、服の裾を叩いて払う。

「終わったか?」

「おう、お前がほとんど片付けたけどな。にしても、牽制とはいえ当てる気でやったんだが、対応するか」

「可愛い部下に失礼な。……加減されていたのには気付いたがな」

「そこだ。受けながら分析して対応なんて、よくやるぜ」

「それを鷺城に言えるか?」

「同レベルとして見ていいのかよ」

「一緒にされても困るが、この手の対応は鷺城から学んだものだからな。屍体の処理はどうする? と言っても、私にやれと命じられても困るが」

「手配してある。ともかく、これでお役目御免だ朝霧。組織は解体、お前は事実上の無職ってわけだ。こっちからの条件は、しばらく野雨を拠点にしろってだけ。質問は?」

「追手がかからなければ文句はないが、残党はいるのだろう」

「そのへんは、それこそ追追の処理になるな。とはいえ、お前らも一応は米軍とのパイプが消えたわけじゃねえ。狙われることはまずないだろ。今回のことにしたって、見せしめみたいなもんだからな」

「手ごたえのなさから、その答えにはたどり着いていた。残党狩りを積極的にしないのならば、それでいい。私は野雨に戻るが、なにかあるか?」

「たまに連絡するから拒絶すんなよ」

「上司ヅラして面倒を押し付けるなと、先に言っておくからな。とりあえず携帯端末は返却しておく」

「二つともか? 徹底してるな。こっち――組織預かりのお前の口座はどうする」

「凍結しておいてくれ。そのまま解体できないなら、クアンティコの訓練校にでも一括で投げておけばいい」

 複数の口座を使い分けるなど当たり前だし、組織にいる間のほとんどは、その口座を使っていたので、縁が切れれば辿られるようなことは、まずないだろう。二つの携帯端末を渡しておく。

「お前ね、同僚に厳しくねえか?」

「この程度で連絡が取れないような連中と一緒にされるのは、これからは問題になる。私に、ではなく連中にな。せっかくの好意だ、六六にはしばらく厄介になるつもりだが」

「とやかく強制はしねえよ。ほかに思いついたことがあったら、俺を掴まえるんだな」

「そうしよう。――ではな、任せた」

 表通りに車が止まった気配に、私は軽く手を挙げて別れる。縁が切れることの寂しさよりもむしろ、この身一つで生きられることの喜びが大きいのか、口元に浮かぶ笑みを隠すことができない。

 お役目御免――か。

 まあいい。じっくりと腰を据えてやって行こうじゃないか。できるのならば、今まで足枷になっていたものを、すべて切り捨てて。


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