06/27/07:00――朝霧芽衣・残っている仕事も

 翌日の登校はやや早めに一人で出た。早朝のランニングの頃よりも音の混じった、いわゆる街が起き出した時間を一人で歩くのも新鮮といえば新鮮だったが、数日にして馴染んでしまった私も、果たしてどうだろうか。慣れるのが早いというのも、それなりにデメリットであることを自覚させられる。楽しみの時間が短くなってしまったと、そう思いがちなのだ。

 そういえば担任は徒歩通学だったなと駐車場を横目にしつつ、職員室へ。連日の入室で疑いを向けられるのも癪だが、用事があるのだから仕方ないとノック。どうぞと出迎えたのは担任だった。

「おはよう担任殿」

「おはようございます、朝霧さん」

「出迎えご苦労。――ふむ、この時間にはもう教員は集まっているのだな。勤勉なことだ」

「はいー、生徒が捜していることもありますし、今はテスト準備期間ですからねー。決められてはいませんが、いろいろと考えて、早めに出てくるのが一般的になってます」

「だが、妙に意味ありげな視線を送られる意味の答えにはなっていないな。まあいい、注目されるのは慣れている。まずはこれが原本だ、担任殿にやろう。返却は必要ない――ああ、上の方に綴じてあるのは、私からエッダシッド教授に送った報告書の下書きだ」

「え、それ読んでも大丈夫ですか?」

「おかしいか? べつに隠すようなものでもないだろう。それと付箋が張ってある。赤色の付箋は私のメモ、黄色の付箋は――なんと言えばいいのか、ふむ、私の友人なのだが、同世代で、エッダシッド教授の教え子でもある人物の、メモだ。読み解くのには――まあ、簡単ではないだろうな」

「そうですか? うーん、断片的ですが、読み取れないほどではないと思うんですが」

「メモは、誰かに読まれる前提で記さない――と、言いたいところだが、私も彼女もそれなりの配慮はしている。それでも何故、という疑問がつきまとうはずだ。つまり時間がかかる。原本にしかないメモだから、時間のある時にでも腰を据えて読み解けば、私や彼女の見解が見えてくるかもしれん。報告書は私の私見ではあるが、教授が読む前提のものだからな」

「わかりましたー」

「うむ。それとデジタイズしたほうの資料だが、昨夜に送ったメールは読んだな?」

「はい……朝に読みましたー。ちゃんとアクセスもできました」

「妙な真似はしていないと言っただろう。あれの公表をする、構わないな? もちろん、十二組の連中にだ。教員たちに開示するかどうかは、担任殿に一任する。――以上だ、質問は?」

「えっとですね、問題の製作者としての視点から、ああいった授業はどのようにして作るものですか?」

「ふむ。自由度の与えられた時間において、必要なことは諸君ら社会人が如何にして生活するかに直結する学習をするべきだ、と判断したのが最初だ。それを踏まえた上で、こと日本の教育課程において、取り除かれた要員である部分、つまり答えのない問題を思考した結果が、今回の授業だ。端的に言えば、答えのない問題を出した上で、回答として出たものから答えを見つける作業を念頭にした」

「なるほど。確かに苦手分野ではあるんですけどねー」

「ま、余所では一番最初にやる基礎訓練だがな。言われることだけをやれと言って校庭を走らせながら、お前は言われたことしかできんのかと、座学で怒られる。その上、針金を持ってこいと言われてペンチを持ってこない馬鹿は、頭を叩かれて当然だ。――今のは極端な例だがな」

「ありがとうございます、参考になりました」

「うむ。では教室へ向かうとしよう。ああ、試験問題の添削が怖いようなら、原本は見ない方がいいだろうな。これは忠告だ、ははは」

 一つの異分子が混じれば、善し悪しはともかくとして、必ず流れは変わる。良い影響になればと思うが、思うだけだ。受け取り方次第でどうとでもなるようなものを、こちらから操作しようなどとは思わない。

 教室に到着すると、私の机でぼんやりしながら座っていた小柄な少女が立ち上がる。小学生と見間違えるほどの小柄さであり、発育も悪く童顔――だが、私と同様に目付きが悪い。

 潦兎仔。六〇〇九のナンバーを持ち、予備役とはいえ実質退役した、かつての私の部下だ。

「おはようございます、マァム」

「うむ、おはよう」

 ちらほらと生徒たちの姿はあるが、片手を挙げておくにとどめる。私は真っ先に黒板へ大きくアドレスを記し、前日の授業資料と追加しておく。

「諸君、昨日の授業における全員分の回答用紙をデジタイズしておいた。アクセスして参照しておくのも一興だろう。一応、私が携帯端末でチェックはしたが、不具合があるなら報告を頼む――これから登校している生徒にも呼びかけておいてくれ」

 言いながら机の横に鞄を置き、引かれた椅子に腰を下ろす。

「――兎仔」

「は」

「昔を思い出すのは結構だが、畏まらなくても良いと、私は学校の視察にきた時に伝えたはずだが」

「申し訳ありません、ちゅう……朝霧さん。条件反射と、敬意の念がありまして」

「へええ――兎仔ちゃんがそんな態度とるなんて、初めて見たぜ俺。え、なに、知り合いなのか?」

「田宮ぁ、ちゃん付けすんなって言ってんだろーが……いい加減にしねーと、口が聞けなくしてやるぞ、おまえ」

「軍式訓練をしてくれるならマジ喜んで、クラス全体が盛り上がって受けるぜ?」

「だろーな……去年の文化祭でお前らがやった軍艦巻き喫茶、マジであたしが昔を思い出してクソッタレと思うくらいに徹底してやがったからな」

「ありゃ駄目だったなあ、はははは」

「ふむ。ちなみにどんな催しものだったんだ」

「戦艦長門をイメージした軍艦巻きの巨大なのを作ったんだよ。でも海産物だろあれ。劣化を抑えるために冷房させたら、教室が冷蔵庫みてえになってさ。愉しかったけど……職員室に差し入れで、しゃりを中抜きしてわさび入れたのを持ってったなあ。お茶持って謝罪三ループくらいしたけど」

「きちんと謝罪した辺りが好感が持てる。――私が被害者ならば許さんが」

「許せよ」

「冗談だ。しかし田宮、軍式訓練に興味があるのか?」

「あ? ああ、面白そうだからな」

「おい田宮、朝霧さんに隠し事しても無駄だぞ。お前のレベルじゃ話にならん」

「まったくだな、狩人志望。しかし隠すことが悪いわけではない。田宮、今日あたりから始まるVV-iP学園の軍式訓練に参加しろ。いつからでもいいが、早い方が良い」

「急だな、おい……」

「私はな田宮、その軍式訓練を受ける人間を四名限定で育てようと考えている。つきっきりとはいかんがな」

「……良い暇潰しになりそうですね。おい田宮、騙されたと思ってやっといた方がいいぞ」

「兎仔ちゃんより階級上なのか、朝霧って」

「調べてないのかよ……」

「そう言うな兎仔、狩人志望なんぞその程度だ。私は朝霧芽衣上級大尉だ――とはいえ、大尉で済ますが。それとも、コイツを見せた方が納得するか?」

「――? 朝霧さん……軍の任務ついでに、なにやってるんですか。大学卒業したのは知ってましたけど」

 財布の中にあるカードを取り出して、テーブルに置く。それはランクEの文字と、顔写真。〈天の守り〉の名前。

「狩人認定証……!?」

「こんなもの、ついでで充分だ。認定試験の三日間だけ時間を空ければいい」

「そんな簡単に取れねえよ……」

「ふむ。期待させるようなことを言いたくはないので断定はしないが、少なくとも今のままでは生涯を賭けても無理だと私は思うがな」

「騙されたと思って、か。つってもなあ」

「大山校長には既に打診済みだ。もちろん、学園にもな。なにを隠そう、軍式訓練を行うのは私の同僚でな、話は通しやすい。あとはお前の決断如何だ。訓練は午前中、午後からはこちらにこい」

「手回しが良すぎるぜ……オーケイ、わかった。やってみる」

「それでいい。――兎仔」

「今日のことで」

「ふむ。やはり気付くか」

「まあ……あたしの立場上、気付かずにいる方が問題なんで。さすがに仕込みにはノータッチですが、昨夜の時点でもう」

「だろうな――田宮、そうまじまじと見なくても偽物じゃない。こんなもの、ペーパーナイフの代わりにしかならん。そんなことより昨日の資料でも読んでおけ」

「へーい」

「ESPの活用と朝のランニングはこれからも行っておけよ」

「――、オーケイ、わかった。負けた。敵わねえ」

「今頃遅いんだよ」

「兎仔ちゃん、そりゃねえよ。まだ三日目だぜこれ」

「ちなみに言っておくが、兎仔を部下として見たことはない。敬意を払ってくれるのは嬉しいが、兎仔はとっくに私を超えている」

「――げ」

「……ま、いいですけどね」

「で、どうするつもりだ兎仔」

「手が要りますか?」

「今のところ必要ないが、なんだ、協力するか?」

「観戦に回るつもりです。最悪は、手をだしますが」

「それでいい。先日、私が教壇に立った話は?」

「聞いてます。レポート、一般回線で送ったでしょう。昨夜の段階で目を通しました」

「感想は?」

「てめえの頭で考える、なんて常識がない連中ばっかだと、痛感しましたよ」

「ははは、それだけ平和だと思わなければな。誰かに使われるのでもなく、一人で生きるのならば、自分の頭で考えないと死ぬからなあ」

「まったくですね」

「呑気に談笑するような内容じゃねえ……!」

「帰りの足だけ用意しておいてくれ。そのくらいなら構わないだろう?」

「はは、諒解です。じゃあまた」

 ぺこりと頭を下げて出て行く兎仔を、苦笑して見送る。学校案内の時よりは柔らかくなっているようだが……この辺りが落としどころなのかもしれない。

「昨日の今日でデジタイズかよ……しかも見やすいし」

「ん? ああ、ラルにやらせた」

「――は!? おいちょっと待て、驚きで今日の俺は非常にハッピーですよ?」

「頭がおかしいのは最初からわかっている。私がやっても良かったが、あいつと逢うのも久しぶりだったからな。ついでにやらせた。そのうちに、愚痴の飲み会に誘われるかもしれんが、ちゃんと断っておけよ」

「いや断らねえけど……」

「それに大した作業ではない。いいか田宮、何事もいかに準備をしておくかに尽きる。これにしたって、最初からテンプレートさえ作っておけば、あとは入力していくだけだ。しかしお前たちのような若者は、そのテンプレートから作らなくてはいけなくなる。ここが経験の差であり、準備の差だな」

「理屈じゃそうだけど……」

「覚えて置け。電子戦は常に、そこだ」

「諒解」

 見てやる、か。まあ今夜を峠として、そこからは暇になるだろうし、そもそも私が教育学を専攻したのは師匠が原因だが――。

「なあ」

「なんだ。トイレの場所がわからんのか?」

「違う。これ興味本位なんだけど、そもそも朝霧はどうして教育学を専攻したんだ?」

「ふむ」

 私の思考をトレースしたわけではなさそうだ。

「私も昔は師匠と呼ぶ人間と一緒に暮らしていてな、いつかわかる、と言われたことが山ほどあった。そして、それは本当にわかる時がくる。当たり前のことだが、やはり経験で消化さねばわからんことだ。しかし、その結果を目の当たりにしていくと、どういう思考で私にそれを教えていたのか興味がわいた。いつかわかると――私もそう口にして笑いながら教える人間になれればと、そう思ったのも確かだ」

「なるほどなあ……」

「もちろん、それだけではないが。日本の教育は記憶ばかりを育てようとするが、一つを極めようとすればほかを捨てるか、あるいはほかも育てなければ成長はしない。今のように興味があるうちは、徹底してやった方があとで効果を実感できる」

「いろんな経験してるんだな、お前」

「人と同じ道を嫌うのは日本人も同じだが、今在る状況から飛び出すのが極端に苦手だからな。ただ辛いだのなんだのはともかく、私としては充実した日日だとも」

「今もか?」

「はは、もちろんそうだ。今も、そしてこれからもな」

 これからのために、一つ片付けなくてはいけない仕事もある。当面はまず、そこを越えることが目的だ。


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