06/26/18:50――朝霧芽衣・雑用の手伝い

「――で、なにを不機嫌な顔をしているんだ貴様は」

 むすっと年甲斐もなく不貞腐れているラル、ランクC狩人〈白輪の大花パストラルイノセンス〉を見て、もうすぐつれづれ寮に到着するだろうと思った頃にそう聞いたのだが、私からやや距離を外してついてくるラルは、唇を尖らせた。

「年増め」

「なに!?」

「年齢を考えて顔を作れと遠回しに……いや、率直に言ったんだ。それほど退路を塞がれて協力を余技なくされた現状に対して不満なのか? それを私に向けられても困るな、鷺城に言え」

「そういう言い回しが気に食わない……!」

「なんだ、もしかして以前に狙撃の仕事でブッキングした時、気に食わんと思って足元に狙撃して邪魔をしたことを、まだ根に持っているのか……?」

「やっぱあれあんたがやったのか! ふざけんな!」

「なにを怒っているのかさっぱりわからんな……狙撃銃も壊していない、指を抜いたわけでもない。どうなんだ」

「こいつ……! 自分がむちゃくちゃ言ってるって自覚ないわけ!?」

「…………つまり、月のものがきたと?」

「熟考してそれかよ! もう嫌だ……!」

「ははは、ラルは面白いなあ。……ま、妥当なんだろうな」

「なによ」

「仕事の話はあとだと言っただろう。――ここだ」

「知ってる。つれづれ寮ね……朝霧がここに厄介になってるってことが問題よね」

「ふむ。そう思うか?」

「〈天の守りアイギス〉が誰かに守られてるなんて、冗談にしては悪質でしょ」

「はは、まったくだな」

 私の狩人名。天野さちの姓と、守の名を持っていた師を軽くリスペクトしたようなものだ。ついでに言えば、私に喰われた彼女の名も借りている。

 ただ今戻ったと言って中に入り、荷物は玄関に置いてすぐにリビングに顔を出した。

「おかえり」

「ふむ、なんだ花刀かたなだけか。――おお、いたな六六、キッチンか。客がきた、私の客だ。接待は必要ない。とりあえず飲み物だけくれ」

「まったく……ハイ、花刀。久しぶり」

「――ラルさん。あ、っと、ご無沙汰してます」

「ああいいのいいの、畏まらなくても。今は仕事じゃないし」

「そうとも、仕事であってもこんなやつに畏まる必要など、どこにもない。ああ六六、今晩もとりあえず夕食は必要ない。余るようなら気軽に食べれるものでも用意しておいてくれ」

「わかったよ。やあラル」

「六六も久しぶり。変わらずみたいね」

「僕が変わったら、いろいろと面倒だからね。紅茶だ」

「ふむ。……ところで花刀、なにか用だったか? さきほど、なにかを言いかけただろう」

「え? あ、うん。今日聞いたんだけど、あんた教育学が専攻なんだって? 職員室でちょっとした話題になってたみたいなんだけどさ」

「はあ? 朝霧が教育学? それ一番遠いやつじゃない。笑えもしないわよ」

「ふむ……花刀、共通言語はできるか?」

「そりゃまあ、一通りは」

「では今からそちらに切り替えよう。証明してやるから少し黙って耳を傾けろ」

 どうせ連絡するつもりだったのだから、今すぐでも構わないだろう。プライベイト用の携帯端末をスピーカーにして起動し、ボタンを押して通話を始める。

「どこよ、それ」

「あとで調べておけよラル。見てわからんようだと、お前の知識も甘いぞ」

 まあ、調べてすぐわかるものを、事前に調べておくのは、私の癖でしかないので狩人に求めるのは酷かもしれないが。

『――はい、こちらコロンビア大学受付です』

「む? なんだ、ミニー・メニー・ビリー。就職先は受付か? 私だ、口の悪い五月だ」

『あれ、メイ? はあい、久しぶり。元気そうじゃない。ほら、前にメイが私にはこういう事務仕事が似合うって言ってたでしょう? 半信半疑でやってみたら、随分と合ってるみたい。ありがと』

「アメリカンの癖に小柄で発育の悪いお前は、質の良い声を売りにすればいいと言ったんだがな」

『うるさい。気にしてるんだから言うなっての。――と、同僚に睨まれた。どうかしたの?』

「エッダシッド教授殿は研究室にいるか?」

『うん、今はいるわよ。繋ぐ?』

「試してくれ」

『じゃ、ちょっと待ってて』

 一旦保留にされた。まあ偏屈で知られる教授だ、人によっては取次が非常に困難なのだが、さて私はどうだろうかと二十秒待った頃、電話がつながった。聞こえてくるのは陽気な、女性の声だ。

『やあ、教え子の中でもまったく連絡がない人物からの電話で、地獄からかと期待したよ』

「ははは、残念ながら私はまだ存命だとも。久しいな教授、まだ生きているのか」

『お互い様にね。そうそう、ちょっと前に〝色違いの鳩〟が連絡をくれたよ。ええと、なんだったかな……そう、サギだ。サギカ。あの優秀な、君とは違って口が悪くない教え子だ』

「違うのは口の悪さだけで、私は優秀だと認めているのだな」

『そんなことは今更だ。ところで、世間話で良かったのかな』

「おっと、まさか電話が通じるとは思っていなかったから、雑談に花を咲かせるところだった。本題から先に入るか、二つあるんだ。一つは報告、一つは質問。さて教授、どちらから聞きたい」

『どうやら聞きたくないって選択肢はなさそうだ。じゃあまずは報告からだ。なにかあったのかな?』

「機会があって、日本の一般高等学校三学年の授業を一単位だけ受け持った」

『なんだって? 君が得意な冗談でもないんだろうね? ――なんて羨ましいんだ! 教え子の授業というだけで僕を誘うには充分なのに、その上、君の? レアリティが高すぎて僕はひどくショックだ!』

「日本ではよくある授業参観みたいで私は御免だと、以前から言っているだろう……」

『ああ……なんだかやる気が失せたよ。次の講義は取り消しだ。君のせいだよメイ、あーあ』

「ははは、性格はそう変わらんな、教授殿」

『授業内容は?』

「なに、一単位限りなので大したことはしていない。人物想定、設問は五つ。目安は十個といったところで、設問は行動、服装、部位など適当だな。そののち、他者の回答から人物を読み取らせた。対象は約四十名、うち教員が三名になる。前例はあるか?」

『そもそも、前例のない授業で効果のあるものは少ないよ。どこで誰がどのようにして行ったのか、それを知っているか知らないかの差でしかない。しかしメイ、本来ならその先にある〝自己の把握〟までの指針を作りたかったんじゃないかな』

「その通りだ」

『君ならできそうなものだ』

「相手を選べば、と付け加えればな。日本語で構わないならデジタイズした資料を送ってやってもいい。なんなら私の報告書も付け加えよう。なあに、今まで音沙汰なしだったことを思えば、このくらい安いものだ。見返りを寄越せなどとは言わん」

『そういえば以前に、返した覚えがあるな。教え子から見返りを寄越せなんて言われたのは、君が初めてだったけれどね。それと日本語は大丈夫だ。以前、日本国の初期教育課程における、母国語の教育が薄い点に関心を向けた時に、書くのはともかくも会話と読みは覚えたからね。是非送付してくれ、プライバシーを守った上で参考にさせてもらうよ』

「あまり期待されても困るがな」

『東洋人は優秀だ、なんて勘違いをするくらいに、君とサギは飛び抜けていたんだ。どっちも問題はあったけれどね。サギは教壇に立つことを徹底して拒絶して、君は徹底して口が悪い』

「問題児ほど可愛いものだろう?」

『君たちでなければね。さあ、質問があるといったね。教え子からはよく質問があるんだが、そのたびに僕は現場慣れしていないと、今までの君は頭でっかちで想像力が足りないと説教をしてきたわけだが、君はどうなんだろう? 楽しみだね』

「それがまた頭が痛い問題でな……私もまた高校三学年なのだが」

『そうだね、君の年齢からしたらそうだ。悪質な冗談に聞こえるけれどね』

「同級生や教員たちを含め、私が教授殿の教え子で、教育学を専攻していると言っても、どういうわけか信じてくれない。教授殿、どうなんだこれは。どうすればいい」

『うん、それは簡単だ。――無理だよ、メイ、それは無理だ。簡単なのは答えを出すことで、解決策は非常に困難だ。君の頭が痛くなることに僕は両手を叩くほど嬉しいと思ったけれど、残念ながらその問題に関しては、僕の頭も痛くなる。ただでさえ迂遠な方法とも思える基礎を徹底する君のやり方では、当事者が実感するのも随分と先になるだろうし、その実感を与えない方法こそが君の本分だ』

「その上、性格も悪い」

『まったくだよ。事実を事実と証明することは簡単であって、それを信じたところで実感が伴った理解にまで至るのは、特に君が相手では難しい。納得なんてのはそこから更に遠くなる。望むものを与えるのが教育者ではない。その望みを自ら抱く時を目指すのが教育者だ。それは結果であり、在り方ではないよ。加えて君は目付きも悪い。荒事を求めてしない癖に、いざその場に身を投じた時の被害は違う意味で頭を抱えたくなるものだ』

「根に持っているなあ……あれは私が原因ではないだろうに」

『サギの方がよっぽど上手く収めると言っているんだ』

「最終的な被害損額はあちらの方が上だったろう?」

『また嫌なことを思いださせる。もういいから大学卒業証書でも持ち歩けよ』

「記章、勲章の類を自慢する輩は尻が光っていると言うが?」

『尻が軽いよりはマシさ。まあ僕と会話ができている時点で一つの証左ではあるね。それで勘弁してくれと、聞き耳を立ててる傍にいる二人と、もう一人には納得してもらうしかない』

「ははは、相変わらず耳が良い」

『四つ、ついているからね。そんな僕に気付かれず近づいた教え子は、君たち二人だけだよ。教え子以外なら、そこそこいたけれどね。質問は受け付けるよ、時間がある限りはね。どうせスピーカーにしているんだろう? メイはそういうところが気に食わない。先を見通し過ぎるというか、僕を上手く乗せてくれる』

「光栄だな。――で、どうだ。こんな機会、次はないぞ」

「では失礼して一つ。初めまして、ラルといいます」

『ラル、――ラル? フルネームは?』

「パストラル・イノセンス」

『大輪系の、切り花を主流とした白色のカトレヤの品種名だね。一時期は流通に乗って生産者も多く持っていたけれど、バイラスの影響で所持数はやや減ったんだったかな。となると君はハンターか。どうぞ質問を』

「今までの話を聞いていて、あなたは実に芽衣を評価している。私から見たあなたは、教育者として三本に入るのですが、教育者の観点から芽衣の本質的な部分がなにか、できればその見解をお聞かせ下さい」

『よい質問だ。僕の評価はともかくも、なるほど、時間を有限だと捉え、返答があったのならば実に有意義な問いなんだろう。ただそれだけで、君がいかによく考えてその質問を出したのか、推察できるというものだ。うん、いいね。けれどそれを答える前に、ハンターである君から見た、芽衣の本質的な部分を聞かせて欲しい』

「得体の知れない部分が多い上、付き合いが短いので断定は避けますが、私から見た彼女の本質は、過程がどうであれ結果を出す――ということです」

『それは君が、あるいは誰かが望んだ結果を?』

「そうとは限りません。むしろ望みに対しては、やや曲解した結果を出す場合が見受けられます。ただし、その結果として、解決はしている」

『なるほど、その性質は僕もよく見かけたよ。誤魔化しを入れる、雑音を混ぜる、言い方はそれぞれだけどね。何故?』

「少なくとも芽衣が要求そのものを理解した上で、踏まえているのかと」

『そう、高い理解力があってこその行動だ。そして無駄とも思えるような誘導を細かく入れる――僕はね、本質がどうかと問われても未だ答えが出せていないけれど、少なくともメイはずっと、そうやって試しているのだと捉えた』

「相手を、いや、己を?」

『そして結果を、だ。なにをどうすれば、どのような結果になるのか。なにごとも経験の積み重ね――おっと、時間のようだ』

「ありがとうございます」

「ふむ、他人が行う私の分析というのも面白いのだがな。それが教授殿ともなればなおさらだ」

『ボイコットすると言ったのに、六名の教え子がストライキを起こし始めた。あとが面倒だから顔くらいは出さないとね。資料はいつ?』

「早ければ明日には届くだろう」

『期待しているよ。ではね、憎らしい教え子、口の悪い五月。これが最後でないことを神に祈っておくよ』

「ああ、私の育て子にもよろしく」

『元気がありすぎて困っているけれどね』

 通話が終わり、私はミルクティを飲み干した。手元に寄せた携帯端末は胸のポケットへ入れておく。

「どうだ花刀」

「え、あー、うん、そうね、はいはい。本当でした。疑ってごめんなさいでしたー」

「なんだそのやる気のない返答は……きちんと証明しただろうに。あとでエッダシッド教授殿のことは調べておけよ。さてラル、私の部屋に行こう」

「はあ……嫌だって突っぱねたいんだけどね、私は」

 うむ、そういう嫌そうな顔をするのが私にとっては好物なのだが、まあ教えないでおこう。いや教えてもいいか。どうしようもないだろうし。

 部屋に戻った私は手荷物を放り投げる。それからデスクにあるノート型端末に電源を入れてから、上着を脱いでネクタイを外し、胸元を軽く緩めた。

「――で?」

「せっかちだな。そうだ、田宮のことだが」

「ん……そうか、同じ学校か。なに、私としてはなにも関係ないわよ」

「関係はあるだろう、随分と狩人になりたいと頭を下げられているらしいじゃないか」

「随分とって言うほどじゃないけれどね……ごまかしで軍部の演習に放り込んでやったりはしているけれど。それがなによ」

 私はベッドへ腰かけ、ラルは警戒してか壁に背中を預けるだけだ。

「私が預かる」

「――なに? どういう風の吹き回しよ」

「望んだものを拒絶するだけが対応ではあるまい。拒絶するなら相応の理由を提示しろ。それがないから繰り返す。いやなに、少し考えがあってな……少なくとも望むのなら、戦場で生き残れるくらいにはしてやれる」

「……」

「そう睨むな、裏などない。あるとすれば今回の仕事に関しての報酬だ。先ほど、エッダシッド教授と話をさせたのも一つだがな。さすがに、鷺城だけに手配させるわけにもいかん」

「そうやって逃げ場を失くすからあんたは性格が悪いのよ……!」

「知っている。それに、下手に裏の闇へと足を踏み入れるよりは、よっぽど良いだろう。その兆候もあると鷺城は言っていたしな。どうなんだ?」

「……わかった、わかったわよ。田宮の小僧は任せた」

「よろしい。では今回の仕事だ、この資料をデジタイズしてくれ。私は三時間の最低睡眠時間を取得したい。そのつもりでな」

「なに、え、なに、ランクCの狩人を掴まえて、その上、逃げ場を封じて、報酬を支払って、――雑用をやれっての!?」

「そうだが」

「信じられない! あーもうなにこいつ! 本当に信じられない! なにを要求されるのかを探りながら戦戦恐恐としてた私が馬鹿みたいじゃない! 信じられない!」

「馬鹿みたい、じゃなくそれは馬鹿そのものだ。頭を使うことができてよかったな。ほら、立ち上がっているそこのノート型端末を使え。癖を覚えるのには五分もあれば充分だろう。これが資料だ、まずはテンプレートを作れ」

「ほんっとに信じられない! もう嫌だこいつなんでここにいるわけ!? あークソッタレ、サックジャップ! 死ねばいいのに、あーもう! あーもう! 誰か助けて!」

 ちょっと言い過ぎだろうと思うほど、ぶつくさ言いながら、ノート型端末が壊れるんじゃないかと思うほど勢いよくキーを叩き始めた。

「ちょっと! スクリプトベースがないんだけど!」

「お前のサーバから引き抜いてこい。……なんだその目は。わかった、今から言うアドレスにアタックを仕掛けて――」

「うるさい! ハッキングの手際なんか見せるかばーか!」

 ……おい、言い過ぎだろう。口が悪いというか、罵詈雑言になってるぞ。

 資料の後半を引き抜いて、私はメモを付箋で張りながら、報告書の内容をべつの紙に書き始める。あとでデジタイズは必要だろうが、それもラルに任せればいい。授業内容の把握、個人のプライバシー情報の取得、それどころか鷺城の感想に私の報告書ともなれば、レアリティ満載だ。これだけで、かなり良い報酬なのに、どうしてこんなに文句を言っているのだろうか、この馬鹿は。

「一枚目が問題用紙だ、次からはそれぞれの回答になる。ナンバリングはしなくてもいい」

「はいはい。表面と裏面は?」

「そのまま一枚表示で構わん。上下分割で充分だろう。ただし、回答者が違うことだけは明確にしておきたい。インデックスをつけるのを忘れるな。データベースとして検索をかけられるよう、細かい部分も頼むぞ」

「そのくらいはデジタイズの常識でしょうに。このついてるメモは?」

「それはいらん――が、目は通しておけ。鷺城のメモだ」

「へえ……話半分だったけど、結構まともな授業したのね」

「準備時間もなく、急な話だったからこの程度のものしか思いつかなかった。お前たち狩人のように基礎があれば、どうとでもない授業で、すぐに本質を理解して、身にすることもできるが、一般生徒にとっては疲れた、楽しかった、などと、その程度のものでしかあるまい」

「朝霧に授業させようって思った人にリスペクトよね」

「それについては同感だが、同じ教育者ならば当然の反応だろう。同業者の手の内、とまでは言わんが、やり方や程度を知りたいと思うのは自然だからな。私は授業に出ればそれでわかるが、教員ともなると、そうはいかん」

「……一応聞いておくけど」

「なんだ? スリーサイズなら分析結果を先に寄越せ。そうしたらお前のを当ててやる」

「違う。あのさあ、報酬が多いのって、これからのこと、手伝えって意味?」

「さすがだな、捜査専門狩人。現場百回の古臭いやつだと思っていたら、きちんと状況を分析できている」

「やっぱり!」

「ははは、――だが、答えは否だ。暇なら付き合えとは言うが、強制はしない。隠す必要のない今の私ならば、一人で片付けられる」

「ん、ああ、そう……雰囲気が違うとは思ってたけど、やっぱり隠してたのか」

「そうとも。鷺城と殺し合いをしていた私が、どうして狙撃メインで仕事などせねばならん。あんなものは遊びだ」

「――ちょっと、今、不穏な単語が聞こえたんだけど」

「あえて隠してはいないが、調査は難しいだろうな。鷺城の痕跡は途中で消えている。消したのではない辺りが難問だ、口外はするな。これも報酬の一つだと思っておけ」

「冗談だっていうのを期待したんだけどね。いつ?」

「九歳頃の話だ、お互いにな。あれのお蔭で八割方完成したと言っても過言にはならん」

「……あ、そ」

「なんだその反応は。信じていないのか?」

「逆。いちいち驚くのが面倒になっただけ。んー……日本語よね」

「もちろんだとも」

「私が使ってるデフォルトのままにするから、携帯端末でのアクセスはそっちでチェックしてよ。アップロード先はどこ?」

「担任殿がサーバを一つ所持している。区画をわけてこっそりアップしておけば問題ないだろう、事後承諾しておく。前例として生徒にアクセス許可も一部出しているようだからな」

「――そっちの面倒は朝霧が処理して」

「もうやった、そっちにアドレスを送付するから、そこへアップしておいてくれ」

 手にしていたプライベイト用の携帯端末はタッチパネル形式だ。ラルが作業に入った時点で、その辺りの作業は進めていた。あとは、担任への確認か。操作しつつ、小型のインカムを引き抜いて耳につける。

『は、はいぃ、酒井ですー』

「なんだ情事の真っ最中ならば電話に出なくてもいいだろうに……む、それともあれか、他人に聞かれて興奮する性質か?」

『開口一番に酷い言われようですよ!? だいたい先生、そんな相手がいるならもっとハッピーだと思うんですよね!』

「うむ、的確な自己分析で何よりだ。担任殿、どうせ自宅にいるんだろう。こちらは今、例の資料に関してのデジタイズを行っていてな」

『そうでしたかー。手早いですね』

「そうとも、こういったものは早く終らせるに限る――まあ、私が直接作業をしているわけではなく、実に友好的な協力者がいるのだが」

 その協力者が殺意に似た何かの気配をまとっている感じもするが、気のせいだろう。

「担任殿が個人所有するサーバを間借りして作業しているから、その報告にな」

『はい?』

「なんだ、一度では伝わらんか? だから担任殿のサーバにアップロードしつつも作業中だと言っているんだが」

『ええと……先生、許可してないですよ?』

「だから今、許可しろと言っている」

『……あれ? 今やってるんですよね?』

「そうとも」

『――犯罪! それ犯罪行為ですから!』

「なにを言う、ばれなければ犯罪ではない。それに、ここで朗報がある。担任殿が今許可を出せば、なんと犯罪ではなくなるのだ」

『そういう問題じゃないですよぅ! え、でもサーバのセキュリティにも穴はないようですし』

「なんだ、会話で時間稼ぎ中にオールチェックを入れたか。残念だが、きちんと区画を切って空間を確保している。それにテキストデータならば容量は小さいし、探さなくとも明日にはきちんと教えるとも。安心しろ、明日になったら妙に使いやすくなっていることにもならない。間借りしているだけだからな」

『よくわかんないんですけど……』

「わからないなら、許可を出せ」

『はあい』

「用件はそれだけだ。すまんな、試験準備中に」

『……あのう』

「なんだ、サーバにバックアップしてあるだろう試験内容には目を通していないし、する必要もない。それとも、目を通して意見を言えというなら、先にやっておくが?」

『いえいえ! 結構です!』

「うむ、それでいい。――ではな」

 はあい、と軽い声が聞こえたので通話を切る。妙に間延びした言葉も、あれを狙ってやっているのならばたいしたものだと思うのだが、いかんせん地でやっているのだとわかると、こう、残念な気持ちになる。ロリコンホイホイと今度呼んでやろう。

「暇潰しに読もうと思ってたのに」

「私がいる前ではやるな、そういう約束だ」

「あんたを話題に飲めそうな相手ね」

「褒めるなら私がいる時にやれ」

「ばーか。愚痴に決まってんでしょうが。それより、これからのことだけど」

「どこまでだ? 私が今、不自由な状況にあることなら、文句はないが――承知はしているとも。そういう流れだ」

「流れ、ねえ。あんたの来訪で野雨が揺れてるってのは気付いてる?」

「そうなのか? 悪いが、ざわついているのは肌で感じるが、以前からそうだと言われても納得してしまうのが私だが」

「ああ、そういえばこっちにきたのは初めてだっけ。その割に馴染んでるというか――まあ、揺れてるのも結局、手を出せないって方だろうし」

 ふむ。なんだか危険人物を相手にしているような反応だな。

「私には、場を荒らすつもりはないんだがな……」

 やや静かになったキーを叩く音と、私のメモを書く音が響く。その中で交わされる言葉は、世間話程度だ。あるいは暇潰しである。

「暗号解読班が欲しいんだけど?」

「誰かに読まれることを前提としていないのが、アマチュアの所以だな。それに比べて私のは読みやすいだろう」

「それこそ意外だったけれどね」

「報告書は手書きの場合が多い。海兵隊には文字もろくに書けないクソッタレも多いが、やり直しの時間が無駄だ。もちろん私に上がってきた報告書で読みにくいものは、問答無用で再提出させたが」

「私には、一人で動いてる朝霧しか知らないから」

「ちなみに花刀とは、闇ノ宮やみのみやの繋がりか? あれの件は鷹丘が片付けただろう」

「そういう情報は持ってるところが気に食わない。でもまあ当たり、残党処理みたいな形だったけどね」

「気に食わないと言われてもな……このくらいの調査はする。――入れ!」

「あんたは士官室の大尉か――ああ、そういえば、そうだったわね、クソッタレ」

 ノックがあったのでいつものように言葉を投げたのだが、なるほど、ここは士官室ではないか。しかし、インターホンもないのだから、この対応で間違っていないはずだ。

「俺だ朝霧」

「見て困るようなものはない、入れ」

「おう――サンドイッチと紅茶だ。こっちの飯は終わったんでね。だからって俺に頼むことじゃねえと、六六さんには言ったんだけどな。女性水着売り場に単身で乗り込む野郎の気持ちを味わったような気分だ」

「その皮肉めいた一言、変わってないのね」

「ラルさんか……花刀さんから聞いちゃいたが、そっちは今も現役か。邪魔するぞ朝霧、居座ってもいいか?」

「隣に座りたいと酒場で言う野郎は蹴り飛ばすのが私の流儀だが、それが見知った相手なら譲る度量は持っているとも」

「そりゃ涙が出るほどありがたいね、まったく。おい、置き場がねえよ」

「ふむ。ボーイよろしく立っているか?」

「冗談だろ」

 中に入って扉を閉めた転寝は、床にサンドイッチと紅茶を置いてから吐息。座る場所もないと腕を組み、入り口に背中を預けた。退路を自分から閉じるとは、なんて思ったが、最低限は確保しておくつもりらしい。

「俺のことも調査済みか朝霧。ここにいる連中にゃ、探る手立てもなけりゃ、たどり着くなんて思っちゃいねえが」

「なんだ、そういう話をしにきたのか」

「都合がいいだろ? 俺だって禁煙してる時に喫煙ルームに近寄るなんてことはしねえよ」

「なあに、そう難しいことではない。順序は逆だ――転寝がESPを自己封印していることに気付いて調査したわけではなく、いや気付いたからこそ一線を退いて隠居じみたことをしているのだとは思ったが、それ以前に縁が合ってな」

「――おい、ラルさん。実際にどうなんだ?」

「私は経緯を知ってるだけで、使ってないことは知ってても自己封印まではわからない。こうして対峙してもね。私は魔術師であって、エスパーじゃない」

「なにを言う。私だとて魔術師だとも」

「海賊が陸に上がったら教会の神父をしてるって笑い話に似てるけどな。事前情報じゃねえのか」

「理屈を教えるわけにはいかんが、まあ、たとえば田宮がESPを使えることくらいわかる。どういう理屈だと、ライザーには詰め寄られたがな……ふむ、では少し情報を開示してやろう」

「隠し事じゃねえのか」

「私の経歴はどこかの誰かと違って消えていることはないし、そう隠してもいない。きちんと相手を選んで言うしな。まあ聞け――私の師は、転寝熟と遊んだことがある。しかも長期間な」

「おい――そりゃあれか、俺の心当たりが確かなら、ランクSS狩人の、ジニーのことじゃねえか?」

「その通りだとも。ただ熟殿に逢ったことはまだない。加えて、ライザー……名前は忘れたが、あの眠り姫。鷺城はスイとか呼んでいたが、あれもお前の血筋だろう?」

「…………知り合いか」

「溜めが長いな」

「運び屋の転寝午睡うたたねまどろみよ」

「――ははっ、なんだあの女、ライザーではなくシェスタの方か! それならそうと訂正の一つも寄越せというものだ」

「俺の姉貴だな……年齢はそれなりに離れてる。遅くに生まれたのが俺だ」

「つまりは、めぐり巡って、そういう縁でお前と逢ったわけだ。エスパーは稀少だが、出逢ったことがあれば雰囲気でわかる。お前たちにとって、雰囲気そのものが能力だからな。おいラル、半分くらいは終わったか?」

「テンプレを終えて、まだ四分の一」

「ふむ、こっちはそろそろメモが終わるんだがな……まあいい、終ったのを寄越せ。こっちのペースを落とせばいい」

「うっさいなあ、頼んだのはあんたなんだから、邪魔すんじゃないっての」

「私にも私の都合がある」

「それに振り回される私の心労も鑑みろって言ってんだけど?」

「転寝、我儘な女がこんな要求をしているが、どうだ」

「同情を禁じ得ないが、そこまでだ。手を取り合って踊るならダンスホールじゃなく社交界に連れて行けと俺は言うね。ついでに言えば俺の専攻は機械工学だ、そっちの勝手は知らん」

「ふむ。調べはしないのか、私のことを」

「聞こえなかったなら、もう一度言ってやる、俺は前線を退いてのんびり隠居生活を楽しんでる最中だ。そのことに、とやかく周りから言われるのは御免だし、自分から首を突っ込むだなんてもってのほかだ。俺のことを知っているのなら、理由が知りたいと思うのは、日常的に便所へ行くのとなんら変わりねえよ」

「興味でも、好奇心でもなく、ただ必要だったと?」

「調子が悪くて大きい方が出なくたって、今すぐ出さなきゃと焦るほどじゃねえって言ってんだよ。だから俺を巻き込むな朝霧、俺が伝えたかったのは結局のところ、そこだ」

「ははは、トラブル吸引器とは呼ばれていたが、意図して巻き込むことなどしないとも」

「ん」

 顎で示された方向にいたラルが、非常に嫌悪たっぷりのブス顔で私を見ている。

「……? フレーメン現象か? 口の中で匂いを検分するとは、これも進化なのだろうか」

「私を意図して巻き込んだのはあんただって言ってんだけどね!」

「この程度の雑事でなにを言っているんだか……」

 手元の携帯端末に送られたメールに、気付かれないよう小さく笑う。まったく、面倒はとっとと終わらせるに限るのだが、それは準備がきちんとできていることが前提である。

 いざことが起きた時、準備を知らない人間はただ除外されるのだということを、私はよーく知っているのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る