06/28/02:00――朝霧芽衣・己の中の残滓

 平均睡眠時間はどれくらいだ、と問われるのが一番困る。面倒なのでそういった場合は九十分が一単位だ、と答えておくのだが、実際にはその限りではない。時と場合によって使い分けると言えれば格好も良いのだろうけれど、私は基本的に睡眠が浅く、またうなされて起きるのが、ほとんどだ。

 もちろんこれは一人で寝る場合であって、他人がいると、そもそも私は意識が落ちない。瞳を瞑り、定期的な呼吸を作って躰と脳を休めながらも、常に誰かの気配を感じている私は、眠りに落ちることがないのである。もう慣れてしまった、いわば体質のようなものだが、どうしてと問われると、私は苦笑を滲ませることだろう。

 そもそも、睡眠時の危険性をここで謳う必要はないはずだ。こと戦場における睡眠は必須とされる休憩だが、交代で見張りを立てようとも、緊急時には飛び起きて応戦しなくてはならない。それが一人であるのならば、そもそも休むことすら困難になる。そのため、私のような人種は――兎仔や、あるいは茅や、鷺城もそうだろうけれど――休むことを念頭に置き、寝ることを前提としない。

 また逆に、一定のラインを越えると、そもそも睡眠時に手を出そうとは思わなくなる。危険を承知で眠っているのなら、対策を充分にしている前提がそこに見えるため、わざわざ虎の穴に興味本位で踏み込もうと考えないのと同じで、危険がわかっているのならば、いくら無防備に見えようとも、手出しをしない。いや、そもそも、無防備に見えた時点で観察力が足りないというか、自分の実力不足を痛感することになる。

 私もその辺りをまだ明確に区分することができていない、幼少期があった。休むことと眠ることの区別をせず、万全の対策なんてものを過信して――まあ、正直な話、私が休もうとするたびに襲撃をかけてきた鷺城が原因なのだが。

 あれはどうかしている。どうにか休もうと対策を練って場を整えようとも、簡単にそれを突破して襲撃された。疲労困憊で頭もろくに回らなくなって、躰が重くて倒れそうになったのも懐かしい想い出だ。理不尽に対する怒りだけで躰を持ち直し、鬱憤を晴らすかのように攻撃へ転じたものである。

 かつてと今の私は違う。単独でゲリラの多い密林に放り投げられても、充分に休んで、あるいは眠ることができるくらいの対策をすることが可能であるし、全てを術式に頼っているわけでもなく、これは経験として私は修得していた――が、どうしても鷺城には突破されるイメージが強い。

 情けない話だが、イメージというか、現実にそれが起こりそうで、そこはかとなく腹が立つのだけれど、ともかくいつだって、うなされて起きる時は汗まみれで不快感が強く、その直前の思考は鷺城に襲撃されるイメージが脳裏に焼き付いている。これはもうトラウマレベルなんじゃないかと疑うほどで、私はどれだけ鷺城が好きなんだと舌打ちをするくらいである。

 とはいえ、毎日ではない。毎日だったらノイローゼだ。

 ごくごく浅い睡眠を九十分――それでも、九十分が限界だ。限界というか、自然に覚醒してしまう。定期的に起きるのも襲撃対策としては一つの手だし、そうやって自己の安全を含んだ周辺状況を確認しないと、落ち着かない。どれほど疲労していても、その癖だけは抜けないでいる。

 そして、たまに深い睡眠に落ちそうになると、夢を見て跳ね起きるのだ。クソッタレと毒づきながらも、あの経験があるからこそ、私は群れず一人でも生きていけるんだろうなと納得できる部分もあった。

 ――それは、一年に一度あるかないか。

 どういう気まぐれか、私がおそらく熟睡を経験している最中に、訪れる。

 彼女と。

 アイギス・リュイシカと呼ばれていた残滓と、触れ合うことができる。

 肩ほどのプラチナブロンド、やや鼻は高いが整った顔に色白の肌。日焼けとは縁遠いとも思える彼女と逢うのは、いつだって師匠と過ごしていたあの場所、私が引き取られてすぐに作らされた、木を繋ぎ合わせた不格好な私の小屋の中だ。

「さあて」

 元傭兵であり、軍人として生きてきて、おそらく私に殺されたであろう彼女は、いつも最初にその言葉を放つ。

「なにか面白いことはあったか? 劇的な人生を期待しちゃいないけど、退屈を紛らわせるなにかは、あったのか?」

「お前を喜ばす趣味はまったくないが」

 私もまた、同じ言葉を返し、地面から少し浮いている、というだけの床に腰を下ろした。

「何年ぶりになる」

「さあね。あたしよりも、あんたの方が時間には聡い」

「ふむ。私はかつて、これを都合の良い夢だと断じたわけだが、実際にはそうでもなさそうだと発覚したのだから、おおよそ二年、といったところだろう。鷺城と殺し合いをしていた頃には、どうやら接触していたらしい、といった程度の記憶しかないしな」

「へえ? じゃあ、まともに会話するのは今回が初めてになるかもしれないってか。夢の形態をとっているとは言ったけれど、あたしがあたしであることを否定したつもりはないんだけどねえ」

「かつての私を浅慮だと笑う権利をやろう。喜べ」

「いらねえよ。だいたい夢だってんなら、ここでの会話を現実で回想することも難しいだろ」

「そういう夢もあると思っていたのだから、あまり突っ込むな。まず前提条件を起こそう、アイギス・リュイシカ。お前の出現は、どうであれ、私がこの状況にならなくては発生しない」

「そうだ。間借りしてるわけでもなく、あたしはアイギスって残滓だが、躰を奪っているわけでもなく、ただそういう仕組みになっちまってる。詳しい説明は省くけどな、特定状況下であたしって存在が浮いて出てくるだけだ。お前がこうしてあたしと話している時にだけ存在して、それ以外はいない」

「それでも今のお前は、残滓ではあるがアイギスである」

「そういうこった。過去の記憶は持ってるし、これからの記憶もどの程度かは知らないが蓄積はされるみてえだな。なにしろ、その二年くらい前か? その時の会話を今のあたしは覚えてるんだからな」

「鷺城のことは知っているのか?」

「名前くれえは。覚えてねえと言ってたが、あの時は、随分と前だろうけど、お前がどうすれば組み立ての術式を上手く使えるかってことで、らしくもねえ講義をしてやったんだぜ」

「そうか。ふむ……つまりお前は、私の術式によって〝組み立て〟られていると?」

「本来なら、あたしの魔力残滓そのもので、組み立てを上手い具合に使った一度きりのツラ合わせって具合なんだけどな。今じゃお前に使われてるんだろ」

「では問おうアイギス。お前は、私に喰われたのか? それとも――」

「三番目に喰われたってのが、あたしの見解だ。当時のことはよく覚えてねえ――っていうよりもむしろ、わからねえんだよ。ただ性質上、三番目のナイフは魔力を喰う。術式を喰う。となりゃ、あたしを組み立ての術式ごと喰うことだってあるんじゃねえのか。相性も良いしな」

「そうだな……鷺城の見解も含め、おそらく私が三番目を所持していたことはほぼ、明確になっている」

「となりゃ、最初に喰われたのはお前ってことだ」

 所持者になるには、組み立ての特性を持っていなくてはならない。それは逆に、所持者が組み立ての特性になるとも捉えられる。

「何がどうは覚えてねえよ。ただ、危機的な状況下で自動発動する術式はいくつかあって、その一つがこれだ。悪あがきというか、あたしとしちゃ形見分けのつもりだったんだけどな。それがどういうわけか、上手く合致しちまった。屈辱だぜ」

「しかし、その理屈だと、私はこういった形ではなく、お前の存在そのものを〝組み立て〟られる可能性もある、ということになるが?」

「そりゃねえだろ。確かにお前の術式で今、あたしは組み立てられてるわけだが、外側に組み立てるんなら、あたしを分解しなくちゃならねえ。けど喰われた感覚はあるんだよ。もしもあたしが、お前の言う二年前から暇を持て余し続けて今に至るんなら、可能性は高いけどな」

「そうか、記憶が飛んでいるのか」

「飛ぶっつーか、繋がってるのが近い。お前が勝手に成長してるのは見てわかるけどな」

 そういうもんだとわかってりゃ、驚きもしねえと言いながら煙草を吸う。その自由さは彼女の術式のように思えるのだが、さて、どのような仕組みになっているのやら。

「外側に興味はないのか?」

「ねえよ。あのな、どうであれあたしは死んでるんだ。今こうしてるのだって、生きているわけじゃねえ。それでもと言うなら、あたしの興味はあんたにある」

「ふむ。同じ魔術特性だからか?」

「そんなもんだ」

 そうかと、私はいくつかの術式を組み立ててやる。それは単なる映像だ。映像というよりも、私の記憶そのものになる。映し出すのは、今回鷺城と行った訓練だ。

「これにも気付かなかったんだな?」

「もちろんだ。まあ、あたしの見解だと、躰の操作をあたしに任せることくらいまでがせいぜいだろ。やり方を教えるつもりもねえけどな」

「ふむ。私に興味があるというのならば、戦い方の一つもご教授願いたいものだ」

「あたしは誰かを育てることに向いちゃいねえよ。しっかし、相手も相手だが、お前こりゃ使い方下手だなあ。軍属だった頃の、あたしの同僚が見たら笑いもんだぜ、こりゃ」

「ボロクソだな」

「いや悪くはねえよ? ねえけど……あー、基本は覚えてるか?」

「組み立てと解体が同一である」

「そこは問題ねえよ。けど、分析と解析速度が追いついてねえ。手数が少なすぎる上に、対応が単調だ。相手は確かにとんでもねえが、実戦経験が不足してる――いや、不足させてんのか。それを余りある研究に基づいた実力はあるな」

「今、私は本格的に、お前に戦闘をさせてみたくなった」

「あー、お前今、どこにいるんだ?」

「日本だが」

「見たことある風景に似てるから、そうじゃねえかとは思ったが、そんならセツを頼れよ。頼れっつーか、コンタクト取れ」

「刹那小夜か」

「おー、そのセツだ。あたしのことは伏せとけよ、馬鹿にされるのは目に見えてる。あいつなら、あたしのこともわかるだろうぜ。……いや、それにしたって雑だな、おい」

 じろりと睨まれるが、私は思わず小さく笑った。

「ンだよ」

「いやなに、昔、こういう光景があったなと、思い出しただけだ。なるほど、確かにお前と私はこうして一緒だったらしい」

「今さらかよ。――あのな、組み立ての強みはなんだ?」

「それも昔に聞いたような気がするな。以前は、言葉通り組み立てることだと答えた。そこで一対となる解体そのものを学んだ」

「そこまではいいんだが、解体できるなら組み立てもできるだろう」

「うむ。……ん?」

「だから、どうして逆に利用してやらねえんだ? 〝組み立て〟の術式戦闘において、相手の術式の再利用なんて初歩だろ」

「それで分析が足りない、か」

「いやあのな……物理的な組み立てができるんなら、相手の肉体情報を組み立てることくらいわけねえだろ。防御術式そのものも領域内に持ち込みながら、身体情報を掴めたら勝ちだ。対策そのものが無意味だからこその、組み立てだろ」

「ここで魔術研究ができそうだな」

「やれよ。まだ甘いって言ってんだよクソガキ」

「はは、私を子ども扱いか。なかなか新鮮で味がある。ちなみに聞いておくが、アサギリファイルに関してはどこまで知っている?」

「――そっちが本題か。そりゃ魔術研究よりゃ先だな。朝霧ンところの話は聞いてるよ、一通りな。唯一、お前のところへ行った中で、あたしだけが詳細を掴んでた。ただし内容についてはまったくなしだ。危険度A」

「感想は?」

「感想っつーより、疑問だ。何故ってな」

「ふむ」

「実際に必要あるか? 芹沢と嵯峨は、そもそも切っても切れない。潰すなら同時にやりゃいい。そこから残党を洗うくらいは誰だってできる。そこで気付いた。だからこそ、アサギリファイルの危険度は上がったってな。何しろ、そうじゃない方法を見つけたってことだ。できるかどうかは問題じゃねえ」

「つまり、軍部……当時はインクルード9か」

「当時っつーか……今、変わってんのか?」

「一度解体して、似たような組織になっていたな。そこに私も所属していたが、ちょうど今日に解体だ。先ほど、という表現が通じるかどうかは知らんが、米軍側についた連中を三十人ほど殺してきたところだ。見せしめだな」

「なら、お前は晴れて無職か」

「そういうことになる。なあに、まだぎりぎり高校生だ、しばらくは楽しくやるとも。アサギリファイルの本質調査と、ついでにアイギスのことも調べてやろうと思ってな」

「やめろと言っても強制力がねえあたり、死人だよな。ともかくだ、軍部の方も、実態まで捉えちゃいねえよ。それを確かめるためって理由もあったはずだぜ。お前が持ってんのか?」

「そういうことになっている、と答えておこう。ちなみに私からの要求は、教えて欲しいのならば嵯峨を壊滅させた結果を持ってこい、だ」

「はは、なるほどね。そりゃ上手いこと言うもんだ。しかし、軍人になったのは二年前に気付いてたが、なるほどねえ。おう、だったらあれだ、お前ジークスを知ってるか?」

「JAKSのことなら、聞いた程度には知っている。今だとガーヴだな。決まって野営をする時には、見張りのスケジュールを決め終えてから、半分は冗談交じりに脅すものだ」

「変わってねえな。ガーヴってのはなんだ」

「ゴーストバレット、つまりG・Bだ。どっかの末端組織が買い取った子供兵器が、思いのほか殺人装置としては優秀でな。一度きりの使い捨てが長生きをしてしまった。軍部の被害だけでも重要人物が二桁以上となれば、実態を掴めなくても恐れられるには充分だ」

 実際にはそれが兎仔のことで、八年くらい前のことになるのだが、きっと今でも軍部では使っているのだろう。何しろ、ガーヴの名を語る馬鹿が出ているくらいだから。

「ちなみに、あたしの時は〝狂狼〟に気をつけろ、だぜ。時代だよなあ……」

「で、そのジークスがどうした」

「ジークスは四人組だ。在り方は狂狼やそのガーヴとはちょいと違う。暇があるなら調べてみな。――あたしも、その内の一人だ」

「ほう……それは遠回しな、お前のことを調べる許可だと受け取っておこう」

「うるせえ」

「それと言っておくが、おそらくお前が私の中にいるだろうことは気付かれている。なにしろ私の狩人名が〈天の守りアイギス〉だからな」

「てめえ!」

「ははは」

 さあ、言及も面倒だし、そろそろ目を覚まそう。そこから始まる一日は、元軍人としての朝霧芽衣だ。足元から築いて準備をして、これからに備えるとしよう。

 なにが起きても、準備不足だと嘆くのはアマチュアのすることだ。なにかが起きた時、どうとでも対応できるのはプロだろうし、私はそうありたいと思う。

 ここからだ。

 ようやく、日本で生活する実感を得られそうだ。私が以前より望んでいた、一人で生きるために挑む、そんな日常が始まる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る