05/26/00:00――祠堂みこ・視線の先
一連の事件を、その全貌を、第三者的な視点から説明されてようやく理解に至った
果たして、始まりはいつだったのだろうか――と。
いつも男装に身を包んでいた祠堂の幼馴染である
何をしても、無手勝手をしても、必ず祠堂が止めてくれる。今まではそうだった、ずっとそうしてきた。似合わない男装が似合うようになってからは、余計にそれが顕著で、どこか保護者のような立ち位置で、幼馴染とは歩いていたように思う。そんな甘やかしが、今回の件を引き起こしてしまったのだろうか。
時系列順に、言葉にすれば、非常に簡単な出来事でしかない。
祠堂みこは紅月に当てられて魔術師になってしまった。
ほぼ同時期、絆弧湖は魔導書を手にしてしまった。
二人の距離が、それだけのことでズレた。空白を生んだ。止めていたはずの保護者が、自分のことを見るために、視線を切った。切られた視線に気づかずに、幼馴染は本に意識を向けてしまった。
そうして、絆弧湖は魔導書に飲まれた。
祠堂みこは、術式に飲まれた。
何もかもが曖昧なまま――ただ、その結果として、弧湖は狩られた。いや、救われたというべきか。
記憶という代償を差し出して、躰だけは助かった。
現実としては、ただそれだけのこと。当然の帰結。やったのが保護者である祠堂ではなかった――ほかに道があったかもしれないが、結果が出た以上は、ほかの道など閉ざされた。
それだけの、こと。
「言葉にすれば、それくらいなものですよ――」
説明をしてくれた相手は、人よりもやや大きいカエルの形をしており、器用に、その手でチェスの駒を動かす。
ここには上下の観念がほとんどない。
先住民はただ一人、術式に食われて現実世界の肉体を喪失した
――と、そんなふうに、教わった。
「不運だったのは、あるいは元凶と呼ばれるものがあったとするのなら、彼女が手にした本が、魔導書だったことでしょう」
「飲まれた、と言ったが、やはり危険なものなのか?」
祠堂は質問と理解を繰り返す。術式によって現実世界の肉体ごと、こちらへ繋がる道を作り、隙間を縫うようにして移動できるが、それは逆説、帰り道も作らなくてはならない。現状ではせいぜい、二時間もこちらに居れば、帰り道がわからなくなるような状況だった。
「人にとっては、危険です。魔術書と呼ばれるものは、そもそも魔術師にしか読めません。そうですね、極論を言ってしまえば、魔術書とは、ほかの魔術師が残したメモのようなものだ。となれば、適合不可能では読めないし――だから、魔術師は読めない人の元には行かない。いや、手元に届くかどうかという問題ならば、魔導書も似たようなものか」
三次元的な立体チェスをやるのは骨が折れる。レィルにとっては普遍的でも、祠堂にとっては範疇の外。それでも、なんとなくで動かし続ける。
「しかし、魔導書と呼ばれるものは、文字通り、魔に導いてしまう。ありきたり、普遍的、何の素養もない一般人が最初から標的で、彼らを読者にした時点で勝ちだ。非日常と呼ばれるものは、それだけで甘美な響きがあるからね。耐えられる人の方が少ないものですし、耐えられるならば魔導書は手元に来ない」
「つまり、弧湖にはその――適性があったと?」
「はい、そうです。そうでなくては届かない。彼女が持っていた人と人との繋がりを盗み見る適性が、余計に魔導書の本質を引き出してしまったと言っても過言にはなりません。それを良く言えば、あるいは
「繋がりを……?」
「誰が誰の知り合いなのかを見ることができて、感じることができる。ともすればESP同士のテレパスですら、傍受が可能になるような――感応力。たとえば」
彼の目が揺れ動き、下の方で揺れ動く光に向く。
「僕たちは今、この場所で人のネットワークをこうして俯瞰することができます。けれど、あの光と同じなってしまえば、わからない。ただ仕組みだけを言うのなら、彼女は光と光の間に、ぽつんと入り込むことができる人物――といったところでしょうか」
「であればこそ、か」
「そう、あるいは――必然的に」
「あの魔導書は、どのようなものだったんだ?」
「
「僕自身はそうだが……」
「重要視する人が、それを求めれば良いんですよ。わざわざ面倒を背負って探し出したところで、彼らの方がきっと早くそれを発見していて、その結果を聞くようなはめになる――と、そんな僕の感想はともかくとして」
カエルなので表情はわからないが、どこか苦笑に似た気配もあった。
「人夢いの魔導書には、著者自身の魂が書き込まれていました」
「――、魂?」
「観念的にはその表現が一番正しいんです。現に、結果として彼女は、著者そのものに成ってしまった。ほぼ無意識に、感応した結果、魔道から外道へと堕ちたことすら認めない、醜悪な魔術師そのものに成り替わる。替わった事象そのものすら、己であると認識し――彼女は、彼女でなくなり、そして彼女に成る。その情報は脳内に書き込まれ、除外が難しい、融合状態になった」
というのが、結果論でしょうかねえ、なんて言って、チェスの駒が動かされた。酒の肴に、ではないけれど、チェスをメインにした世間話のようだ。
「似た者同士、だったのかもしれません」
「――ん? 僕と、弧湖が?」
「残念ながら
「性格的な部分には寄らないのか」
「基本的には。ただ――中継点としての感覚を備える彼女と、こうして中継点を含み俯瞰できる祠堂さんは、指向性そのものは違えど、似たようなものでしょうね。ははは、失礼。指向性が違えばそれはもう別物だ」
「……、なるべくなったと、そういう結果か?」
「さて、どうでしょう。一連の流れをこうして追ってみた僕の感想だったら、運が良かったと言わざるを得ませんが」
「そうか?」
「だって、結局のところ彼女が引き起こした件に、祠堂さんは関わっていない。それは個人的な感傷で、間近にしていて干渉した結果ではないのですよ。彼女が勝手に本を手に取り、勝手に魔に導かれ、勝手に融合してしまった」
「それはそうだが……運が良いのか、それが」
「だって彼女はまだ生きているじゃないですか」
生きている。
今までの記憶を失いながらも、命を持っている。
「その結果として、たとえば縁が切れたとか、祠堂さんの偶像的な情報を持っていないだとか、そんなものは蛇足です。どうでもいいとさえ言える。安堵すべきだと思いますよ、それでもまだ彼女は生き残った。さあて、誰が最終的に結果を出したのか――つまり、彼女を壊して魔導書を手に入れたのか。その人の実力と、判断には感謝しても良いかもしれない」
「つまり」
「そう――殺されていてもおかしくはなかった。いえ、おかしくはないというよりも、それは逆で、生きている方がおかしかった。記憶を代償に? いやいや、たかが記憶だけで済んだことが疑問に思うほど、運の良いことだ。まったく呆れる手管だ、どういう思考回路をしていて、どれほど繊細な作業を行ったのかすら、僕には予想もつきません」
絶妙な均衡でしょうねと、レィルは言う。
「ほんの少し、どうでも良いと思っていたら殺して回収したでしょう。その方が楽だ。ほんの少し、実力が足らなかったら、やはり殺していたでしょう。生かしたまま回収なんて不可能だったから。ほんの少し、後ろ向きだったのならば、殺されていた。記憶を失って生きるなんてことを許容できないのなら」
「総じて運が良かった――か」
「まあ、それは祠堂さんもでしょうね」
「それは実感できている。僕がここに居られるというのは、寝狐殿のお蔭だろう」
「お蔭ってのは、どうでしょうね。でもまあ、ニャンコさんが気まぐれを起こさなかったら、そのまま戻れないどころか、ネットワークに意識ごと奪われて、祠堂さんを祠堂さんだと定義する信号すら残らなかったのかも」
「ぞっとしない話だが、それ以上に、なんだそのニャンコという呼称は。良いな、愛着が持てる。可愛らしいではないか」
「だろう? 僕もそう思っているんだけど、本人は嫌がるんだよなあ……」
「嫌がるのか。可愛らしいものが似あわないと思っているのか、それとも呼称の起源にでも原因があるのか?」
「きっと後者だろうね。何しろあの五神が最初に呼び出したものだから。断るに断れず、嫌嫌、呼ばれることを諾とはしないけれど、言わせておくしかない――おっと」
ふわりと、空間の中に人体を構築した当人が、如月寝狐が、レィルの頭を掌で叩いた。
「――余計なことは言わない」
「いたっ、痛いですって、ニャンコさん。強引に痛覚を構築してから殴らなくても……僕に対する愛情が足りないなあ」
「ないもの」
最後にもう一度叩いたかと思えば、今度は革張りのソファを作り上げ、そこにどさりと腰を下ろす。なかなか良い弾力があった。
「寝狐殿」
「なに祠堂」
「以前、全感覚投影型のネットワーク装置というものを見たことがある。ここでの〝感覚〟とは、それに近いのか?」
「ええ、そうね。少なくとも私のフィールドであるこの周辺は、そのルールを保っている。だからレィルも来る」
「いやあ……」
「褒めてない。構築されるコードは、プログラムは、現実のインターネットをベースにしつつ、術式交じりで、三次元型になるわね」
「難しそうだな」
「――あら、なあに、手伝う?」
「寝狐殿が良ければ」
「ふうん? 好奇心ですか?」
「いや」
そもそも、悩んでいたのだ――。
「あちら側にいる〝理由〟が、無くなってしまってな」
満足を得てしまった。
弧湖が自分のことを忘れた瞬間、忘れてしまった時、こう考えてしまったのだ。
ああ――忘れてくれたのか、と。
そんな残酷な己に気付き、その瞬間に祠堂は、前も後ろもなくなってしまった。
「こちら側に来る理由もないはずですが?」
「レィル殿、であればフィフティだ。僕はどちらにでも居られることになる。いや寝狐殿、拒絶しても構わない。僕はそう、こうしてレィル殿とチェスをするためだけに、仕事を眺めながら楽しむために来るのも良いと、そう思っているわけだ」
「歓迎ですよ、祠堂さん」
「あんたが言わないの。まったく……多少なら〝遊んで〟あげるわよ」
「そうか」
己は、嫌なヤツだと思う。
残酷な思想に気付きながらも、一人は嫌だと、思ってしまう。考えてしまう。
人とはそんなものだ、なんて言い訳を、口にしたくもなる。
「っと、そろそろ時間のようだ、レィル殿。話をありがとう」
「いえ、次は現実で逢いましょうか」
なんだ、肉体を持っているのかと苦笑しながら、立ち上がった祠堂はそのまま、二人に背を向ける。
拘泥を棄てた卑怯者。
何もかもを手放して、手離せない己を抱きながら、現実と形而界を行き来する半端者。
すべてが終えたというのに、次を始める気力もない、ともすれば楽隠居のような気配を持った、彼女が。
祠堂みこが、帰る場所も知らないまま、戻って行く。
何も持たないまま、何も得ないまま、――捨てるものも、もうないと。
前を向くには眩しすぎて、後ろを見る気力がなくて。
その視線はずっと、足元だけに落ちていた。
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