05/25/23:30――鷹丘少止・紅月の影響

 その日。

 紅月の出現は、ついに、二十三時を割った。

 つれづれ寮にいる都綴六六つつづりむつれから連絡があるよりも早く、そちらへ駆けつけた少止よりも、更に早く、寮の前には刹那小夜が運転席に座っている、以前に見たのと同じ車が堂堂と横づけされていた。挨拶をするよりも前に、寝苦しそうに呼吸を荒げて寝返りを打つ雨音火丁あまねあかりを回収した少止は、移送を小夜に任せ、影を縫うようにしてその後を追う。

 最中、連絡は実家と鈴ノ宮へ。どちらにも快諾を得て、到着すれば、その場に刹那小夜の姿はなく、マリーリア・凪ノ宮・キースレイが火丁を抱えて屋敷へと入っていくところだった。

 呼吸を整えるのに数秒、少止は睨むようにして、今にも地表に落ちそうな、見慣れた紅月を見上げる。こうなってしまうことは予期していたし、睨むように見えるけれど、感情的になっているわけではない。

 ただ、やはりこうなってしまったかと、思っているだけである。

 わかりきっていた結果だ。

 鈴ノ宮清音すずのみやきよね哉瀬五六かなせいずむの間に生まれた子、火丁の名を与えられた娘。

 血統だけで言えば、かなり純度が高い、魔術の家系。その遺伝を疑う余地もなく、今まで魔術回路が動いていなかったことが僥倖とすら言える。それは鷹丘家に預けた行為が、それを守らせたのだろう。

 どういう感情だったのか、どのような契約だったのか、そこまで探ろうとは思わない。ただ結果としてそうなり、少止の妹になった。その事実だけを見据えて今に至る。

 鷹丘ではなく、雨音の姓を抱いて、火丁は今にまで至った。

 かつて、鈴ノ宮が鈴ノ宮と名乗る前に持っていた雨音の姓と。

 かつて、闇ノ宮が闇ノ宮と名乗る前に持っていた鷹丘の姓。

 いみじくも――いや、誰かが手を回し、予定通りに、その姓を元に〝戻した〟のだ。その意図はどうでもいい。少止にとっては、ただの少止と火丁なのだから。

 火丁は知らないまま、今に至る。少止は知ったまま口を噤み、今に至った。

 そうして、火丁は知っていく。

 ――少止は?

 灯りの傍にいた影は?

 一緒には歩けない。表裏一体、その陰影は足元に浮かばない。どれほど陰影を重ねたところで闇にはなりえないのと同様に――その影は、同時に闇だ。同じように、影に潜み、傍にある闇として、動く。

 歩いて行く。

 そうするしか、ない。

「――、なんだ」

 雨かと、呟く唇が濡れている。ともすれば赤色の雨に見えてしまう、紅月の中の雨。土砂降りというほどではないが、振り出してからもう随分と経過するのか、服の表面を濡らす程度であっても、髪は随分と水を持っていた。

 呆れたように、面倒そうに吐息を落とした少止がゆっくりと庭の木に移動する頃、屋敷の扉が開いて、マーリィが侍女服を濡れるのを厭わず、こちらへと来る。もう来たのかと思うが、腕時計に目を走らせれば既に日付が変わる頃であった。

「や」

「どうだ?」

「今はまだ、落ち着いてる。でも隠してたんじゃないの?」

「それも、清音の判断だ。そういえば、マーリィも何度か顔を合わせていたか。侍女服は着てなかったんだろう?」

「そうだけど」

「以前に、私とはどういう知り合いだと、問い詰められたことがあった」

 煙草を取り出して火を点ければ、すぐに横から携帯用灰皿を差し出されたので、受け取った少止は、木に背中を預けて空を見上げた。

「あー、一番手っ取り早かったから、私が言ったんだっけか。どう答えたの、それ」

「〝アレが私の彼女に見えるか?〟」

「うわ、それ答えになってないじゃない」

「冷笑つきで言ったらそれ以上の追求はなかったな」

 不満そうではあったが、納得はしたと、そういうことだろう。

「いや、納得したことが私にとっては、ちょっと不満なんだけど……?」

「知るか」

「あれ? なんか――気が進まない感じ?」

「多少はな」

 火丁が何を望んでいるのかも聞かず、少止はここへ連れてきた。状況がそうさせたと、おそらく全体の流れを俯瞰したのならば次善策であったろうし、それを火丁の知り合いたちは肯定するだろう。けれど、火丁の意志がそこに介在していないのならば、これは勝手な判断であるし、次善策だろうとも、少止の自己満足に近いものでもある。

 望むならば、なんでもするだろう。けれど、この流れを作ったのは、予防線として張っていたのか、少止自身。ほかの選択肢では危ういと、勝手に決めて連れてきた。

 だから――気が進まない。

 起きて火丁が何を言うのかは知らないが、どうであれ、あまり好ましくはない状況だ。

「お前はどう見た」

「皮肉だよ。火丁の特性は〝オト〟ね」

囁きウィスプ時計チックノイズ破砕スプラッシュ落雷ロールヴォイス……サウンド

鼓動ビート

 わかりきっていて、除外していたそれを言われ、けれど表情を動かさずに紫煙を吐き出す。

 音の系列術式は清音の得意分野。鼓動は少止の狩人名。

「感想は?」

「……さあな」

「アユは身内に甘いなあ」

「魚みたいに呼ぶな。昔とは違うだろ、リィ」

「まあ……そうだね。うん、その通りだ」

 そうして、煙草を一本吸い終えた少止は、屋敷へと足を進める。マーリィも無言のままついてきた。

 二階、左舷にある一室。火丁の存在、その気配は同じ場にいる以上、少止が間違えることはない。

 三十畳はある部屋に、調度品は揃っていた。ダブルくらいのサイズのベッドに寝ていた火丁の呼吸は落ち着いていて、けれど――外からの来訪者に気付いて、起きる。

 ぼんやりとした目が、少止を捉えた。

「……にーちゃん」

 声が放たれた。至極当然のこと。

「あれ――なんか声が、二重になってる……?」

 少止もマーリィも、顔色一つ変えずに。

「ここ、どこ?」

 その衝撃を身に受けていた。

 覚醒した者は論理を構築して術式を身に付けた者とは違い、制御という点においてひどく不安定になる。一般人に、感覚器官が一つ増えたような感じがわかるかと訊いてもわからないだろうし、よしんば理解したところで把握および制御が可能だとは限らない。

 つまり――術式の無意識下における暴走である。

「声は聞こえてるか?」

「うん」

 食器棚のガラスが音を立てて破砕した。小さなシャンデリアの電球は、硬度の高いガラスケースの内部にあるため割れても破片は落ちてこない。

「いいか? 軽く目を閉じろ――」

 そっと掌を火丁の顔に当てると、自然と瞼が落ちる。

「――見えるか?」

「え……?」

「火丁、見えるか?」

「う、うん、見える……っていうか」

「いい、気にするな。状況を口に出してみろ」

「暗い中に……波紋が広がってる。あたしの声……かな? 部屋中に広がって、当たって、反射して、やがて勢いがなくなって消える……」

「いいか? 物を壊すには、強い音を当ててもできる」

「うん」

「火丁の声はどこから出ている?」

「口から」

「その前は?」

「……喉」

「〝その前〟は?」

 上手い誘導方法だと、マーリィは思う。全てを説明したところで飲み込めないのならば、断片的な情報で当人が察することを助けるしかない。

「あ――」

「蓋はしなくてもいい、それはあって当然のものだ」

 おそらくそこにあるのが、魔術回路。そして魔力は鼓動と同じ感覚と勢いで流れ込んでいる。

「何か流れてる……」

「どういう感じで流れているかわかるか?」

「うん……上から下に、水をかけた時みたいに」

「その水はどこにある?」

「えっと……溜まってはいないと思う。ただ集まってる」

 一瞥を投げれば、部屋に薄い膜のような結界をマーリィが張る。調度品をこれ以上壊さないように、だ。

 二人の衣服や肉体など、――後回しで。

「外からか?」

「ううん、たぶん、あたしの中……」

「それは血液のように」

「うん」

「だが血液じゃない」

「……うん」

「火丁、声を出せるか?」

「え……?」

「声を出してみろよ。空気を喉へ伝えて口から外へ出してみろ」

「喉を震わせて」

 口から出す――そう言った言葉には、もう衝撃はなかった。

 音の術式による攻撃の基本は、声による衝撃波を放つことにある。暴走が浅いとはこのことだ、そして火丁の理解も早くて助かる。

「あ……波が消えた?」

「流れていたものは止まったか?」

「ううん……流れてる。なんだろ、複雑な回路みたいなのに流れてる」

「回路に流れないよう、循環させられるか?」

「循環……集めないようにする?」

「そうだな」

 火丁の左手がゆっくりと上がろうとするが、それは途中で止まった。

「躰じゃない……中だ。これ、なんだろ。知ってるような……」

「どうだ?」

「うん、できた。でも水は沢山あるみたい」

 沢山ある――か。そこまで認識できたのなら、当面は暴走しないだろうと思って手をどかす。混乱はまだあるようだが、疲労はそれほど見えなかった。

「火丁、もういい。ただし水を流そうとはするな」

「ん……あ、れ? ここ、どこ? ……へ? リィちゃん?」

「……鈴ノ宮の邸宅、その客室だ」

「鈴ノ宮……ああ、そっか、かーちゃんと、とーちゃんとこか……にーちゃんが、運んだの?」

「そうだ。いつ知った?」

「喫茶店……変な、少年みたい……な……」

「眠れ火丁、今はそれでいい。私は逃げない。起きた時にまた話そう」

「ん……おやすみー、にーちゃん」

 ふと、糸が切れたように、火丁は再び夢の中へ。起きた頃にはもっと安定しているだろうと思い、顎で外に出るように示す。

 そうして、廊下に出た途端――閉じた扉に背中を預け、ずるずると、マーリィは座り込んでしまった。

 血の痕跡を、扉にこすりつけるように。

 防御系術式を使わなかった。受け流さなかった。逃げなかった。避けなかった。

 暴走の中にありながらも、それが火丁から出たものだったから、受け止めた。

「馬鹿だな、お前は」

「うっさい……」

 少止と同じように、だ。

 だが、明確な違いがそこにはある。少止にとってこんなものは〝傷〟にならないのだ。怪我ですらない。それは、現実的に言えば単なる経験と、過去に負った傷との比較なのだろうけれど、そうではなくて。

 嫌いだから二度と顔を見せるな――なんて、火丁に言われた方が〝瑕〟は大きい。

 また、やはり現実を見れば。

 受け止めてやると両腕を開いていた少止に対し、マーリィは受け止めなければと両腕を開いたのだ。その差異もまた、大きいのである。

「――ああ」

 様子見にでも行こうと思ったのか、中央の執務室の扉が開き、五六が顔を見せたので、少止は軽く手を挙げた。

「状況説明はすぐ済むから、こいつを運んでくれ」

「げっ……い、いや、立てる、立てるから」

「あら」

 それどころか、続いて顔を見せた清音が、どういうわけか嬉しそうに微笑んだ。

「五六、医療キット。それから飲み物の用意」

「はいお嬢様」

「ひいっ――」

「あらあら」

 少止の横を過ぎて、そのまま、微笑んだまま、ひょいと清音がマーリィを抱き上げた。

 鈴ノ宮の主が、一介の侍女を、運んで歩く。

「ふん……」

 嫌がっているマーリィの気持ちは知らないが、そうおかしなことではない。

 清音が鈴ノ宮ならば、鈴ノ宮に属する者は全員が〝家族〟だ。

 執務室に戻って、清音のベッドがあるスペースを区切るためのカーテンを動かしながら、ふいに、清音は。

「少止」

「なんだ」

「覗きたい?」

「火丁の時に同じ言葉を言ってくれ」

 にべもなく、断りを入れれば、カーテンが敷かれた。煙草に火を点けようと思えば、五六が二つ目の医療キットをテーブルに置く。

「……」

「どうぞ、少止。どうであれ――癒しておいて損はないでしょう」

「傷を勲章だと思うほど、ガキじゃない。ついでに言えば、親の心配を跳ね除けるほどえも、ないからな」

「――おや」

 それはまた珍しい、なんて言うのを横目に医療キットを開いた少止は、上着を脱ぐ。大小の傷も、躰を〝締めて〟いなければ、今すぐにでも出血を始めるだろう。こんなことは日常茶飯事だが――。

 火丁が、自分で傷つけたと示すようなものは、見ない内に消しておくべきだ。

 手慣れた治療に淀みなく、五六が紅茶を持ってきた時には包帯を巻き終え、服を着ていた。落ち着いて躰を弛緩させても、血が多少滲む程度である。

 煙草を一本終わらせる頃、なんだか妙にぐったりとしているマーリィも治療が終わったらしく、カーテンがまとめられた。

 ソファに腰を下ろす位置は、やや迷ったようだが、清音は苦笑しながら対面へ、五六と並んで座る。もう逃げよう、なんて決意を抱いていたマーリィはしかし、少止の隣に座らせられた。

「火丁はどう?」

「今は眠っている。起きるのは朝になってからだろう、そこは安心していい。私が起きているから、お前たちは寝ろ。明日の職務に支障をきたす」

「そこは心配しなくてもいいのよ?」

「年齢を考えろと言外に伝えたつもりだが?」

「……五六、少止が可愛くない」

「男の子は、えてしてそういうものです」

 十七になった男を前にして、可愛いも何もなかろうに。

「この状況における、特筆した点は一つだけだ。――火丁はお前たちのことを親だと知っている。それを教えたのは、躑躅紅音つつじあかねだ」

「ああ……」

「なるほど、確かに、あの方ならば面白そうに伝えるかもしれませんね。しかし、火丁はそれを胸の裡に秘めたままだった――と、そういうことになりますか」

「……だろうな。マーリィ」

「うん。火丁の術式に関しては、声を媒介にしたもので、さっき少止が安定させました。次の発動に関して、それが意図的であろうとも、暴走の危険性が皆無かと問われれば、否定はしきれませんが、過大評価ではなく、火丁ならば物にしてしまうだろうと、そう感じます」

「結構よ。しばらくはうちに住まわせるけれど、そこから先の行動に関しては、……少止に任せた方が良さそうね」

「なんだそれは。火丁はそれほど物分りが悪い方じゃない」

「しかし、それは〝特に少止の前では〟と付け加えるべきでしょう」

「そうなのよねえ……その件に関しては、よくせんりが愚痴を言ってるもの」

「それは私が甘やかすからだろう」

「違うってば。火丁にとって兄は、少止しかいないからって言ってたよ?」

「……マーリィ」

「はひっ!? な、なんでしょう、清音様」

「どうして私が今まで我慢してるのに、火丁と楽しそうに話しをしているのかしら……?」

「いや、それはそのっ、様子見というか単純に楽しいというか……」

「妬むな。機会はこれから、いくらでもある」

 そうだ、これから機会は訪れる。

 贖罪の時間も、謝罪の時間も、ある。甘やかすことも、厳しくすることも、今まではできなかったことが、できるようになるのだ。

 ただ――願う。

 ここにいる四人は、誰しもが願っている。そうであろうと、予想はつくけれど、それでも願わずにはいられない。

 否だ。

 ここにはいない、火丁の知り合いたちは、誰もがそう願う。

 たとえ魔術師になってしまったとしても――ああ、そうだ。

 変わってしまっても。

 それでも、火丁が今のままの火丁として、生きていて欲しいと、そう願わずにはいられない。

 少止も、願う。

 そして、変えようとは思わない。

 自分が火丁の兄であることを決して捨てない。だからどうか――。

 お前も。

 火丁も、自分の妹であって欲しいと、ただ願うのだ。


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