05/13/06:00――鷺城鷺花・空白のある屋敷へ

 仕事は始まりよりも終わりの方が重要だ。特に今回は痕跡を残さないようにしなくてはならないため、それなりに気を遣う。あちこちを経由しつつ、途中で術式も使いイギリスの屋敷に戻る間、ずっと彼女たちは戦闘の反省会をしていた。

「あー、二度は御免だぜ」

 イギリス入りしてから、まとめでもしようかという時になって小夜は内心を吐露した。今はもう髪も黒色に戻っており、存在もそれなりに薄れている。血を消費しなくては元に戻らないのだが、それは教皇庁の戦闘で充分だったようだ。中には捨て身の攻撃も見え隠れしていたので、半ば狙っていたのだろうけれど、小夜の存在に惹かれてきた夜の一族は残党討伐に意欲的だったため、結果としては良かった。

「なにがよ」

「てめーとの戦闘だ。云うなればありゃエミリオンの技術に限定してたわけだろ? やっぱ技術よりゃ思考そのものだな」

「んだねえ。取捨選択の速度がはやすぎて困る」

 状況に対して最適を選択するのは難しく、経験が必要となる。そして、経験が積み重なったところで手数が増えれば余計に一手を選択するのは困難だ――が、そういった思考速度は雨天の血筋が成せる業なのか、鷺花のそれは常人よりも速い。

 とはいえ。

「それでも、二人には余裕があったじゃない。攻撃を仕掛けるのも、あくまでも私の一手を引出すためのものでしかなかったし」

 もしも殺すため、制圧するための攻撃ならば、鷺花はその制限の中で対抗できたかどうか怪しいものだった。

「とにかく厄介なのはよーくわかった。本当に惜しいな……サギがもうちっと動けば、オレもだいぶ楽になるのに」

「はいはい、がんばんなさい」

「いや本気で、紫陽花じゃないけどマジで疲れたぜ」

「でも今日中に戻るんでしょ?」

「そのつもりだけどな」

 そうして屋敷に到着した三人が玄関に入ると、アクアが待っていて頭を下げた。

「お帰りなさいませ」

「ただいま。ほかの二人はどうしてる?」

「少し、暇を与えました。何も手につかないようでしたので」

「おー、んじゃ台所借りるぜ。適当に飯作って食うから。オレらと、ウェルのぶんでいいか」

「どうぞ、ご自由にお使い下さい。ご不便をおかけします」

「気にすんな。あと安心もしとけ。オレだって料理くれーはできる。紫陽花」

「ん、帰りの手配しとくねえ。ぎっちゃんの部屋使うよ?」

「いいわよ。私は先にお風呂入ってさっぱりするから」

 それと、と吐息を小さく落として二人が見えなくなってから、アクアの手首を掴んでそのまま引っ張った。

「あの、鷺花様?」

「いいからちょっと」

 そのまま大浴場の更衣室にまで引っ張り込み、扉を閉めて、鷺花はゆっくりと正面からアクアを抱きしめて。

「あの――」

「いいから」

 ぽんぽんと、その背中を軽く叩く。

「今なら誰もいないから、――我慢しないで」

「――」

 あくまでも優しく、アクアを包み込むように。

「今だけでもいいから……ね。悲しい時は泣いてもいいんだから」

「……」

 ぎゅっと鷺花に抱き着いたアクアの力が強くなり、一定の速度で、ゆっくりとその背中を叩いて慰める。歯の隙間から洩れる小さな嗚咽も、聞こえない振りだ。

 アクアは普段から、長女であることもあり、また屋敷を管理する手前、ガーネやシディの前で弱音は吐かない。どうであれ彼女たちを守ろうと――己自身への優先順位を下げてしまう。

 だから、悲しむ二人を好きにさせ、最低限のことをアクアは一人でやっていた。それが悲しみを紛らわす方法でもあるけれど、それでも。

 アクアだとて同じなのだ。

 同じく悲しみ、何も手に付かない。

 だからこうやって、半ば強制的にでも受け止めてやらなくては、落ち着く暇もなくなってしまう。

 それでもいいと、アクアは思っていただろう。聡明な侍女だ、このくらいのことは自覚している。けれど鷺花はそれを許さなかった。

 それだけのことだ。

 アクアたちにとってエミリオンは産みの親だ。世話をしていても、それは当然のことであったし、むしろ世話がもうできないのだ――そんな事実は、屋敷にいる限りは突きつけられる。

 人の死に触れることもない彼女たちにとって最初の決別なのだ。

 悲しむべきなのである。

 これから生きて、前を見るためにも。

 十五分ほどそうしていただろうか。力が緩んだので離すと、アクアは涙を軽く拭いてから笑顔を見せて、小さく頭を下げた。

「……ありがとうございます、鷺花様」

「いいの。このくらいのことしかできないし。――さあ、お風呂入ろう。たまには一緒に、いいでしょ?」

「はい。そうしましょうか」

 大浴場は広い。横幅はおよそ二十メートルほどあるし、銭湯も顔負けなほどだ。掃除はガーネが主体となってやっているらしいけれど、手入れも行き届いている。水も循環させているので、消費量としてはそう多くない。

「にしても、相変わらず綺麗ねえ」

「そう……でしょうか」

 人形とは思えないほど精巧な造り――というよりは、もう人間と言っても間違いはないだろう。魂が宿れば人形は変わるというが、まさにそれを体現している。発育の具合もガーネよりも良く、身体バランスは良い。

 残念ながらアクアに自覚はないようだが。

 並んで髪を洗い、それから躰を洗って浴槽に浸かる。傷は術式で治したので問題ないが、やはり鷺花も疲労していたらしく、伸びを一つして全身から力を抜いた。

「お仕事はいかがでしたか?」

「あっさり済んだ……かな? 教皇庁はだいぶ遊んでいたけれど、目的は達したし。……じーさんのことも、前から手配してたことだから」

「そうでしたか。……私も、こうなることをわかっていたのですが」

「わかってても感情は難しいよね。始末は済んだ?」

「はい。ベル様と紅音様が」

「ごめん、始末って言い方は悪かったね。……屋敷にいる以上、慣れるまでしばらくは堪えると思うよ」

「慣れ……ても、良いのでしょうか」

「いないことに慣れるのは良いことよ。それはねアクア、きっと忘れることとは違うものだから」

「……はい」

「なんて、私も偉そうなことは言えないけどね。形見分けはもらった?」

「いえ――」

「だよね。じーさん、そういうところ疎いし」

「必要、でしょうか」

「屋敷があるから、というのも間違いじゃないけど貰っておいた方がいいわよ。それがどんなものであれ、ね。だから後で倉庫整理する時に同席して」

「あ、はい。わかりました」

「あとは……ま、いいかな」

「鷺花様は今日中に行かれるのですか?」

「そのつもり。悪いね、あっちも放っておくわけにもいかないし」

「いえ、構いません。いつかお戻りになられるのなら」

「……そうねえ。私が死ぬ時はこの屋敷でって決めてるし、すぐにどうこうってわけじゃないから安心なさい。ただまあ、アクアたちはもうちょっと外に出てもいいと思うんだけどなあ」

「そうでしょうか」

「好きになさいってこと。いや、屋敷に居てくれた方がいいけどさ。ああ、そうだ。じーさんの部屋はそのままとっておいて」

「そのつもりでしたが、何がありましたか?」

「や、だろうとは思ったけど、私がそう言っていたってことが、いつか理由になるかもしれないからね」

「――ありがとうございます」

「この屋敷の部屋が埋まることはまずないと思うけどね。ま、すぐに人が戻ってくるだろうから、しばらくは忙しくなるわよ。ああ……キースレイおじさんが戻ったら、一応言っておいて。司祭殿は職務を全うした、と」

「わかりました」

 特に攻撃意志がなかったとはいえ、被害を度外視して遊んでいたあの環境で、かつてジェイ・アーク・キースレイと知り合いだった司祭は満身創痍だったけれど、まだ生きていた。そして、鷺花たちの目的を理解した上で、――職務をきちんと果たしたのだ。

「かつてと言えば」

「はい、なんでしょう」

「じーさんが屋敷を建てた頃、もちろんアクアたちがいた時なんだけど、襲撃とかあったのよね」

「それほど昔ではありませんよ。私どもも初期稼働は終わっておりましたから……若様も十五を過ぎた頃合いだったかと。それ以前にもあったようですが、私どもが迎撃をしたのは、……そういえば鷺花様がいらっしゃってからは、とんとありませんでしたね」

「その頃のデータ残ってる?」

「ありますが、興味がおありですか」

「うん。シディからちょっと聞いてたし、仕事も一段落したから。映像?」

「はい、記録データが……部屋にあったかと」

「後で見せて」

「わかりました」

「――あ、そうそう、こんなのもあったっけ。アクアに話しとこうって思ったんだけど、こういう簡単な術式で」

 大理石で作られた浴槽全体に布陣してやると、一秒の間をおいて一斉に泡風呂へと変化する。

「鷺花様、またこんな場所で術式を……」

「あ、それそれ。師匠もじーさんもいたのに、そういうとこ結構厳しくしてるけど、なんかあったの?」

「以前、若様が空間干渉系の術式を使っていた頃、ガーネが数日迷い込みまして」

「うわ……」

「立ち直るのに五日ほど。シディも怖がって動こうとしなかったもので、それ以降は禁じております」

「らしくなく詰めが甘いじゃない」

「同時期に地下書庫の手入れをしておりましたので」

「ああ、なるほどね……」

「しかし――心地よいですね。調べてみても構いませんか?」

「どうぞ」

「ありがとうございます。――これでは叱れませんね」

「ぎりぎり、風呂場だし大丈夫ってことで」

「内緒ですよ?」

 シディやガーネが内緒でやっていることを、知っていて知らない振りをしているアクアが内緒にするのだから、たぶん誰も気付かないだろうけれど。

 白く長い指が湯船の淵をなぞると、青色の線がそこを基点にして湯船の表面に広がった。

「アクアの展開式、初めて見たかも」

「分析をする場合は展開式を利用した方がわかりやすいものですから」

 それは線だ。長いものもあれば短いものもある。だがそれが縦横無尽に重なって表現される式は、やはり美しい。組み合わせも無数にあるだろうそれは、湯の表面で揺れて増減を繰り返していたが、しばらくして一つの型で安定する。サイズは浴槽の半分くらいなものだが、全体を俯瞰しても決して角形にはならない。ならないが、やはり線によって構成されていた。

「ああ、最初は魔力を流し込むだけで、それから型をとったんだ。ふうん……私の術式構成そのものを、自分の展開式に変換させる工程そのものを、型から逆算する形式にしてるのね。単純に他人の術式構成を保存しておくことも可能になる、か」

「私の魔術特性は〝形型クリート〟ですので」

「範囲の特性と似ているとは思ったけど、形型かあ。それで屋敷の管理も任されてるし、どちらかというと指揮官向きなのね」

 存在するもの、あるいは存在していても不安定なものを強固にする。何であれ型にはめることで一定の効力を出させるなど、そうした術式が得意なのだろう。一連の流れを作る戦略思考、ないし戦術も含めて、全体指揮をやらせれば厄介な手合いのはずだ。

「室内の空気そのものを循環させているのですね。皆様に聞いてみないとわかりませんが、停止機構を入れれば……消費魔力量もさほど多くはありませんし、宝石に魔力を蓄積したものがあれば燃料代わりにもなります」

「ここにいる人のほとんどは魔力も過剰……ってことはないにせよ、普段生活している時に出る魔力波動に呼応させれば、入っただけで稼働することも可能だと思うよ?」

「そうなると儀式陣の応用でも構いませんか?」

「あ、そっか。誰でも使える術式となるとそっちが一般的か……たとえば魔力波動の個人差を均一化するんじゃなく、波動を度外視して魔力のみで呼応する形で、式陣じゃなくトラップと似たような構成を組み込んだ方が楽かな」

「魔力波動を感知するタイプのトラップは、かなり難易度が高いとウェル様がおっしゃっておりましたが……」

「そうでもないよ。あ、いや高いのか……罠を作るタイプの魔術師も、基本的には魔力感知じゃなく、術式タイプであって感知は違うものね」

「はい。魔力の探査術式そのものを使った時点で効力を発揮するから厄介だと」

「私はどっちも入り混ぜるかな。初動で感知させないってのも罠としては重宝するし。感圧式とかにすると誤作動含みだから、安定性が期待できない」

「……難しいですね」

「アクアにもまだ無理かなあ」

 ぴこぴこと人差し指を動かしていた鷺花は、手元に寄せていたアクアの展開式の端に指先を持っていくが、そのまま透けて向こう側にいってしまう。触れることは前提にしていないんだなと思いながらも指を離し、そのまま真横に線を引いた。

「こうかな」

「……鷺花様、そうあっさりと展開式を複写されると反応に困るのですが」

「んー、そう? ふんふん」

 まるっきり同一の展開式を複製して手元においた鷺花は、半分ほど聞き流してうんうんと頷く。他人の展開式を自分のものに変換する作業は手慣れたものだが、アクアの展開式をそのままに、アクアのやり方をそのまま真似るなどといった行為は初めてではないものの、他人の式で、他人のルールをそのまま使うのは初めてかもしれない。

 そう、ルールだ。

 真似をするのではなく、他人のルールで扱う。将棋のルールしか知らないのに、囲碁に手を出すようなもので、作業それ自体も変わったものになる。

 だからまずはルール確認。元は鷺花の術式なのだから、これは――鷺花にとっては、簡単だ。何がどういう仕組みで組み合わせてあるのか、その規則性と線の意味合いを把握してしまえば、どうとでもなる。

「よし。――で、なんだっけ?」

「いいえ、相変わらずの集中力で、すぐに理解されてしまうのだと思っていたところです」

「場合によるけどね。んーっと……ベースはこのままにして付加させればいいわけだから、とりあえず仮想組みってことで。あ、手順は説明しないから完成形だけでいいよね?」

「はあ、何をやろうとしているのか、なんとなくわかりますが、どうぞ」

「うん。だから一度そっちの消してくれる?」

 作業の邪魔なのだろうかと思ってアクアが展開式を消した直後、鷺花はそれに触れて向きを変えた。

 横に九十度――つまり、一本の線に見えるようにして、そこへ。

 横線を入れ始めた。

「――」

「よっと」

 平面だったものが立体化したかと思えば、無数の線が入り交じりサイズが大きくなっていき、最終的には直径が三メートルほどになり、線がまるで青色の球体にさえ見えてしまった。

 ほんの数秒のできごとに、ぽかんとしたまま見ていたアクアは苦笑する。

 ――魔術師なのですね。

 もちろんアクアもその自覚はある。あるが、エルムや鷺花を見ていれば、本物がどういった存在なのかはこうして感じることができた。

「どうかした?」

「いいえ――私の魔術でも、ここまでのことができるのだと、納得していたところです」

 そうだ。

 これはあくまでも、アクアの展開式に手を加えたにすぎない。更にはアクアのルールで、だ。であるのならば、これはアクアという魔術師ができる領域なのである。

「後は実際に使ってみて、細かい調整を入れるにしたって、こんくらいなもんかなあ」

「鷺花様、こちらは触れることができますか?」

「移動もできるよ。あくまでも展開式だからね。私の術陣を使えば一枚の平面で済むんだけど、それは改造と慣れかもしれないし」

 アクアが触れるに任せ、影から宝石をいくつか取り出して中身が空いているのを選別し、展開式をそのまま記録させておく。それをアクアの手に乗せて、鷺花は笑った。

「これ、内緒ね?」

「――はい、鷺花様。ありがとうございます」

 悲しみを癒すには時間が必要だ。その時間が多少でも紛れるのならば、それでいい。


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