05/13/11:50――鷺城鷺花・野雨への帰国

 野雨の地に降りるとため息が落ちる。それは安堵のものではなく、どこか疲れ気味のものだ。

「んだよ」

「相変わらず面倒な土地よね」

「そりゃお前が面倒ばっか抱え込んでるからだろ。……ま、何事もねーみたいだが、調べねーとな。しばらくしたらまた顔を見せる、勝手に消えるなよ」

「こっちの台詞よセツ、面倒はこれ以上持ち込まないで」

「へいへい」

「じゃ、お疲れぎっちゃん。私は紫花んとこ行ってくる」

「ほどほどになさいよ」

 去るのを引きとめもせず、鈴ノ宮の敷地内にあるヘリポートから離れずにしばらく空を見上げていた。今日はやや曇天、雨の気配は遠いものの夜には降りだすだろうことがわかる。

 何台も並んでいるヘリは稼働していないため静かだ。雨の気配を注意深く探りながらいると、やがて、白色がこちらへと向かってきた。

 予想通り、だ。

「やあ鷺花、ご苦労だったね」

「それ仕事のこと? それともじーさんのこと?」

 どちらもだよと、白白しいほど白色のエルムは、横に陽ノ宮ひなたを連れたまま苦笑した。

「屋敷はどうだったかな」

「シディとガーネは落ち込んでこもってた。アクアは私が声をかけておいたけど、しばらく無理は厳禁ね。仕事を任せるんじゃなく、趣味に誘導するくらいの心持ちでいた方がいいんじゃない。まあ、師匠も戻って屋敷に人気が増えれば、気も紛れるでしょ」

「助かる、僕も気にかけておくよ。……うん、そこまで気が回るなら鷺花の心配はしなくても良さそうだね」

「しばらくは引きずるかもしれないけれどね」

「そのくらいでいいのさ。僕だって簡単に割り切れるものじゃあない」

「青葉さんは?」

「母さんは、問題ないよ。どうせすぐに逢えると言っていたし、落ち込む時間はあるとも言っていたから。それよりも、父さんの評価を聞きたいな」

「――とんでもないわよね」

 どうやらお見通しらしく、鷺花は苦笑して答えた。

「全盛期のじーさんとは、ちょっとやりあいたくない」

「父さんが戦闘を行ったのは、二度だけだよ。僕が知りうる限りでね。かつてクイーンやジャックとやったこともあったけれど、あれはただの性能実験だったから」

「相手は誰?」

「一人目は僕だよ。僕の仕上げを頼んでね――といっても、八割は防戦だったかな。父さんにあしらわれた、ってのが正しいかもしれないけれど、かなり引出したよ」

 それは。

「今回の仕事で鷺花がしたようにね。僕の場合はそういうわけにもいかなかったから、父さんに頼んだんだよ」

「二人目は?」

「突っ込みはなしか」

 今回の仕事だけではない。たぶん朝霧芽衣との初見の時からこの仕上げまでは見通していたはずだ。そういうところが、面倒な相手である。

「二人目――いや、最初だから正しくは一人目」

「最初、ね」

「雨天あきらだ」

「――」

 二の句が継げない。何かを言おうとした口は開いたまま止まり、思考だけが普段の倍以上の速度で回転する。何がどうではない、知りうる限りの情報から仮想戦闘を構築しているのだ。

 あらゆる状況を想定して。

 あらゆる情報を取得して。

 二人の戦闘を仮想組みする。

「僕は観戦に回っていたんだけれどね、――当時、魔術師協会が持っていた戦闘用の庭が一つ、壊れた。一万人以上が合戦可能な領域がだ。それでも、父さんは戦闘技術を仕上げたと言っていたし、仕上がったと僕も思い、彬も肯定したよ」

 足りない。

 まだ届かない。

 今の鷺花が持っている、エミリオンの技術の知識では、雨天彬に仕上がったと言わせるだけのものがない――。

 今の鷺花は。

 エミリオンの技術には届かないけれど、それはわかりきっていたけれど、それでも、エミリオンを伝えることがまだできない。

 そういうことだ。

「彬はどこにいる?」

「さあ、知らないよ」

「そう。じゃあ探るしかないか……父さんはそれ、見てたのよね?」

「渦中に置かれていたら、真っ先に退場だったろうね。何しろ二人は接近戦闘で類を見ない専門家だ。いや父さんは違ったけれど、僕から見れば同じようなものだ。僕の準備は間に合わない」

「――記録データ、あるわよね」

「抜け目ないね」

 袖口から宝石を取り出したエルムは、それを手渡す。

「複製品だけれど、鷺花には形見分けになるだろう。どうせ、父さんの刃物を鷺花は受け取らないだろうしね。――ああ、いや、一本だけあったか。まあいい、どんな理由があろうとも譲渡は構わないさ」

「釣り合わないわね。仕事?」

「三日後くらいに連絡はするよ。時期はまだ決まっていないからね」

「仕方ない」

 そう、仕方のないことだ。

 いくらそれがエミリオンの形見になりうるものでも、譲渡には等価が必然的に付随する。それを無視する手法もあるが、魔術師――間違いなく世界でただ二人だけの、偽りのない魔術師の二人が、それを行うわけにはいかないのだ。

 魔術、という特性を持つ二人は。

 あらゆる場所、あらゆる条件下であっても、魔術師であることは捨てられない。

「それと」

「なに、まだあるの?」

 嫌そうな顔をした鷺花に対し、エルムは苦笑して首を横に振った。

「仕事じゃない。清音きよねが呼んでるから、今日は顔を出しておきなさい」

「はいはい」

「後は彬にこれを返しておいてくれ。父さんから預かっていたものだけれど、父さんが――いなくなった今は」

 僕に持つ権利はないと、左手に刀を転移させて鷺花に渡した。受け取った鷺花は、言葉に詰まった部分について言及せず、そのまま背中を向ける。

 実の父親を亡くしたのだ。どうであれ、向きあったのならば、それなりの事情もある。

「面倒はほどほどにしてよね」

 両方を歩きながら足元の影に収納して庭に出ると、白い影がそこにはあった。やや長身とはいえ鷺花とはそう変わらず、両スリットの入った赤いチャイナドレス。日本人の風貌であり、似合っているともいないとも言えない相手は、目を丸くした後に軽く肩を竦めた。

「なんだ、化け物が帰ると思ってみれば、同じ化け物が帰ってきたわけか。そして私が遭遇するとなると、吉兆とは言えないね。やあ鷺花、まだ陽も高いのに物騒なコートを着たまま出歩くだなんて、正気の沙汰じゃない。私はここ、逃げるところかい?」

 言いながら、状況を――あるいは危機を愉しむような笑みを口元に浮かべた快楽愛好者こと、夜笠夜重やがさやえは足を止めて向き合った。

 ちなみにコートは屋敷にあるエミリオンの倉庫を片付けるのに、念のため羽織っただけで、それを脱がずに来てしまっただけだ。

「さっきまで仕事だったのよ」

「そうかい? おっと、べつに詳しくは聞かないよ。藪をつついて蛇を出すのを好んではいるけれど、私はちゃんと相手を選ぶ」

「そっちは仕事みたいね」

「そうなんだ、珍しく私が単独でね。紗枝については、まあ、……心配ではあるけれど、子守りをしているわけじゃないさ。というわけで、暇があったら様子見くらいはしてくれると助かるな。鷺城自身じゃなくてもいいから」

「心配なら、とっとと片付けて戻ってきなさいよ」

「そのつもりだ。といってもゲストの出迎えってやつさ、すぐに終わるだろう」

「エリザミーニ・バルディ?」

「――なんだ知ってるのか。恐ろしいねえ、まったく」

「いや当てずっぽう。そう……エリザミーニが来るなら、そういうことね。ん、気にしないで」

「君の、気にしないで、は嫌な予感しかしないんだけどな。せいぜい私に火の粉が降りかからないように祈ってるよ」

「あんたじゃなく、紗枝に、でしょ?」

「似たようなものじゃないか」

「清音さんの機嫌は?」

「上を向いてるよ。さっきマーリィが半泣きで戻ってきたからね」

「オーライ。じゃあまた」

 マーリィが犠牲になったのならば、そう面倒は起きないだろうと思いながら屋敷に入り、ちょうどいた侍女長のシェリル・リルに軽く挨拶をしてから二階の執務室の扉を四度叩き、中に入る。

 相変わらずだ。

 変わらない白を基調にしたドレスのような衣服の鈴ノ宮清音と、スーツ姿の執事、哉瀬かなせ五六いずむがその隣に控えていた。

「おかえり。――ありがとう、ご苦労だったわね」

「……感謝と労いをされるとは思わなかったわよ」

「こちらにも映像は届いたもの。それと協会に教皇庁の件も、私が頼んだことではないけれど、影響はあるのよ。ついでに言えば二人のお守も大変だったでしょう」

「そうでもないわよ? お互いに境界線は知ってるし、慣れたものよ。私も充分に発散させてもらえたし」

 そのぶんだけ、問題も発生したけれど。いや問題というよりは課題か。

「それより、なにか話があるんでしょ?」

「相変わらず本題からね」

「紅茶です、鷺花様」

「ありがとう五六さん。――で?」

「まず言っておくけれど、あくまでも現状では助言を求める形に近いの。それはわかってちょうだい」

「うん、現状ではね。どうぞ」

「紗枝が行き詰っているようなのよ。けれど、助言ができるような人材がここにはいない」

「あー……確認するけど、影複具現魔術の書はまだ?」

「ええ、所持しているわ」

「そう。で?」

「その話の振り方、やめなさい」

「え? そんなに強く言ってないから、続けてと言うのとそう変わらないでしょ」

「急かされているみたいに聞こえるのよ」

「急かしてるんだからいいじゃない。合ってるわよ」

「……誰に似たのかしら」

「いいから続きを」

「上手くこの状況を使うためにはどうすればいいか、その助言を聞きたいのよ」

「行き詰まる、ねえ。上手く……か」

 考えるのも面倒だったので、紅茶に視線を落として素振りだけ見せてから口を開く。

「鷹丘少止でも当てれば?」

「その心は」

「二人にとっては息子みたいなものでしょ。最近はここに近づいてないみたいだし……紗枝との面識もないでしょう」

「ないわね。もしそうならどうする?」

「あー……じゃ、セツに連絡入れて緩衝剤にして、私を経由すればいいでしょう。だいたい鷹丘少止あゆむは、闇ノ宮やみのみやとしての自覚が薄いというか、己が魔術師だと自覚して行使してないわよね」

「ええ、むしろ否定的でもある」

「だったらマーリィとも少し話をさせるべきよ。あの子だって一応は凪ノ宮なぎのみやなんだから」

「……少止が顔を出すようになるなら、文句はないわ」

 それともう一つ、と鷺花が付け加える。

火丁あかりが巻き込まれるわよ。どういう形であれ、ね」

「――」

「鷺花様、それはどういうことでしょうか」

「鷹丘少止と雨音あまね火丁の関係を考えれば必然的よ。歩みの道に灯りで照らす。転ぶ方向がどうであれ」

 ここが野雨である以上、それは起こる。いや、あまりそれは関係ないかもしれないが。

「鷺花」

「ん?」

「それは、紅月が――」

「へ? ……ああ、なんだ、こっちじゃまだか。うん、まあそろそろ紅月も二十二時前に顔を出す頃合いでしょうね。火丁もまあ適性があるし、それもあるわよね」

「……そう。なら、なおさらね」

「承諾と受け取っていいのよね?」

「ええ、構わないわ」

「そ。んじゃ、とっとと連絡して明日の午前中くらいに――ああ、喫茶SnowLightで。私の出勤日だったはずだし、午前中ちょっとだけでも顔を出さないとね。七さんに代わってもらったし」

「早いわね」

「私だって暇じゃないし、急がないと間に合わないわよ?」

「わかってるわ。鷺花の見込みが外れる方が珍しいことは、よくわかっているもの。手配しておくわ、お願いね鷺花」

「はいはい」

「それと、そろそろ実家に顔を出したらどう?」

「それは余計なお世話。ま、そのつもりだけどね……」

 エミリオンの訃報を伝えに、だけれど。


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