05/10/11:00――鷺城鷺花・見た目は呑気に
「――結局、全滅じゃないの」
落胆の吐息を落として立ち上がった鷺花は、コートの裾を直しながら髪を後ろから前へ。振り向けば紫陽花は床に転がって寝ているし、小夜も座って足を投げ出したままじっとしている。
『大惨事じゃねえか』
「予想はしていたけれどね。八時間も猶予を与えたのよ――その前に終わるなんて」
『あ? なんだ、もうそんな時間なんだな。あーどうすっかな、午後からでも学校に出るか。完璧に忘れてたぞ』
通信の向こう側で兎仔がひょいと躰を起こす。ちなみに途中からは通信を鷺花の方へ振り替えているため、小夜が繋げているわけではない。
「そっちはどう?」
中央の区切りを消去した後、人体を構造している要素を選別して凝縮を開始。一応は生死の判別をかけるものの、三秒後にはすぐにホールは綺麗になった。
『また綺麗に片付けるし……あたしっていうと、通信負荷か? ん――
「それならいいけれど」
後で寝狐に連絡して長時間の接続データを回してもらわないとな、と思いつつも、いくつかの術式を展開して痕跡の除去を開始する。迷宮はまだ展開中だ。
「――んあ」
背後で小夜の目覚める気配。やはり同時に紫陽花も起きたようだ。
「うわ、二度目だぜ……どうかしてる。油断してんのか? あーこりゃ参るな」
『おー、あたしもお前らが簡単に寝てかなり驚いたぞ。えーっと、二時間くらいか?』
「そんなものね」
「今回はほとんど意識してなかったからな……あー、ま、いいか。で? おー、なんだ、終わってんじゃねーか。成果は?」
「全滅」
「だらしねーな」
『そっち、これから教皇庁だよな。どうすんだ?』
「錠戒を潰しながらの移動になるから、ちょっと強行軍ね」
『言葉通りってことか』
「おいトコ、野雨の様子はどうだ?」
『ん? あたしが知る限りでは、そう面倒は起きてねえみたいだが……やっぱり夜の空気は冷えるぞ』
「そうか。ま、落ち着いてけ。――オレが戻るまでは、それなりに気を配っといてくれ」
『あたしにできる範囲ならな。んじゃ鷺城も、解析続けとくから』
「はいはい、お疲れ様。学校、楽しんでらっしゃい」
通信が遮断する、その感覚を鷺花は確かめ、噛みしめ、頷きを一つ。
「さて、行くか?」
「ちょっと待って。連絡を入れるから」
携帯端末を取り出した鷺花は連絡先を呼び出して耳にかける。
『――はい。お待たせ致しました、ガーネです』
「あら、ガーネ? 今どこ? ウェルはいる?」
『鷺花様、こちらは現在大英図書館の内部、ウェル様は隣におります。詳細も聞いておりますが、そちらはいかがでしょう』
「終わったよ。ウェルに言って、裏書庫ごと屋敷の書庫に〝
『承知致しました』
「お願いね」
これで一つ目の案件は終了だ。寝転がる紫陽花を起こして外に出て、固まった躰をほぐしながら、さてどういう経路で行こうかと鷺花は頭の中で計算を始めた。
「その辺りで食事にしましょ――と、その前に、ウィル」
「んー、なあに?」
「ここから、ウェストミンスター大聖堂を潰しておいて。宣戦布告の一つ目ね」
「いえーい。そういうの好き。えへへへ」
「不必要に痕跡を残さず――まあ、言うまでもないか」
「いや紫陽花に対しては言っておいた方がいいぜ」
「一発で終わらせなさいよ。誰かに手繰られるような真似はしない。いいわよね?」
「はーい」
「面倒だな、適当に買って歩きながらにしようぜ」
「え? あー……ま、それも若者らしくていいかもしれないわね」
「お前、今、若者ってところ強調しただろ。そんなに年寄りに見られてんのか?」
「……私の回りはガキが多いだけよ」
「えー、ぎっちゃん大人っぽいよ?」
「ま、なんにせよ大人と子供の境界線ほど曖昧なものはねーし、どうでもいいけどな。確かに食べ歩きなんてのは、若い連中がよくやりそうだ。いやそうでもねーか……」
「食事は腰を落ち着かせた方が楽じゃない」
「そういう考え方が大人びてるってことなんだろーけどな」
「うっさい――ちょっとウィル、まだ?」
「えっと、うん、できた」
「そう」
遠くで、地鳴りのような音が響く。それについて鷺花は吐息を一つ。
「なにを分析して発破解体みたいにしてるのよ」
「ゲージツ」
「芸術もクソもねーだろ。綺麗さっぱり整えろってんだ」
「えー、別にいいじゃん」
「細かい制御に時間かけ過ぎじゃない?」
「威力調整がめんどーで……」
「それはそれで納得はできるけれど。私は〝
「溜め込みの問題か。そりゃオレより紫陽花のが上だろーな。コイツ、日常的に溜め込んでやがるし」
「えへへ……」
褒めてない、と言葉が重なった。
「こっからの行動は?」
「ルート構築中。空間転移か空中飛行で距離短縮を狙ってもいいけれど、たぶんそこまでしなくてもいいだろうし……十二日に壊滅できればいいから、二日と半日残ってるからね」
「錠戒を潰しながら、か。何なら別行動で指定の錠戒だけ潰してやってもいいぜ?」
「それじゃ師匠の思惑と外れるだろうし、できれば一緒にいたいから、まあもうちょっと待ってて。適当に組み上げるから」
「オレがやりゃ早いけど、それも経験だ。任せる」
「はいはい、お気遣いありがと。……兎仔とは直接逢ったのよね?」
「おー」
「うん。ちょびっと」
「オレはそれなりにだ。心配か?」
「評価を聞きたいのよ。あの子のペースは、あの子なりのものだけれど、それでも他者の見解で不安定な部分があるようなら、それなりに注意しておきたい」
「えらく気に掛けるじゃねーか」
「めずらし?」
「そうでもないでしょ。ただ、気まぐれを装って生活しているみたいだけれど、それだけ冷静に俯瞰できているから、資質を無駄にしたくないだけよ」
「資質、ね。まあ戦闘技術に関して言えば、サギの訓練もあってぼちぼちだな。レインとの戦闘も実際に観てたが、もともと持ってた戦闘技術に対しての状況分析、および判断がついてきた――って感じだろうな」
「そう――あ、ちょっとウィル、フィッシュアンドチップスは嫌よ。油が多すぎるから」
「ええー……じゃ、別のにする」
「感覚はどう?」
「俯瞰はできてる。戦闘専門狩人ならBかA指定でもいいくらいだ――が、甘いぜ。なにしろてめーの位置がすっぽり抜けてやがる」
「やっぱり……」
「自分の位置がわからねー以上は、位置を作ることもできねーだろ。だから縁を手繰るのが下手なんだろーぜ」
「その辺りは私じゃどうしようもないけれど、フェイには無理でしょ」
「無理だな。あいつがそこまで気が回るわけねーし、あいつ自身が盤上で踊る駒だってことには自覚的だけどな、動かされてるってことまで気付いてねーし」
「本気でどうしようもないわねあいつは……いくら槍でも師匠に言ったって仕方ないし」
「いいじゃねーか。アイギスが来るまで待てよ」
「芽衣を?」
「それなりの関係なんだろ。そのくれーには何とかなる」
「買ってきたー」
ハンバーガーを手渡され、どこか座る場所をと無意識に探してから、諦めたように鷺花は食べ歩きを始める。
「野雨の夜は出歩いてるのよね?」
「おー」
「最初のうちは、被害出てたよ? うさちゃん、せっちゃんと一緒でちーさいから、なめられてた」
「オレと一緒とか言うんじゃねーよ」
「なに、軍隊じゃそんなの日常茶飯事で受け流してたわよ?」
「そりゃ叩き潰すと面倒だからだろ。こっちは別に大したことねーし、痕跡消すのもそう難しくはねーからな」
「ここは私の訓練が役立ったと喜ぶべきところかしらね」
「野雨に居る狩人はそれなりに高ランクなんだけどなあ……」
「そうしてみると、蒼の草原って、言い得て妙よね」
「ああ、ブルーのフィールドな」
もちろん封印指定の一画、かつて公園だった場所を指す言葉だけれど、横文字にしてみれば蒼凰蓮華の領域に聞こえなくもない。それが単なる言葉遊びだったとしても――だ。
「蓮華さんの手管は、師匠よりわかりにくい」
「わかりにくいってレベルじゃないと思うなあ」
「そりゃそーだろ」
「え? そっちもわかってないの?」
「わかるかよ。ブルーの策ってのは基本的に結果が見えねーと、それが野郎の策だって気付かねー類のもんだ」
「そこまでわかれば、もうけもん。……はぐ、んぐんぐ」
「まー、確かにそこまでわからねー奴も結構いるぜ。オレでもせいぜい策中に落ちて、取り返しがつかねーくらい後になってわかる、なんてもんだ」
「私もそうだったけれど、それは小さな一手よね。二人なら、蓮華さんが本気になって作った策を知ってる?」
「いや、後から聞いた話しかねーな」
「私もー」
「聞かせてよ」
「そうだな、まず最初の一件は五木の話だろ。オレが話を聞いたのは当事者の五木
「え? ああ、父さんとそういう話はしないもの。軽くは知っているけれど、顛末くらいなものね」
「そうか。まあ最初の一件だ、ブルーは無名だったからな。あいつが何者かなんて情報は一切なかったわけだ。五木の領域に迷い込んだ一般人、それが五木のと一ノ瀬の見解だ」
その一切に偽りがなく、悉くに不明があり、それでいてあまりにも平凡で。
ただ青かったと、そう感じていたそうだ。
「雨の倅はそれ以前に声をかけられてはいたらしい。ま、手伝いの誘いみてーなもんか。実際に何をしてたのかもわからねーまま行った結果が、九尾の討伐だったらしい。それが策だなんてのには気付かなかったし、気付いたとしても」
当時の雨天暁は、その誘いを断る理由を持たなかった。
「実際には手伝いじゃなく、いいように使われたのでもなく、ブルーの代わりにすらなれなかったと、言ってたっけな」
「ああ……蓮華さんは可能性を引き寄せられるからね。当時は全盛期だったろうし、上手くやったんでしょう」
「二件目はもっとひでーぜ。ブルーって策士の存在がある程度流布してたのにも関わらず、それを察知できた連中だけが一斉に引き込まれて同一の指向性を与えられ、最初からわかってたのにブルーが望む結果を出しちまいやがった。当事者だったベルは、逆に知ってて動いたからまだしも、抵抗するだけ無駄だと呆れてたぜ」
「そっち方面もやっぱり可能なのね……本当、どういう思考回路しているのかしら。いくら可能性を引き寄せたり把握したりできても、影響まではわからないのに」
「正直な話、鷺ノ宮事件では助かった部分もあったらしいが、オレに言わせりゃ隠居してくれて万歳だぜ」
「そりゃ私だって蓮華さんが動かないってだけで安心はしてるけれど」
「エルムやマーデだって、直接言いはしねーけど、ブルーに動かされてるようなもんだからな……」
「……そう」
「困るよねー」
「存在は大きいがどうにかすんだろ。代わりにはなれなくてもな。それに、どうであれオレは世話んなってっから、ことが起きたら手くらい貸す」
「私は領域のぎりぎりだから、どこまで手を貸すべきか悩んでいるし、たぶんその時になったら――」
「余計なことは心配すんな。てめーが自制できるなら、後はオレらが適当にやる」
「心配はしてないわよ」
「してないけど、ぎっちゃんとしては納得いかない?」
「――……納得はしてるわよ」
「してねーってツラじゃねーか」
「してる。感情とは別の部分ではね。だって方法としては理解できるもの」
次第に地表へと近づいてくる紅月は〝世界の意志〟そのものだ。かつて東京事変が、あの異変が東京だけで済んだように――今回は、世界全体がそうなる。
水際で防げたのは一度だけ。二度目は誰だってその対策をする。
紅月が堕ちれば。
――世界は壊れる。
その予測が立った状況でエルムが考えたのは、ならば世界を壊させよう――けれど、その後の世界を創ってやればいい、そうしたものだ。つまり破壊と再生をある程度制御してやり、災害からの復興へ道をつけてやろうと、そう考えた。
「理解はしてるわよ。無謀とも無茶とも言わない。だって私には他の方法が浮かばないからね……」
「だから、納得してるってツラじゃねーって言ってんだよ」
「まあ……うん、そう、かもしれないわね」
「感情的にはともかく、サギの一手が発想になったのも確かだ。納得できねーのだって別に、八つ当たりしなきゃ問題はねーだろ。なに誤魔化してんだ」
「当事者が……納得していることを、納得できてないっていう私の感情を、まあ、どうすべきか迷ってるのよ」
「まー誰にだって、割り切れねーことの一つや二つくれーあるわな。その辺り除外して、判断としちゃどうなんだ?」
「突飛、とまではいかないけれど、考え方としては良いと思うわよ。理解してることに偽りはないもの」
「つっても、柱を立てるってだけだろ? 七つだっけか」
「そう。陰陽五行は世界を五つに割った。木火土金水、それぞれが干渉し合って世界を創っていると捉えたわけね。けれど相剋にはお互いの干渉が必須になってしまう。だから五行ではなく七則を利用した。地水火風天冥雷ならば存在によって均衡を保つけれど、それぞれの干渉は極端に少ないのよ」
「人柱って点が気に入らねーってか」
「……だから、理解はしてる」
食べ終わった紙屑をダストボックスに入れて、吐息を一つ。
「属性を一つにまとめれば、それだけで生存可能領域は広がる。もちろん八割がたで、二割は分散するだろうけれど……世界の意志は容赦がない。人の生存はさせるだろうけれど、極端に減る。最悪、男女二人が残ればそれでいいと思っている感じもあるしね。そのための領域区分に関しても手は打ってあるし――ま、師匠も世界の主になりたいわけじゃないから」
「進行は間に合ってんのか?」
「詰めはまだよ」
「なるほどな。少なくとも七人か――」
「ヴェドス、ウェパード、アブソリュート、エイクネス。天はミカガミで冥はジェイキル、雷がビィフォード」
「なんだ、名付けはサギかよ」
「名称で固定するから適当につけただけなのに、どうかしてるわよね。勝手に使いやがってあんにゃろ……」
「そういや迷宮にしても、名前指定してんの、結構あるよな。パターン化とか」
「黒薔薇は渡さないわよ」
「ちぇー……」
「ちっ」
「ウィルまで狙ってるから厄介ね……わかったわ、今度劣化品をあげるから。基礎構造の番号付け辺り覚えてくれると話が通りやすくて助かるし」
「しょうがねーな、妥協してやる」
「うん。だからはやくちょーだいね」
「現金ね……名称固定は、基本的に連想する単語のイメージと術式の効果で合致させてるものが多いわよ。ほとんど感覚ね」
「あの迷宮、いろいろ混ざってたけど、単純に、術陣なんまい?」
「あれは八十三枚……だったかしら。五十枚以上は基本的に名前をつけてるから」
「それがいくつあるんだ?」
「ん――いや、あのね、すべてが広範囲適用だと思わないでちょうだい。それに条件もあるし」
「以前、てめーが場を作っただろ」
「ああ、〝七竜の玉座(シジマ)〟のことね。今ならワンアクションで展開できるけれど?」
「てめーそれ、教皇庁で使えよ。感じてーんだ」
「……? 切り札にすらならないから別にいいわよ」
「おう。正直に言えば、サギと付き合い始めてから、かなり魔術方面に伸びたぜ」
「あ、私もそうかも……」
「それを言うならお互い様よ。だいたい、隙を見せればすぐに術式の解析をふっかけて来るんだもの。術式構成のぶつけ合いなんて、ただの魔術師ならたぶんやったこともないわよ」
「そおなの?」
「そうなのよ。展開式にしなきゃ構成を意識できないレベルってことね。まあ少ないとはいえ魔力を放出しているわけだから、気心知れた相手じゃないと難しいとは思うわよ」
「なんだ、サギはオレに気を許してるってか?」
「あはははは、――まさか、冗談じゃない」
「だよねえ」
三人は声を立てて笑った。一見すれば楽しそうな三人組なのだが、知る者が見ればかなり緊迫した間柄である。
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