05/09/13:00――鷺城鷺花・憧れたその人と

 しばらくしてから、鷺花は一人でその部屋へ向かった。昔はちょくちょく遊びに行き、魔術の研究とは別で会話を愉しんだ相手の部屋は、迷う必要もなかったけれど――けれど、でも。

 いつもよりも、その扉を開くのが怖かった。

 それでも手をかけて中に入ったのは、そこでずこずこと引き下がることを鷺花が赦さなかっただけだ。己を、赦せるはずがないと――そう思えたから、中に入った。

「ただいま」

 反応はする。やや遅れて、姿勢を崩さずに。

「――鷺花か。おかえり」

 窓辺のテーブル前、椅子に座ったまま背筋を伸ばし、頬杖をつくのでもなく視線は窓から外へ。一体そこから見える風景に、何を見出そうとしているのか。

 エグゼ・エミリオン。または嵯峨公人は、ゆっくりとこちらに視線を向けた。

 ――老いている。

 わかっていたことなのに、ずきりと何かが痛む。自分の浮かべている笑顔が引きつっていないか心配だった。

 老いは、人ならば誰にでもある。早いか遅いかの違いだ。ましてやエミリオンは鷺花よりも随分と年上なのだから、当然なのだけれど、それでも。

 こうまで。

 鮮明に。

 死が見えてしまう己が歯がゆい。

 無自覚でいられるなんて思わないけれど、そうあって欲しいと願わないけれど――これが最後だと、確信を得られてしまう己は、それを幸運だと思えない自分は……まだ、未熟だ。

「さっき、紫陽花と小夜もきたが」

「あーうん、ちょっと仕事があってさ」

「そのようだな。座れ――と、そうだ鷺花、以前にお前にあげたナイフだ。少し前に思い出してな。あれはどうだ」

「現役よ。当たり前じゃん」

 正面に回って袖口からナイフを取り出して、テーブルの上に置く。

「はは、でも調整二回だっけ? 手のサイズも随分変わったもんね」

「……なんだ」

 ナイフの表面を皺のある手がゆっくりと這い、撫で、小さく笑う。

「手を入れてねえのか」

「え? あ……そっか。全然そういう発想が浮かばなかった。そっか、自分で手入れもできるのか。でもじーさんの作品だもんなあ……愛着もあるし」

「嬉しいことを言ってくれる。――鷺花」

「うん」

 視線で示されたため、対面のチェアに腰掛ける。そういえば飲み物の準備はしてなかったな、などと思ったが、ティーセットに視線を向けると苦笑が返ったので、今はまだ必要ないらしい。ならばそれで良いけれど。

「お前の手元に素材はない――と、そういう前提だ。お前の〝格納倉庫(ガレージ)〟にある可能性もあるから、使わなくていい」

「うん、いくつかあるけど」

「……随分と広く作っているんだな」

「階層別けして多重空間を疑似構築してるから。重複式の応用」

「なるほどな……俺にはできん芸当だ」

「っていうかじーさんは、刃物専門でしょ。そりゃ物理的なじーさんの倉庫見ればわかるし」

「はは、それもそうか。それでだ鷺花、同じナイフを創造できるか?」

「手順はなぞらえて?」

「いや鷺花の手順でいい」

「おっけ」

 テーブルの上に複数枚の術陣を展開し、それを合致させると金属がことんとテーブルに音を立てて落ちる。製作工程に興味があるかな、とも思ったが、言葉から察した通り、エミリオンは結果だけを見て頷いた。

「触ってもいいな?」

「だいじょうぶ」

 表面に触れてから、きちんと柄部分を持って手の上へ。同じに見えても、そのナイフは鷺花が創ったものだ。製作者が違う以上、それがまるで同じものであったとしても、ナイフは傷つけるものだから。

「ふん……同じナイフだな。複写でもない、模写には限りなく近いようだが」

「うんそんな感じ。割合で言うと九割近いとは思うけど」

「九割九分、間違いないな。構造的欠陥も同じにしてある辺り、俺の言葉をもうちょっと解釈しておけ、とも思うが」

「あらら……」

「リーリット鉱石を使っているはずだが?」

「うん。だからまず、リーリットを創った」

「手順としては間違いない。それに、製作時間にまで口は出さない……いい精度だ」

「及第点ってこと?」

「では複製速度はどうだ。もう一本創れ」

「ん」

 掌を見せてからコンマ二秒で複製されたナイフが手の上に出現する。それをじっと見ていたエミリオンは小さく頷き、そして。

「鷺花、答えろ。何番目まで製作可能だ?」

「――」

 そんな、即答できない問いを投げかけてきた。

 エグゼ・エミリオンの刻印が入った刃物は現存で五本。製作順に難易度が高くなっていき、一定の領域に至らないと製作は不可能だ。そして、それはエミリオン自身そのもの、分身、あるいは血肉そのもの。

 だから、鷺花は創らない。見た目だけ模倣することはあっても、中身まで同一には決してしない。

 同じものが二つも世界に存在してはならないから――と、鷺花が強く思っているからだ。

 似たようなものならば、シン・チェンの千本槍もあるが、やはり同一には語れない。

 けれどここで、できないと答えるのは、どう考えても嘘にしかならなかった。

 だから。

「正直に言えば」

 伝える。

「製作時間と素材そのものを度外視すれば、――五番目まで」

「度外視しなければ?」

「……」

 黒薔薇を弾いて起動した鷺花は、かつて製作しておいた手順をそのまま圧縮し実行、呼吸一つぶんの時間を使って創造工程を完了し完成したそれを、テーブルに置いた。

 ごとりと、音がする。

 完成させるためには時間も素材も必要だ。けれど、時間をかけて一度でも完成させてしまえば、その工程ごと保存し素材の物理構成を把握してあれば、二度目からはこうして簡単にできる。この仕組みも、本来はエミリオンが持っていて使っていた技術だ。

「核は、抜いてあるよ」

「ふ……それほど気を遣わなくてもいいんだがな」

 鷺花が創った四番目のナイフを、愛おしそうに撫でる。

「これが完成した時、俺の中にあったのは達成感ではなく後悔だった。あの日からずっと、俺はこれを見るたびに――否、そうではない。見なくても同じことだ。俺はずっと後悔の中で生きてきた」

 ――間に合わなかったと。

 悔いてきた。

「五番目の依頼をベルから受けなければ、俺はたぶん次を創らなかっただろう。知っての通り厄介な注文だ、本腰を入れなければ完成もしない」

「でも完成した」

「完成しても――俺に次はなかった。時間の問題じゃない、気力の問題だ。新しいものを創っても結局、後悔は振りきれなかった」

 四番目は約束だった。もう間に合わないとわかっていても、エミリオンにとっては約束を破って途中放棄する方が赦せない行為だ。だから製作した、完成した。

 五番目はきっとその惰性だろうと、完成度は別として心情的な意味合いを吐露する。

「彼女は――間に合わせてくれとは、言っていなかったんでしょ?」

「ああ、俺との約束はいつか創れと、それだけだったからな。それでも――ああなることがわかっていたのなら、もっと早くにと、悔いたくもなる」

「彼女が消えることを、知らなかった?」

「気付いた時にはもう遅い――というやつだ。ネイムレスはそれすら想定範囲だと言いそうだがな」

「じーさんたちにとって、その約束が繋がりだったんだ」

「そうだ。そして、俺たちには役目が与えられた。拒否は――できたんだろう。だが、しなかった。結局のところ、彼女と繋がっていたかったんだろう。それはいなくなった今も変わらない」

「それも約束?」

「いや、ただの役目だ。約束ではない。そうだな……提案に近いか。それでも今にして思えば、やはり与えられた役目なんだろうな」

 あるいはそれを。

「予言――と呼んでもいいか。何しろネイムレスは確信してたからな」

 ある程度、名無しの少女のことは鷺花も聴いている。だが、話しを聴けば聞くほど本人の存在感に圧倒されるほど、あるいは現実味を帯びない幻想にも思えてしまう。

 逢ってみたい――とも。

 近づきたくはないとも、思えるのだ。

「とはいえ、今にしてみれば当たり前のことだ。箕鶴来みつるぎ狼牙ろうがの役目は〝放浪〟――あいつは縁を合わせるための仕組みそのものだ。蜘蛛の巣の中央にいる本体。だからこそ一ヵ所に留まることを知らず、留まる時間を限定してまであちこちを歩き回る。昔と違って今じゃ本当に世界中だ、どこにいるのかも知らないが、まあたまには顔を見せるな」

 逆に言えば、縁をある程度扱える人間がいたのならば、その仕組みを理解した者ならば、狼牙と出逢うだけで世界中の縁と合うことも可能になる危険性も孕んでいる。だからこそ留まることが難しいのだろう。

「対して椿つばき青葉あおばは〝滞在〟だ。限定条件下で必要になる青葉はむしろ、条件を成立させないために一ヵ所に留まった。野雨には青葉ともう一人がいる。以前に手酷い目に遭ったからな、最後の一人は二人が野雨に居る以上、近づこうとはしない」

 たった一度の邂逅で、蒼の草原と呼ばれる新緑豊かな公園は無残な形になった。現場は見ていなくとも、結果を知っていれば頷ける理屈だ。

ひめことゆきは〝記録〟すること。本来なら別に記録できる、という現実が必要なだけで実際に記す必要はない――らしいんだが、全部じゃないにせよ、雪芽が近くできる範囲のことを今でも地下書庫で記し続けてる。退屈も凌げるし、楽でいいってのが本音だろうけどな」

 それでも記録は残る。誰かに読まれることを前提にして。

躑躅つつじ紅音あかねは〝存在〟――昔っから、どこに居るのかもわからねえし、いつそこに居たのかもわからん野郎だったが、それでも言葉を覚え、使い、名によって縛られて存在を始めた。あいつは得たものを棄てることも、誰かに渡すこともしない。今までも、そしてこれからも、あいつは続けていく」

 終わりがない。得たものをどんどん溜め込んでいっても破裂はしない、だから存在という役目を与えられ、否応なく存在していく。

「そして俺は――〝発端〟だ」

 少し疲れたのか、エミリオンはそう言ってからしばらく呼吸を整えるように無言でいて、鷺花はそれをゆっくりと待つ。

「俺はあいつらと違う。五人の中で一人だけ――ただの魔術師だ」

 だから、発端になることができる。

「最初に俺が五の均衡を崩す。それはわかっているだろう鷺花、こうして人払いも済ませたからな」

 わかっている。いるが、肯定はできない。

「でもウェルは残ってる」

「あいつには仕事があるだろう。それに――あいつは俺と似たような部類でな」

「似てる?」

「ウェルが俺を見てなんて言ったか、教えてやろう」

 エミリオンは笑いながら。

「〝いいなあ、実に羨ましい。僕がこうして待ち遠しく、いつかいつかと待ち望んでいるものを、君はそうやって簡単に受け入れられる。五百年、千年、僕はあとどれだけ待てばいい。教えて欲しいくらいだ〟――ってな」

 あいつは昔からそうなんだと、苦笑になって言葉は終わる。

「……いいの?」

「後悔ばかりの俺にも役目ができた、ならば文句を言う筋合いはない」

「……」

「鷺花。――鷺城鷺花。これからお前は、表立って動くことができなくなる」

 これからの話。

 まだなのに、終わった後の話をされる。

「忘れるな。お前は確かに導くことはできない。だがそれでも、お前は、導き方を教えることができる」

「……うん」

「ははは、納得してねえって顔だな鷺花」

「え? いや、うん、理解はしてる。だいじょぶ」

「いや、いい。お前の生き方に口出しするつもりはない。ただ覚えておいて欲しいだけだ。それと――ここまで創造が使えるのなら、鷺花に渡しておくのが筋だろう」

「キューブ……それは」

「これは――ん、解析してみるか?」

「するする!」

「早めにな。夕食が近い」

「おっけ!」

「鷺花もそういうところが幼いな……」

「え? じーさんの前だからじゃない? よっと」

 瞬間的に二百枚前後の術陣を展開して安全装置も敷いた後、全神経を解析に集中させて二十秒ほど費やす。

「――技術結晶」

「取り出すのに二十年かかった……さすがに俺の中にあるものを、エルムに任せるわけにもいかん」

「よく取り出せたね、完全に専門外でしょ」

「それはネイムレスから貰った刃物を利用した戦闘技術だ。俺の専用だったが、お前なら扱えるだろうし、誰かに渡すこともできるだろう。受け取ってくれ」

「……うん。じーさんの戦闘技術か、貰っておく。使うかどうかもわかんないけど」

「それでいい。俺の肩の荷も下りる。――鷺花、すまんな」

「謝らないでよ……困る」

「時間があったら前崎を仕上げてやってくれ」

「はいはい」

 それはエミリオンの仕事だと、もう言えない。

 今も。

 そして――これからも。

 覚えている。

 幼いころに頭を撫でられた感覚を。

 そして今、撫でられた感覚との違いを。

 鷺花は忘れない。

 エグゼ・エミリオン、嵯峨公人と呼ばれた最高峰の刃物製作者を。

 絶対に忘れない。


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