05/07/11:20――鷺城鷺花・朧夜堂の主

 ちらりと女物の腕時計を一瞥すると十一時十五分に長針が動いて示した。穏やかな陽気は五月の日中としては普遍的であり、風に対して涼しいと感想を漏らすほどだけれども、日差しもあって暖かいと表現するほうがふさわしいだろう。

 直接は見えないが海の方角に顔を向けた鷺花は、ここが改めて野雨市ではなく、限りなく近いけれど杜松ねず市に位置することを確認しながら、商い中の札がかかった古臭い一軒家の扉を開いて中に入った。

 そこには、朧夜堂ろうよどうと描かれた木の看板が出ている。

 中に入るとそこが骨董品屋だというのがわかる。壁には棚がいくつも並んでおり、本棚には怪しげな古本もある。天井を見れば裸の電球がぶら下がっており、まるで昭和にでも戻ったような感覚だ。もちろん知識としてしか知らないし、掃除の手も行き届いているのだから問題はない。

 冷えてはいない。だが落ち着いた空間だ――鷺花は空気をゆっくりと吸い込みながら、後ろ手で扉を閉める。

 閉めた、その直後に景色が一変した。

 驚きはない。ただ。

 ――あらら、支配領域ドメインに引っ張りこまれたわね。

 肉体と精神の不一致はない。鷺花が己に施した術式が、間違いなく鷺花は扉を閉めたままその場に直立していることが確認できているのにも関わらず、広い草原の中にぽつんとある平屋の縁側には女性が一人座っていて、鷺花もまた対峙するように居た。

 現実の自分は直立している。しかし、ここで相手に合わせて正座をする鷺花もまた現実だ。それを理解しながらも顔を合わせて対峙する。

 彼女の着ている和服は、本来ならば男性が着用するものだ。けれど顔立ちや躰の作りは女性のまま、病的なまでに真っ白く長い髪を肩から腰にまで流し、ゆっくりと開かれる瞳はただ赤く、――赤く、喜びと嬉しさを含みながらもしかし、どこか攻撃的に鷺花を見た。

「堂堂としたものだ」

 口調もまた男より。いや、そもそも天魔ならばもとより曖昧なものだ、性別を捉えることも難しい。けれど、それ以上に鷺花は実感を伴って判断できる。

 彼女は、見たままの相手だと。

 この骨董品屋を経営しているのは槍の朧月おぼろづき――なればその天魔第一位〈炎義えんぎ〉であると。

「――この私を前にして頭も下げんか」

「下げたら大問題よ。それが百眼ひゃくがん様にでも発覚してみなさい。そっちの方が怖いわよ」

「ほう、まるで私と百眼が親しいような物言いだな?」

「そうじゃないと、入ってすぐの私の前にこうして姿を見せる理由がないでしょ」

「そうでもない。たとえば一見相手には常にこうしている、そんな可能性もあるだろう」

「それを朧月の店主に隠れてやってるって? 今はまだ気付いてないみたいだけれど、後になってすぐ発覚するでしょ――って、ああ、こっちじゃ酒も取り出せないか。百眼様みたいに現実で対応してくれればいいのに」

「あやつと私と一緒にするな。これでも奉られているのだ、形代(かたしろ)もなしに姿を見せられるか」

「あー、行動に条件付けが絡んでるのね。朧月との在り方が歩み寄りに近いわけか。うちの――雨天の大爺さんとは契約でも歩み寄りでもなく、単にお互いの利益で一緒にいるだけだものね」

「羨ましいとは思わんが、なあ」

「というか、娘――じゃない、孫娘か」

無花果いちじくだな。咲真さくまは槍を置いた、残念ながら私と繋がる前にな」

「そうそう、あの堅物。てっきり、そっちに移行したと思ってたんだけど?」

「状況がそうなれば、な。まだ私は啓造けいぞうのものだ」

 笑い混じりにそう言いながら、彼女は隣にあった盆を前にだし、お猪口へ酒を注いで差し出す。鷺花は当然のように受け取り、液体に視線を落としてから呷る。

「本当はお供えものを戴くような身分じゃないのよ?」

「わかっている、わかっている。まあ付き合え、頼みもあってな――」

「なあに? 私は面倒なことをきっぱりと断るからね」

「そう難しいことではない。こやつを受け取ってくれればそれで済む話だ」

 ずるりと――まるで景色の一部だったかのように、庭の一部だったはずの縁石が顔を上げる。それは、よくよく見れば屋敷全体を押し潰しても余りあるほどの白蛇だ。

 顔だけで鷺花の倍以上はあるというのに、鼻先が近づいてきても鷺花は動じない。ただ顔を向け、視線を合わせ、ちろりと出る舌の赤さに色の対比を面白く思う程度のものだ。

「こやつが言うには、お主について行けば問題ないと――そう言って聞かんのでな」

「私に、ね。いいけれど、窮屈な思いをすることになるけど?」

「それは承知――しておるな?」

 問うと、蛇はまず頭を低くしてから、鼻先をゆっくりと鷺花に近づける。だから。

「わかったわ。たぶんそれは、私にとっても必要なことでしょうし――」

 そっと鷺花が蛇の顔を撫でる、いや近づいたぎりぎりの状況で、視界が全て元に戻った。鷺花は直立したまま座ってもおらず、また手を伸ばしてもいない。店内は相変わらず静かで鷺花が独り言をつぶやいていたわけでもなく。

 ただ、いらっしゃいと言いながら顔を出して店主が驚いたように目を丸くした。

「――なんだ、鷺花じゃないか。店に顔を出すのは初めてだったな」

「久しぶりね、槍の店主。とはいえ逢うのも三度目くらいでしょ? 咲真さんとは、それなりに顔を合わせてるけどね」

 言いながら座敷に近づき、その途中で棚にあった煙管を手に取る。金具以外は赤色で、しかし装飾として白色の蛇が巻き付いているものだ。

「お前、それ……」

「悪いわね。これ、いただいていくわよ」

「――縁が合ったなら、ふさわしい相手に預けるのが俺の流儀だ。倉庫に封じてたはずのモンでも、出てきて手に取らせたんなら、俺が文句を言うわけにもいかないな」

「頑固っていうか、相変わらずというか……ま、いいけれどね。それよりこの子の素性については?」

「見ての通り白蛇だ。再生と幸運の象徴。〝静粛の器〟と〝御神の崇敬〟って、確か器の方は魔術品で後者は骨董品だったか。その二つに身を寄せた段階で煙管になった――と、聞いてる」

「聞いてる、ねえ。ああ名前はいらない、そこまでは私の領分じゃないからね。それで経緯は?」

「……察してるんだろう?」

「名前は必要ないって言葉から探ったんでしょうけれど、確認のために言いなさいよ」

「鷺花、お前そんなに可愛くなかったか? 紫花のがよっぽど素直じゃないか」

「はいはい、いいから先に言いなさいよ」

「元は野雨西の土地を守護していた白蛇だ。形代に身を寄せたのには蓮華れんかが関わってる」

「ふうん? それ、五木の領域からの流れを阻止する役目としてのもので、それが終わった時点で好きなようにさせたってことよね。野雨西の土地から抜けたのはいつ?」

「――鷺ノ宮事件、当時だ」

「ま、そのくらいでしょうね」

 吐息は小さく、鷺花の手から離れた煙管はそのまま物理法則に従って落ち、影の中に消えた。

「さてと」

「おう。つっても、それが用件で訪れたんじゃないんだろう?」

「それはもちろんよ。同業――とはちょっと違うかもしれないけれど、前崎は知ってるわよね?」

「ああ、ま、確かに同業とは違うが、繋がりはそれなりにあるな。骨董品を扱い始めた当初はそれなりに教えたが、それがどうかしたか」

「仕事を頼んでいるのだけれど、手土産に何かいいものはないかと思ってね」

「仕事? 確か、三年くらい前に逢った時は……そんなことを言っていたか。飾り用の瀬戸の大皿を手放したとか、困ってたのは覚えているが」

「ちゃんと正規の請求をしないからそういうことになるのよ」

「――買ったのはお前か」

久我山くがやまの旅館でまだ使われてると思うわよ? 興味があるなら見に行けばいいし、どうせなら前崎に渡す品物でもあればいいかなと多少は期待しているのだけれど」

「うちに来るのは面倒な代物ばっかりで、そんなもんは――……ああ、そういや根付が三つほど余ってたっけな。黒壇を彫ったものだが」

「商品なら私が購入しなくちゃいけないから、できれば仲介なしに受け渡せるものがいいのだけれど?」

「なるほどな。商品になるなら、お前から前崎が買い取らにゃならんか。どうせ余りもんの在庫整理みたいなもんだ。何しろ、中身がない」

「じゃ、渡しておくわ」

「そうしてくれ」

「――そういえば、無花果はいないのね?」

「お前ね、今の時間は学園だろう。鷺花は行かなくてもいいのか?」

「え? 特に……仕事もなかったはずだけれど」

「いやそうじゃなくてだな、学業だ学業。紫花は通ってんだろうし、お前もVV-iP学園に在籍してるんじゃないのか」

「あ、ああ、そんなこと。日本の大学レベルならとっくに履修してるし、私が身につけたのは試験に受かるための一時的なものじゃなく、れっきとした知識だから、今さら復習なんてするつもりはないわよ」

「……どうかしてるぞ、お前」

「はあ? 咲真さんは大笑いしてたわよ?」

「いやアイツもどうかしてるからな」

「あ、そうそう、これ炎義にあげといて」

 影からウイスキーを取り出した鷺花は近づいて渡す。一度視線を落とした啓造は顎の無精ひげをなでてから、大きなため息を落とした。

「さっき、俺が来る前か?」

「そう。領域に引き込まれて、挨拶をね。その時にはあっちの酒をご馳走になったから」

「諒解だ。ったく、勝手に動きやがって……」

「たまには、いいでしょう?」

「その、たまにで大凶を引き当てるような真似をするから厄介なんだ」

「私には基本無関係だからいいけれど。店主はまだ槍、持ってるんでしょ?」

「まだ現役を退いたわけじゃないからな」

「私もね、初めて学んだのが槍なのよ。――あ、使ったんじゃなく学んだのね」

「なんだ、暁か?」

「いや違うけど。紫花じゃあるまいし、私は雨天を継ぐ気はないもの。ああそっか、啓造さんは詳しくは知らないか。まあそれが当然というか……あー、たとえばこれ」

 再び影に手を入れて黒色の槍を取り出して、渡す。

模造品レプリカ――に、限りなく近いけれど」

「……お前、コレをどこで手に入れた」

「さすがにわかるかあ」

「わからん、と言えた方が正直マシだ。なるほどな、こいつの所持者に手ほどきを受けたってわけか」

「まあ、私だって多少は躰を作っておくべきだと思ったからね。そう役には立たないけれど」

「どうだかな」

 ひょいと投げられたのでそれを掴むと、啓造は喉の奥で笑う。

「――多少って動きじゃねえだろ」

 掴み方、掴む位置、手に入る力の具合、おそらくはその三つだろう、啓造は動きから錬度をある程度把握してしまう。だから武術家は面倒なんだと、鷺花は苦笑して槍をしまった。

「少し待て、とりあえず荷を包む――と、鷺花、飯を食ってくか? 俺の作りだから適当だが」

「そうね。本題は終えたし、じゃあご馳走になろうかしら。話したいこともあるしね」

「おう」

 とはいえ、さすがに長居できるだけの時間はないのだけれど。


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