05/07/13:50――鷺城鷺花・音頤の完成品
デパートの一画、前崎の店舗である
魔術師の研究部屋よりも、むしろ工場の一画に限りなく近い。ただし散乱しているのは魔術品や魔術素材、あるいは完成形のものも含めてで、紙媒体のものはほとんど存在せず、あったとしても図面版に乗っているものくらいだ。
「――あっと、すみません鷺花さん。お呼び立てする形になってしまいまして」
「いいわよ、気にしないで」
ここに招かれてから、無人の廊下を歩いてここまで来たものの、前崎はまだ仕事があったのか工場におり、鷺花は入り口からその様子を見ていたのだが。
「私にとっても珍しい光景だし。でも、他人を招く場所じゃあないわよね」
「さすがに相手は選びます。鷺花さんはお得意さんですし、大将の知り合いじゃないですか――けれど、珍しいでしょうか。大将の工場は見たことがありませんでしたが」
「いや、あの人……エミリオンには工場なんて必要ないから。作製に必要な素材があればいつでもどこでも刃物を生成可能で、作ったら物置に放り込むような人よ?」
「なるほど、大将らしい。っと、じゃあそちらの部屋で。今行きます」
工程に区切りをつけたのか、ツナギ姿の前崎はテーブルの上のタオルを掴んで汗を拭うと、足元にあった術式封印済みの箱を手にして戻ってくる。隣室は休憩所を兼ねているのか物が少なく、ティーサーバーが置いてあり、粗末なものですがと前置きを言って珈琲を差し出した。
お互いに、向かい合って腰を下ろす。
「今回は私から打診したわけだけれど――」
「ええ、驚きました。まるでこちらの製作過程をご存じのようで。それに、もうそろそろ期限になるかと」
「まあ、そうね」
実際にここ三年ほど、前崎から連絡を受けて一応の完成品とやらを見に来たのは何度かある。その度に駄目だしをしていたのだが。
「最悪、その場合は仕方ない、私が製作するだけよ」
「そして音頤機関は見限られる――ですか。いや、私どももそれを理解していたからこそ、取り組んできたのですが、はっきり言われるとなかなか堪えますね」
「しょうがないでしょう。こっちだって意地悪で期限を切ってるわけじゃないもの」
「では、こちらをどうぞ」
箱に鍵となる術式を当てて開くと、黒色の板を一枚取り出す。だがそれ以前に、箱の中に既に数枚が入っているのがわかった鷺花は、この時点で完成したことを察した。
複製は難しい。完成見本があってもここ三年で音頤が完成できなかったのと同様に、それは全ての仕組みを理解して複製可能である条件が揃わなければ、いくら同じ材料があっても可能にはならないのだ。それができた時点で、目的を達成できたとも言えよう。そしてまた、彼らの自信もそこに含まれる。
「――そういえば、私の術式を見せたことは、あったかしら」
「いえ、なかったかと」
「そう。驚いても無視するから、変なリアクションはしないように」
「はあ……」
直後、構造式が周囲に展開する。数えるのも億劫になるほどの――それは、端末慣れした人間ならすぐにわかる、いわゆる窓形式での表示であり、内部には文字やグラフのようなものが記されていた。
「これ、は!」
「四十秒待つわ。私、そこまで甘くないもの」
「――!」
だがそれは優しさだ。そう受け取った前崎は己の術式を高速展開し、片っ端から〝
お世辞にも美味いとは言えない珈琲を、戦地で飲むものと比較すれば十分に飲める範囲だと思いながら時計に視線を落として四十秒後、鷺花は黒薔薇から完成形の情報を展開して同一部分を消去させていく。
――甘いかしらね。
その作業が終わるまでに、およそ六十秒。静けさが戻った室内には、やや呼吸を荒げて首に巻いたタオルで汗を拭う前崎と鷺花がいる。
つまり、構成情報は全くの同一だ。
「ん……」
続いて板そのものを情報に変換して式にするが、それは一瞥しただけで確認を終えて、物体に戻す。その頃、ようやく前崎は椅子に腰を落とした。
下ろすのではなく、落とした。
「そうか……そもそも魔術品であるならば、構造そのものを展開式に流用することができるかもしれない、いや、できている。だが理解できない部分を展開するために――待てよ、ここに物品がある以上は展開することはできる。できるが、それを理解するための要素は単純な知識だけでもなく、いや、だからといって展開式そのものを他者に理解させることも――」
「はいはい、まずは本題よ」
ぱちんと手を叩くと、口元に当てていた手を外した前崎は、困ったように苦笑した。
「――失礼しました」
「音頤なら、そのくらい貪欲で充分よ。ま、好きにしていいけれど、私としては助言するつもりも影響させるつもりもなかったんだけれどね。――それで? 揃ってる?」
「十二枚、用意してあります」
「ん、結構よ。後はこの技術を失わせないようになさい。それで私の依頼は終了ね。ご苦労様」
「……そう、ですか。わかりました」
ほっと、肩の力が抜ける。やはり緊張していたらしい。まあ、今までにべもなく壊されていれば、確かに緊張もするか。
「失礼、連絡を」
「構わないわよ」
携帯端末を取り出し、やや震えている己の手に気付いた前崎は握って開け、という動作を二度ほど繰り返してから、依頼終了の連絡だけをメールにして通達した。
「しかし――これを何に使うのか、そういったお話は」
「そうね……大抵の構成は完成しているから、後は組み込んで試すだけ。これはね、魔術を利用した広域における通信機よ。世界中どこでも繋がる、電子ネットワークを介さない通信を可能とするもの。今のところ所持者は限定してるけれど……ざっと五神の後継者とか、楽園の王とか、その辺りに持たせるつもり」
「それは――つまり、基盤を音頤が作成できたとしても、鷺花さんの術式が組み込めなければどうしようもない、と?」
「まあ現状ではそうなるわよね。もちろん、完成品を想定するか解析して、術式の構成を理解できて組み込めば別に問題はないけれど、量産するつもりはないわ」
「では、紅月が堕ちるという想定は……現実味を帯びているのですね」
「電子ネットワークがなくなるってことは、まあ、そういうことよね。三年前なら、ただ可能性の話だと口にしただろうけれど」
「ええ、現状ではむしろ、信憑性を増すだけかと。とはいえ私たちは、私たちの立場から外れるようなことをするつもりはありません」
「それでいいのよ。そうだからこその音頤で、音頤だから頼んだのだから」
「ありがとうございます」
「じゃ、成功報酬の支払いね。いつもの振込先でいいかしら」
「――ちょっと待って下さい。いわば技術提供であって、確かに必要経費は打診しましたが、成功報酬まで受け取るとはまったく考えては……」
「金のためにやってるわけじゃない、でしょ? いや知ってるけど、いいから浮いた金だと思って受け取っておきなさい。私からじゃなく、セツとウィルから――はい、振り込み終わったわよ」
携帯端末を操作していた鷺花は、終了した時点でそれをポケットに戻す。さすがに七千万ラミル――ざっと七億もの金を、鷺花だとて簡単には稼げない。これは彼女たちの稼ぎで、まあ、当人たちに言わせれば小遣いみたいなものらしいけれど。
「浮いた金、ですか……」
振り込み確認をした前崎が引きつった顔をしているが、知ったことではない。
「そうよ。好意ね」
「はあ……まあ、ここで鷺花さんに文句を言うのは筋違いでしょうけれど、しかし、彼女たちをどうやれば説得できますかね」
「できないでしょうね」
そうですよねえと、前崎は頭を掻く。
「そんなに困ること? いいじゃない、研究費用として受け取っておけば」
「いえ……あの、ご存じないのですか。あの方たちはことあるごとに理由をつけて、いえ理由がない場合もありますが、というか大抵は理由なんてありませんが、とにかく余ったからと言って一方的に振り込みをしていまして、音頤の貯蓄はもう、そう簡単に使えないほど溢れておりまして……」
「――馬鹿じゃないのあいつら」
「それを私に問われましても、困ります」
「まあ今回は理由があるのだし、諦めて受け取っておきなさい。後は――ああそう、朧夜堂の店主から、売り物にもならんからそっちで捌いてくれと、根付を預かってる」
「ああ、助かります。ありがとうございました」
「骨董品店の方は相変わらず開けたり閉めたり?」
「最近は閉める頻度の方が多かったですよ。追い込みでしたし、私が引き受けた以上は私の管理になりますから」
「ま、順当な流れね」
「……鷺花さんとしては、この結果にどう思いますか」
「それは感想でいいのよね?」
「ええ、率直なものをお聞きしたいと」
「まあ遅すぎるわよね。設計図も渡して仕組みも全部記して、この結果だもの」
「面目次第もありません」
「及第点だけれどね。――そういえば、あなたたちはどうするのかしら」
「どう、とは」
「五神のように継ぐのか、そんな広義でいいわよ」
「ああ、そういうことですか。もちろん技術そのものを劣化させないため、統括じみたことはしていますが、やはり私どもは組織である以前に個人ですので。とはいえ、己の技術を継承している者もいますし――そして名を、継ぐことを決めています」
「なるほどね。ま、あんたたち技術職は必要だから、緊急時には防衛に徹して支援を待つのが次善よ。――さてと、そろそろ行くわ」
「あ、はい、そこまで送ります」
「ありがとう。それと、しばらく野雨を離れるから、直接の影響はないだろうけれど、そのつもりでいなさい」
「助言、感謝します」
「……ま、いいけれどね」
時間的にはぎりぎり――だろうか。
ともあれ、今日やるべきことはひとまず終いだ。
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