08/27/20:00――鷹丘少止・情報の性質
実際、フラーンデレンと呼ばれる酒場に足を踏み入れるのは、鷹丘少止にとっては初めてのことだ。まだ真新しい内装や、試行錯誤がこれから行われるだろうことは想像に容易く、一応の営業時間は二十二時までとなっているが、これもまた、現時点での話だ。
奥の席に知った気配がある。客入りはぼちぼちだ、店内が狭く感じるほどではなく、採算は――知ったことではない、か。ウエイターが丁寧な所作で、けれど忙しなく動いているのを横目に、カウンター席の隅に肩肘を置き、声を。
声をかける。カウンターにいる男性には一瞥だけを投げ、見知った相手ではないことを確認しておく。
「リック・ネイ・エンス。どういう風の吹き回しだ? なあ、おい」
「――、やあ、もしかして、マルヨンか?」
「仕事中じゃない、ビートでいい。俺のことを覚えてたか」
そうして、少止は、僅かに皮肉げな〝表情〟を作った。
雰囲気を偽る、表情を作る――それは少止の仕事であり、特性だ。そのためには、一人称や話し方を変えるくらい、お手の物である。
「つっても、お前の事情に深入りするつもりはなかったから、落ち着くまえツラを見せるのは控えようと思ってたんだがな。連れが二人、先に来てる。奢れとうるさいんでな」
「へえ――ベースはこっちに?」
「そんなところだ。そういうお前はどうなんだ。余計な面倒を起こすつもりなら、これ以上はないぜ?」
「まさか。僕は見ての通り、酒場の経営だよ」
「ふん。きちんと足跡を消せているようなら、何よりだ。それほど隠してはいないらしいが」
「――僕の息子には内緒のままさ」
「なんだ、野郎はこっち来たのか」
「まあね。知らなかった?」
「内緒にしておいてやる。だから、俺も黙秘権だ。ローデンバッハをくれ、つまみも適当にな。支払いは先か?」
「後だよ。一本でいい?」
「在庫があるなら、もう一本は持ち帰りだ。もっと注文しろって催促なら、ロシュフォール10とオルヴァルを一本ずつ。頼んだぜ」
「諒解だよ、ビート。今後とも頼むよ。次は、休みの日にでも」
「気が向いたらな」
ひらひらと手を振り、奥へ。
正直に言えば、少止はリック・ネイ・エンスの過去を全て知っているわけではない。かつては海賊だった、スペインで飲食店を経営しており、そこからベルギーで喫茶店、アメリカで酒場と場所を移して、そしてここへ来た。知っているのは、そのくらいなものだ。
少止が出逢ったのはベルギーでのこと。それからアメリカで顔を合わせることになり、それが調べるきっかけになったのだが、険悪な間柄でも、深い付き合いがあるわけでもない。
コの字になっているスペース。奥に
「――なんだ、まだ一本目か。時間指定しなかった俺も悪いが」
「構わないよ。僕はもともと飲めないし、ちょっと自転車のことで店長と話が盛り上がっていたからね」
「そりゃ良かったな。いや、どうでもいいが、夢見はなんでそんなに疲れてんだ……?」
「運び屋の仕事が入ってな、いや今日じゃない、明日だ。酒を飲みに来たのに、深酒はやめろって忠告を、自分勝手にやってる姉貴から言われれば、こんなツラにもなる。飲んで忘れることもできやしねえ」
「お前も難儀だな」
「うるせえよ、顔作り。そういう微妙な〝誤差〟を作るから厄介なんだ」
「私にはわかるけれどね。ああいや、逆かな。作られた誤差そのものがわからない――と、そんな感じにもなる」
「花楓と違って俺は敏感なんだよ。技術肌だと言えるほどじゃあないが。それよりもだ、とっとと話せよ少止。酒が不味くなる話は先だ」
「ああ。あの時に遭遇したのはランクSのコンシスだ」
言えば、二人は押し黙る。その際にウエイターが持ってきた酒を受け取り、まずはとローデンバッハを開け、そのまま口をつけた。少止が作った今の〝雰囲気〟では、こういう飲み方が一番適している。
「おい少止、そいつはどの程度の信憑性だ? 今日は七の日だから高設定だってくらいのものだろうな?」
「今時、設定6でも出ない時は出ないだろ……」
「少止、そういう話ではないよ」
「っと、そうだったな。脱線ついでだ、説明しとくと、このテーブルの周辺には
会談の場にも使えるよう、設計当時から仕込んである。そういう店――つまり、落ち着いた雰囲気の店を作りたかったのだろう。バージニアにあった頃は、軍人がよく立ち入るような、騒がしい店だったが。
「ちなみに信憑性はある話だ。対峙した俺たちなら尚更な。ただし、目的そのものに関しては推測の域を出ないが」
「当人とのコンタクトは、さすがにしていないんだね?」
「そんな暇もなかったし、探し出すのにも骨は折れる。ただまあ――縁が合ったんだろう」
「縁かよ。そりゃ、たまたまって言葉に論理的な肉付けをした、おそらくこうであろうって考えか?」
「似たようなものだ」
「こう言っては、傲慢にも思えるけれど、たとえば、私たちの行動が耳に入って、若いのがいるなら遊んでやろう――その程度のものでの接触も考えられると?」
「まあな。少なくとも仕事のブッキングはしてねえ」
「あの程度の仕事にランクSが出向くかよ……ん? そういや聞いてなかったが、あの仕事の指定は?」
「ランクD指定だな。俺はEだが、まあ、そこらの事情は俺の事情だ。気にするな」
「狩人の事情にまで深入りはしねえよ。仕事の内容を聞いて、できると思ったから付き合った。そこに変わりはない」
「ただ、台風がそこにいたんだと、それだけで納得はできないね。いや――納得するしかないのかな」
「――どうなんだ?」
少止は、一本目をあっさりと空けて、けれど次に手を伸ばすことなく煙草に火を点け、少しとぼけたように。
「お前らがそれぞれ〝奥の手〟を使ったとして、通じる相手だったか? ――否と、そういう気持ちがあるなら、敗走の仕方を考えるくらしいかねえだろ」
「……ま、そりゃそうだな。少なくとも現状じゃ、どうしようもねえ。いくら財布の中身を確認したって、一時間後に劇的に増えることはねえよ」
劇的に減ることはあるがと、皮肉げな笑いを浮かべた夢見は、グラスを傾ける。
「終わった話を蒸し返すなと言えるほど、呑気なものじゃなかったのは確かだが。通りものに遭遇したと諦めるくらいなものか。仕事は?」
「おう、もう指定の口座に振り込んであるから、確認しとけ。大した金額じゃねえけどな」
三人でそれぞれ、三万ラミル――三十万円くらいなものだ。逆に言えば、単独で行った場合は百万円である。ちなみに狩人の依頼としては、安い部類だ。何しろ発見されたら即犯罪者として、狩人専用留置所に放り込まれ、認定証も剥奪。人生を賭ける値段ではない。
「しかし、少止は店長と知り合いなのか?」
「ん、ああ、ここじゃなくて前の店でな。顔を見たのは随分と久しぶりだ」
「少止も狩人になって長いから、そういうこともあるか」
「まあな。実際、明日から国外に飛ばなきゃならねえし……面倒な話だ」
「あちこち出歩けるのも、半分は羨ましく思うけれどね――ああ、そうだ。出歩くので思い出した。最近、鈴ノ宮が拾い物を得たようでね」
「へえ?」
知っている。それが、リック・ネイ・エンスの血のつながらない息子だということも。
「ああ――なんか、あったな、そういう情報。なんか気になることでもあったのか? 拾い物なら、鈴ノ宮の専売特許だろ。酒場に来たら酒を頼む、そういうことだ」
「それなりに気にしているのか、花楓は」
「はは、世代が同じだったから、珍しいと思っただけで、それ以上はなにも。突っ込んで調べてみても、良いものかなあと」
「その辺りは俺も疑問だな。どうなんだ少止、情報に関しては、俺も花楓も、お前の見よう見真似だ」
「判断基準か? そんなものは失敗して覚えろよ。本気で深入りできねえ問題なんてのは、足を踏み込む前に、どうしたって気付ける。失敗する前であってもだ。調べて後戻りができねえ情報なら、進んで情報元を壊せば呑気に暮らせるようになる。
「俺より乱暴な理屈じゃねえか、なあおい」
「まったくだ、参考にもならないよ」
まあいいんだけどなと思いながら、少止は煙草を消して次のビールに取り掛かる。
「今言ったことは嘘じゃねえよ。現実に即した言い方をしても、曖昧な物言いになるのは性分だ。――俺の、じゃなくて、情報そのものが持つ性分だな」
情報の集め方や、そういったシステムの構築方法はそれとなく教えたが、実際に情報そのものの扱い方までは教えていない。そもそも人に教えられるような立場ではないし――二年前は、そういう間柄でもなかった。
「情報集めなんてのは、最初から
「指輪を落としたからって、原っぱで腰を曲げて探すのと同じだ――と、言った覚えがあるな」
「そういや、そんなことも言ってたか」
それが、二年前だ。
「こいつも極論にはなっちまうが、俺に言わせれば拾える情報は、最初から隠されてねえ。いや、隠されていたとしても、拾えたのならば、結果的に同じことだ」
「同じ? つまり、たとえば情報にレベルがあったとしても、そこに差異はないと?」
「差異はあるぜ。隠したかったものと、隠していないものの差だ。けれど、拾えたという結果自体が変わらないのならば、同一と定義できるのが、それを使う側だろ。売買をしてる情報屋の場合は、そうでもないが」
「それを〝売り〟にしてんだから、連中にとっちゃそうだろ。姉貴のヘソクリがどこにあるのか知ってたって、それに目を瞑ってやるのが使う側か」
「……その論でいけば、夢見は――ともかくとして」
「似たようなもんだ」
「うん、そうだね、私たちが集められる情報そのものは、危険度はない――と?」
「極論だと言ったぜ。けどまあ、その通りだ。それを使って相手を動かしたりしなけりゃな」
「ふん、自己完結なら問題ねえってか」
「仕入れをしたって、売らなきゃ犯罪にゃならねえだろ」
「だとして、であるのならば少止、何が危険なんだ?」
「言っただろ、他人を巻き込むことだよ。いくら誰かの情報を集めようとも、それ自体は何の危険性もない――難易度はあるけどな。それを利用して上手く立ち回るならともかくも、下手に使えばその〝誰か〟が報復する危険性が上がると、そういう理屈だ」
「そんなことは便所掃除のガキだってわかることだ、少止」
「ならば、そもそも危険な情報とは一体なにになるのかな」
さすがに誤魔化されないかとは思うが、しかし、話していいものかどうかは迷う。本気で誤魔化そうと思えば、それは少止も得意としている分野なので、さほど難しくはない。ないが、そこまでして隠すものかと問われれば、微妙なところだ。
「つまりだ」
早いペースだとわかっていたが、二本目を飲み干して少止は言う。
「持っていると危険な情報ってのが、一体どういうものなのかを、具体的じゃなくて抽象的に教えろと、そういうことか?」
「そうだよ。やっぱりわかってるじゃないか」
「面倒だな……まあ、それを知れば多少は危機感を抱くって言うなら、忠告にはなるか」
実際に、言葉にしてしまえば、そう難しいものではなく。
「持っていると危険な情報ってのは、拾っていない情報のことだ」
ここまでの話を理解できている二人に対してなら、これだけで済む。
そして、期待通りに二人は黙した。それがどういう意味合いかを知ったのだろう。
「そいつは、ただ知っているだけで、危険になる。逆に、知らないでいることも、同様に危険な場合はあるな。結局は立ち回りの問題だと、情報に関する話題の大半はそこが結論になっちまうが」
拾い集めた情報そのものが役立つ時は、あまりない。何故ならば拾った情報のほとんどは、過去に起きたものだからだ。けれど、情報収集を辞めることはできない。何故ならばその本分とは、集めた情報を分析して現在にあてはめ、そこから未来のことを考えるためのものだからだ。
そして、それらは、拾っていない情報に該当する。いわゆる自分が持っている情報そのものだ。間違っていても、あるいは合っていても――危険性はある。
知っているからこそ放り投げられる仕事もあれば、知らないのに回された仕事で失敗を犯しそうになるのも経験した。どっちも少止にとっては師と仰ぐ人からの強制的な仕事だったが。
「知っていて損になることはねえよ。ただし、厄介な荷物を背負うことにはなる。知らないことも現時点での立場の証拠だ。それもまた、荷物だろ」
少止としては、知らないで遅れをとるよりも、知っていてどうにかしたいと思って行動している。
――考えてみれば。
似た者同士と、言うのだろう。少止も、夢見も、花楓も、ある一点において非常に近しい部分がある。けれどそれは、現時点では少止しか気付いていない。教えるつもりもない。もしかしたら気付く時には、それこそ手遅れかもしれないが、それでも、教える気にはならなかった。意地悪とか、そういうのではなく。
かつて少止がそうであったように、己で気付くべきものだと、そう思うから。
「――おい、そろそろ酒の不味くなる話は辞めようぜ。最初に言ったが、俺はあんまり飲めねえんだよ。限られてるのなら、美味い酒を飲みたくなるのが人ってもんだ」
「……それもそうだね」
「我儘言うなよ夢見。だいたい俺は話したくて話したんじゃねえ」
軽口を叩きながらも、たぶん、夢見が一番よく考えているだろうことは、花楓も少止もわかっている。表には出さないだけで、この男はお人好しで世話が上手く、思慮深いのだ。
だからこそ、彼らはバランスが取れている。
心地よい均衡がそこにはあったのだ。
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