08/28/09:00――鷹丘少止・サミュエル

 表立って動くことは珍しいが、それでも少止は野雨を中心にして動いている。どうしてかと問われれば誤魔化すが、結局のところ火丁あかりがいるからだ。妹のために、なんて口に出しはしないけれど、過保護だと言われても反論はない。

 結局のところ、自分たちに足りないものは、自信だ。己の証明とでも言えばいいのだろうか。胸を張って、高らかに、自分はここに在るのだと誇れない。一人でいれば己の弱さばかりが目につき、足を前に動かすのにすら理由が必要になって、ため息を落とすのが面倒になってしまえば、きっと、空ばかり見上げる毎日になる。

 だから、少止は二人を誘った。

 もちろん戦力的にバランスが良く、お互いに競合するような役目がないことも重要ではあった。けれどそれ以上に、自分も含めて彼らには自信がなかった。そのくせ、一人で生きることができる人種だったのだ。矛盾にも似たそれらを総じて、弱さと呼ぶのではないのかと、そう思って。

 必要なのは、他人なのだと気付いた。三人揃って仕事をして、しばらくして、とっくにそれを得ていた少止が、遅く、気付くことができたのだ。自分にとって火丁がそうであるように――自分たちのような人間が、きちんと一人で生きるために必要なのは、誰かが傍にいることだと。

 それは、なんだっていい。少止のように一方的な過保護でも、護りたい誰かでも。そのうちに、花楓が付き合っている梅沢なごみという少女は、少止のとっての火丁と同じ位置になるだろう。当人を知っていて、花楓が話す差しさわりのない会話から推測すれば、たぶん――なごみの判断は、許すことだ。

 おそらく、なごみは許す。喧嘩をした理由も詳しくは聞いていないが、花楓の仕事内容を全て含めて、知らないことも、わからないことも、知ろうともせずわかろうともせず、ただそのままであることを、花楓に〝許す〟だろう。それは、きっと。

 兄ちゃん、と初めて呼ばれた時のように。

 ともすれば落涙してしまうほど、嬉しいもののはずだ。

 ――とはいえ。

 今の少止は、それが原点だけれど、それだけでは済まない立場も得てしまっている。もう三時間もすれば飛行機か輸送ヘリの中にいるだろうし、その行く先は決して火丁の傍ではないのだから、なかなか難儀だ。

 もっとも、少止は火丁の〝影〟であることを自覚的だ。当人には悟られず、いや、悟られたところで、目の前に出て背を向けることを否定している。街灯によって照らされた部分が火丁の場所、それ以外の暗いところが自分の場所と、そう心に決めていた。

 ともあれ。

 後回しにしていたことも、野雨を出るとなれば先に済ませておくべきだ。そう思って少止が足を向けたのは、いわゆる〝武器〟と呼ばれるものを全般的に扱う音頤おとがい機関、野雨に居を構える前崎あけびの家であった。

 少し前から、デパートの一角で骨董品を扱う商売を始めたらしいが、偽装というよりも経験を積みたいらしい。狩人でもあり、もともと少止の師匠との付き合いもあったため、少止も顧客になったのだが、それなりに親しくやっている。

 向かった先はデパートではない。今日は定休日であることを事前に調べておいたので、住んでいる家だ。工房と一体化しているため、住居スペースが非常に狭い家である。

 おそらく縁が合うだろうことは理解していた。

 それが今になっても驚かない。逆に、どうして今なのだと疑いは持つ。遅かれ早かれ、と思うこともあるが――きっと、今、こうして。

 サミュエル・白井に出逢うことは、何かしらの意図があるのだろう。

 ――誰の?

 その疑問が頭に浮かんだ瞬間に、考えるのを止めた。

「よぉ、なんだ前崎、来客中かよ。こりゃ出直した方が得策か?」

 酒場にいた時よりも軽い口調、顔には軽薄そうな笑みを張り付ける。若い振り――いや、年齢的にはまだ、振りではないか。

 これが、少止にとっての初動だ。いわゆる初対面での〝騙し〟である。

「ん、なんだ、少止か? おう、入れよ。ノックしろ」

「馬鹿、さんざんやっても工房にこもってたら聞こえねえだろ。おう、悪いな邪魔して」

「――いや」

 やや冷たい瞳。物事への興味が薄く、常に準備状態を続けているような気配。命令慣れした雰囲気――。

「構わない。俺の用事はもう済んだ」

「へえ? そりゃ良かった。音頤ができたのは、思っていたよりも最近だったって、結論を確認できたんだな。おい前崎、珈琲くれよ、珈琲。ビールとか置いてねえだろ、お前」

「勝手に飲めよー」

「何やってんだ、あいつは……ん? どうした、サミュエル」

「質問が一つ」

「端的なヤツだなあ。なに?」

「ここでのお前の立ち位置は?」

「へ? いや、俺なんかその他大勢の一人だぞ? 冗談じゃなく。はは、認めるのは癪だけどありふれてるってやつだ。なあ前ざ……いや、あいつ、ろくな返答寄越さないから聞くだけ無駄か」

「おーう、なにが無駄だって?」

 作業着スタイルで奥から出てきたのは髪を後ろで括った青年だ。といっても、それほど長いわけでもなく、単に作業の邪魔だったので縛っただけといった格好である。

「三日寄越せ、スー。きっちり直すか、癖を含めて新しく作ってやる。時間を見て、デパートの店舗を叩け。いいな?」

「諒解だ。夜に出歩くこともなければ、トラブルもない。そういった意味での安全性は、確認した。予備はいらない」

「そりゃ助かるね。面倒がない」

「邪魔したな」

「俺に言ってんなら、邪魔したのは俺の方。予約を入れたわけでもねえし……ん? 前崎、そういや予約取ってんのか?」

「阿呆か」

「うるせえ、知ってる。じゃあなサミュエル、次に逢うことがなけりゃいいな、お互いに」

「……そうか?」

「おいおい、俺は行く先先で野郎とツラ合わせるような趣味はないぜ。可愛い子ならまだしも――あ、ちなみに可愛くても女の子限定だからな。そっちの趣味もないし。……あれ? 俺の性癖の話じゃねえよな、これ」

「……」

 無表情にも思えるような顔で沈黙し、無言のまま背を向けたサミュエルが出て行く。やれやれと珈琲を片手に肩を竦めれば、前崎もまた珈琲を注いで椅子に座った。

「お前の営業声、久しぶりに聴いたな」

「そうだったか?」

 そうかもしれねえなあと、そこまで言った少止は軽く瞳を閉じて、小さく吐息するようにしてから目を開く。

 たったそれだけで。

 顔から表情の一切が消失し、取り繕う必要のない鷹丘少止が出現する。先ほどまでの浮ついていた気配はどこへ行ったか、堅いような印象を受ける気配が出てきた。

「初対面の相手なら、私もそれなりに気を遣うんだってことを、覚えておけ」

 そしてまた、口調も素と呼ばれるものに近くなる。あまり抑揚のない、いつもの声。いや、いつもではないか――何しろ、人が自宅と外とでは仮面をかぶって対応を変えるように、少止はいろいろな仮面を持っているから。

 この特異性に気付いたのも、あの二人と行動を共にしてからだ。そして気付けば――これがあったからこそ、師は自分を見てやろうと、そう思えたのだとわかる。どうして前崎を相手に取り繕う必要がないのかと問われれば、初対面の時から、こうだったからだ。

 つまり――それなりに、長い付き合いなのである。

「お前はサミュエルより、エンスとの付き合いだろう。昨日、酒場で少し話した」

「おう、まあな。というか……やっぱりスーのことは調べたのか」

「スペインの血が混じってて、あっちでエンスに何を教わって、その前に何をしてたか――くらいなものだな。最近のことなら、野雨の〝歩き方〟がいやに限定的で、効率が良いってことくらいか。勘が良いのか、面倒が嫌いでとっとと済ませようとしているのか、どちらかだろう」

「さすがに、そこらは外してねえか」

 ははは、なんて気軽に笑うが、自然に耳に入ってくるような人物だ。どうでもいい情報なら入らないし、調べなくてはわからない人物ならば、そもそも警戒が無意味。サミュエルはその点で要警戒対象である。

「面倒だ」

「なにが」

「こうして出逢った以上、これ以降は出逢わないよ配慮しなくちゃならねえ」

「やめりゃいいじゃねえか」

「そういうわけにはいかないのが、面倒な私の生き方だ」

「だったら文句を言うなよ――ん、それでお前、どうした?」

「後回しにしてたんだが、今日からまた国外で仕事なんだよ」

「へえ、あっちの仕事が入ったのか」

「聞けよ。この私が、六○ロクマルと合同任務だぜ。救いなのは三○から行くのが私だけってことくらいなものだ」

「聞いても、変えられねえよ、そんなの」

 少止が所属する組織の部隊名であり、そもそも三○は潜入捜査などを専門にしており、六○はやや特殊な任務が多い。もっとも、逆に言えば、六○の部隊もまた、三○の手など借りたくはない――といったところだろう。けれど、専門が違うのならば、こういうこともありえる。

「六○のファースト、つまり六○一ってのが東洋人だ。私に言わせれば、ただそれだけのことで縁ができる」

「……ふうん?」

「つまり、遠まわしに調べておけよと、そういう意味だ」

「遠まわし過ぎるだろ……うちの情報ラインに落ちてるかどうか、探ってみなきゃわからんが、六○って言えばレインが所属してるからなあ。気にしておく。で、そんな愚痴を言いにきたのか?」

「似たようなもんだ」

 ジャケットのポケットに入っていた布包みをテーブルに置き、少止は対面に腰を下ろす。長居をするつもりはなかったが、立ったままでは会話もしにくいだろう、なんて配慮だ。

 布の包みを開いた前崎が、顔をしかめる。

「おい」

「なんだ」

「たった一度の使用で壊れるような下手は打ってなかったはずだろ」

 そう言っていたなと、少止も頷く。

「百キロの長距離移動に加えて、三人分だった」

「――馬鹿だろ、お前」

「そうは言うがな……私一人ならともかくも、コンシスの気まぐれで襲撃を受けて、三人で対応することになれば、いくら逃げれば追わないと言われてたって、最大距離で跳びたくもなる」

「マーカーはつけておいたんだな?」

「仕事ついでに、避難所として適当につけた目印が役に立った。私からの干渉はなく、あくまでも魔術品の動作任せだ」

「なるほどなあ……」

 布の中身は、全長二十センチほどのナイフである。柄もなく、表面に何かしらの刻印があるわけでもないが、前崎が作った魔術品だ。動作は説明通り、目印をつけた場所への限定的な空間転移ステップだ。

「一回きりか……試作型としてはよくやったと、言いたい気分でもあるが、使い方がそんなんじゃなあ」

「強度の問題か?」

「一応、強度と距離は比例するようになってる。魔力消費量とかも含めてな。……いや、いい。文句はあるが、これはこれで一つの成果だ。試作型の試験としては充分な働きだよ。ありがとな」

「助かったのは私だろう?」

「馬鹿言え。逃げるだけなら、どうとでもなっただろ」

「私だけなら、な」

「だから報酬はいらないってか?」

「そう言ってる」

 俺はそれでもいいんだけどなと、前崎は頭を掻いた。

「仕事か」

「ああ、そう言ってる」

「――必要なものは?」

「道具に頼るような仕事じゃねえ、気持ちだけ受け取っておく」

「いつもじゃないか、そりゃ。こっちとしちゃ、頼ってくれた方が助かるんだけどな」

「そうなのか?」

「こちとら音頤なんだよ、少止。商売人じゃないが、技術屋だ」

 顧客なら私以外にもいるんだろうにと言えば、苦笑してテーブルに肘をつき、拳に頬を乗せる。

「ここのところ、随分と安定してるみたいだな」

「精神的な意味合いか?」

「まあ、そっちもだろうけど」

「そりゃ世間を知れば、そうなるだろ。私だって訓練はあるし、三○の〝祖母グランマ〟なんて言われる人にもいろいろ教わった。経験を積めば積むほど、歩みが落ち着くのは当然だろう」

「当然か? 俺は未だに、イヅナに連れてこられたお前を知ってるぶん、随分と急成長したもんだと、思うけどな」

「悪いことか?」

「どっかにガタがきてなけりゃあな。守るモンがあるなら、それでもいいが、守るモンよりも先に逝っちまうほど、むなしいものはねえだろ」

「それは何か、鷺ノ宮事件からお前が得た教訓か?」

「おい、俺は当時、小学生くらいだぞ」

「知ってる」

「ふん。……ま、確かに俺だって、大将のところで世話になってから、落ち着いたけどな」

「方向性が定まることを、選択肢が狭まったと捉えることもある」

「悪く見ればそうかもな。けどお互いに、選ぶためにあれこれ試そうって段階は終えてんだろ」

 やることがまずあった。やりたいことがあった。そこを変えずに、信念を折らずに、そのために必要なことをして――そうやって、少止は今の少止になったのだ。それは本質的には違えども、過程として見たのならば、前崎あけびだとて同じだ。

「……私にはまだ、片付けなきゃならんことも、あるけどな」

「なんだ、そっちは後回しか?」

「どう片付けるべきか、考えてる。しかもこいつは、私だけの事情だ。あまり誰かを巻き込みたくはない」

「面倒だな、闇ノ宮ってのは。けど今のお前は鷹丘少止だろ? 知らぬ存ぜぬでも、無責任だと責められることはねえんじゃないのか」

「放置し過ぎて、どんな問題が起こるのかわからなくなった方が、厄介なんだよ。今はまだいい、私の仕事を、私がやっていることを、火丁あかりは知らないままだ。けど、いつか気付く。そして、本当の両親に顔を合わせることになる。その時になって、少しでも火丁が――できることを、やろうとしたのならば、私の影響は不可避だ」

「その時になって――闇ノ宮の問題が、影響を及ぼすのならば、それよりも前に片付けておきたい、か。……いい子なんだよなあ、あの子」

「ああ、骨董品店のほうか」

「ん、まあな。久我山の旅館と懇意にさせてもらおうと、一応こっちの顔を通しに向かった時、客としてきててな。なごみとは仲も良さそうだった」

「知ってる。花楓かえでは、知らないだろうけどな」

「言わないのか?」

「今はそれでいい。いつか知った時に、今頃気付いたのかと言うのが私の役目だ。実際に、花楓となごみがどういう関係になるのかも、立ち入ろうとは思っていねえからな」

「なるほどね。まあ、俺だってお前らの関係は知ったことじゃない。花楓は顧客だから、それなりに面倒ではあるけどな」

「それも、私にとっては知ったことじゃないさ。――報告、確かにした」

「ん、試作品のテスト、助かった。何かあったらまた頼むから、断るなよ」

「その時にまた考えてやるさ。あと、注文をしておく。こっちで使える九ミリを百発ほど手配しておいてくれ」

「頼みがあるじゃねえか……」

「今思い出しただけだ」

 というか。

 たまには金を落としてやろう、そんなことを思っただけである。


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