08/27/18:30――転寝夢見・恐怖の存在

 夏休みも数日で終わり、未だに中学二年であるところの転寝夢見は、とにかく未だに家でごろごろしている姉が、とっとと仕事に行かないかと願う毎日であった。

 どちらかといえば、家族仲は良い方だろうと、そう思う。

 遅くに生まれた夢見は、望まれて生まれてきたけれど、母親はその時に亡くなった。けれどそれは直接的な要因ではなく、そもそも、転寝家というのは、基本的に放任主義なのである。

 ESPは比較的、遺伝しやすい。

 実際に米国にあるESP研究機関がどのように発表しているのかは定かではないが、どうであれ転寝家三人、父親のじゅく、姉の午睡まどろみ、夢見は全員がESP保持者である。

 超能力、だ。

 イメージを基本とした、能力を超えたもの。汎用性も高く、やりようはいくらでもあるが、あくまでも人間を超えたもので、それは突破ではなく、進化だ。つまりそれは、人という器に引きずられる。

 早く一人前になりたかった。

 親に手を煩わせていることに自覚的でいながらも、幼い夢見は自立した姉を見ながら、そうして生きられたらどれほど良いのだろうと、憧れに似た感情を抱き、拙速とも呼ばれる道を歩き、一人前になったなんて幻想に取りつかれた時期もあった。

 それが幻想であることはわかっていた。いくら社会経験を積んだところで、嘘偽りなく幼いのならばそれは、一人前だなんて感覚は甘えでしかない。一人でできること、できないことが明確になっても――ただ、それだけの話だ。

 二人に、鷹丘少止と蹄花楓に誘われた時に、その甘えは砕かれた。

 言ったのは花楓だ。

 どうして俺なんだと、斜に構えたまま問えば、苦笑があって。

 半人前も三人揃えば、一人前の振りくらいはできる――と。

 それなりに衝突はした。こちとらエスパーであるし、相手は武術家と狩人だ。一戦交えるくらいのことはする。けれどお互いに殺意はなかったし、二対一だ、結果はわかりきっていた。それでも、落としどころを決めたのは少止で、相手はほとんど花楓がして、その終わりに、そう言われて。

 幻想が砕かれ、現実が見えた。

 その視界に映る二人は、自分よりもよっぽど、一人前に見えたのだ。

 三人で行動するようになって、だいたい役割も決まってきた。戦闘、暗殺などは花楓が得意で、状況のフォローは夢見がする。少止は総括、つまりオールラウンド。大抵のことは一人でこなせるが、平均的な動きを得意としていた。

 もちろん――すべてを、明かしたわけではない。

 夢見にしたって、ESPの全てを使ったことはないし、何ができると明言することはあっても、だからといってそれが、現時点ではと前置すべきものでも、あえてしないこともある。花楓の中に抑圧されているような、小さな感情に気付けるのは、ESPを使うからこそで、それを決して表に出さないのならばそれは、奥の手に限りなく近いものだとも思うし――ともすれば、複数人に感じられるような少止の特異性だとて、一度たりとも説明されたことはなかった。

 けれど、それでも、お互いに牽制はしないし、表立っても裏側でも、探り合いをしたことはない。一時的な信頼関係を結び、継続しない信用を抱き、仕事を終わらせるためにどうすべきかを話し合うような間柄だ。微妙な居心地の悪さを呑み込み、渦巻く感情と現実の折り合いをどうにかつけられたのならば、それを、友人関係と呼ぶのだろうけれど、それを認めるには、躊躇いもあった。

 寝ころんでいたベッドから起きて、デスクの上に置いてあるタッチパネル形式の携帯端末に触れれば、新着メールが一件。どうやら昼過ぎに着信していたらしいが、確認し忘れていた。その頃は父親が半分趣味で作っているカトレヤの生産を手伝っていたので、放置しておいたのだ。

 ちなみに半分は仕事である。採算が合うように作っているし、出荷もしているのだから、半分以上が仕事の気もするけれど、食っていくためではないと笑う父親は、趣味というスタンスを崩していない。いないが、採算などの計算もきっちりしているあたり、どうかしているというか。

 確認したメールはひどくシンプルなもので、今夜に報酬を支払うとのこと。これは少止からで、報酬というのは実際に仕事をした賃金ではなく――そちらは振り込みだ――酒を奢る話の方だ。

 携帯端末をそのままポケットに滑らせて階下に下りれば、リビングのソファで姉である午睡が眠っていた。いや――寝てはいない、微睡みの中にあるだけで、意識はぼんやりとだがある。ごくごく浅い眠りを続ける、いつもの午睡だ。

 そのまま素通りしてキッチンに行けば、珈琲がない。仕方ないと思いつつも、軽く洗ってからお湯を作り、のんびりと珈琲を落とす。できあがってからテレパスを繋いで、未だ作業中の父親に打診すれば欲しいとのこと。カップを二つ、両手に持ってから瞬間移動テレポートを使って外へ。

 出現したのはハウスの中、夕刻とはいえ未だ暑さの名残りがある中で、植え替え作業の手を止めた父親が、おうと言って珈琲を受け取る。

「ありがとなあ」

「俺のついでだ」

 作業台の傍にある空いた椅子を引っ張り出して腰を下ろし、台の上に肘を置く。

「今夜はちょっと出る」

「ん? なんだ、また仕事か?」

「いや、仕事の報酬で飲みだな。知ってるだろ、フラーンデレン」

「あそこか。俺は使ったことはないが、雰囲気も良い店らしい。厄介ごとを拾わない場所だと、もっぱらの評判だな」

「へえ……評判まで知ってるのか」

「俺は俺で、野雨に関してはいろいろ繋がりもある。そいつは、野雨に限った話じゃないが」

 やや皺が目立つようになってきた笑み。これで若い頃は、日本中各地を歩いて渡っていたというのだから、想像もできないけれど、そういった繋がりが残っているのだろう。

「――そうだ、親父」

「ん?」

「この前の仕事で、ちょっと厄介な相手……化け物の類と遭遇して、敗走した。これ自体は、楽しく酒を飲んでいたら、場に似合わない馬鹿が暴れ出したようなものだと、諦めもついたんだが」

「諦めたのかよ」

「それは言葉のあやだ。相手は人だったが、どちらかといえば――……いや、俺の感覚は俺のものだ、そんな情報を明かしたいわけじゃない」

「そいつを俺が知っていたとしてもか?」

「そんな探りを入れるのは、俺の役目じゃない。当たりはつけているし、それなりに情報を集めたのも事実だが、そんなものは流れる文章を目で追うだけの楽な作業だ。今みたいに珈琲を持ってくるのと同じでな」

「ついでだと、一言で済むだろうが。まあ面白いから構わないが、それで?」

「ん、いや、親父は――何かに〝怖い〟と思ったことは、あるか」

「そりゃあ、まあ、あるな」

「参考意見として聞かせてくれ。俺は神父じゃないから懺悔は聞く耳を持たないし、助言もできない。一体、何が怖いんだ?」

「そうだなあ……つまり、夢見はその化け物を相手にしたところで、まあ勝てんと、そう痛感しても、怖くはなかったのか」

「そうだな」

 恐怖それ自体は、感じなかったように思う。それはきっと、相手がこちらを殺そうという明確な意図を持っていなかったことも一因だろうし、殺しても仕方ない――と、その程度の思いしか読み取れなかった未熟さも一因かもしれないが、それでも、仮に死が眼前に見えたとしても、それを怖いと、そう思うことは――ないだろうと、そう感じている。

 死ぬのは嫌だ。自分は生きている。そういう感情が浮かぶことはあっても、それが恐怖に起因するものではないと思えてしまうので、実際に怖いのかもしれないけれど、そうだとは断定できない自分が疑問だからこそ、聞きたかったのだ。

 どういうものなのだろうかと。

「感情の安定化を図るエスパーにとって、激しい上下は、あまり好まれないが……それでもな、恐怖に関しては――感情と違う部分で生じる」

「本能か?」

「有り体に言えばな。だが、これらは実際に感じなければわからないことでもある。必ずしもその要因は、己に起因しないことも、言葉では理解できても現実には即さん。まあ俺の場合は? たとえお前が襲われて瀕死になったところで、そういうもんかと納得しちまう部分もあるがなあ」

「らしい、ことをしてもらった覚えも大してない。そんな状況下なら、介錯の準備でもしてろ」

「――だが、午睡が死にそうになっていたら、お前は間違いなく、感情でも何でもなく、その一歩目を、迷うことも考えることもなく、踏み出すはずだ。違うか?」

「……」

 どういうわけか、それを悔しいと思えてしまうが、しかし。

「当たり、なんだろうな。さすが親父、よく見てる。そのぶんじゃ、姉貴が隠してるへそくりが、部屋のデスクの裏側に張り付けてあるのも見抜いてそうなものだな」

「あの隠し場所は拳銃だろうにな……」

「俺の話じゃない、親父の話だ」

「そうだな。俺が出逢った化け物の話は、あまりしたくはないんだが」

「化け物?」

「そうだ」

「人か?」

「いいや、違う」

「では妖魔か」

「おそらく、限りなくそれに近い」

「……? 随分と曖昧な物言いだな」

「あらゆる〝大地〟を己のものとする存在を、どう呼べいいのかわかるか?」

「それは」

「あるいは空を? そして海を、だ」

「……聖書の話か? 悪いが、酒場で神父に逢ったことはまだない。それがベヒモスであり、ジズであり、リヴァイアサンであることくらいはわかるが……」

「そんな存在モノと出遭ったと言ったところで、共感は生めない。違うか?」

「そりゃそうだ。共感の前に信憑性が問題になる――が」

 父親の言葉を疑うほど、短い付き合いではない。

「何に遭った」

「海で、な。ちなみに、縮尺比率をだいたいで換算すると、アイツの目の直径が、俺の背丈の――ああ、当時はもうちょい低かったが、三倍から五倍くらいだったな」

「死への恐怖じゃないんだな?」

「ああ。もちろん、対話――この場合はテレパスでの会話にはなったが、一つ間違えれば殺されるだろうことはわかっていた。わかっていて、呑み込んだ。納得した。俺はここで死ぬと、開き直ったと言ってもいい」

「それでも、か」

「それでもだ、恐怖は薄れない。次はない、それこそ天文学的な確率であることを理解しながらも、そうだな、十年以上は夜の海に近づけなくなった。最初の一年くらいは、昼間でも怖かったな」

「なぜだ?」

「正直に言えば――わからん」

「おい……」

「感情は制御可能域から逸脱せず、呼吸も正常。思考も平時と同じだと認識できて、他者にしてみれば表情を偽っているわけでもなく、通常。鼓動が早くなるわけでもなく――ただ、足が地面から張り付いたように動かなくなるそれを、どう説明すりゃいい」

「精神的な疾患だ――と、他人事ひとごとならば俺もそう判断するんだがな」

 ともかくと、飲み干した珈琲を置き、苦笑を顔ににじませる。

「経験してみりゃわかるし、望んでするものじゃないと、親父は言いたいわけだ」

「察しは良いなあ、お前」

「お蔭さまでな。――姉貴が起きたことにも気付く」

 ふんと、鼻で一つ笑った夢見は腕を組み、僅かに視線を逸らす。

「……? エネルギーが発生してるが、消えてるじゃないか。何をしている」

「わからないか?」

「調べようと思えば、俺もESPを使わなくちゃならん。ご老体に無理を言うな」

「どうだかな。いや、大したことじゃない。起きた姉貴がこっちにこようとしてるから、初動を徹底して潰してるだけだ」

「お前は……本当に、ESPの使い方に関しちゃ、午睡よりも上手いな」

「親父には負けるさ。それと、姉貴には言うなよ」

 二人分の空になったカップを持って、やれやれと夢見は立ち上がる。癇癪を起す前に、こちらから近寄ってやるのが、姉の上手い扱い方だ。

「質問の話か?」

「いや」

 そうではなくて。

「今夜、俺が飲みに出かけることだ。仕事とでも言っておいてくれ」

 家族同伴だなんて、御免だ。


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