08/27/18:00――蹄花楓・似た者同士
高校三年の夏も終わりを間近にしながらも、大学への進学をするかどうかはまだ考えておらず、武術家として生きることは決めてはいたが、それを仕事にするかどうかは曖昧なままだった。
二年前、最初に出逢ったのは
最初の印象は〝虚ろ〟である。
妖魔の討伐は武術家の基本であり、一つの仕事だ。いつ発生するかもわからないが、その予兆を掴むことはできる。その日、現場に到着した花楓は己が遅かったことに対し、後悔ではなく、取り返すための一歩を踏み込もうとしたものの、結果的にそれはできなかった。
戦っていたのだ、一人の少年が、鷹丘少止が。
武術家ではない人間が妖魔と戦闘をすることは、稀にある。その場合の行動は助けるか、あるいは手を貸すかのどちらかになる場合がほとんどだ――けれど。
一瞬、本当に人が戦っているどうかがわからなかった。虚ろだったのだ、まるでそれは、妖魔同士が戦闘をしているかのよう、錯覚があった。
結果、花楓はただその戦闘の行方を見守る選択をする。
妖魔に有効的な打撃を与えようとしたのならば、まずは妖魔を形成する核を認識しなくてはならない。武術家はまず、妖魔と同調するところから始め、攻撃を〝通す〟ことが可能になる。だから物理的な攻撃を何度も行う彼が、果たして効果的にダメージを通せていたのかどうかと問われれば、否だ。あまりにも不細工で、不格好で、幾度となく繰り返されるナイフの攻撃も、銃声も、いわば妖魔の周囲に漂う〝
花楓ならば、おおよそ五手で済む妖魔だ。おそらくは、はぐれに位置する下位の妖魔――だけれど、普通の人の手には余る。余るが、それでも。
花楓の瞳には、少止の攻撃すべてが、試すための一手にしか見えなかった。
何をどうすれば効果的で、何がどうなれば駄目で、そういったものを血だらけになったまま試している。
残滓を全て片付ければ、それは結果的に核の消失へと繋がる――いや。
そうだ。
あれこれと理由を付け加える必要はない。
ただ、花楓は動けなかっただけだ。その光景に飲まれるように、ただ棒立ちになって、それこそ呆然と、何も――できなかった。
そうして、こちらに気付いた少止が煙草に火を点けて、第一声は今も覚えている。
「武術家か。どうやりゃ、上手く妖魔が片付けられるか、私に教えろよ」
大して返答も気にせずに発せられた言葉に、花楓はようやく現状を正しく理解して、深呼吸をした。
そこからだ、少止との付き合いが始まったのは。
最初の頃は花楓の仕事を一緒にやる――つまり、妖魔の討伐がメインで、そして少止の仕事をやるようになってから、三度目で、大きな失敗をした。お互いに何が失敗だったのかをさんざん言い合ったあと、足りないと、そんな結論に至って。
花楓としては、生活の足掛かりというか、武術家としての己のための経験だと思って仕事を引き受けている。もちろん、彼らと繋がって、世間話でもすればそれは、なかなかに楽しいもので、良い時間だとも思っているが、理由としてはそんなところだ。
成長している己を実感することはない。きっとそれが実感できるのは、もっと先だろう。武術だとてそうなのだ。蓄積された経験が役立つ時になってようやく、成長は実感できるもので、それ以外であったのならばそれは、妄想の類だ。
「――おい」
かけられた声に、自分が意識を飛ばしていたことに気付き、現実へと引き戻される。それと同時に頭に浮かんだのは、ここが都鳥の道場だということだ。
蹄は
そもそも蹄は道場を持たない。先代であるところの蹄は、現在は藤堂花楓の名で引退している。花楓もまた、かつては花楓という名を持っていなかったが、蹄の姓と共に、それを名乗ることが許されて、もう随分と久しい。それでも、名を継いで一人前で終わらないのが、武術家としての道だ。
「っと、失礼」
動きを止めた花楓は、手のひらを上に向けるようにしてそれ以上、針を使わないことを示しながらも、壁に左腕、床に右足を針で固定された少女、
「ろくに対面せず、ほぼ無意識の動作を、鍛錬でするものではなかった。私の落ち度だ、如何様にも」
「……無意識で軽く相手にされて、縫いとめられるようじゃあ話にならんってことだ。凛じゃまだまだ荷が重かったか」
何かを言おうとして、けれど花楓は黙って苦笑した。これ以上言葉を重ねても、凛をいたずらに侮辱するだけだ。
「また頼む、花楓さん」
「ええ、そうだね」
「――しかし、どうした、蹄の。儂が止めてなかったら、はりつけが出来上がるところだった」
「悪かったよ、宮の」
「そんなに退屈だったか?」
「いや」
顔をしかめる凛の気配を感じるよりも早く、花楓は否定して首を振った。確かに昔を思い出していたのは確かだけれど、そのきっかけは、数日前の戦闘があってこそで。
「逆だよ。まだ、熱が引いていなかったみたいだ」
もうあれから五日になるのに、敵わなかった事実が未だに躰を滾らせていた。
「厄介な仕事があってね、ちょっと敗走したから」
「なんだ、化け物でも相手にしたか」
「人間の化け物をね」
凛が道場から母屋へ行く際、軽く手を挙げて挨拶としてから、ゆっくりとした動作で花楓は飛針の回収にかかる。それほど周囲に散らばっていないところを見ると、あまり苦戦した様子ではなかったらしい。
「勝てたかどうかは定かじゃないけれど、もしもあのまま私一人で相手をしていたら、きっと〝
「一人じゃなかったか」
「途中からはね。さすがに私一人では抑えきれなかった」
やや派手、とも思えるような洋服の天魔が姿を見せる。妖魔の位階としては第二位に位置する、普段から花楓を依代にしている彼は、懐からアイウェアを取り出してやや細長い顔にかけた。天魔が馴染める場は少ないが、その少ない内の一つがこの都鳥の敷地だ。戦闘でなくとも、こうして姿を見せることもある。
「ん――」
だから、それを見越して買っておいた煙草を放り投げれば、口元を嬉しそうに歪めて幽は受け取った。ちなみに、花楓は煙草を吸わない。酒も、本当の意味で、たしなむ程度だ。
「相手は誰だ」
「残念ながらその情報はまだ、掴んでいないよ。期待をするのならば、今夜にでも知ることはできそうだけれど――知って、どうにかなるものでもないと、そんな予感もある」
「ふうむ……では最後にしておくが、どう見た」
「そうだね」
よく使う三番二号――二十センチほどでやや細めの針を手にしながら、戦闘を振り返ってみる。ちなみに飛針の種類は、番が長さ、号が細さを示している。主に治療用とされるのが二番一号だ。目視の難しい零号もあるが、花楓としてはあまり好まない。好まないだけで、使えないわけでは、ないけれど。
「何がどうと言えるほどの手の内を見せてくれたわけじゃないんだ。何かをされていたような気もするけれど……その違和を除外したところで、体術がメインだったよ」
いや、それもまた少し違っていて。
「私程度では、体術のみで充分だった――と、そういう相手だ」
「……なるほどな。まあいい」
「ちなみに、宮のは対人戦闘で相棒を呼んだことは?」
「ある」
「どうなった? ――興味本位だけれど」
「荒れたなあ……随分と、荒れた。やり終えてから儂は、参加せずに高みの見物を決め込んだ雨の選択を、正解だったと気付いたもんだ」
「――なるほど? 私同様とは言わずとも、相手が化け物だったんだね」
そういう手合いかと、針を回収し終えた花楓は、半分の針を幽へと投げ渡す。それは消えるようにして、彼に吸い込まれて消えた。
「まったく、うちのは奔放で困るんだ。針を打ち付けてもすぐ逃げる」
「儂に言わせれば似た者同士だ」
「こいつと一緒にされたくはないよ。私はそんなにギャンブル好きじゃない」
天魔がこれ見よがしに弾いたコインに対し、予備動作なく針を放った。それは僅かにも回転運動を阻害することはなく貫き、彼の手元には穴の開いたコインだけが落ちる。
「好きじゃないだけで、やらないとは限らないな」
「……」
確かに、そうだ。
命を賭けたぎりぎりのギャンブル。一歩を踏み込むために右腕を、次の一歩のために左足を、たどり着くまでに命が残っていた方の勝ち。
――あの時。
この男を、この存在を、天魔第二位〝幽〟を相手にした時に、間違いなく。
凍えるような寒さの震えとは違う、それは命を賭けても構わないとすら思えるほどの――ああ、そうだ。
それは、間違いなく〝歓喜〟だったのだ。
命を賭けるのならば、先にベッドすべきは手足。勝ち負けを最終的に決めるのは命のあるなしだけ。
――心の奥底に眠っている。
もう一度と願う気持ちが。
再びあの歓喜で満たされたい欲望が。
「それでも、やりたいとは思わないよ」
眠らせたままでいい。今の花楓には、護りたいと思う人がいる。
それがたとえ己のものであっても、賭けに出るべきでは、ない。
「ギャンブルなんてものは、大抵、分が悪いものだからね」
「どうだかなあ」
絡むじゃないかと目を向ければ、庭からお茶を差し入れる都鳥の天魔の姿がある。白を基調にした和服をきっちりと着ていた。
「うちのとは大違いだ――幽、それは私のお茶だよ。君のじゃない」
言えば、小さく肩を竦める。お前はアメリカンか。
「それで――どうした」
「うん? ……あ、いや、そうだね」
そういえば、そうだったとお茶を受け取った花楓は天魔第一位の〈
「宮の、私はどうなのだろうか」
「どうって、なにがだ」
「私は私だという自負を忘れたことはないけれど、私は武術家だろうか、宮の。ただの武術使いになっていないだろうか」
「……」
視線を逸らした
「凛には聞かせられねえ言葉だなあ」
けれど、だからこそ難しい問題だ。それは、より高みへ近づくたびに、誰かの声が耳元で囁くような疑念を生む。
「しばらく居てもいい。帰るなら、挨拶もいらん。次からは、もうちょっと頻繁に顔を見せろ」
「宮の?」
「自問自答だ、蹄の」
振り返らず、庭に一度出るかたちで、冷は道場をあとにする。
「都鳥は確かに、鏡に類するが――お前には必要あるまい。そこにいる己に、たまには問いかけてみたらどうなんだ」
そこに、目の前にいる、己。
知っているし、気付いていたけれど、そこに在るのは〝幽〟だ。
「……やれやれ、同族嫌悪だと遠まわしに言われた気分だ。なあ?」
「――俺は」
そうして、ようやく。
二人きりになって、いや、一人になって、天魔は口を開く。蹄と歩みを共にする、花楓を認めた〝幽〟の名を持つ天魔が、言う。よほど興が乗らない限りは、決して口を開こうとしない存在であり、言葉を口にしたところで〝届かない〟ことを常とした、妖魔に似て非なる者。
その姿すら、一般人には捉えきれない。
――たとえそれが、鷹丘少止でも、
「似たようなものだと思うが?」
「私とお前が?」
「そうだ。愉悦を糧に、後悔を足場に、針山を崩さぬよう一本ずつ引き抜きながら」
お互いに向き合って、どちらに崩れるのかを試しあう。
「勝ちの見えない賭け事の何が面白い。勝つとわかりきっている賭け事に楽しみなど見いだせるものか。そこに一割でも可能性があるからこそ、道を切り開く愉しみが生まれる」
天秤はいつだって
どうしたって、いずれにせよ、勝つか、負けるか――その二つしか、そこにはないのだ。
「以前に言っただろう。可能性がなければ、決まりきった負けならば、そこで手を引けばいい。最初のベッドは奪われるが、それ以降の損失はない。――だが」
だが、それでもと。
「それでも勝ちたいと願うのならば俺を呼べ。零だった可能性を一割にまでしてやる。お前はその一割を掴んで見せろ――そう、伝えたはずだ」
「……忘れたことはないよ。幽、私は武術家か?」
「それも、前に言った。お前が武術家でなくなった時は、俺との再戦が待っている。次の目がまた同じならば、俺はお前と共に在ろう。違う目なら、その時の結果次第だ」
言うだけ言って、煙草を吸い終えた途端、幽の姿が消えた。いつものことだ、そんなことに文句は言わないけれど、しかし。
鏡を前にしての問答なんて、自己嫌悪に陥るだけだ――そんな結論に至った花楓は、やれやれと額に手を当てて沈痛な吐息を一つ。
まったく。
本当に嫌なヤツだ。
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