08/19/17:30――鷺城鷺花・感情的になることも

 旅館に戻ったのは夕方だ。すぐになごみは着替えて手伝いに、火丁は疲れたらしく自室で休むと言い、さてどうしようかと鷺花は近くのソファに腰を下ろそうとしたのだが。

「――あら、七八は帰り?」

「戻るのか帰るのかは知らんが、鷺城がいる以上、あまり留まりたくないからチェックアウトはした。いいか? 頼むから僕の近くに来るなよ。お願いします」

「知らないわよそんなの。ただ縁は合ってるから、気にしないとすぐに逢うことになるわよ。どうせなら国外に飛びなさい」

「そうできる事情ならそうする。……まあいい、じゃあな鷺城」

「はいはい。マーリィに関しては干渉しない予定よ。あんたが悪い影響を与えなければね」

「――もう、僕のことなど忘れているだろう。僕はただ、彼女が生きていればいい」

「あらそう」

「逃げ回るのは慣れてる」

 ふうんと、鷺花は七八を見送った。逃げるよりも先に壊すが優先だろうに、どうやら七八にとってマーリィは壊せない対象らしい。

 ――私はどうかしら。

 何よりも優先すべき人物は――いない。そもそも、優先せずとも鷺花の周囲には勝手に解決できるような人ばかりだ。ゆえに守ろうと思えるような人物もいない。

 知り合いは多いのだけれど、対等であってもそうでなくとも、頼まれれば仕事をする相手はいても、たぶん七八にとってのマーリィみたいな相手はいない。それはそれで、いいと思ってはいるけれど。

「あらあ、おかえりなさい鷺花。荷物、届いとるよ。ほら、そっちにあるきに」

「ありがと紫月さん――と、ちょい待ち。夕食の仕込みはまだ?」

「始めとる最中やけど、なんぞ、どげんしたと」

「瀬戸物の良い皿があったから、何か盛ってもらおうかと思って。――あれ?」

 案内された荷物を見て、ふと眉根を寄せる。

「ちょっと、紫月さん、荷物は誰が運んできた? 一般業者?」

「に、見えたんけど、ちゃうんかい。うちが出たわけじゃあないきに」

「そっか……っと、まあいいや。前崎と久しぶりに話をしてね、ほらこれ」

 段ボールの包みを開けて、包装を解く。やや楕円形で、七十センチくらいのサイズだ。

「良い皿じゃのう。刺身なんかどうじゃろ」

「任せるわ」

 さすがに自分で運ぶのは面倒なのか、板前に声をかけて呼ぶ。彼は難しそうな顔をしながらも、いくつかの料理を口頭して確認をとってから戻っていった。

「しばらく使ってやってちょうだい。私はあんなの使わないし」

「……使わんのじゃったら、買うてこんでもええがー」

「あらなごみ、もう着替えたのね」

「夕食の準備くらいは手伝いたいんよ」

「ふうん。はい、この髪飾りは紫月さんに。火丁のチョイスだけど、悪くはないと思うわよ。それとなごみ、置物はカウンターと……そうね、あっちの談話室に。石の文鎮は、使いどころがあるかどうか知らないけれど、好きにして」

「なんやの、全部うちの旅館置きやったんかい」

「呆れた目をしないの。こっちにも事情ってのがあるんだから」

「そうやよなごみ。こりゃ好意さかい、にっこり笑顔で受け取っとき。けんども、対価を求めるような相手にゃきっちりお断りや」

「そうそう、その通り。無粋なことをしないの」

「ありがとうなあ鷺花」

「今後の付き合いがちょっと怖くなる?」

「ならへん、ならへん。うちの旅館をこれからも使うてくれることだべさ、売上にもなるんやから、棚からおせちや」

「したたかねえ。で、――こっちの荷物なんだけど」

 ふんと鼻で一つ笑った鷺花は大皿よりも大きな段ボールを軽く蹴飛ばす。水系の術式封印が施された荷物だ、内部から開けようとするのならばそれなりの手順が必要になる。そして、まだ開いていないのならば、それは出れなかったという事実。

 だからそれを解除してやると、勢いよく段ボールは開かれ、彼は顔を出した。

「なんなん――だ、あれ、鷺城さ……げっ」

「いい挨拶じゃのう――茅」

 紫月が息子の頭に手を当て、しゃがみ込むような姿勢を取って視線を合わせる。鷺花は吐息、軽くバックステップを踏んで距離を空けた。

「帰ってきてたんに、うちんとこ顔も出さんと好き勝手しちょるんは、どういうことかいの――」

「あ、その、いや、つまり、……や、やあなごみ、ただいま?」

「おかん、とりあえず風呂にでもぶち込んで、言い訳の準備くらいさせたり。鷺やんの手配とちゃうんじゃろ?」

「私の知り合いの手引きではあるけれどね」

 やれやれ、確かにこの事実に気付いていれば暁が黙ってはいないだろうとは思うけれど、さすがに早すぎる。

「鷺城さん――」

「助けを求めるのが遅いわよ。落ち着いて周囲を見なさい、状況分析は第一、どのような状態でも周囲への警戒は怠るな。目で見えない部分に感覚を伸ばせ――そう教えたでしょうが」

「鷺花の方がよっぽど察知が上手いなあ。うちが外したんやなく、鷺花が外したのん。ま――ええわ、風呂に浸かっといで」

 ゆっくりと紫月が頭から手を離しただけで、既に簀巻きのよう剛糸でぐるぐる巻きにされた茅は、モップか何かのように引きずられて奥へ消えた。階段を上がる時、なんだか奇妙な音が聞こえたが、うめき声か何かだろう。

「まったく――で? それで隠れてるつもりなら、五秒後に中威力の攻撃術式を叩きつけるけど、どうするわけ?」

 三秒後に返答がなかったので、談話用ソファへ向けて、〝現在〟という時間軸に潜り込んだ相手に最大効果を発揮可能な術式構成を発現させ、後は魔力を流すだけ、という状況を器用に作り上げると、四秒経過して彼女は姿を見せた。

 レインと同じゴシックと呼ばれる衣類を見につけ、能面――いや、完全に無表情と呼んでいい、やや肌の白い女性は、その表情のまま呆れたように吐息を落とした。

「なるほど」

「納得の前に謝罪なさいよ――それとも、続けていいのかしら」

「ごめんなさい、悪かったわ」

「結構」

 構成というか展開式そのものを消した鷺花は、迷うこともなく対面に腰を下ろす。それに気付いたなごみがお茶を二人ぶん用意してくれた。

「フェイやん、きとったんね。ゆっくりしてけるのん?」

「ええ、二日ほどは」

「そかー。じゃ、休んでってなあ」

 なごみが置物を設置し、段ボールを片付けていくのを見てから、鷺花は背もたれに肘を乗せ、掌に頬を乗せて――フェイを見た。

「悪いけれど、私は魔法師が嫌いなのよ。特にあんたみたいなのは。個人的な感情だけれど、べつに仕事でもなし、お互いに気遣いはいらないわよね?」

「構わないわ。ただ、何故かしら」

「あんたみたいに法式を、さも自分の技術のように使うからよ」

「借りているだけ――と、言いたいのかしらね」

「そんな当たり前のことを言ってなんになるわけ? いいのよ、好きに使うぶんには。けれど、――それを把握もできてない馬鹿が多すぎると言ってるのよ」

 五神の一人、〝冥神リバース〟フェイに向かって――ランクA狩人〈誘いの心律フェイスレス〉に向けて、真正面から。

「だから場所と場合を考えなさい。感情は制御するようにしているけれど、――あんたやコンシスを見てると潰したくなる」

 何故なら、彼らは気付いていない。

「あんたたちは、マーデも含めて、アブと戦闘をした場合、必ず勝てると思っているでしょう? あの凡庸な火属性使いに、苦戦はするかもしれないけれど勝てると――本当に馬鹿よね。末期的よ。どうかしてる。そうやって足を止めてるのは、賢者にでもなったつもりでいるわけ? ――ああやだやだ、だから嫌なのよ。言葉が止まらなくなる」

 ただ、それでも。

「それ以外に、拳銃の技術に関しては認めているけれどね。で、どうかした? 兎仔が涙目になって服を脱ぎだしたらバスルームに閉じ込めると、一人で泣き出すわよ」

「どういう人物なのかを兎仔に聞いたから、この目で確認しにきただけよ。――失敗だったわ」

「兎仔の意見を話半分で聴くからそういうことになるのよ」

 その様子では、ベルから何か聞かされている、ということもなさそうだ。

「ウィルにも、あまり近づかない方がいいと、妙に嬉しそうに言われたものだから」

「ああ――わかりにくいけれど、ウィルの忠告は聞いておかないと酷い目に遭うわよ」

「それを現在実感してるわ」

「現在、ね。ああわかってる、無意識でしょうしいいのよ気にしないで。あんたのことは嫌いだけど望んで荒事を起こしたくはないし、兎仔にはまだあんたが必要なのもわかってる」

「……先ほどから、攻撃できない理由があるからやめようと言っているように聞こえるのだけれど」

「そう言ってるのよ」

「つまり、それがなければやっているのね」

「だから、そう言ってるじゃない。頭の回転が遅いのかしらこの子」

「……」

「まあでも、セツやウィルが私のことをどう評価してるのかは気になるわね。馬鹿、呼んでないわよ」

「オレの台詞を先に奪うなよ」

「――」

 隣に転移した刹那小夜ことセツは、既に火の点いている煙草から紫煙を吐き出す。今回はベルモットの香りだ。

「つーか、おいフェイ、感謝しろ」

「いきなり出てきてなによ」

「はあ? あんたまさか、セツの空間転移も事前にキャッチできないわけ? ――呆れた。いるのこれ」

「一応こんなでも五神の一人だぜ? とりあえず感謝しろ――てめー、オレがここに来てなきゃ本気で殺されてたぜ?」

「では、そうされる前に部屋へ戻るわ」

「ああそうかい」

 くつくつと笑うセツは煙草を消し、気配がなくなってから面倒そうに俯いて頭を掻いた。

「馬鹿が。気付きもしねーのかよ」

「責めないの。気付いたセツをさすがと評価するわよ、私はね」

「どうやってんだ?」

「まずはどうしてわかったのかを先に。だいたいこれ、世界への対抗手段として組み上げたもので、ほぼ現状じゃフェイにしか効果ないわよ? あ、もちろん戦闘中の反応速度を下げることはできるけれど」

「オレが紫陽花を嫌う理由――話してなかっただろ。いや話したんだったか? まあいいや、どっちでも同じか。あーつまり、気に喰わねーが快(かい)もそう言ってたし、オレも紫陽花も、どういうわけか近くにいやがると既知感を覚える」

「それ、二重認識じゃないでしょうね」

「おー、そのまさかだ。厄介な上にクソいらつくんだが、実際に脳が現実を視認するまでには、あーっと、コンマ三秒くれーのタイムラグがあるだろ?」

「そうね。だから、人は現在を認識できない」

 フェイが姿を消していたように。

 人はリアルタイムで現在と呼ばれるものを認識できないのだ。常に未来は過去へ迎合され、ふいに人が意識したその瞬間だけが現在であり、現在とは継続しているもので未来であり過去でもある曖昧な領域。

 それを数値化したのが、そのコンマ三秒だ。人が瞳を使って視覚情報を取り入れる際、その情報を脳が認識するまでのタイムラグ。指先に何かが触れて、触れたという触覚を脳が認識するまでの時間。

 現在、旅館全体に敷いている術式は、そのコンマ三秒という時間を意識できないようにするもの。実際には、身体機能そのものがコンマ三秒ほど〝加速〟してしまっている。

 この場所に、現在はない。

「そうはいっても、さっきフェイが姿を見せてから展開したのよね。専門の魔法師なんだから……まあ、気付かないから私もいらっとしてたんだけど」

「オレもさすがに、サギの術式解析も昔と違ってすぐにはできねーよ。何かあって、どういう分類か、くらいまでだな。今回は既知感がなくなったからすぐわかった。便利だなーこれ、たまにやってくれよ。精神が安定すっから」

「はいはい。それで、なにか?」

「おう、ちょっとこいよ」

「駄目よ」

「……おい」

「いいから、夕食くらいここで食べていきたいの。その後にならね」

 せめて自分の買った大皿が使われるとこくらいは見ておきたいし、それが礼儀だ。そのことを説明するとセツは、やや複雑な顔をして。

「……お前の浪費癖、変なとこで発揮されるんだな」

 大きなお世話だ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る