08/19/21:20――鷺城鷺花・首を揃えて

 セツは車で旅館まで来ていたらしく、食事の後は彼女の運転で行くことになった。出る際に火丁あかりに対して。

「明日帰るんだろ? 適当な時間に迎えに来るから、勝手に帰るなよ。後でオレが泣くぞ」

 などと言っていた。

「火丁には甘いのねえ」

 正直に言えば、セツの車はスポーツカーであり、前世代のガソリン式エンジンを搭載しているため乗り心地はそれほど良くはない。ただ朝霧のところにいた頃に乗っていた軍式ジープよりはよっぽどマシであるし、以前はこれで宅配――まあ間違ってないか――されたことも、それなりに覚えている。

「お前が言うな」

「可愛い子よね。当たり前のことを当たり前のように表現してくれてる」

 言うなればそこに、偽りがない。駆け引きがない、それ故の危険性ももちろんがるが、こちら側の人間からすれば花のように愛でたくなる。

「ビートほど甘くはねーよ」

「ああ、鷹丘少止あゆむね。ちょっと調べたけれど、あまり興味もないわ。これからの成長に期待しましょうってところよ」

「イヅナがもうちっと真面目にやりゃあなあ」

「それは何を指して言ってるのよ」

「教えてるのが魔術方面がほとんどで、それなりに鍛えちゃいるが――地盤は作ってるみてーだが、あいつの体術そのものを教えてるわけじゃねーんだよ」

「ああ、あれは……」

「お、渋い顔になったな」

「前見なさいよ。っていうか見えてる? これAI搭載してても今、手動運転でしょ?」

「あ? この時間じゃ大して車も走ってねーし、どうとでもなるだろ。気にすんな。つーか知ってんのか?」

「源流は如月槻寝つきね――でしょ。もう亡くなったらしいけれど、親父は何度か手合わせ……というか遊ばれたらしくて、真似事、ええと確か、本家の一割にも満たない程度の動作だとかで、見せてくれたことがあるのよ。――あ、最近のことよ?」

「オレはイヅナの精度を、現状で、まあ八割だと見抜いてるけどな」

「本家は一体なによ……」

「聞いてねーのか? 雨のが」

「ああ、うちの大爺さん。なに、雨天を見せたって?」

「そのまさかだ。いやマジに信憑性の高い話な。何しろ現場に居合わせてたのがベルとエルムだ」

「……術式じゃないのよね、あれ」

「イヅナだって術式を往なすことくらいするぜ? 引っかかった振りして、あっさりと空気みてーにな。流動の究極系だが、それだけじゃねーときた。何しろ連中にとっちゃ戦闘行為じゃなく――専門は騙すことだからな」

「なるほど。だからイヅナは〝中身〟が弱いのね」

「てめーの失敗や失態に関しちゃ、全部てめーで招いたもんだからな。なんだよ、何かしたのか」

「何も。私を〝式情饗次魔術オペレイションゼロワン〟で視ようとしたら、私の対策が引っかかって失明しただけ。ちゃんと自分で解除してたし、褒めておいてあげたけど」

「あー、その辺りの教育はベルやらアブやらが徹底してる」

「その癖、舞台に上がってこないのよね」

「そこが問題なんだけどな……ま、いいように使ってやるさ。あいつの捜索は、特に緊急時で役に立つ。適当に頼んでおいても、そう時間がかからねーし」

「無茶を言ってるんでしょう」

「サギほどじゃねーよ。っと、おら到着だ」

 いやに広い駐車場に止まり、出て見れば似たような車が隣にある。MFR-S――オリジナルのスポーツカーで、赤色は○○一、セツの黒色は○○三だ。ただし二つともコンセプトは違うため、黒の方が全体的に一回り小さい。

「どうした? こっちだぜ」

「そうね。ただ――随分と手入れはされている、と思ったのよ」

「そりゃ、商売道具ってわけじゃねーけどな、オレにとってもベルからの贈呈品だぜ? しかも世界に一つしかねーときた。大事にするさ」

「ああ、正式な〝譲渡ファイルイン〟を受けてるのね」

「そういうこった。おいサギ、面倒だから登録しとけ」

「ゲスト扱いになさいよ」

「後が面倒じゃねーか」

 しょうがないと思いながら指紋、声紋、網膜を記録させてセツが管理権限でそれを認証する。目的地は最上階らしく、エレベータに乗って到着すれば廊下、そして目の前に玄関が一つあるだけ。

「セツ、ここは」

「ん、おー、オレも使ってっけどベルのセーフハウスな。今日はいねーよ」

 中に入ると直線通路、特に断りもなく術式で広範囲探査を行って間取り、およびマンションの全体図、駐車場のガレージの中身までもを精査する。案の定、セツはそれに気付いて何も言わない。

「なにこの馬鹿げた間取りは」

「オレじゃなくベルに言えよ。いねーけど」

 左手の扉から入った先はリビング――なのだけれど。

 大理石の床、窓側は足元から天井までが窓で夜景がよく見える。広さは百人が入ってもまったく問題がないほどなのに――ぽつんと、一対のソファとガラステーブルが中央やや奥付近に置いてある、それだけだ。柱がいくつかあるものの、とにかく無駄だ。無駄に広い。

 そのソファに。

「やっほーぎっちゃん」

 口調とは裏腹に、ひどく不機嫌そうな顔で、スーツを着た大人びた女性ことウィル――花ノ宮紫陽花、〈朝露の花〉が寝そべっていた躰を起こし、ひらひらと手を振っていた。

 こちらは無駄ではない。――残念だ。

 黙っていれば大人びているのに、口を開けばやや間延びした声にだらしない笑顔。まったく、――残念で仕方がない。

「変わらないわねえ……」

 出逢ってからざっと十年。

 鷺花はこんなにも成長したのに、セツもウィルも外見的な要因は、まったく変化がなかった。一切、である。

「セツは吸血種の身体再生で、ウィルの方は私と同じで因果追放者プリズナー、ね。まあだからどうしたって話か。殺せる手段がない――わけじゃないし」

 たぶん今のセツなら心臓を握りつぶせば殺せる。定期的に血を摂取しているだろうけれど、バランスとしては限りなく人間の状況だ。つまりセツが血液をこれ以上摂取する前にやれば殺せる――つまり、再生はない。ウィルや鷺花はもっと簡単で、肉体の時間進行が限りなく遅くなっているだけなので、最初から首をはねれば死ぬ。

「くだらねーこと言ってねーで座れ」

「はいはい」

「あとあれ、やっといてくれ」

「あー……ま、しょうがないわよね。話が進まないんじゃ面倒だし、でもそんなことで簡単に変わるわけ?」

「変わりはしねーけど、殺意はなくなるだろ」

「んー? ……おー、ぎっちゃんやるなあ。これ、おおー、精神安定剤にいいかも」

「ちょっ、――まったくもう」

 セツの隣に座ろうかと思ったら、抱き着いてきたウィルがそのまま寄せたため、隣に座ることになってしまった。この抱き着き癖というか、何と云うか、迷惑だ。

「おー、普通になった。いいなあ、ぎっちゃんいれば楽だなあ。嫌だったんだよねえ、せっちゃんから逃げてるみたいで」

「うるせーな、オレだって似たようなもんだろ。お互い様だこの野郎、とっととくたばれ」

「い、や、でーす」

「はいはい、先に本題よ。音頤おとがいからの連絡が入ったんでしょ?」

「おー、つーかお前も相変わらず本題から入るんだな」

「え、だって面倒なのは先に済ませた方がいいじゃない。どこからの連絡だった?」

「ニャンコ経由で前崎からだったぜ」

「私もそうー」

 ちなみに通称で、正式には如月寝狐ねこ。狩人非公式依頼統括所Rabbitの統括主のことである。

「なんて言ってた?」

「内容の確認と、承諾を取って、とりあえず百は用意しろって言われたから」

「面倒だったから三千くらい研究費用に充ててやったけど、なんか問題あったか?」

「あんたらね……特にセツ、私の浪費癖がなんとか言うレベルじゃないでしょうが。そりゃ私だってツテを使って四百で仕上げたけどね」

 ちなみに金額は、全世界共通通貨単位であり、電子上でやりとりされるラミルだ。一ラミルに対し、日本円だと概算で十円。彼女らの数字の後には必ず万がつく。

 狩人や軍人はそもそも、自分の命を対価にしている商売だ。そのため動く金額は大きいし、特に二人は狩人になってからも長く、仕事を続けていればそのくらいの金額なら、小遣いのようなものだろう。

 とはいえ、三億円だ。

 ぽん、と出していい金額ではない。

「成功報酬はともかく、十となりゃ最低でも四千はいるんだろ?」

「馬鹿言わないの。失敗を含めて四百よ――ああ、なら足りないかもしれないわね。素材の金額も含め、あー……」

「いいじゃん、足りなかったら出すし。結果出さないと怒るけど」

「こっから先、音頤が作れねーようだと困るんだろ? それなら、連中には否応なくやってもらうさ」

「というか、文章形式テキストデータだけれど、作り方や術式の構成まで全部のデータ、思いつく限り渡してあるから、そう難しくないと思うのだけれど。ウェル辺りなら見ただけで、素材があれば作れるはずよ。――本人がやる気になれば」

「ふんふん。で、どこまでできてるの?」

 やはりその話かと、そう思って黒薔薇を外してテーブルに置く。そこに一つの展開式を浮かばせると、ああと、ほぼ同時に二人は頷いた。

「いや頷いてもらっても困る」

「あ? できると思ってっから見せたんだろーが」

「そうだけど」

 見せた展開式は黒薔薇に外部からアクセスするために必要な術式だ。特性がなくとも、鷺花が開示許可を出せばその鍵を使えばアクセスできる。けれど、その説明もなく理解した二人はやはりどうかしている。

 というか、化け物だ。

 周囲にいくつもの術陣が展開する。目視可能、触れることで移動も可能なそれらは、鷺花が組み立てた術式構造そのものでもある。もちろんわかりやすいよう、いくつか注釈が入り、それらは黒薔薇から別の情報を参照しているのだが。

「んだよ、全データじゃねーのか」

「いくら私だって、黒薔薇に蓄積された情報全部へアクセスできる権限なんて渡さないわよ。だから、やろうとも思わないで。――自爆されたら困るもの」

 後始末が、である。黒薔薇自体を復元することは、材料さえあれば一日足らずで可能だ。もちろん、中のデータも含めて。

「おおう、厄介な術式仕込んでるなあ。せっちゃんこれ解除って」

「あー? …………ちと時間喰うな」

「だから、やろうと思わないでと言ったでしょうが。その矢先にあんたたちは……それより本題よ、本題」

「ああっ」

「野郎、接続を閉じやがった。久しぶりに魔術品の解析ができると思ったらこれか、クソッタレ」

「睨みたいのは私よ! まったく……とりあえず組み込み前の仮想組み、論理と仕組みの同居をしつつ、ざっくりとした全体像だけね」

「こっから先は、結構問題あるな。んじゃとっとと確認だけ済ませちまおうぜ。AI、ニャンコを呼び出せ。オレの認証で構わねーから」

 十秒後、通信開始合図のアラームと共に声が流れた。

『……一体、何用なの。直通連絡から状況を見れば、こちら側からも靄がかかって見えない。――あら? いくつかの縁が符号して外部に漏れたわね、これ。何人か向かってる。というか、何なのセツ』

「いくつか確認だ」

「私もいるけどねえ」

『ウィル? 二人が揃っているとは珍しい――しかも殺意が見えませんが』

「ああ、うん、それはどうとでもなってるからねえ」

「今は何時よ」

『――第三者が?』

「挨拶は後。二十三時まであとどれくらい?」

「二時間は切ってるぜ」

「ああそう……はいはい、わかったわよ。青薔薇起動。〝蝸牛の迷宮マイマイ〟をさっきの広範囲探査領域内部に展開して。八割は処理を向けなさい」

 ぱちんと弾いた青薔薇が紅色を持つ。一斉に鷺花から放たれた魔力が敷地内を覆い、それはつまるところ、鷺花の領域が生成されたことを示す。

「聞いたこともねー術式だな。なんだそりゃ」

「指向性を持たせた特定成果を出す術式群に、名称を持たせただけのものよ。つまり、たとえば影複具現魔術だとか、そういう類と同じ」

「外に向けてるから中からじゃわかんない。ねえぎっちゃん、詳細は?」

「侵入、ああ大義での侵入ね、つまり境界線を引いて外部から内部への移動が検知された時点で周辺領域の視覚情報を、特定個人の記憶を参照して展開して、同時に体内干渉で五感そのものにランダムパターンで誤差を紛れ込ませる……って、まあ基礎情報はそれだけで、これを解除するために必要なのはまず自己認識を捨ててから、身体構造と脳が知覚する情報を現実から過去に移行しておいて、体内時間と現実時間との差異を理解した上で潰して、一歩を踏み出す仕組みを理解しながらその一歩の〝時間〟を明確に処理して〝常識〟であることを認識してから、目的地を――」

「もぉいい……」

「なんとなくわかるけどな。そりゃ実際に体験して突破した方が早そうだぜ。本当、言語伝達の限界を感じるよな、そーいうの」

「あらそう。まあ最初に行った通り、ひっくるめて一つの効果、今回の場合は迷宮を作って目的地にたどり着かせないって術式よ。まあ、これを突破できるようならここに来ても問題ないでしょう」

 それよりもと、吐息を落とした鷺花は意識を切り替えて。

「初めましてに、なるのかしらね如月寝狐。私は鷺城鷺花よ、よろしく。話はじーさ……エミリオンから聞いてるわよ」

『――セツやウィルのように、面倒を押し付ける相手じゃないことを祈るわ』

「狩人じゃないもの。それに、今回だって確認みたいなものだし。靄がかかってるって言ったけれど、そっちで解除できない?」

『こちらで解除すれば、そちらでも解除されるのでしょう? 私としては、そちらの方が面倒だと思うけれど』

「あー……そうだけれど、そうなるとこっちの状況も口頭説明になるのよね。ああ面倒」

『一体私に何をさせるつもりよ』

「確認よ。余計なことはいいからしばらく黙って聞いてなさい。――うん? 聞いていてちょうだい。……あれ? 聞いてて、いいのよ……あれ……おかしいな」

 なんだか命令口調ぎみなのだが。

「まあいいか」

『よくはないけれど、いいことにしておく』

「結構よ。――で、解析はできた?」

「まあだ」

「オレも途中だ。話を続けろよ、こっちは確認も含めて並列処理してっから」

「はいはい――じゃ、最初から。現在こっちは携帯端末とほぼ同一機能を持つ魔術品を作成中よ。つまり電子ネットワークではなく、けれどそれによって発生している機器と同一のものね。簡単な機能だけ言えば、いわゆる映像つき電話機能かしら。あるいは電子ネット上でのチャット、ないしメッセンジャー機能に限りなく近いわね。理由までは話さないわよ。依頼主はセツとウィルで、私がそれを承諾して……ええと、二年くらいになるかしら。

 基本構造としては、まあ、それなりにできてる。サイズの問題もあるけれど、基本的にはカメラ機能とコミュニケーションとしての言語伝達がそこにあればいい。ただ、だからこそ確認しなければならないことがあるのよ。私がソレをやってもいいのだけれど、そうすると発生する不具合を他人任せにしないといけないから、寝狐を呼び出した」

『では、確認とはなにを』

「いい? 確認よ。――そちら側、形而界と呼ばれる場所はネットワークそのものが集合した場所である。電子ネットワーク、人間のネットワーク、それらは同一のものとしては扱われず、個別のものとして存在している――つまり、簡単に言えば別領域として区切られている、と想定できる。

 今回、私たちの考えは電子ネットワークに関わらない、人間のネットワークを主点に置いている。では、そもそも人間のネットワークとは何か。

 これを縁と言えば簡単だけれど、そもそも人の存在が、存在律がポイントとしての点ならば、縁は繋がりでもある。これらは魔術的に考えた場合、個人が持つ魔力と、自然界の魔力を通じて関連性を持たせることにも繋がるかしらね。

 ゆえに、まずは存在律の確保――これは簡単だ。世界が既に行っていて、生きている限り存在はする。その情報は意図することなく、形而界で確認することが可能なはずよ。そして、縁が繋がらなくとも、存在律があるのなら、そこに繋げることもできる。こちら側では縁を合わせることが難しくとも、そちら側ならそもそも同一領域に同一点として、けれど違う存在がある……と、そんな矛盾すら超越して、孤立している相手と繋がることができる。それは寝狐、貴女がそれを見てとれる、確認できることが証明しているわ。

 ――さて、ここまでの解釈は問題ないわね?」

『問題はあるわ。あるけれど、それは貴女が、鷺花が知っていることであって、把握していることであって、言葉の内容そのものじゃない』

「つまり、最初から電子ネットワークの代替はできてるってことだろ」

「ぎっちゃん、依頼を持ち込んだ時に言ってたもんねえ」

「まあね。後は形而界にアクセスするために必要な術式を組み立てて干渉する。あくまでも人が生活している状況で漏出する魔力程度で稼働し、生きているイコール常時稼働状態を作成……それをある種の特色として形而界では所持者を選別し、お互いに繋がりやすいような状況にしてやる――けれど、でも。

 ここで問題になるのは所持者の確定よね。セツならわかると思うけれど、譲渡や所持には明確な決まりがあって、手順そのものに着眼すればそれは複雑の一言に尽きる。それでいて誰が所持していようとも、その特色を出すことで個人を確定しなくては――そこは個人の魔力から引き出せるとして、その符号もつけないと」

 問題だけならたくさんあるのよねと、言いながら鷺花は展開した情報を分類するために動かしてまとめる。

「上位構造へシフトさせるために必要な経路――そこから、電子ネットワークなら当然あって、けれど人間ネットワークにない、通信って概念を上手く使わないといけなくなる。ここで大声を発しても、火丁に声は届かないわけで」

「そりゃそーだ」

「だから人間ネットワークそのものの、縁という繋がりに〝伝達〟の意図を与えなくちゃいけないんだけど、これどういうことかわかるわよね」

『言語情報を与える――ね』

「そういうことよ。そもそも縁には、情報のやり取りが発生しないもの。しているのは、縁で合った結果として、個人が行うものでしかない。かといって上書きするような改ざんじゃ意味はない。ってことで寝狐、その辺りの情報を頂戴。あとこっちのデータを渡したいんだけど」

『私が手伝うことがさも当然のような流れね……』

「え? 如月の名を持ってるんだから、手を貸してくれたっていいじゃない。完全に専門外ってわけじゃないんでしょ? レィルと立体チェスしてるくらい暇なら、これも充分な暇潰しになるわよ」

「なんだ、レィルから聞いてんのか」

「え? 聞きだしたのよ? ――レインと一緒に退路を塞いで」

『……』

「セツ、この記録媒体にさっき言ってたデータあるから、複写して寝狐とウィルに送っといて。基本設計と、現時点での構造も昨日の時点までなら入ってるから」

「おう寄越せ。すぐ済む」

「ぎっちゃんがどういうテキストデータにしてるのか興味あるねえ」

『ちょっと待って。なに、データが送られたら手伝うことが確定するような物言いでしかも流れなのは何故か説明して』

「それは説明すれば手を貸すことに肯定したことになるけれど、それで構わないのね?」

『――……結構よ。もういいわ、ええ、暇潰し程度にしかしないわよ』

「勝手に完成させられないからいいわよ別に。だってこれ、――私が主導で行ってるものよ。いいように誰かは使うけれど、やるのは私だものね。あ、おかえり」

「誰の手かと思えば、やっぱりお前か。俺に構わず続けろ」

「おいベル、その左足から生えてるナイフ、なんだよ」

「おー、本当だ。治療しなきゃね?」

「適当に済ます。てめえで傷をつけたんだ、処置は簡単だからな。五年ぶりくらいか? 鷺城鷺花、良い腕を持つようになったもんだ」

「ありがとう。……ふうん、痛覚を基準に全感覚の再構築を行って、記憶照合を拒絶したのね。やるなあ」

「ちなみにサギ、座標から逆算してここへ飛べるか?」

「中からなら無理。外からきちんと解析すればできるわね。といっても傷つけずに迷わせてるだけよ? 死ぬこともないし、気付いたら外に出てて再チャレンジになるだけで、大したものじゃないわよ」

「じゃ、吹っ飛ばせる?」

「ウィルは相変わらず乱暴な……まあでも、確かに中心を作らない場ではあるけれど、展開している場ごと――ああもちろん本末転倒の意味合いも込めてだけど、吹き飛ばせば術式それ自体は消せるわよ。何しろ、さっき言った通り迷宮であって、防御の術式じゃないもの」

「ちなみに防御系の術式ってのは、どんなのがある?」

「そうねえ、〝箱庭〟は最近使ったわよ。完全隔離術式なんだけれど、だいたい掌よりちょっと大きいサイズのキューブに封じ込めちゃうやつ。外界との遮断、内世界の乗算強化。といっても、要人護衛なんかの手段として別世界を構築して凝縮している感覚に近いかしら」

『話が逸れているようですが』

「時間稼ぎよ」

 そのタイミングでベルが手に治療用の――というか止血用だ――パッチを持って戻ってくる。何の遠慮もなく小夜の隣に腰を下ろすが、気にした様子は誰も見せない。

「ベル、この展開式の情報を寝狐に転送できる?」

「鷺花がやればいいだろう」

 ナイフを引き抜くと、左足が凝縮する。力を込めて筋肉を張り、出血を抑えたのだろう。そのままズボンをまくり、四センチは刺さっていただろうナイフはテーブルへ。

「なんだサギ、できるのか?」

「小夜、現時点で鷺花のできないことは……できない術式は、術式に限った技術で言えば、せいぜいエルムが三手、持っているかどうかってところだ。思考回路と、行動なんかの流れは劣るからお前でも紫陽花でも余裕で圧倒できるだろうが、手段そのものに限ればとっくに同じレベルだぜ」

「おいサギ」

「ぎっちゃん……」

「なによ、だったらとっととやれってその目は。できるからってやれるわけじゃないのよ? いや今回に限ればやれるけど、それは私なりの方法であってベルの技術とは別だもの。それと、私が私に課した制限を割ることになるのよねえ――今は大丈夫だけれど」

 だから、雷系術式を限定操作して現在状況を写真データのように複製して、そのまま寝狐、Rabbitへ送りつける。

『……来たけれど、これ、私だと読み解くのにだいぶ時間がかかるんだけれど』

「二年後くらいに完成予定だから気にしなくていいわよ。どうする? 共同開発ってことなら、ある程度の最新情報をそっちにも回すけれど」

『後ほど、深く考えてから改めて打診するわ』

「……ああ、久しぶりに堪えた。小夜、酒とってくれ。右から三番目」

「おー。にしても珍しいじゃねえか、オレの前じゃ、そうやって疲れたとこ見せねーだろ」

「実際に疲れた時はいつもこうしてる。考えてもみろ、俺が自傷とはいえ怪我をするのなんて十年かそこらぶりだぜ」

「そんだけ、ぎっちゃんが上手かったってことかあ」

「いや、あのね、ベルが言わないから一応私が言っておくけれど、ベルの侵入に気付いた時点で、ここまでの道を示したのは私で、それを無視して逸れたのはベルよ?」

「もっとうまくやれとサギ……」

「そーだよ」

「目の前の障害に対して、こっちに安全通路あるから来いなんてのは、――オレらにとっちゃ禁句だぜ」

「ええ、そう思って作ったもの。でも言い訳は作っておいて損はないでしょう? つまり私は悪くないのよ」

『……鷺花が厄介なのは十分にわかったわ』

 盛大な吐息と共に通信の切断アラームが鳴る。向こう側から強制的に切ったらしい。とはいえ話の大半は済んでいたので良いけれど。

「というかベル、あの馬鹿……フェイはどうにかならないわけ?」

「知らん。なんだ、感情的だな」

「オレの介入が遅れてたら間違いなく潰してたな」

「へええ、ぎっちゃんはふぇっちゃん嫌いなの?」

「大嫌いよ、ああいう魔法師は」

「どういう魔法師だよ。つーか、んじゃブルーはどうなんだ」

「蓮華さんはいいのよ。あの人は利用してるじゃない。常時展開型で、法式がそういうものだと納得した上で、それを都合のよい使い方を知ってる――でも、それは手段とは違うものでしょう。そして、法式は決して手段にならない」

 けれどフェイは、それを手段と勘違いしている。

「法式は技術じゃないもの。それが技術なら魔術の領分よ。だから気に入らない。あたかも自分のもののように使ってると、――根底から圧倒的に全否定してやりたくなるわ」

「魔術師だからこそ気に入らない、か。結局、鷺花は法式なのにも関わらず術式の領域にまで貶めているヤツが嫌いなんだろ。放置しとけ、以前に言っただろう。俺を〝特別〟扱いする節穴は結構いる」

「わかってるわよ。けど、わかってても感情はどうしようもないじゃない」

「じゃあコンシスなんかはどうなんだ? ありゃ、その辺り理解してやってんだろ」

「つまり私に喧嘩を売ってるのよね。まあ私も大人だし、封殺しただけで済ませたけれど」

「なんだ、ツラ合わせしたのか。オレなんてまだだぜ」

「せっちゃんは面倒なだけー」

「実際に面倒じゃねーか。オレはてめーと違って、仕事も秘密裏に済ませてんだよ」

 グラスに注いだ酒を飲みながら、ベルはやや目を細める。視線の先にあるのは展開式だ。

「ふん、あくまでも既存のシステムを利用したもの、か」

「それだ。ぎっちゃんなら、ネットワークそのものを構築することもできるんじゃない?」

「できるできないって話なら、可能よ。でも永久機関が完成していないのと同様に、私が死ねば緩やかに衰退してなくなるようなシステムになるし、いつまでも私の手がかかって甘んじるような子が居て欲しくはないもの」

「そういえば鷺花、お前弟子は?」

 だから私の年齢を気にしなさいよと、展開式を指で触れて動かしているベルに対して半目を向けた。

「後継者じゃないにせよ、私の弟子の条件は師匠と同じで、つまり私と同一の魔術特性を所持している子に限定されてるわよ。その辺りの判断については私も承知、というか納得してるわ」

「……ま、鷺花なら問題ねえか」

「そうね。私が自殺することはないから、殺された場合はその子が後継だもの。私の技術が失われても別にいいでしょうし」

「よくはねーだろ」

「うん、よくない」

「どちらかと言えば、まあ、よくはないな。とはいえもっと先の話だ――と、さすがに上部構造にシフトするのは俺じゃ無理か」

「したいの?」

「いや方法がわかりゃそれでいい。どちらにせよ今の俺は、ただ終わりを待つだけだからな。それより鷺花、潦と佐々咲が戻っただろう。評価を聞かせろ」

「評価の判断材料に困るわよ」

「あー? なんだそりゃ」

「危険察知能力――特に私に関してなら兎仔がずば抜けてるわよ。入り口まで来て引き返したもの。フェイも七八も内部に入ってるし、こうなるとほかの低レベル連中と同じになるわよねえ」

「そおなんだ」

「そうよ。まあ七八よりも兎仔の方が私といた時間が――訓練を見てやった時間が長いから、当たり前よね。ちゃんと一歩だけ踏み込んだし」

「つまりだ、どのような効果であれ鷺花のやったことだと確認した上で身を引いたのか」

「七八の悪いところは、なまじ長い時間を生きてるのが原因ね。あれ、外見じゃガキだけれど、セツとも知り合いでしょう?」

「まあ、隠すまでもねーか。古巣でな、少なくともサギよりゃ年上だ。あれでもな」

「だから厄介なのよ。切断術式も持っていて、獅子を継いだ気になっていて、しかも相応の経験もある――だから、先を見ずに納得して立ち止まっていることにも、気付いていない。ここから先は荒療治も必要でしょうけれど、まあ、どうなのかしらね。もちろんコンシスと比較すれば、技術的な面でもそうだし、思考面でも随分と劣っているわよ」

「とっちゃんは?」

「情報の摂取や立ち回りはそれとなく教えてるし、野雨に戻ってきてそう時間は経過していないけれど、まあフェイも教え込んでるんでしょうね。とはいえフェイほどじゃなし、拳銃の扱いもまだ私を抜いてないし……」

「はあ? サギ、銃器も使えるのかよ」

「そりゃ、これでも朝霧と一年も居たのよ? ジニーもいたし、覚えたわよ」

「それで今は武術か」

「――馬鹿だろお前」

「ぎっちゃん、ちょっと手を広げ過ぎだと思うなあ」

「きちんと習ってるわけじゃないわよ? ただ、戦闘形式で使い方を身に着けているだけ。さすがに専門家には敵わないもの。それに仕込むなら早い方がいいじゃない」

 ともかくと、鷺花は話を戻す。

「だいたい、ベルたちが継ぐものって、ただの名前だけでしょ」

「俺ら〝狂壊の仔〟が壊れただけならまだしも、五神なんて名前まで付属されちまえば、そうも言ってられんだろ。、もっとも印になるつもりはねえ」

「それはそうでしょうけれど――ん? ちょっと、馬鹿、まったく」

 一息、そして鷺花は誰もいない横を振り向いて。

「ちょっとレン、馬鹿なこと考えてないでしょうね? 入るなって意思表示してんだから、近づかないの。興味本位で首突っ込むなら、私だってほかの対応しなきゃいけないわよ」

 脅しも込めて迷宮に入ろうとしていた連理に一方的な言葉を投げ、やはり吐息。

「なんだ、レンがきてたのか」

「あおちゃん? 呼ぶ?」

「だから呼ばないっての」

「そういえば、連理と一緒に書庫へ向かったらしいな」

「ああ、私としてもこの通信術式を完成させるために、確認をしておきたかったから。以前に打診した時は師匠に断られたから、レンはついでよ。特に面倒も起きなかったし」

「――いい加減、協会も教皇庁も邪魔だろ」

「駒が勝手に動くわけにもいかん」

「そりゃそうだけどな……ま、面倒が起きねー内はいいか」

「そうねえ」

「ん、もう消してもいいぞ鷺花」

「そう」

 一気に展開式を消すと、特に音を立てていたわけでもないのに、空間を圧迫していた文字が消えたというだけで、妙な静寂を感じた。きっと、その気配こそが部屋の主、ベルが持っているものなのだろう。

「本題に入るか」

 ぽつりと、その静寂の中で、気配に同調するようにベルは言葉を漏らす。ベルだとて、鷺花の展開した術式を突破してまで戻って来たのは、もちろん好奇心もあるだろうけれど、鷺花がここに居る内に顔を合わせておきたい理由があったからだ。

「面倒なことじゃないでしょうね」

「面倒だ。――朝霧芽衣のことだからな」

「ああ……」

「あの女か」

 鷺花は納得して、セツは納得した上でやや渋面になってから煙草に手を伸ばす。ウィルはいつも通り、能天気な顔だ。

 ――ん? アブがきた?

 ふと、迷宮に知った気配が入ったので探ってみると、学園で顔を合わせたアブのようだった。忠告しようとも思ったが、アブならば問題ないだろう。こちらを探っていたのだから、半ば確信もあるだろうし、好きにさせればいい。

「三番目の所有者か。ベルはツラ見たんだっけか?」

「鷺花が訓練している最中にな。だから五年も前の話だ」

「そうだっけな。……オレとしちゃ、どーも、どう言っていいやら」

「珍しいねえ、せっちゃんが立場を決めかねる相手って」

「うるせーよ。だいたいありゃアイの――って、サギは知ってっか?」

「前所持者のことでしょう? 調べたわよ。最近は時間もあったし、なんとかなったわ。アイギス・リュイシカ。ケイオスと同期で、セツとの接触も調査済み。だから聞いておくけれど、アイギスはどこまでできたわけ?」

「あー……厄介だった」

「セツが言うなら、相当よね……」

「その前所持者が喰われたんだ。鷺花、どうだ」

「そうね……アイギスの術式が少しでもわかれば、もう少し信憑性も高くなるんだけれど、現状では――」

「あ? そりゃ、どんな術式でもいいのか?」

「最悪、魔力の残滓だけでも」

 ならあるぜと、ポケットに手を入れる振りをして所持品を空間転移させたセツは、万能型ツールを取り出した。

「その振り、必要なわけ?」

「わかりやすくていーだろ。ま、形見でな。オレらの同期は全員持ってる。んで、仕込みがあるのはわかってたが、特に解除するまでもねーと思ってそのままにしてたんだよ」

「ん――」

 解析は、ほんの一瞬。

「ああ、やっぱり」

「何を仕込んであるんだ?」

「彼女の一部よ。肉体的じゃなく、精神的に死へ近づくと発動してそこで留めるだけの術式ね。いわゆる死に際に、彼女だったものに逢えて会話ができるわけ。ただ結果的にそれで助かることもある――なんというか、悪戯の範疇よ」

「へえ。んじゃ、オレが逢うことはねーな」

「心象に干渉するのが得意みたいね。だからたぶん、喰われたのは事実だけれど、自分から飛び込んだのよ。三番目ごと、――それを生きていると表現すべきじゃないけれど、死を回避するために」

「つまり、アイギスは朝霧の内部に入りこんだ……か?」

「自由に何かができるわけじゃないわよ。ただ以前にもそういう形跡は見つけてたし、おかしいなとも思ってたけれど、それっきりだったから。だから」

 要するに、だ。

「今の朝霧はソレを忘れてるのよ」

「……原因はなんだ」

「あの子は基本的に私と同じなのよ。単独で最初から完結できる。ジニーが何を言ったのかは知らないけれど、今の朝霧は〝忠犬〟のファーストなわけでしょう? 足枷がいくつもあるから、彼女を……あるいは彼女ごと過去を封じてる」

「そうか。なら、――任せる」

「って私に?」

「オレだって多少は手を貸してやるぜ」

「私はパス」

 ここは流れで乗れよと、セツと鷺花は揃ってウィルを睨むが、当人はにやにやと笑いながらそれを受け流した。

「俺よりも条件はいいだろう。気にはしておく」

「はあ……ま、いいけどね。馴染みだし。それが本題?」

「まあな」

 よろしい、と区切りをつけるため鷺花はぱんと手を合わせる。この動きだけで槍の連中なら嫌な顔をするか、真っ先に回避行動をとるが、ここの連中がするはずもない。

「さてウィル」

「あ、ヤな予感する。帰る」

「待ちなさい。帰ってもいいから、――あんた〝伸縮指向(フォーシス)〟の魔術書を持ってるでしょう」

「も……持って、ない、かなあ」

「ふうん?」

「一度紛失して――ああ、文字通りの紛失な。捜索もしねーし、放置状態だったのを何故かオレに回収の仕事が回って来て、今はソプラノんとこだ」

「おーそうなんだ」

「ウィル?」

「ふんふふーん。にーさん、一口ちょうだい」

「笑顔で誤魔化していいのは中学生までよ。……ん? 待てよ、年齢的には私もアリなわけか……?」

「ねーよ」

「ないない」

「うっさい。――じゃ、鈴ノ宮に顔出そう。こっち戻ってから、まだ顔見せてないしね」

「おー、ならオレも行くか。サギ、配送頼む」

「は? なんでよ」

「たまにゃ、誰かに運ばれるってのも――経験としちゃ、悪くねーだろ?」

 そうねえと、吐息を落とした鷺花は立ち上がり、空間転移術式を発動させる。

 直後、ベルの所持するマンション一帯に展開していた術式は消失、外観は前も後も何も変わらずに、ただ迷っている最中だった人間だけが取り残された。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る