03/07/19:00――鷺城鷺花・文字式

「ふうん?」

 夕食の時間で全員と顔を合わせた鷺花だったが、気軽に話しかけてきたのは長身痩躯の男性であり、元は教皇庁魔術省に属していたというジェイ・アーク・キースレイだった。どんな調子だと部屋に戻る最中に問われたため、考えている内容を伝えると、そんな短い反応をしてから腕を組んでついてきた。

「なるほどな。何をしたいのかがはっきりしているが、その手段を模索中ってところか。どうしてって部分は聞かないことにして、だ。あー……俺ならとりあえず知識を詰め込めって言うけど、べつに弟子じゃねえしな。となればだ」

「知識って、本とか?」

「おう。ここにゃ魔術書の類も結構あるからな――と、ちょっと待て。いやいいか、ここが俺の部屋で、荷物を持ったらそっちに行く。待ってろ」

「わかった」

 頷き、とりあえずは自室に戻る。あれから試行錯誤した結果、テーブル一つを台無しにしてしまったが、既にアクアが片付けてくれた。ごめんなさいと、ちゃんと謝っておいたが、次はできるだけ被害は出したくない。

 本当は、忘れないうちにエミリオンの術式を組み立ててみたかったのだけれど、それ以前の問題だ。

「うーん……」

 普通の術式とは違うのだ、という思いがだんだんと強くなる。仕組み、根底にある何かが違う気がするのだが、その本質を見抜くためには多くの知識が必要だ。いくら〝魔術ルール〟の魔術特性を持っていようとも、ただ使えるだけの鷺花には、それ以上も以下もないのである。

 じゃあ、忘れないためにはどうすればいいだろう。

 文字で記せるのならばそれでいいけれど、おそらく一つの魔術を文字情報にした場合、ひどく多くなることが予想できた。まだどんな文字にすれば良いかもわからないけれど、なんだか非効率的だと思える。

 魔術に合った文字も、あるのだろうか――そんなことを考えながら、ベッドに腰を下ろしてあれこれ考えているとノックがあり、どうぞと招けばキースレイが入ってきた。

「早かったね、おじさん」

「おじ…………お、おう。そうだな、俺なんかおじさんだよなどう考えても」

「えっと、ヤだった?」

「いい、いい。俺の娘もサギとそう変わらんしな……」

「そなんだ」

「まあな。で、とりあえずエルムからこれだ」

 ベッドから飛び降りてテーブルに向かい、受け取ったのは厚い本と万年筆である。開けば本はすべて白紙だ。

「ノート代わり?」

「そういうこと。で、これが本命の魔術書だ」

「ありがと」

 開いてみる。

「……なにこれ」

「ん? 魔術書だが」

「じゃなくって、何語?」

「あ――っと、そういや、そうか。イタリア語は読めなかったか。辞書も持ってくりゃよかったな……」

「魔術書ってイタリア語なの?」

「んー、特にこれといって指定はないな。もちろん適した文字ってのもあるだろうが」

「じゃ、なんでこれはイタリア語なの?」

 ええとだなと、椅子を引いてキースレイが座ったため、鷺花も対面に腰を落ち着かせる。ちょうど文字のことを考えていたため、詳しく聞きたかったのだが、しかし。

「俺の出身がイタリアだからな。ローマ、バチカンの教皇庁魔術省……教会の、元外れ者でな。熱心な教徒じゃなかったもんで、地下牢で生活してた際に、俺がまとめた本だよ。内容は、いわゆる文字式ルーンだな」

「文字式? 文字の――魔術?」

「多少の事前知識は必要だな。復習を自分ですりゃ問題ねえか……そうだ。ルーンはそもそもギリシア文字から派生したようなもんでな、文字それ単一が既に〝意味〟を持つ。そうだな、考え方としては魔術構成そのものが単一文字に含まれていると捉えればいい」

「じゃあ魔術師の文字?」

「そうでもないな。もちろん、文字式を主体として扱う魔術師もいるが、あくまでもそれは文字でありながらも、式としての要素が強い。だからまあ、サギが考えてる問題とは少し外れるが、知識を得るのは悪いことじゃないだろう」

「うん」

「そうだなあ、まずは基礎文字に該当する部分なんだが」

「――あ、ちょっと待って。確認なんだけど」

「どうした?」

「その文字式っていうのは、つまりルーンの文字それ自体が世界に登録されている術式って思えばいいの?」

「それは――そうなんだが」

 文字式の核心に最初から触れられても説明に困るのだが、もちろん鷺花にはそんな確証は持っていない。

「実践してみてくれる?」

「……ああ。まずは簡単なのでいいか」

 本をテーブルの隅に避けたキースレイが文字を書くと、指先の軌跡が数秒ほど残り、次第に薄くなっていく。それと連動するように空気が揺らめくように動き、完全に消える頃には水が二滴ほどついていた。

水の文字式laguzだな」

「おー」

 生み出すのではなく、集める。そんな現象を見た鷺花はぱちぱちと手を叩いた。そして、自分が実行することを想像してから、はてと首を傾げる。

「あ、ねえねえ、火のルーンってある?」

「そうだな。一般的には松明cen、それから太陽sowiloを使うが、扱いやすさとしては松明の文字式がいいだろうな」

 ほら、と言いながら水滴の上に松明の文字式を描き、水を簡単に蒸発させてしまう。

「つっても、ルーンだって長枝や短枝、北欧やらゲルマンやら種類が――」

「よっと」

 右手で空中に水の文字式を描いてみると、急激に部屋中の空気が流動して水を集めだす。予想通り、魔力の供給量で規模は変化するが、水を留める方法がよくわからなかったので強引に魔力で器のようなものを作ってみる。だが綺麗な円形にはならず、不安定だった。

「あれ?」

 そこまでやって、水を集めたなら火の文字式をより強く使えるかな、などと思っていたのだが、そもそも、火系の術式が使えなくなっている。一対なのだから、片方を使って凝縮してしまえば、もう片方が強くなると単純に考えていたのだが――。

「……あ、そっかそっか」

 水を作ってしまうと、火を発生させるための要素が使われてしまっている。だから使えない。でも、だったらこれ以上強くするにはどうすればいいのだろう、と思いながらも視線を戻す。

「キースレイおじさん」

「なんだ?」

「…………どうしよ」

「部屋中を水に浸せば解決するぜ」

「おっけー」

 極端だ、とは言うなかれ。

 文字式ではなく火系術式を集めた水の内部に思い切り展開した鷺花の行為は、水を大爆発させる結果となり、――水は拡散したのだが。

「うえー……」

 全身がじっとりと濡れて不快になった。ついでにたぶん、ベッドの表面も濡れていてしっとりしているだろう。

「お前……実験用の部屋を貰っておいた方がいいぞ」

「そかな?」

「いや、最初の内なんて誰でもそうだけどな、即決即断っつーか後先を考えてねえっつーか」

「んー、それより、水とか火とか以外だと、どんなのがあるの?」

「ああ、属性な」

「木火土金水?」

「あー言術だとそっちがメインになるな。知ってるじゃねえか」

「えっとほら、父さんが――武術家だから」

「そうなのか。だったら呪術の領分になるな」

「うん。雨天っていうの」

「じゃあ鷺城は母方か?」

「母さんは小波。鷺城は……ししょーが……ん? あれ? ししょーの父さんだとエミリオンのじーさんかな?」

「そうなるな」

「じゃ、じーさんがくれた。その方がいいからって」

「なるほどねえ……エミリオンも、なんつーか業が深いっつーか……ま、いいか。魔術の場合は五行じゃなく、七則を扱う場合がほとんどだ。地水火風の四大元素に三つを加えた、地水火風天冥雷」

「雷は?」

 最初からそこかよ、とキースレイはまた少し黙る。なんだか順序をすっ飛ばして本質を先に掴むような問いが先ほどから続いているようで、その閃きはきっとキースレイにはなかったものだ。

 鷺花が逸材であることは、間違いない。

「どれにも属さないが……基本的に属性選別を行った場合に、雷属性を持つ魔術師はほかの属性が使えない。逆も然りだ――もちろん、そこをどうにかする手法も存在するが、基本的にはだ」

「そっかあ。属性で区別しなければいいんだ」

「いや、魔術特性の関係もあるからな……?」

「おー。特性にも属性が当てはまるんだ」

「そりゃまあ、最初は大雑把に自分の適性を考えて伸ばす方法を取るのが一般的だからな。細かく言えば山ほどあるし、中には魔術師協会が定めた呼称もあるわけで」

「教皇庁はないの?」

「いや……まあ、ある。あるがちょっと質は違うな。協会の方はあくまでも呼称であって、自称するものじゃねえが、教皇庁は二つ名で使用を前提としているような意味合いが強い。むしろ、そっちで呼ばれることが誇りになる――らしい。俺にはさっぱりわからんかった」

「ふんふん……威力なんかも属性に左右されるんだね。となるとふつーの魔術師はまず状況を整えるのかな?」

「儀式ならともかくも、普段からそんな手間はかけてられねえよ。いつも防衛側とは限らないだろ?」

「でも準備した方がいいんだ」

「その方が楽だけどな」

「んー……ま、いいか。いろいろ読んでみるよ。ありがとねおじさん」

「おう。ま、大抵はいるから聞けよ。俺じゃなくてもいいし」

「うんー」

 二つ返事をしながら本を開き、そこで読めないことに気付く。だからぱらぱらとめくり、ふと。

「――あれ? ねえおじさん」

「どうしたよ」

「この本って、一つの大きな術式になってない?」

「おい待て。……何故そう思う」

「ん? あれ? んん? ――おー」

「聞けよ」

 ぱらぱらと魔術書をめくる速度が上がり、時折ページを止めるために鷺花の指が差し込まれる。

「おお? おおお? そっかそっか、うんうん、あれ? ってことは……」

 確かに、望んでいたものとは違う。

 文字は相変わらず読めないけれど、それが術式ならば話はべつだ。製作工程を脳内に流すだけでも、仕組み自体ならば把握できる。どのような効力があって、それがどんな流れを持つのか――。

「すごく汎用性? があるね。込める意味合いが違えば、作用が逆転するってのも……うん? でもこれ、あれ? ねえねえおじさん」

「おう……なんだよ」

「なんで文字式使うの?」

「……あ?」

 さすがにその問いは意表を衝かれたのか、初めてキースレイは訝しんだ顔をする。

「だってほら、えーっと」

 右手で領土の文字式opilaをテーブルに描き、足元に別の術式を構築して実行する。役割は、その領域を区切ることだ。

「同じでしょ?」

「まあな。ただ――」

「うん。でもさ」

 火と太陽の文字式を重ねて書き、凝縮された熱を発生させ、同じものをテーブルの上ではなく空気中に発生させる。

「熱い!」

「当たり前だろ……つーか、この短期間で複合式まで使えるのかよ。連立させんの、結構苦労するんだけどな……」

「ん? そなの? よっと」

 今度はきちんと元に戻す。最初から消すことを前提に構築したため、消すのは容易いのだ。

「複合とか連立ってなに?」

「あー……その辺りの説明は、今はもうしねえ。つーか急ぎすぎ。説明しなくてもサギならその内にわかるだろ」

「そっかあ……うん、でも文字式、面白そう」

「まあ着手するのも悪くはねえけど――っとそうだ、忠告しとくぜサギ。疑問を抱いても、まだウェルのところには行くなよ」

「え? あ、うん、なんで?」

「座学で一番知識を持ってるけど、悪影響を考えないヤツだからだ。といっても、あくまでも忠告だ。気にしなくてもいいぜ」

「おっけい」

 それからしばらく会話をした。魔術以外のことは少なかったけれど、それでも鷺花には良い影響になったようだ。

 良いのか悪いのか。

 それをここで厳密に確定できるわけではなかったけれど。


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