10/20/14:10――雨天暁・己の中の区切り

 その日、普段ならば袴装束に身を包んでいるはずの雨天暁うてんあかつきは身動きがしやすく、しかし窮屈にも思えるスーツを着込んでいる。ここで服装の違いを真に受けて、どこが雨天だと嘲笑する愚か者がいたとしても、暁自身は苦笑してそれを受け流すだろう。

 何がどうであれ、己が雨天の暁であることは変わらない。それが暁の出した結論である。

 生まれた頃から雨天だった。それは武術家の筆頭として生きる道――だが、それを強制された覚えはない。躰こそ幼少の頃から作られていたが、選択したのは暁自身だ。ならば、それは至極当然の帰結であり、疑問を介在させる余地のない、真っ当な答えであろう。

 ただしそれは、己自身のものだ。傍にいる者がそれに同意するとは限らない。

「――んで、落ち着いたか」

 そりゃ俺の言い方も悪かったけどなァと、暁は短髪に指を入れて左右に動かす。

 道場の中には誰もいない、ただ雨でもないのに溢れんばかりの水気が充満しているだけだ。けれど、そこには暁の相方がきちんと存在していた。

「いいか? べつに、お前に残れッて言ったわけじゃねェ」

 口下手なのはいつものことだ。だから、とりあえず話の始めにと、俺は往くが俺に付き合わなくてもいいと、そう言ったのがいけなかった。捨てられたと勘違いした彼女が泣き始めて既に二十分、ようやく落ち着いてはいるものの、相変わらずすぐに泣く。

 それも仕方ないだろう。雨天が天魔、百眼ひゃくがんが一つである涙眼るいがんなのだから。

「なんつーか、いや間違っちゃいねェけど――ここに残っても、俺は責めねェってことだ。どうするかはお前が選べ」

 ――翔花しょうかは置いていくッてことで話し合いはしたけどなァ。

 そのためにVV-iP学園への入学を勧めたのだ。もちろん、いや言い忘れていて後出しになってしまったが、ともあれ結果的にはそうだ。うん、だから問題はきっとない。

「ああ、ッたくお前は……わかったもういい。――来い涙眼。俺と共に来い」

 短く二文字でいい返事があった。心なしか涙声だが嬉しそうな声に、やれやれと肩を竦める。なかなか自己決断をしない相手だが、そもそも昔に一戦交えてからはずっと暁と共に存在しているのだから、離れる方がおかしいし、涙眼から離れると言われれば暁もかなり落ち込むだろう。

 だったら最初からそう言えばいいのに、と道場の入り口から顔を見せた翔花は思う。今日は既に学園へ登校した帰りで、既に和服へ着替えている。さすがにまだ学園では鷺ノ宮事件の余波が残っており、ざわめくような熱気があるものの、翔花はできるだけ気にしないようにした。もっとも、正式には年が明けてからが本格的な入学になるのだが。

「どうした翔花」

「あ、ごめん。お客さんが来てるよ」

「はあ? 誰よ。俺にか?」

「そう。――あ、こっち来たや。さっきまで爺さんと一緒に話してたんだけどね」

「爺が相手にしてたァ? ンだそりゃ、本当に俺の客か?」

 間違いはねえなと言いながら、少年が顔を見せた。針金質の髪は前髪が長く、左目を隠している。ジャケットにカーゴパンツという恰好もあるが、妙に存在感があり、そしてまた表情が隠れているためか感情もあまり窺えない。その癖にどこか平凡に見えてしまうのは、ちぐはぐのようでいて真っ当である。

「よォ――お前か。鏡の件、助かったぜベル」

 彼は〈鈴丘の花ベルフィールド〉の名を持つ、狩人である。

「俺は俺で、仕事をしただけだ。誰に頼まれたってのは口が裂けても言えねえよ。まあブルーだが」

「言ってるじゃねェか。ま、俺は詳しく知らねェけど、やっぱ蓮華れんかはよくやるぜ。んで、どうしたんだ」

「あのな……お前の依頼を引き受けたのが俺なんだよ、ブルーに頼まれてな。国外を飛び回るような相手の護衛をしてえんだろ?」

「ああ、そうだが……ンだよ、蓮華の野郎、そんなとこまで手ェ回してやがったか。あいつにゃまだ言ってねェのに」

「それがブルーたる所以だろ。こっちで対象の目星と交渉はしてやった。快諾してたぜ――だがまあ、依頼料を受け取ってねえからな」

 一歩、ベルは道場の中に足を入れた。

「だから二つ、聞いてもらおうか。そのために雨のと話して承諾を貰ったんだ、受けてもらうぜ」

「あー? ンだそりゃ。とりあえず聞くぜ」

「一つ目は、俺と戦え。まあ試合ってやつだ」

 すたすたと道場の真ん中付近にまで歩いたベルは、軽く両手を広げた。

「とりあえず銃は、あーまあいいか。ナイフも銃も使う。まあ雨のが試合えば話は早いんだが、野郎逃げるばっかで俺の相手なんぞしやしねえ。だから次策で、お前でいい」

「そりゃ、それが条件ならしょうがねェ。つッても、俺でいい、ね。あんま挑発には乗らないんだけどなァ俺」

「知ってる。だから挑発じゃねえよ、ただ素直に言っただけだ」

「ま、外に出るッてのに対するジジイの条件でもあるんだろ。――涙眼、五月雨を寄越せ」

 入り口から入ってこない翔花を一瞥してから、ふいに空中から渡された日本刀を手に取り、腰に佩くことができなかったので右手で鞘を掴み、直立したまま鍔を弾く。

 合図はいらず、一刀を放った。わざわざ構えを取らなくても――いや、自然体であっても暁が雨天ならばそれは、戦闘の態勢だ。そういうふうに仕込まれている。

 一刀。

 翔花にとってそれは見なれたものであっても、鍔鳴りを聞いて放ったのだと認識できるものでしかない。それに対して小柄なベルはどうするのかと思って見ると、しかし少年はやや視線を下に向けるようにしてジャケットの内側から煙草を取り出すと、流れ作業で口に咥えて左手に持っていたオイルライターで火を点ける。

 妙に、その鍔鳴りの音は残響を作って静寂の間と張りつめた空気を演出した。

 ――コイツ。

 頭部にじわりと汗が滲むような感覚を、暁は初めて知った。雨天の師範として君臨しているしずかと対面した時、あるいは槍の朧月おぼろづきや小太刀二刀の都鳥の師範たちと試合った時とはまったく違う感覚だ。

 一体何が違うのか、それを疑問視するよりも前に、紫煙を吐き出したベルは煙草を右手に持って軽く振る。

「ん、おう」

 見た目では何も起きていないが、しかし現実として暁は居合いを放った。それは威嚇でもなんでもなく当てるつもりで――そう、〝つもり〟で放ったものだ。避けるとそう思ってもいたが、現実には当たらなかった。

 だから、これは暁自身が当てなかったのだと、そういうことになる。

 当てなかったのだ。

 それを、当てられなかったのだと、ベルは判断したが。

「二つ目の要求だ」

「……おい」

「いや、最初から要求は一つで済むんだが、俺もお前とこうして対峙したことなかったからな、試しただけだ。俺が試されたんでもべつにいい」

 いいや、試されたのは暁だけだ。

「で、要求だ暁。――お前の〝雨天〟を見せろ」

「――」

「強調してやったんだ、意味はわかるだろ。それともできねえと、頭を下げてもべつに俺は依頼を取り下げたりしねえよ」

「……だから、俺は挑発に乗るタイプじゃねェッての」

「知ってると俺も言ったはずだ」

「はあ……ッたく、何を心配してんだかな。翔花、悪いけど五月雨を持っててくれ」

「え? あ、うん」

「涙眼に持たせとくのも、まァ面倒なんだよ」

 そんなものかと一度中に入って刀を受け取り、わずかな疑問を抱きながら再び下がる。

 ――今、暁の手、震えてた?

 勘違いならばそれでいい。けれど、振り向きもせずに渡された刀から、触れ合った僅かな時間で、翔花はそれを感じた。何に対するものだろう、武者震いなのか、それとも。

 ――それとも怖いの、暁。

 何が怖いのか。ベルがか、それとも雨天を見せるのがか。後者であってくれればいいと翔花は思い、そして重い刀を両手で抱くようにして持つ。それほど長い付き合いではないが、鍛錬をしている暁を見るのは日課だった。それでもまだ、無手の暁は見たことがない。

 だらりと下げた両手、つまるところ同じく構えにならない構えである自然体。

 暁のレベルでどうこうはともかくも、たとえば武術ないし武道を知らない一般レベルにおいて、無手と武器持ちとの戦闘を行おうとした場合、果たしてどちらが強いかと問われれば、武器を持っている方だと答えるだろう。何故ならば個人レベルに差異があるかどうかはともかくとして、そもそも、武器を持っている方が強いのではなく、持っている武器が強いからだ。釘を打つのには金槌を使うのであって拳は使わない、つまるところそういった理由になる。

 しかし、雨天の場合は違うらしい。その本質をなんとなく察してはいるものの翔花が見るのは初めてで、きっとこの機会を逃せば次はないとなれば、自然と集中してしまう。

 おおよそ五歩の距離だ。暁ならば一歩、いや一歩と半で詰める距離。体格は多少なりとも暁の方が良いものの、大きく差があるわけではない。ただし、年齢的にはベルの方が圧倒的に低いだろうけれど。

 ざっと五年くらい違うのだろうか――翔花が息を飲んだタイミングで暁が動いた。

 左足を支点にしてくるりとその場で回る。まるで少女が選んだ服を確かめるように、スカートの端を揺らすように回るのと似たような動作だ。袴装束ならばそう見えただろうけれど、今はスーツだ。

それに対したベルは、何もしない――否、頭一つぶんだけ低くなっている。動きを見逃したのかと翔花が思えば、ベルはただ膝を曲げることで躰を落としていただけだった。

「――うわっ」

 それらを確認した後、眼前で何かが、いや雨が落ちて池に波紋を立てるような様子を見せて、衝撃が弾かれた。

「……え、え?」

 何が起きたのかわからず、心音が高くなる。そこへ来たのは雨天の主、静。老人はそっと翔花の背を支えるようにしてから、ふんと一つ鼻を鳴らした。

「足刀・居合いだ。友人を殺して牙が折れたかと思っていたが、なんだあの野郎、――逆じゃねェかよゥ」

「爺さん、いたなら早く来てよもう」

「翔花も言うようになったなァ」

「んで、ソクトウって?」

「技じゃねェよ。ただ、後ろ回し蹴りを極限まで鋭利にしただけ――ッてやつだな。おい暁、てめェ道場壊すなよ」

 どん、と静が道場の壁を外から叩くと、ちょうどしゃがんだベルの頭上付近からずるりと滑るように崩れ落ちた。

 まるで、鋭利な刃物で一周を切断したかのように。

「文句言うな雨の、修繕費は俺が持つって言っただろうが」

 指先で弾かれた煙草を静は落ちる前に受け止め、壁にこすり付けて消す。

「先に言っておくぜ」

 無言のまま、呼吸も変えず、態勢を整えたままの暁は視線を逸らさずに、その隙が多くありながらも、誘いに似た気配を持つベルの言葉を聞く。

「俺の右足と左腕は機械仕掛けだ」

「――あ」

 立ち上がったベルの前髪が鼻の付近で真横に切断されて落ちた。

「恐ろしいな。あやつ、直前まで見切りをしやがって」

「んで、悪いが術式を使わせてもらう。俺の特性は〝雷〟だ。つまり電気、紫電を操る。まあ対策は考えてくれ。さっき言った通り銃もナイフも使うからな」

 先に手の内を明かしてどうするの、と翔花は少し呆れたが、隣にいる静は別の意味で苦笑した。

 明かしても問題がない手もある。だがそれよりも、明かされるごとに対応ができなくなる手の方がよほど恐ろしい。知れば知るほどに、それが深ければ深いほどに、知らなければよかったと――そんな後悔を抱きながら地に伏すものである。

「ま、ナイフはナイフでも、ちと厄介だろうけどな、こいつは」

「――その」静寂を身にまとっていた暁が口を開く。「左目は使わないのか」

「見えたのか。使わねえよ」

「……ねえ、爺さんはあれ知ってる?」

「ん、ああ、まあな」

「あれって〝極赤色紅玉クロゥディア〟じゃない? 魔術品だよね」

「なんだ翔花、はしっこいなァ。ま、そう言われてるらしいがよゥ……ここから先、その五月雨だけじゃちと防御が薄いか。おい百眼、翔花についておけ。……あァ? 酒なら二段目の右から三本目だ。それ以外は許さん」

「おー、お願いします百眼様」

 一応は自然に言葉を返しておくが、百眼とはそもそも雨天家が天魔であり、今の翔花には会話することも見ることもできない。ただ気配のような残滓で感じるだけだ。

 大きく、暁が左足を前へ出した。けれど強い音を立てるのではなく、床の上を滑るようにして。その足元に視線を落としたベルは、僅かに瞳を細める。

「……ふん。さすがに雨天と無手ってのは、自殺行為か」

 踏み込みからの上段回し蹴りを太ももから引き抜いた大振りナイフ、四番目の刻印が成されたそれで受け止める。

「うわ、刃の部分で受け止めて暁が無事って……」

「無手でも刀だ、刃物と刃物ならば、刃こぼれせず打ち合えばああなるもんだ」

 空いていたベルの右手がぴくりと動いた瞬間に暁は足を引き、床に落ちるよりも早く中段――から下段への変化、その刹那にもベルは思考する。

 ――こりゃ折られるどころじゃねえな。

 左足は生身だが、そもそもベルにとってそのような感覚はどうでもいい。右足や左腕だとて、さて壊れたらどの程度痛く問題があるのかと思って、自ら怪我を引き受けたようなものだ。それをいうのならば左目も、だけれど。

 左目に埋め込まれた魔術品は、そもそも髪で隠してはいるが常に瞳を瞑る――まぶたを閉じることで封印としているため、見られることはない。それでも察した暁や翔花は知識が豊富な証拠だろうけれど、これを使えば戦闘の領域から逸脱してしまう。だから使わないが、さて。

 どうしたものか。

 避けると思っての行動だろう。避けなくても攻撃にはなる。単純なローなら受け止めればいいだけの話だが、これでは切断されてしまう。だからといって後退すれば追撃があり、ましてや飛んでの回避の追撃ならもっと厄介だ。

 ――ま、当たりゃそうなるな。

 身動きをしないベルの足元で暁の蹴りは空を切り、いや斬り、つま先が床についた途端に顔へめがけて跳ね上がった。

 ――これを後退して回避、次に。

 衝撃波を考えて大きく回避してみれば、大振りにあがった足が強く床に叩きつけを行い、道場全体を揺らしながら、上半身の捻りを解き放つかの如き回転と共に直線が来た。

 ――早い。

「思ったより早いじゃねェか、あの野郎」

「うん何がなんだかわかんない」

 胸部へ放たれたのはいわゆる貫手――拳を握らず直線でのそれを、手槍とでも表現すればいいのだろうか。ベルはナイフで防御してから二秒すらかからない攻撃に対し、その連携を予測し見てとった上で、どこか退屈な表情のまま、ジャケットの端を手槍に食わせつつも脇下を抜くようにして最低限の行動で避けた。

「怖いよなァ……」

参る話だとばかりに静は禿頭を撫でる。

「雨ノ行第六幕、〝刻刻(ときのきざみ)〟辺りじゃ挑発にもなりゃしねェのか」

 だが貫いた手が背後からベルの襟首を掴む。踏み込みに使わなかった左足が払いを仕掛けようとするのを冷静に見る。

 ――頭から落とすんなら上出来だ。

 けれど見落としがあるとベルは払われる前に軽く飛び、抵抗せずに暁が持ち上げるに任せ、投げの動作に入った直後に派手な音と共に床が抜けた。重心がズレる、ゆえに投げられない――が、手を放すことがなかったため、仕方なくベルはジャケットを脱ぐようにして前方宙返りの要領で抜け出して着地し、ナイフを腰の鞘へ戻した。

「……やわだな」

 既に暁も飛び退くように間合いを取り、今度は左足を前に出した自然体でいる――が、先ほどから嫌な汗が止まらない。シャツが背中に張り付いている感覚すらわかるほどに、疲労とは違う汗が流れていた。

「おい雨の、踏み込みに堪えられねえ床板使ってんじゃねえ」

 馬鹿を言うなと、呑気に落ちているジャケットを拾って羽織るベルに対して静は苦笑する。

「ど、どうなったの?」

「暁の踏み込みが床を叩いた上で、ベルの重量が予想よりも重かったから重心がズレたんだ。その結果があれよゥ」

 床を踏み抜いたのは投げに至るための踏み込みにも原因はあるが、暁の見切りの浅さにもあった。

 汗が止まらない。

 武器を持たないことで得た無数の選択が両手から零れ落ちていくような感覚すらある。

 ベルの前髪を伝って床に落ちる紫電を見ながら、どうすれば。

 どうすればベルから本気を引出してなお、その上を行けるのか。

 そんな無謀、それこそ不可能とすら言えるほどの道筋を導き出すため、懸命に頭を捻った。

 仕切り直しから、次の戦闘に移行したのはベルからだ。

 もっと遊ばないとな――なんて、思ってもないような顔で呟きながら。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る