10/20/12:05――梅沢和幸・同居人との関係

 体感的には既に鷺ノ宮事件から数日。けれど、現実的には依然として世間は騒がしく、そして何も解決していない現状を前にして、梅沢和幸うめざわかずゆきはどうなのかといえば、一学生としてはどんな事件性があり、謎があろうとも、日常に戻ることが先決であり、そして、逆に言えば戻らずとも、いつもの日常の続きでしかない。間接的に関わっただろう誰かは、それこそ友人連中に該当するのだろうが、和幸自身は何も関係していない。新聞の記事を見たところで、そうなのかと頷くことはあっても、それをごくごく身近にすることはないのと同様――と、言いたいところなのだが。

 しかし、現実として、同居人が転がり込んできたことは決して覆らないわけで、それは事件の一部とも言えよう。いや、同級生の女子学生と同居するなんてことは、和幸にとっては一大事件だが。

 その事件に対応するに当たって、休日ともなれば大音量でステレオを流しながら公務員試験に向けての勉強をするのが通例になってはいたのだが、しかし、倉庫として使っていた一部屋の片づけを行うためツナギに着替え、軍手を装着して検分なんぞをしている。

 和幸は実際、あまり整理整頓をしない。それを自覚しているからこそ、あまり物品を購入しないのだが、いかんせん貰い物は断れないし、何より趣味のステレオ関係は例外だ。ぽんと買えるものでもないが、それでもスペックアップを目指せば、古いものが残ってしまう。そういったものは往往にして重量物であり、次に使うことを前提に箱へ入れているため、検分ともなれば一つずつ空けて中を確かめなくてはならない。

 つまり、時間がかかる作業だ。しかも簡単に処分できるような物ばかりではないので、本当ならば譲渡したいのだが、譲れる相手が傍にいるわけでもなし。中古市場が一般的なステレオ業界にとっては、売りに出すことこそ望まれているのだろうけれど――まあ、全てをそうするわけにもいかなくて。

「――かずやん」

 かけられた声に振り向きながら、首にかけたタオルで頬を拭う。入り口からこっちを見ている久我山紫月くがやましづきは、割烹着スタイルだ。時代を間違えたんじゃないかと突っ込みを入れたい気分だが、しかし、スタンダードスタイルと言って憚らない侍女服姿が、どうにも和幸は苦手というか、落ち着かなかったので、着替えを要請したのである。その結果がこれだ。評価はしてもいいかもしれないが、なんで割烹着なのだろうか、それをまだ問い質してはいない。

 藪蛇になると思ったからだ。

「どうした、久我山」

「どうしたって……もう昼じゃけん。ご飯、できあがってんから、はようおいで」

「なんだ、もうそんなになるのか」

 ぐるりと部屋を見渡してちっとも進んでいないのがわかると、さすがに落胆もしたくなる。午前中を費やしてこれだと結果が出ているのだから文句も出ない。

 洗面所に行って手と顔を洗って台所に顔を出すと、既に料理が並べられていた。まだ二日か三日くらいしか同じ暮らしをしていないが、紫月の料理は一切の文句がない。そもそも自炊をあまりしない和幸だ、家庭的な食事にはどこかほっとするのである。

「いただきます」

「はいよ」

 紫月も対面に腰を下ろし、三角巾を外して食事を始める。

「ほんでも、あんま進んでへんみたいやなあ。べつに急がんでもええぞん?」

「馬鹿、三日も部屋なしじゃ困るだろう。俺のベッドを占領してるのも、どうにかするにはちょうどいい。そのつもりでの片づけだ」

「そうなん? じゃあ邪魔した方がええんかのう」

「なんでだ」

「したら、もう一緒のベッドで寝るしかあらへんやろ」

「……お前はあれか、俺の理性を試してるのか? 言っとくが人生十六年、俺と付き合おうって物珍しい女と出逢ったことはない。あんまり慣れてないんだ、そういうことを言うな」

「冗談じゃねーべさ。それに、うちは構わんよ? てか一緒に寝たらうちが我慢せえへんし。合意の上やもん、いいじゃろ」

「よくねえよ……」

 世間体などを気にしない和幸であっても、状況に振り回されるのは御免だと思っている。そもそも、どうして紫月がここへ来たのかもまだ話してはいないのだ。

「ま、ええよ。ほんでも片付け捗ってえんのじゃろ? うちが手伝うっても、ようわからへんし……」

「そうだな、捨てられないものばかりだし処分が難しいんだ。確かに、これは置いておきたいと思ってんのも中にゃあるが二割程度だな。そういうモンはちゃんと別のところにしまってある」

「ステレオの、だべさ?」

「おう」

「なんでステレオなんか、聞いてもええ?」

「ん……そうだな。ガキの頃、ありゃ小学生くらいか……ステレオってのは中古品が出回るのが一般的で、一部の人間しか新品は購入しない。高いし、まあ古いやつの方が――昔に流行ってたやつの方が良いって考えが根強くてな」

「へえ、そうなんや」

 ディスクになる前のレコードの方が良い音が鳴る。それが事実であれ、なんであれ、好みの音を出したいと願うのならば、それを突きつめたくなる。かつて主流だった年代が古いことも相まって、当時の音色を好む流れができるのは、仕方のないことだ。

「もうなくなったが、そういう中古を扱ってる店に通ってたんだよ。最初は喧しい音が出てる店だと思ってたんだ。でも聞いてみたらはまってな。だがこいつらは値が張る。小学生の手が届くもんじゃねえ。ディスク一枚買うのでも一ヶ月に一枚――まあ当時は買ってたが、自由になる金は残らなかったな。そこで、大人の人と話をしたんだ」

「大人って……どんなん?」

「どうと言われても、スーツで大人だ。名前も聞かなかったし、俺も三度しか逢ったことがねえ……いや、厳密には二度だ。三度目は、彼の知人らしい人物だったからな。まあともかく、俺は一ヶ月に一枚変えたディスクを片手に、それこそ毎日のように通ってたわけだ。それを見たその大人は、俺が物の価値がわかって、それを大事にできるようになったら一式譲ってやると言ってくれた」

 それが、リビングに置いてあるシステムだ。もちろん変わっている品物もあるけれど、現物もきちんと保管し、半年に一度は引っ張り出して稼働させている。

「聞いた話じゃ誰かの形見らしいが、置き場がない――と、聞いてる。今だと、そうだな、四十年以上前に組まれたものらしい。部品っつーか、単品で考えればもっと古い製造年だけどな」

「えらい奇特な人もいたもんやなあ」

「俺もそう思うが、ありがたい話だ。できれば礼の一つもしたかったけどな、仕方がない。――ま、それはともかくも片付けだよ」

 当時、怪しんだのは確かだ。そんな美味しい話など転がっているはずがない。けれど、貰うことの嬉しさよりも、和幸は――どこか、想いを貰ったような、同時に荷物を背負ったような、そんな気分になったのだ。

「……なんや、悪いなあ」

「あ? そりゃお前、こっから先も住むなら必要なことだろう。俺だって嫌嫌やってるわけじゃない。それに、飯を自分で作るよりゃよっぽどマシだ。感謝してる」

「お互い様っちゅーことじゃけん、すまんこって」

「ん。まあしかし、どう処分したものか。中古屋も傍にゃなくなっちまったし……ステレオは流行らないのかね」

「知り合いとか、おらへんの?」

「在庫を押し付けるような知り合いは、いないな。というか俺はまだ学生だぞ? ステレオの主流は社会人で、年齢が結構上なんだよ。そうそう知り合えるか」

「そうなるけんのう……かずやん、ほんでも急がんでええよ?」

「そうか? いや急いでもこの結果だから悩んでるんだけどな。――そういや久我山、べつに家に居なくてもいいぞ? 用事があるなら好きにしてくれ。あれからずっと、だいたいうちにいるじゃねえか」

「そやな……でも、べつに無理してるわけやあらへんのよ?」

「……そうか」

 家事をしていない時の紫月は、どこかぼうっとしている。声をかければ返事をするし、何がどうというわけではないのだが、ただふとした折に遠い目をしていることがあった。

 どうかしたかと問うても、明確な返答がない。

 ――踏み込んでいいものかどうか、な。

 和幸は決して、事件でないのならば当人に問えない物事に関して、探りを入れないと己に決めている。簡単に言えば当人の前で訊けないことは、ほかでも口にしない、というだけのことだ。それが円滑な人間関係を築くのに必要かどうかは場合によるだろうけれど、ともかく、何かを探ることを仕事にしようと志している――警官職務を希望しているのだ――和幸にとって、その辺りの境界線は見極めたい。

 もしも悩んでいたとして、気晴らしに出かけるかと言いだすような間柄ではないし、どうかしたのかと問うても返答がないのならば、それ以上は踏み出しにくい。そもそも三日くらい前までは、いや今でもそうだが、あくまでも紫月と和幸はクラスメイトでしかないのだ。

 在籍しているVV-iP学園の普通学科で同じ教室である――というだけで、和幸は普段から公務員試験のための政治科に顔を出していて普通学科に出るのは、どちらかといえば少ないし、それでも特殊学科を専攻しなかったのには理由があるのだけれど、しかし紫月との間柄でいえば――つまるところ縁は薄い。

 はず、だったのだ。

 だからといって和幸は現状を否定しない。押しかけて来たのは紫月であるが、押されるがままに、流されるがままにであっても迎え入れたのが自分ならば、そこには責任が発生している。まだ高校生である和幸がそれを軽く見ても周囲は何も言わないだろうけれど、学生の判断らしいと苦笑するかもしれないけれど、当人はそんなことはできない。

 不器用――なのだろうか。

 こんな状況を器用に渡り歩けるほど、女性との付き合い経験もない。

「かずやん、どげんしたと?」

「ああいや、どう片付けたものか考えていただけだ」

「そか。あんまし当てにゃならんがー、うちの知っとる喫茶店じゃけん、ステレオ鳴らしとるんじゃ。知っとるかん?」

「いや……そんな店あるのか」

「結構近場だのん。……うちは、これからちょう用事あってん、出かけるべ、それ終わったらそこで合流せえへん?」

「それは――いいが。買い物か?」

「いんや、ちゃうんよ。咲真さくまに呼ばれちょるけん」

「ああ……お前が元元住んでたところの人だったか」

「うん」

「だったら、日用品なんかの買い物はまた後日にするか。いや、それなら先に部屋を作ってからの方が良いか……」

「うちは今のままでもええけんども」

「お前はどうしても俺と同じ部屋がいいらしいな……」

「え? 恋する女として当たり前と違うんか? たぶんそうじゃろ?」

「たぶん違うとは思うけどな……」

 それでも、好意を向けてくれる相手というのは、それだけで嬉しく感じる。何よりも冗談や嘘ではない――そのくらいのことは、一緒に暮らしていればわかるし、他者の真偽を見極めるのは得意だ。

 損得を抜きにして。

 和幸は前向きに紫月を迎え入れている。

 ただ現状としては、それ以上がない――ただ、それだけの話だ。


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