10/18/13:00――躑躅紅音・喫茶店の少年

「これにて――いや、かくして」

 休業した喫茶店の内部にて、少年はグラスに入ったバーボンを陽光にかざしながら言う。

「世界は通常運行に戻ったわけだ。発生した爆弾は拡散しつつも多くの物語に伝播し、その収束を見出せないままに崩れ落ちるかと思いきや、意図した手で強引に纏められて一つの大きな物語としての終わりを告げ、けれど新しくも小さな物語を安寧の中で生み出しつつ始まりを見せた。なあ一夜、これをどう思う?」

「どう、と云うと感想かな?」

 カウンターの内部でグラスを磨いていた姫琴一夜は顔を上げると、まあそうだねと前置きしてから。

「アルコールの減りが早くて参っている。少しは減らして欲しいものだ」

「やれやれ、相変わらずだね一夜。そうじゃないさ――」

「わかっている。けれど、俺の感想はきっと同じものだ」

「……そうだね。壊すことと創ることが同義でなければ、きっと世界は破綻している。ああと落胆したような気分にはさせられたけれど、まあ人の手によって行われた結果だ。よくやったと僕たちは褒めるべきだろうね」

「そうかな。けれど始めたのは彼らの――紅音の言い分を使うのなら、人の手によって始められたものだ」

「それじゃあ〝世界の意志〟は彼らの作ったものかい?」

「そもそも、ソレが一体どんなものなのか」

「ああ、そういえば話をしたね」

 少年はあの時の言葉を思い出すようにして口にする。

「世界法則が確定されているのは今さらだけれど何を以ってして定められているのか。それは定められているのは世界法則の上位に位置する秩序位が囲いを作っているからに他ならない」

「そもそも、世界の意志はどこにあるのか」

「存在が確定されている以上はそこにある――けれど他ならない世界の意志は秩序位に存在しないのは明確であるが故に、概念位に世界意志は存在すると証左が上がる」

「概念位に存在する現世界意志は121BEAB471から派生するコードを発端として、現状を作り上げた」

「最初から世界の意志はこの連鎖して崩壊する状況を、コードとして記していた。あとはきっかけがあれば、いつだとて自動的に進められていくものさ。けれど、君はこう言いたいんだろう? それを実行させた――つまり、状況を作り出したのは人の手によるものだ、とね」

「……干渉できないとはいえ、俺も紅音も人だけれどね」

「そうだね。まあ僕に言わせれば、やれやれ、甘いものだと思ったさ」

「おや、先ほどは褒めるべきだと言っていただろう?」

「褒めるべき人は限られるさ。だって、そうじゃないか。そうは思わないかい?」

 蒼凰蓮華も。

 扇穿那も。

 エルムレス・エリュシオンも。

「彼女の、ソウルネイルの残していった対抗措置を起動したに過ぎないんだから」

 名もない彼女が、三十年も前に遺して行った仕掛けを、なんとか利用しただけで。

「僕が褒めたいのはソウルネイルさ――」

 その表情は笑みで、けれど眉尻が下がって寂しさを表現し。

 きっとこの件に関わっていた――エミリオンこと公人も、青葉も、雪芽も、狼牙も同様の気持ちを抱いただろう。

 ここにはもういない彼女に触れているようで。

 けれどそれは残滓で。

 その残滓も使われてしまえば消えてしまう。

「悲しいのかな?」

「一夜も趣味が悪いじゃあないか――悲しくはないさ、そのために用意されていたものを使っただけなのだから。けれど、ただ、寂しいよ」

 グラスの中身を一気に煽った少年は、テーブルに放ってあった煙草を手に取る。

「十一紳宮、この野雨市において鈴ノ宮の設立は当人が決定したことでもある。これは当時から鷺ノ宮が自滅の道を選択するとの事前情報から、感情的な理由を含めて我を通した結果だ。そもそもこの野雨市は――橘、雨天、鷺ノ宮、それらを繋ぐ狩人という存在は明確に意図して作り上げられている。あるいはそこに表舞台の芹沢を含めたっていい。そして鈴ノ宮は、その鷺ノ宮が担う部分を肩代わりしただけで」

 いやと少年は否定する。

 肩代わりしたからこそ、鷺ノ宮は選択することができた。

 だけ、は余計だろう。

「どうして、野雨市には橘零以外の人間がいた?」

 分家の多くがここに腰を下ろしているのは、橘本家の邸宅があるという単純な理由ではない。むしろ本来ならば、邸宅があればこそ遠慮や忌避をしてしまうものだ。

「野雨市の縮図を野雨西高等学校に創った――そもそも、どうして簡単に縮図が描けた?」

 野雨市という場所そのものに軌跡を残すなどといった手法だけで、別所にて記すことができたのはあの錫丈があったから――足取り、足跡と呼ばれるものが野雨市に馴染んだのは、そもそも形跡が残っていたからだ。痕跡と云っていいだろう。

 蒼凰蓮華はそれを確かめるために歩いたに過ぎない。

「都合よく使われた五人の狩人にはどんな繋がりがあった?」

 誰も彼もが彼らの後継者で、それを示唆したのは名もない彼女にほかならない。

「……けれど、ああ、それを実行したのは彼らだ。そこに間違いはなく、その決断は――英断は、讃えるべきなんだろうね。いらないとつき返されそうだけれど、特にあの青色は今回の件で随分とへこんだようだ。……意図して都鳥を外したんだ、その労力と心的な負担は相当なものだったろうね。実行しなくては、アレ以外に――この事態を収めることなんてできなかったろうから。酒の一杯は奢ってやらなくては」

「だから、次は――か」

「そうだね」

 三十年経った今ならば、またきっと三十年後の辺りまで保てばいいところか。

「今世代から次世代へ――か。なあ一夜、かつて僕たちが奔走していたように、今回は違う世代が走り回った。こうしたことが、世では続いていくものかな?」

「そうだねえ――選択は、受け継がれる。そういう意味だと思うね」

「それもソウルネイルの台詞さ。けれど、やれやれ、思っていた通りベルは次世代ではなく今世代に影響を与えてしまったね。同等どころか、それ以上だ。まあそうでなくては困る。彼女の手の長さには舌を巻くけれどね。……ただ」

「ただ?」

「かつては世界が強固なものになった。三十年前はほとんど見られなかった魔法師が多く発生し今に至る。だとすれば――今回の件は、何を引き起こすんだろうね?」

「うん、その問いには俺が答えるべきだろう。けれど、俺がわかっているのならば紅音も感じているはずだ」

「……ま、そうだね。問いをした僕も悪かったよ」

 そうだ。

 かつて強固となって、今回のことで一時停止を引き起こしたのならば、それは。

「あとは」

 少年にとってそれは本分で。

「――破綻していくだけだ」

 それこそが、少年が担うものなのだ。


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