10/18/11:30――鈴ノ宮清音・睡眠からの目覚め

 落ちていた意識が覚醒したのは、鈴ノ宮清音には珍しく外界からの干渉だった。

 世界という器そのものを――法則を留めるための器を作りだせる魔法師である清音は、個人が既に世界そのものでもある。故に手が届かないと表現されるよう、ある種の隔離をされた状況が常としているため、どのような危険な場所であっても安全を確保したまま眠ることができる。

 だから、何だろうと思った。

 天蓋つきのベッドが視界に映ってから二秒、呼吸が落ち着いていることを自覚しつつゆっくりと上半身を起こし、立てた膝に頭を乗せて一度目蓋を落とす。

 ――大丈夫。

 悲しみはあるけれど、自分は生きている。思い出を抱きながら今を続けて往ける。

「――すみません、起こしてしまいましたか?」

 驚いたように目を丸くした五六が、今まさにあけた扉を閉めようとしているところだった。どうやら五六の入室に気付いて覚醒したらしい。

「いえ、構わないけれど、どうかしたのかしら」

「少し必要な書類があったものですから。お嬢様はもう少しお休みになられても構いませんよ」

「……五六、時間を教えてちょうだい」

「十八日の、一一三○時を過ぎた頃合です」

「――あら、業務に差し支えるわね。起きるわ」

「いいえお嬢様、業務は十九日からです。今日は機器のトラブルの復旧で忙しく、業務に手がつきません」

「……いずむぅ」

 恨めしそうな口調が随分と久しぶりで、五六はいつもの笑みとは少し違う嬉しそうな笑いを小さく落とした。

「私は五六に休みなさいと言ったはずよ?」

「ええ、二時間ほどお休みをいただきました」

「睡眠を摂った?」

「やれやれ、お嬢様には敵いませんね。睡眠は摂っていませんが、横になって二時間ほど落ち着きました。雑務もこれで目処が立ちましたので、午後からはもう少し休めそうです」

「はあ……そういう、突っ込みどころと卒がないところ、変わらないわね」

「お嬢様の執事をしていれば、誰でもこうなります。起床されるようでしたら、二つほどお知らせがありますが、どうしますか?」

「ええ、もう起きるわ。着替えを手伝ってちょうだい」

「そうですね、それが先の方がよろしいかと」

 ベッドを降りて寝巻きを脱いだ清音に、クローゼットから目についた衣服を手渡し、背中のボタンと全体の仕上がりを見る。

 ドレスのようにも見えるが、実際には動きやすく、また着やすい。元より屋敷の外に出ることが稀な清音なのだから、対外的な印象を気にすることもそうないのだ。

 もっとも、外出が必要な時でもそう気にしていないようだが。

「さて」

「もう昼近くですが、食事はどうなさいますか?」

「まずは紅茶を」

「はいお嬢様。――さて、報告とまで畏まったものではないのですが」

「ああ、何かしら」

「二つ、といっても同じようなものですが……まず昨夜から零姉さんがいらっしゃっています。昨夜は私のベッドで熟睡していましたので、雑務を片付けながらオーディオルームで横になる程度しかできませんでした」

「そう、零は無事なのね」

「柱の中央は零姉さんだと思っていましたが、それほど影響はなかったようです。今は詰め所でシェリルと戯れていると思いますが、なにぶん風来坊なので敷地内にいることは確実ですが断定は控えておきましょう」

「……そう。安心したわ。私も無事なことを見せたいから、呼んでちょうだい。二つ目はなにかしら」

「はい。――どうぞ」

「ありがとう」

 執務机に腰掛けた清音に紅茶を差し出し、定位置に五六は直立する。

「二つ目も来客なのですが――」

 ノックもなく、扉が開いて。

「よお」

 子供が、いやベルが顔を見せた。

「あら――入室を許可した覚えはないのだけれど?」

「起床してから着替え、一服の時間を見計らった俺に感謝の一言もないのか」

「……そう、お気遣いどうも」

「べつにいい、真面目に受け取るな。ジィズとシェリルも平穏そうで何よりだ」

「そうかしら?」

「俺にはそう見えた。ジィズに言ったら渋面してたが……あいつ、まだ俺に苦手意識持ってるのか?」

「まだ一年と少しくらいでしょう。年下の実力者に己が救われた現実を認めつつも、釈然としない気持ちはまだあるのかと。今までのベル様に関しては表向きの実績が皆無でしたから」

「様はよせ」

「これは失礼しました。しかし、慣れていないのですか?」

「仕事できてるなら合わせる。……くだらねえ、それだけだ」

煙草に火を点けたため、五六は自然な動作で灰皿をテーブルに置き、また定位置に戻る。

「それと、余計なことだが五六は寝ろ。二日や三日の徹夜だからって、極度の緊張や術式によって疲労は加算する。それを知らないお前じゃないだろう」

「お気遣いに感謝します」

「それより、連中が世話になったな。アブとフェイ、コンシスも」

「それぞれ違う場所へ、ね。私としては爆弾が拡散されたと安堵したものだけれど、一番厄介な爆弾が野雨に腰を据えるのね?」

「気にするな、迷惑はかけない。かける時は一声かける」

「……お気遣いどうも。それで、用事はそれだけなのかしら?」

「いや、本題は別にある。一人をどこかの軍部に一定期間所属させたい。手配はこちらで済ませる、輸送だけ頼みにきた」

「鈴ノ宮に頼む、ということで構いませんか?」

「ああ。ただ……俺がやった、ということを全面的に伏せたい」

「つまり、ベルが行った手配に関しても鈴ノ宮が行ったという名目が必要だと捉えて良いのですね?」

「そうだ。……ああ、お前らにはこう言った方が伝わるのか」

 紫煙を面倒そうに天井に吐き出すと、ベルは爆弾を投下する。

「俺の後継者だ。それをまだ隠したい」

 六秒ほど、沈黙が落ちた。それを断ち切ったのは清音のため息だ。

「寝起きの話題としては最悪ね」

「代価の請求が思い浮かばないか?」

「要求はしないわよ。勝手に返しなさい」

「承諾として受け取る」

「ええ、ベルの頼みだもの承諾したわ」

「俺の頼みだから、ね。まあいい、近い内に顔見せもさせる。期日もまだ決定はしていない。ここ三年ほどは余裕を持っておいてくれ。……ソプラノ、初手は誰の差し金だ?」

「あら、私の考えではないと断定する理由はなにかしら」

「べつに。お前であっても構わない。ただ、――上出来だ、と伝えたくてな」

「嫌な子ね」

 そう言われれば、受け取るわけにはいかない。

「散花と、先代の苑花さんの提言よ」

「提言は被害を散らせ、か? お前の判断は的確だ――……五六、悪いが後ろの窓を四秒だけ開けてくれ」

「……? 換気の必要性はないかと思いますが」

「いいから」

「はあ……お嬢様、失礼します」

 窓を開いて一秒、それに気付いた彼女が地面を蹴って到着するのに二秒、姿の発見にようやく気配を感じて避けようとした五六に抱きついて三秒、そして四秒後に窓は閉まった。

「――」

「零番目、なにか問題は?」

「あ、ベル。うん、だいじょぶ。清音やほー」

 などと言いながら五六の頭を撫で回し、ぶらさがったまま肩に顎を乗せて目を細める。

「相変わらずで何よりね零」

「――何が相変わらずで、大丈夫だ」

 視線や察知が零の登場で瞬間的に意識が外れたのを確認したベルは既に移動を開始しており、流れる動作で意識を戻したところでベルはソファにおらず、その言葉は抱きつく零の背後から放たれた。

 浮いている足を軽く払い、重心の移動を意識させてやれば危機感が浮上する。故に五六の首から腕が抜けるのは自然で、抜けようとする動作半ばほどで向く先を軽く変更させてやる。更に足の裏付近を叩くことで重心制御を続けつつ回転させるようにしてソファに放り投げた。

 無抵抗なままに見えただろう。実際には、抵抗をさせなかったわけだが。

「動くな馬鹿女、寝てろ」

 はあと疲れたように吐息を落としたベルはポケットから手を出して近づく。

「腕が落ちたな。……馬鹿が、仕事を引退したなら真っ先に手当てをしろ。五六、医療キット。包帯と湿布、消毒液も忘れるな」

「――はい」

 こういう時、何の疑問も口にせず動けるのは、執事としてか、あるいは経験か。

「隠す技術が上達したって誰も褒めちゃくれねえよ」

 医療器具の入った箱を受け取ったベルはテーブルに置き、むすっと子供のように唇を尖らして動かない零の右腕を服から抜く。

「……いたい」

「だったらもっと早く言え。こうなるまで放置したのは誰だ」

「わたし……」

 右腕の鎖骨下から肘の外側へと向くよう長い切り傷があった。先ほどまで服の内側に接着されていたのか、かさぶたが剥がれて血液が再び流れ出す。

「衣服を切らずに〝中〟を斬ったか。マーデの手際だ、さすがに馬鹿二人に傷を負うほど鈍っちゃいねえらしい」

「――……いたい」

「泣くな」

「ないてはないけど」

 消毒液を面倒くさそうに流し、まるで腕を浸すように濡らす。そこらの雑菌ではこの女を痛めつけることができないと、それでもまあ一応はやっておくかと、そういう仕草だ。

「腹部の打撲は?」

「へーき。……あぐっ」

 包帯を巻いてから問うと安易な返答があったので、左の脇近くを指で押すとやや海老反りぎみに妙な声を出した。

「お前……また不摂生してるな? ビタミンと鉄分、あとこの鈴蘭の刺繍だけはどうにかしろ。俺に対する当てつけにしか思えん」

「……好きなんだもん」

「またガキみてえな――」

 続いて両足を露出させ、湿布を張った上にテーピングで足首を固定し、更に包帯を巻いていく。手馴れた動作だが、まあ、当然のことだろう。

「ベルはよく気付いたわね。昨夜から一緒だったのでしょう、五六は?」

「いえ、私には何も……」

「隠してたんだから気付かなくて当然だ」

「けれどベルは気付いたのでしょう?」

「ああ。コイツが隠すことはそう多くない。たとえばこっそり俺のセーフハウスにお邪魔して、俺のいない時に酒棚を漁って五本ほど飲んだ挙句に、中身のあるビンを手前にして一夜を明かした後に痕跡を残さず消えたり、着替える服がなくなったから俺の名義で電話して特注で作らせたのを、ロシアの山奥まで運ばせた上で、支払いを俺に押し付けてオーストリア付近まで逃げてみたり、俺の車を勝手に使おうとしたらレインに挨拶された挙句に、ドライバーズシートに正座させられて六時間の説教を聞かされて半泣きになったり」

「な、なんで知ってるの。かくしてたのに」

 ねえ、ねえとベルの肩を叩く零だが当人はため息を落とすだけだ。子供の悪戯に――まあ内容は子供じみていないようだが――いちいち気にしていたら疲れるだけである。今のベルのように。

「はあ……安心しろ。もっと恥ずかしいのは俺の胸の内にしまっておくから。ほどほどにしとけ」

「うー、うー」

「呻るな。左足首の付近は簡易骨折、踏み込みの時は気をつけろ。左は打撲、甘く見ずに休め――ああ、ソプラノ。しばらくコイツを縛り付けておけよ」

「私にそれができると思って?」

「……いえベル、そこで私に視線を向けられましても」

「ああわかった、わかった。俺が引き取る。ったく、面倒ごとばかりが俺のところへくるのはどうしてだろうな?」

 むしろ面倒ごとを手伝いに来たのではないか、と思ったが清音は口にしなかった。なんだかんだで面倒見の良い男である。


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