10/17/20:45――朧月咲真・原初の書

「持っていない?」

 教師棟の最上階に理事長室があるのだが、これがまた高い。階段を昇るのでは三十分はかかるのではないかと疑うほどで、疲労も考えれば昇る前から嫌になるのは当然のことで、そのためにエレベータが設置してある。

 狩人ともなると個室に入ることを嫌うのではないかと思った咲真だったが、ベルは特に気にしていないらしい。密室で襲撃されても打つ手はある、とのことだ。

「ああ。AsAAは貸し出してる。まあ信頼できる相手だ、気にするな。ハックして情報改竄も可能だが面倒だと思ってたが、咲真が持っているのなら都合が良い。地下に行くんだろ?」

「そのつもりだ」

 パネルにカードの表面を読み取らせ、正面の液晶に映った地下の番号を押す。普段は表示されないものだ。

「……書庫があるとの話だが?」

「なんだ、行ったことはねえのか」

「先ほどこれを受け取ったばかりなのでね。何かがあるとは思っていたが、しかし書庫とはな。顔見せをと言っていたが誰かいるのかね」

「ああ、住人がいる。行けばわかるだろうが……ブルーも面倒を押し付ける」

「蓮華が?」

「舞台を整えるのには俺だけじゃ不完全だってな――お前に言っても、わからないか。わかるのは、もう少し先になってからだ」

 それが現実になり、終わってから、一連の流れに気付くのは誰だとて同じだ。そこに整合性を見つければ運命と呼ぶかもしれない。

「よく、お前はわかるものだな」

「以前知り合ったヤツにコツを教えてもらってな」

「ほう、どのようなものかね」

「可能性ってやつを限りなく正確に導き出すための手法だな。予測や予想、予知のいずれにも該当しない……そうだな。近いのは直感だ」

「多くの経験から導き出される結論、か?」

「それも近い。まあ人によっては――真理を掌握する技術、とも言うな」

「……鈴ノ宮が探求するものかね」

「そういうことにもなる。――到着したぜ」

「ん、ああ」

 エレベータから降りるとすぐに階段があり、ひどく狭く二人が並べるかどうかといったくらいだ。咲真を先頭にして二十を数えた頃、電子錠のないアナクロな扉が出現した。

「ふむ、少し螺旋しているのだな」

「設計上の都合だろ」

 扉を開いてすぐ――咲真は、違和感を覚えた。

 視界には一面の本棚とまったく同一だろう背表紙が並んでいる光景が映った。圧倒されたのは瞬間で、すぐにカウンターがあることに気付く。

 ノート型の端末が稼動しておりディスプレイからは明りが洩れ、ようやくこの室内は薄暗いのだと理解し、そして。

 ああと遅く頷いた。

「――何故かね」

「何がだ」

「これだけの書物が並びながら何故、本の香りが一切しないのだね」

 違和感というよりもこれは、嫌悪が近い。あるはずのものがなく、しかしあるといった矛盾が、咲真の中ではどうしようもなく整合性がつけられなかった。

「――ん?」

 カウンターの隅にある扉から顔を出したのは小柄でかつ、少しふくよかな女性だった。同性として咲真が見るに、三十かそこらだろう。

「あれ、いらっしゃい。咲真ちゃんと――あ、ベルか。ブルーが手配してくれたのかな」

「よおスノウ。相変わらず不摂生か?」

「やだなあ、肌荒れなんて気にしてないよ?」

 珈琲でいいかなと言いながらカウンターに腰を下ろす彼女を見て、咲真は吐息を落としてから対面に回るよう移動した。

「私を知っているようだが?」

「うん。あ、私は姫琴雪芽。ここの管理人で、記録者ね」

「記録……? この書物が全て、お前の記録かね」

「えっとね……あー面倒。ベル説明して。はい珈琲どうぞ。美味しくないけどね」

「またお前は……そんなだから蜘蛛も頭を抱えるんだ。スノウ、冗談は名付けのセンスだけにしとけ」

「うっさいなあ。こっちはこっちで大変なんだから」

 珈琲を受け取る時、咲真はカウンターの内部で自動的に記すペンと本を見つける。術式か何かかとは思ったが、記されている文字は読み取れなかった。

「しょうがねえな。……咲真、ここにあるモノは本であって本じゃねえ」

「香りはしないが、では何だと云うのかね」

「――〝原初の書〟だ」

「馬鹿な! あれは世界の全てが記録されていると謳われている書物だが――」

「その通りだ。いや、厳密には世界が記録するアカシックレコードの補助記録になる。ただ……ああ、先に勘違いを正しておくか。賢者の石を知っているか?」

「……知っている。基本的には知識の宝庫とされる宝石のことだろう。あらゆる知識が蓄積されており、使用者はそこから知識を引き出すことができる。違うかね」

「諸説ではそうだな。実際にはただの魔術品でしかねえよ。……原初の書は、そんなに便利なものじゃない。望む答えを得るために、記録されているわけじゃねえからな」

「しかし、記録とは読み手がいてこそだろう」

「誰もが読めるとは限らない」

 一度珈琲を置き、ベルは煙草に火を点ける。雪芽は手近にあった灰皿をカウンターの上へ出してから換気扇を回す。

「知識ではなく、ただの記録だ。記録を読み解いたところで何ができる?」

「今後のためにはなろう」

「ためになるのは、記録を理解して知識を得た場合だけだ」

「それでも……――? 違うな。そうではない。ベル、記録を読み取る手法に問題があるのかね?」

「問題ならほかにもある。たとえば本を手に取る方法だ」

 言われたので珈琲を持ったまま手近な本棚に近づく。やはり背表紙はどれも同一で、番号もない。どう整列されているのかと思いながら手を伸ばしたが、しかし。

 手は、するりと空を掴むようにすり抜けた。

「……実物がないのかね」

立体映像ホログラフってオチは何とも面白くねえな」

 煙草を消したベルは、咲真の隣に立って本を一冊取り出した。

 間違いなく、その手に持っている。

「ここに記されているのは圧縮言語レリップと呼ばれている。そうだな、高密度情報筆記体とでも呼べば通りがいいか。この一行がおよそ五ギガバイト程度の情報量だ。ああ文章のみで、だが」

「――」

「読むには幾通りかの手段がある。一番簡単なのは、まあ手に取れる前提で話すけど、あらゆる文字から共通式を探し出して解読鍵を探すことだ。三十年もやれば一行くらい読めるようになる。一冊読むのにはざっと三百年くらい必要だろうけどな。ほかには記録に残らないってのも手だ」

「記録に?」

「そうだ。ここの本を手に取る行為そのものが記録に残った時点で、手に取ることは赦されない。そういうものだ」

「……桔梗は」

「あ?」

「桔梗はこれを探し当てて、何をしようとしていたのだ――」

 その答えは。

 もう、すぐそこに来ている。


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