05/22/20:00――雨天暁・蓮華の仕事

 降り注ぐ雨を、やはり二人は嫌わなかった。

「また随分と回りくどいやり方だな、おい青色ポスト」

「ンだよてるてる坊主」

「もっと手早くできたンじゃねェかと訊いてるンだ」

 どこか不機嫌そうに聞こえるなと思いながらも蓮華は肩を揺らし、とっくに門から出て行った二人のことを考える。涼にとってこれが何かしらの契機になれば良いとは思うが――それを決めるのは当人だろう。

 実際に、暁の指摘は正しい。もっと早く、短く二人を適合させることはできた――が、蓮華はたったそれだけのための策を立てることはできない。

 大勢を巻き込んで一つの結果を出し、多くの因子をそこに含ませる。

 ――まァ俺もわかってッけどな。

 蒼狐市の件で暁もそこは察している。だからこそ厭味を込めて言ったのだ。

「蓮華、俺らを散らしただろ」

「んー……それは勘かよ」

「お前の得意な予想だな」

「はあン、少なくともお前ェは散らされた一人だと自覚してるッてわけか」

「違うか? 俺がこのまま自宅に戻れば、お前の言うところの違う物語じゃねェのか」

「一人だって物語は作れるよ。観客は必要だけどな」

 知っているのか、知らないのかが暁にはわからない。知っていて口にさせようと思っての態度にも思えるが――しかし、考えるのが面倒になった暁は吐息と共に言う。

「親父が居る」

「――」

 直後、右目を瞑った蓮華は左目を碧色に変えて虚空を――否、降り注ぐ雨の元を見上げた。可能性を見ているのかと思ったのも束の間、瞬きと同時に左目が開かれた時には既に碧色は消えていて。

「また針が進んじまったのよなァ……」

 呟きは雨に消え、暁の耳に届きはしたものの力強さはなかった。

「おい蓮華」

 思わず肩を掴もうと伸ばした手は、しかし蓮華が振り返ったために止まる。

 ――コイツ、なんだ?

 呟きの直後、今にも空に消えようと予感させられるほどに希薄だったのは気のせいか? 否だ、そうした事象に耐性のある暁ですら感じたのならば、一般人ならば本当に存在を掴めなかったに違いない。

「ん? ああ、だから早く帰りてェッてのよな?」

「いや……ん、まァそうだけどな、お前」

「気にするな――否、必要のねェことよ。俺は未来予知ができるわけじゃねェ、ただ可能性ッてやつを見てるだけよ。だがどうしたッて、見えちまうと介入したくなっちまう。いけねェよな」

「……そうなのか?」

「そいつが決めたことを、俺が横から干渉して捻じ曲げるなんて真似しねェから、俺はここに居るのよな」

 だからこそ、暁は隣に立てる――つまりは、そういうことだ。

「ま、馬鹿野郎ッて殴るくれェが関の山よ。――と、もうちょい俺に付き合ってくれ」

「べつに、日付が変わる前に戻れりゃ俺は構わねェぜ。何があるンだ?」

「後始末よな。俺の予想じゃもうすぐだよ」

 答えになっていないと思うけれどもしかし、鏡のことだろう。たぶんと前置した上で暁の思考結果は、涼と華花を引き合わせた因子を〝終了〟の合図として利用し、役目の終わりを演出したのだろう、という辺りだ。おそらくもっと複雑でかつ、蓮華の労力は計り知れないが、そこまで理解はできない。

「なァ……今回の件、蓮華の目的ッてのはどこにあるんだ?」

「は?」

「いや、目的だッて。前のはあれだろ、九尾の関係だったじゃねェか。そこに忍や一ノ瀬を含めてもべつにいいけど」

「ん、あァ、その目的な。涼のことは目的にならねェかよ」

「お前がそう言うッてことは、その場しのぎの適当な目的を見せて納得させてやりゃいいッてことだな」

「そういう反応があることをわかってッから、ちィと考えてンのよな、これが」

「ンじゃ訊き方を変える。前のは依頼だったンだろ? 今回のは依頼なのか」

「お前ェよ、そいつァ仮に依頼だったとしても頷けねェ問いだぜ。いくら俺だって守秘義務くれェは守るのよな――だからまァ、そうさな、依頼じゃねェよ。金銭は発生してねェ――ンでよ、何が目的ッて言われると難しいのよな、これが」

「全部が目的だからか?」

「ん……いや、実際には最大の目的のための布石――かな。俺にもいろいろあるのよ」

「ふうん。よくわかんねェけど、まァ蓮華にとっちゃ必要だったッてことでいいのか?」

「身も蓋もねェ言い方をすりゃ、そうだよ。俺としちゃァ友人を放っておけなかったッて解釈をお勧めするなァ、どうよ」

「どうよッてお前、何気に押し付けがましいッつーか」

「積み重ねが大事なのよな、これも」

 相手が暁でなければそうやって信頼を積み重ねているところだ――と、雨が何かに当たって撥ねる音に振り向けば、少し離れた校門に二つの影があった。

 一人は暁も知っている――VV-iP学園理事長にして、元五木一透流継承者の五木忍だ。仕事をしているわけではないのにも関わらず、ネクタイを締めたスーツ姿。そういえばたまに学園へ足を運んではいるものの、こうして顔を合わせるのは久しいなと暁は思う――が、軽く片手を上げると蓮華が先に近づいた。

「よォ、遅かったじゃねェかよ」

「こんばんはお二方。いえ、裏から退いた私が護衛もなく出歩くわけにもいきません。それに元を辿ったところで、世間の裏側に顔を見せていたわけではありませんから、なるほど初めての体験です。護衛の手配は蓮華がなさったのでしょう? 感謝します」

「おゥ、ベルもご苦労。帰りも頼むよ。代価はまた後になるけどなァ」

 番傘を片手に持った忍の隣にいたのは、子供だった。

 暁は元服を迎えて一人前であると同時に、己が子供であることを自覚している。十五や十六では世間的には子供として見られるのが一般的で――しかし、ベルと呼ばれた少年を見て思う。

 子供だ、と。見た目だけで推測したのならば、おそらく十に至ってはいまい。

 ベルはこれも仕事だ、べつにいいとばかりに口の端を歪めて軽く肩を竦めた。どこにでもある眼帯で左目を封じている姿があまりにも異質で、ああ壊れていそうだなと暁は思う。

「とりあえず中入れよ。忍にゃ見届ける義務もあるのよな、これが」

「門はさすがに開きませんね」

 苦笑した忍は力を入れて校門の上に飛び乗りて降りた。ベルは羽織ったジャケットのポケットから宝石を取り出したかと思うと、それを弾いて蓮華に投げる。

 視線が宝石に奪われた刹那、着地した忍の隣にベルはいた。

「はあン、お前ェも相変わらずなのよな」

 手にした小石ほどの小さな宝石に目を落とし、一瞥を投げてから蓮華は苦笑する。

「忍、持ってきたか?」

「ええ――咲真に相談を持ちかけましたら、どうやら朧月家が管理していたようです。先ほど届きましたよ」

「……」

 そういうことか、と暁は呟こうとして飲み込んだ。何か所用がある様子ではあったが、咲真はこういう繋がりがあったらしい。とりあえず蓮華を睨んでおこう。

 忍が取り出したのは器のようだった。円柱形でありながらも密閉状態――しかし内部は空洞のままである。

「ん……と、後はまァ見届けといてくれよ。そのくれェはして貰わねェと筋が通らねェのよな。おゥ、名乗りくれェしろよベル」

「ベルだ」

 愛想笑いの一つせず、淡淡と短く言葉を放つだけで済ます。声色こそ幼いものの、態度は一人前だ。どうせ蓮華の繋がりなのだから一般人なわけはねェと、暁は苦笑を落とした。

「雨天暁だ」

「ま、関わり合いになるこたァ今のところねェだろうよ。こいつは狩人……見習いみてェなもんよな。一応言っておくけどよ、簡単に依頼しようなんて思うなよ? あと暁、間違ってもこいつと敵対すンな。始末をつける俺が面倒なのよな、これが」

「しねェよ。分野が違うンだから争う理由もねェだろうが」

「そうなら俺も言わねェよ。ベルも茶目っ気で仕掛けるなよ?」

「くだらねえ」

 横を向いて吐き捨てた一言に、何故か蓮華は声を立てて笑った。

「ッとォ、笑ってる場合じゃねェのよな」

 きしりと、何かが張り詰めたような音がしたと思った直後、ガラスというガラスが一斉に破裂したような破砕音が、校舎という空洞をエンクロージャにして発生した。びりびりと空気を揺らし、思わず耳を塞ぎたくなるような大音量であるにも関わらず、無機物は一切の振動を見せない異質さがそこにはあった。

 ――キョウが役目を終えて割れたのか。

 三枚に呼応して全てが割れたのだとわかった暁は、念のためとばかりに包みから槍を取り出して肩に乗せる――と。

「まじィよな」

 馬鹿を言えとベルは思う。わかっていただろうに、と。

 もちろんわかっていたのはベルも同様で、だからこそ事前に四方へと宝石を布陣しておいたのだから、特に目立った反応は見せない。

 一度、手の上で弄んだベルから受け取った小さい宝石を己の口に入れ、犬歯に挟んで割る。宝石に封じられていた文字式が敷地の各所にある宝石と呼応して一つの巨大な結界を作り出した。

 ――結界ッてより領土よな。

 一般的な文字式ルーンも、一時凌ぎならば充分な効力がある。暁に任せれば時間もかかるし、おそらくこの事態を予想できないため説明という手間もある。都鳥の結界と比較すれば――いや、比較するだけ失礼だが、効力はあるようだった。

「暁、手を出すなよ。まァ護衛としてなら横に立っててもいいぜ」

 運動場の方から鈍く、重い気配がある――言い残した蓮華は校舎を駆け上り、運動場が一望できる屋上にて止まった。

 その隣に、槍を立てたままの暁が並ぶ。

「――おい、ありゃァ」

「地主なのよな、これが。水蛇なんだが……やっぱ知らねェかよ」

「ちょい待て。おい涙眼るいがん、お前は知って……涙眼?」

 くるりと振り向いた暁は視線を落とす。そこには何もいないように思えるが――。

「な、なにを拗ねてンだよ、おい。あれか? もしかして最近は構ってやれてねェからか? いや、あのな、べつに忘れてたとかじゃなく……ええと、いや、俺が悪いのは確かなんだが」

「何やってンのよ」

「お、おゥ。……後で話そうぜ涙眼、な?」

 一足遅れてフェンスの上へ並び、小さく吐息して気持ちを切り替える。

 ずるりと、そんな音を容易く想像させられる身動きで巨大な蛇が大地から身を起こす。周囲の体温を察知した上で、人などその大きさに敵うはずがない舌をちろっと見せながら忍たちの方を一瞥し、こちらに向かって顔を上げる。

 下手をすれば、二つある瞳よりも人の方が小さいかもしれない。

「よォ!」

 あまりにも不躾な言葉に、暁は背筋に落ちる冷たい汗を感じた。地主、この地の主ならば分類上は天魔であり、下手に手出しできるものではない。

 妖魔と天魔、それは人の分類であって本質は陰。ならばこそ、彼らは人に危害を加えることに躊躇いはなく、ただ二つはその状況をどう選ぶかが違うだけだ。

 天魔だから人に好意的である、とは限らない。

「随分と待たせちまったなァ。――草去そうこは、もう、充分だよ」

 返答はない。否、できないのか。

 目と鼻の先にある蛇の顔に、おそらく現時点で暁ができることはない。

「約だ。――かつての蒼凰と五木が約した、世代は変わったがそれを果たすよ」

 取り出したのは先ほど忍から受け取った器と、そして蛇が撒きついた十字架だった。

 ――なんだ? 店主の品物、でもなさそうだな。

 その二つを重ねて持ち、軽く腕を上げる。

「〝静粛の器〟と〝御神おんかみの崇敬〟、そして割れた鏡の土地を御身に」

 視線が合っているのは蓮華だけだ。槍を手にしているとはいえ、暁は文字通り眼中にない。

「……ありがとよ。随分と助かった。どうする? 草去だった場所はかつての森に戻ろうとしてるよ、そっちに行ってもいい。雨が降ってッから海まででも行けるだろうぜ」

 巨大な舌が、蓮華の掌を舐めるように二つの品物を受け取る。それからしばらく蓮華を見ていた蛇は、やがて眠たそうに身を丸くすると地に沈むように消えていった。

 それから、土地を囲っていた結界もだ。

「この地に留まる、か。怪異なんて失礼な話よな、あんたがいる以上、ここは清浄なのによ」

「……はあ、やれやれだ。一応はこれで終いか」

「ま、五十年くらいは良いだろうよ。――五十年、連中にとっちゃついこの間よな」

「つーか」フェンス、次いで屋上から降りる。「俺がいる意味あンのか?」

「なんだ聞いてねェのかよ。雨の、口が堅いッつーか先読みが甘ェのよな。かつて九尾を封じるのに蒼凰が采配を執って五木を巻き込んだ。その際にこの地主を紹介したのが雨のだよ。その繋がりで、一応人数を揃えるくれェの礼儀は必要なのよな、これが」

「礼儀ッて、いやまァわかるけどな、あの言葉遣いはどうなんだ」

「馬鹿だろてるてる坊主。あの手合いにゃ言葉遣いよりも態度が礼儀だろうがよ。口調なんぞ何だって同じよ、どう意志を伝えるかッてのが一番だろ?」

 そういえば視線だけは外さなかったなと、今更ながらに思う。暁にとっては処世術で当然のことだが、それを他人がやっているとなると言葉に迷う。

「おゥ、終わったよ。待たせた」

「いえ――ご苦労様です」

 一瞬だけ周囲を明るくする灯が一つ。続いてベルは紫煙を吐き出した。

「ブルー」

 搾り出すような冷たい声色に、蓮華だけが応じる。おそらくそれが素であり、意識したものではないと理解できたのが彼だけだからだ。

「おー?」

「情報屋がいる。個人の、専属だ」

「はッ、そりゃお前ェのか?」

「俺たちの、だ。それだけの技量がありゃ十全だろう」

「未来系でいいのかよ」

「心当たりがあるんだな?」

「ケースθへの手打ちだろ?」

「打ってある手があるなら俺の失言だ。忘れろ」

「失言にゃならねェよ」

「そうだな。言わなければ勝手にするだけだ」

「敵わねェよな」

「こっちの台詞だ」

 よくわからないやり取りに他の二人は口を挟めない。会話が飛んでいるようで、裏を読みあっているようでいて、裏を読まれていることを前提にしているような奇妙な応答だ。いや、問いに対して返答していないようにも思う。

 だが、間違いなく彼らの間では通じていた。

「戻る」

「蓮華、感謝致します。それではまたいずれ」

 ひらりと身を翻したベルに対して苦笑を落とし、軽く手を振って別れを告げる。参る話だよなと、小さく呟いたのは気配が消えてからだ。

「おい蓮華、あれもべつの物語か?」

「今のところは、だよ。さすがに勘付いたよな?」

「情報屋ッていやァ咲真だろ」

「咲真にとっちゃ難しいが、一度逢わせて判断させてやンねェといけねェよな。ま、これで本当に鏡に纏わる話は終いよ。だから」

 蓮華は笑い、校門を飛び越えた。

「だから、これからが始まりなのよな――」

 本当に楽しそうに言う蓮華を少し羨ましくも思いながら、暁は蓮華の采配に見事だという感想以外に抱くものを持たなかった。

 ただ。

「ッたく、相変わらず難儀だなァ」

 その本当に難儀なことが実家にあると思うと、さすがにため息が落ちた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る