05/22/17:00――雨天暁・雨天と朧月

 妙な感じだなと、雨天暁はその店の前で足を止めて思った。

 古風な引き戸のある骨董品店には朧夜堂ろうよどうと名がついており、ここは武術纏連ぶじゅつてんれんが一つ、槍の朧月の当代が構える店舗だ。普段ならば裏口から本邸ないし道場へ顔を出していたため、よくよく考えれば表口から戸を叩いて入るのは初めて――ではないにせよ、昔に一度あったかもしれない、くらいなものだ。

 ――ああ、つまり、新鮮ッてのがこういう感じなのか。

 今から顔を見せる相手は見知った間柄であるし、試合はないにせよ鍛錬に付き合ってもらったこともある相手だ。何よりも朧月家の長女である咲真とは同じ学園でありそれなりに友好関係を築いている――いや。

 彼女も友人と呼べる間柄だろう。

 立ち止まっていても仕方ないと、手にした細長い茶色の布包みが軒に当たらぬよう注意しつつ、腰を倒すようにして開いた戸を潜る。

「いらっしゃ――何だ、客じゃないな」

「おい」

 そりゃねェだろと、店の奥に片胡坐をかいた作務衣の男、店主である朧月啓造けいぞうに対して苦笑が落ちる。

「閉める前に、そこにある板を戸の外にかけておいてくれ」

「これか? まあべつにいいけど」目を落とすと骨休めと書いてある。「店仕舞いが早くねェか? 夕方だろ」

「本当の客は表の看板なんぞ気にせず入ってくる」

「そんなもんか」

「――で、どうした暁。雨のはきてないぞ」

「うちのクソ爺を探しにきたわけじゃねェ……あ、いや、きてねェよな? 野郎、ちょっと遊びに行ってくるッてもう二十日だぜ」

「若いなあ雨の。ま、四日くらい前に俺のとこにもきてたから、いつもの全国行脚だろう。それで暁、何をしにきた」

「店主に、訊きてェことがあってな」

「その対価に雨天が一槍〝海氷柱うみつらら〟を見せにきた、か……」

 乱雑とも思える置き方で棚に物品がある。暁のような人種から見ればここは魔窟だ。まともな品など一つもない――それこそ、物品の選択した買い手でなければ災いをもたらすほどに。

 ――皿、壺、絵画、書物、本当に何でもあらァな。

 無節操にも程があると思うのだが。

「何を聞きたい」

「野雨西高等学校、そこにある二つの鏡についてだ」

「……? お前、五木のに逢ってないのか?」

「忍か?」

「ああ。去年の辺りに、一つ目の鏡については話をしておいたはずだが」

 ――聞かされてねェな。

 蓮華はそれを知った上で――いや、どうだろうか。確かに忍は足を洗って今やVV-iP学園の学生であり理事長だ。暁よりも蓮華の方が話す機会は多かったと思うが。

「仕組みはわかるか?」

「立地条件と方向は昨夜に確認した。上手く作ってある――けど、そこに店主がどう関係してンだ?」

「……お前、何しにここにきた」

「だから聞くためにだろ。いいから答えろ」

「事前調査が足りない。言われるがままにきたのが丸わかりだぞ。とはいえ、しっかり調べればわかる。あれは俺の店の商品だったからな」

「あの三枚が?」

「同系列同種、三枚で一品だ。大山には事後処理も含めて伝えてあると思うが」

「誰だそれ」

「野雨西の教頭だ。五木のと存外に親しいらしい」

「……ん? つーことはだ、あの鏡に関しちゃこの先どうなるかもわかってるッてか? しかも学校側が」

「まあそうなるな」

 なら、蓮華は一体何の調査に行ったのだろうか。

「ンなに重要じゃねェッてことか。ほれ、とりあえず触っていいぜ」

「そうか?」

 包みを受け取った啓造の隣に腰を下ろし、包みから取り出された槍を横目で見ながら、その楽しそうな気配に口の端を歪めた。

「相変わらず凄まじいな……」

 感嘆の吐息が落ちるのもわからなくもない。刃だけでなく、柄を含めた槍としての存在が既に水気を孕んでおり、切っ先から水滴が落ちる光景すら夢想させられる。暁が構えれば海原の波すら想像させられるだろう――しかし、何よりもその切っ先の鋭さが冷気を放ち寒気を覚える。

「前から思ってはいたが、雨天家は水に関わるものが多いな」

「まァ他にもあるぜ。ただ雨天の系譜をみる限り……ッつーか爺が覚えてる限り、雨天で水気以外を持つ子は生まれてねェらしい」

「どっちの属性だ」

「はァ? どっちッて、どういう意味だ」

「属性は二種、陰陽五行の木火土金水と魔術師が利用する七則の地水火風天冥雷がある。基本的に複合して考えるものだぞ」

「ああ、それな。うちは水行水属が基本だから一瞬わからなかったぜ」

「……まあ、ほとんどの人は複合したところで類似してるだろうな」

「店主ンとこは――あァ、咲真がそうだっけか」

「ああ。雨天のも珍しいって俺が生まれた当事もえらく楽しそうに言ってたな」

 その様子が思い浮かんだ暁はため息を落とす。嬉しそう、ではなく楽しそうな辺りが問題だ。遊び道具じゃあないのだし。

「咲真のは聞いてるのか」

「戦場を同じくすりゃわかるだろ。金行火属か」

「誰に似たんだかな」

 火は金を溶かす――相反する二つの属性を身に抱くのが、朧月という家名の特徴だ。それが何をどうすれば骨董品店を商うことになるのやら。

「――水行地属か?」

「正解だ」

 地は水を吸収する。これもまた、相反する二つだ。

「……二つ目の鏡は、鏡家のことか。確かにあの学校の生徒になったまでは追ってたが」

「何故だ?」

「鏡家について、どこまで知ってる」

「――都鳥家に嫁ぐ家の一つだ。もっとも適合者は少ねェ上、都鳥が望まなくなって長いッてくれェか」

「最近じゃ適合も珍しいらしくてな。それはそうと、だ。鏡の嬢ちゃんと婆様はうちの客だったからな」

「鏡家ご用達ッてか。……ふうん」

 だが、そうだったとしても繋がりは薄い。まだ暁には蓮華の意図が見えてはこなかった。

「最近、客はどうだ」

「落ち着いたもんだ。入荷の方が多くて少し参るな。……ほら、返すぞ」

「ん、ああ――」

「商売上、分野じゃないものの扱いが困ってな。特に魔術書だ」

 確かにそれは領分じゃねェなと思いながら、包みを受け取って近くに立てかけておく。

「お前、魔術師の知り合いはいるか?」

「んー……いるにゃいるが、どうだろうな。鈴ノ宮は?」

「お得意様だ」

「ンじゃ橘とか――待てよ。そういや数知ッて橘の分家じゃなかったか?」

「そうだな」

 時代錯誤とも揶揄されるが――武術家もそうだ――橘家は古くから暗殺代行者の家系である。その暗殺技術と暗殺依頼に関する特異性から、橘の姓と数字の名を持つ人物には細心の注意が必要だと、妖魔の討伐しか基本的に行わない武術家の暁でさえ一応はそう教えられた。もっとも同じ学園の三学年に長女の橘れいが在籍しているため、当人を知っている暁にとっては別段どうということはないのだけれど。

 異質な、あるいは歪な橘に類する分家には、それぞれ数知、哉瀬かなせ、都綴、佐々さささきの四つがある――が。

 実際に、そういう姓を持つ人間がいるだけで、家があるわけではない。

 というのもある家名に関して、異質な能力を得た子は捨てろという風習があり、結果的に捨てられた者に対してその姓を与えているのである。表向き、そのある家名に関しては一切の情報がなく、ただ一人で――あるいは独りで――生きてしまう者の持つ、橘という繋がりを薄いながらも持っている人物を、わかり易く分家と称しているだけのことだ。

 数知三四五も、その一人だ。暁は知らないが都綴六六も。

 ――ンでも数知は仕事をしてる様子はなかったよなァ。

 暁が気付かなかっただけなのかもしれないが、少なくとも技術面では疑問が残る上に、こちらは不確定だが血の匂いは染み付いていなかったように思う。

 何か関係するのだろうかと考えつつ首を傾げると、啓造が注視しているのに気付いた。

「あ? あーいやべつに何でもねェ」

「ふうん」

 この時に暁は、分家を含めた橘一族が野雨に集中している事実にまで、あるいは事実に至ったところで〝何故〟とその理由についてまで疑問を抱いていない。まだこの時点では、そこまで把握できていたのは蒼凰蓮華くらいなものだろう。

 誤魔化す意味も込めて何を話そうかと天井へ視線を投げた矢先に、外に気配が生じて吐息を一つ落とす。

「客か?」

「車が止まったから、そうかもしれないな。邪魔にはならんだろう、座っていろ。久しぶりなんだから茶くらい飲んでいけ」

「あーそうだなァ」

 骨休めとあるにも関わらず扉が開き、おやと黒服の人物に対して暁は苦笑しようとし、その後ろから入ってくる人物に目を見開いた。

 同時に、片手を軽く上げようとした黒服の人物は、そこに暁の姿を見てとった瞬間に硬直、しかしお互いに口を開くタイミングは同じくして。

「あの野郎……!」

「あの男……!」

 その場にいない誰かに対し、毒づいた。


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