05/22/16:20――一ノ瀬瀬菜・学校へ青色が
「一ノ瀬くん」
翌日の放課後、昨夜のこともあるため生徒会室にまた顔を出そうと思った瀬菜は、一階の職員室前の廊下で声をかけられた。誰かと確認するまでもない、少し影は薄いものの瀬菜自身が大した人だと評価している禿頭の大山教頭だ。
「ああ、呼び止めてすまないね。何か急ぎの用件があるかな」
「いえ、おはようございます教頭先生」
近づいていって頭を下げる。今が夕方だろうが何だろうが挨拶は常におはようございます――仕事の癖だと思いながらも、言いなおす必要もないと思い背筋を伸ばす。
「どうかなさいましたか?」
「ははは、いいんだよ一ノ瀬くん、私は先生と呼ばれるほどにできた人間ではないからね。生徒である自覚があっても、気を遣わなくても大丈夫だ」
「教頭先生、そうであっても立場は教える者の上に在るのですから、あまり否定するべきではないかと」
それに、他のどの教師と比較しても教える者としては随分と勤勉で、己を教育者であろうと意識しているのを瀬菜は知っている。実際に仕事で、名を明かさずにやり取りしたこともあるし、同業者の間でも良い意味で堅物だの実直だの言われている。
「私に何か?」
「一ノ瀬くんに、ではなく生徒会へなんだよ。本来なら生徒会室に行って伝えるのが筋なんだけれど、すまないね、ちょうど見かけたものだから」
「いえ、縁が合ったのでしょうから、構いません。何でしょう?」
「ありがとう。VV-iP学園一学年の学生が、この学校の様子を少し見たいと申し出があってね。その学生の案内を生徒会に頼みたいんだよ」
「案内、ですか。その学生は何故、野雨西の様子を見たい――と?」
「どうやらVV-iP学園との違いを比較したいそうだよ。あちらに慣れたものの、果たして一般との違いがどの程度のものなのか、改めて調べてみたいと……随分と熱心な学生だ。あるいは興味本位なのかもしれないけれど、ともかく校長先生も許可をしたのでね。そろそろ到着する頃合だ。やはり私のような者よりも、同じ生徒が案内した方が良いと判断してね」
なるほど、筋は通っている。
「承諾しました。断る理由もありません」
そこはかとなく嫌な予感はしたが、それでも訊ねずに済ますわけにもいくまい。
「その学生さんのお名前は伺っていますか?」
「そうか、ありがとう。蒼凰蓮華と云う学生だ、校門のところで待ち合わせだから――頼んでいいね?」
「――はい」感情の揺らぎを表に出さずに頷く。「お帰りの際には挨拶に向かわせた方がよろしかったですか?」
「ははは、その辺りの判断は本人の意向に任せるよ。私は最後に帰宅するよう心がけているからね、何かあったら職員室まで来なさい」
「わかりました。では出迎えに行ってきます。それと数知にも、その旨を伝えておきますから」
「うん。よろしく頼む。それと挨拶に向かわせる、は少し表現がおかしいかな」
「ああ、そうですね。思慮が足りませんでした」顔見知りだからつい。「では失礼します」
頭を下げて校舎を出て、教頭も大変だなと思う。そして教頭を大変にさせた身内の頭を叩きたくなる。しないけれど。
校門に行くと、にやにやと笑っている蓮華が片手を上げていた。
「蓮華馬鹿じゃないの?」
「おいおい、おいおい、いや待てよ。ちょっと待てよ? 正式な手順踏んで来訪した俺に対して、え? 開口一番にそれかよ!」
「筋を通すのはどうでもいいの。悪いのは私に一言もなく勝手にやって驚かそうとか思っていた蓮華よ。そうよね?」
「え、いや……驚かなかったのかよ」
「そういう問題じゃあないでしょう」
「ごめんなさい俺が悪かった。……ま、手続きを今日したから言う暇がなかったッてのも一つなのよな」
「べつにいいわよ」二人は並んで歩き出す。「うちの教頭とも久しぶりに話をしたし、構わないわ。仕事の話だけれど」
「あー、すげー良い人ッて話よな。学園の理事長に見習わせてやりてェよ」
「その理事長とは友好的な関係を築いていると前に言っていたわ」
「知ってるよ。だから
校舎に入り、三階へ向かうためには階段があり、その踊り場にある二枚の鏡を見て、へえと蓮華はしばし観察した。
「オッケ、把握したよ。行こうぜ」
「そう。……昨夜も一通り聞いたけれど、それほど重要性は見られないわね」
「まァ正直に言えば、そうよな。一応は俺の仕切りになってッけど、放置しといても沈静化はするよ。この学校の鏡に関しては、な」
「――裏があるようにしか聞こえないわよ」
「もう一つの鏡が気がかりなのよな」
「……そう。まあ詳しくは聞かないわ」
稀代の策士としての蓮華の手腕を、間近に見たことのある瀬菜としては――騙されたとも云うが――信頼している。けれど、それを理解しているわけでもない。聞いたところで手助けできないこともわかっている。
もっとも、気にならないと同じ意味合いではないのだが。
生徒会室の扉を開いて中に入ると、視線が来る。瀬菜は「客よ」と短く言って昨日と同じ席に座り、目を丸くした二人の姉弟に対しては蓮華が片手を上げた。
「よォ。――久しいじゃねェのよ六六」
「蓮華、いや、ははっ、昨夜に電話越しで話したばかりじゃないか」
「趣味の悪ィことをしてッからだよ」
「あれは趣味じゃなく僕の生活だからね。でも蓮華の傍ではやめておくことにしたよ。察せられると僕も好ましくないから。――ああ、蓮華は何を飲む?」
「東方美人」
言うと、何だろうかと首を傾げる六六を見て、瀬菜は吐息を一つ。
「台湾の青茶の一種よ。烏龍茶でもあるけれど、馬鹿の注文には気にしないでいいわ。都綴、無難にニルギリをストレートで二つちょうだい」
「一ノ瀬先輩、ここはどこの喫茶店ですか。ニルギリなんてありませんよ」
似たもの同士だと六六は呟き、給湯室に入っていった。
「――あら、華花がいるわね」
「ああ、うん。見てられないから連れてきた」
今まで黙っていた三四五は、目を据わらせたまま言う。どうやら機嫌が悪いらしい。
「なによ」
「瀬菜は、ブルーの人間関係を疑ったほうがいいと思う」
「あら、知人と友人と仲間と家族を区別できる人に何を疑えと言うのかしらね。――蓮華、こっち」
「お、ありがとよ」
「で、何をしにきたの」
「鏡の調査だよ」
ふうんと頷く三四五は、そこに二つの意味が含まれていることには気付いていないようだ。六六にも話してはいないが、そっちはおそらく勘付いているので放置しといてもいい。
「つーか数知、何で不機嫌になってンだよ」
「事情を説明しない誰かさんと、事情を言わない弟と、事情を特に気にしてない瀬菜のせい」
「他人のせいにするなんて良い度胸だこと」
「ああもう。でさ、鏡の件はどうなってるの?」
「滞りなく済ませられそうだよ。大きい被害はなさそうだぜ」
「あ、そう……それは良いけど、結局どうするの? やっぱ生徒会が請け負ったってことにする?」
「まァ……いくつかプランはあるけどよ」
「――実際に、結果として鏡はなくなると考えていいのかな?」
どうぞと六六から差し出されたのはアッサムのストレート。六六は少し迷ったのか、そう離れていない位置に苦笑しながら腰を降ろした。
「結果的には、そうなると思うよ。まァ確定はしねェけど」
「ならば撤去にも理由が必要になるね。教師の口添えがあると納得の促しも容易いんだけど、蓮華はその辺りどう考えてる?」
「いくつかプランがあるッてンだろーがよ。どのみち学校なんて閉鎖的な場所なんだ、どうとでもならァよ」
「やれやれ、どうとでもすると聞こえる僕がおかしいのかな」
「あら違うわよ都綴。これはね、どうとでもできると換言するのが正しいのよ。蓮華はそれを承知の上でどうとでもして、その後に結果がどうとでもなって出てくるのね」
「さすがは一ノ瀬先輩です」
「瀬菜にゃ負けるよ」
実体験したのだから、とは口に出さない。思うだけだ。
と、瀬菜と蓮華だけが華花の焦点が合った――戻った――のに気付いた。そして首を傾げてから。
「あれ? 授業は?」
などと間抜けなことを口走った。蓮華がここにいることは二の次らしい。
「もうとっくに終わってるよ。ああほら、一度深呼吸して。六六はお茶入れてあげて」
「ま、そうだね。姉さんも手を止めて一息入れたらどうかな」
「ッたく――至れり尽くせりかよ。ぼけッとしてンじゃねェよ鏡の」
「鏡の? ……あれ、れんくん」
「気付くのが遅ェッてンだよ。――てめェ、結論は出たか」
「結論? うーん、なんていうか、このままじゃなあとかは思うんだけど、どうしよ。みよにも迷惑かけてるし」
「率直に言ってみろよ鏡の、何がどうなンだ」
「うん。あたしね、何か忘れてる。それ忘れちゃいけないと思うんだけど、何かわからなくて――ずっとそれを考えたって気付いたよ。だから、それを、知りたいと思う」
「ンでも、手段がねェのよな」
「そうなんだよねえ……」
「決断はあンのかよ」
知り合いなの? という疑問に対し、瀬菜が昨日のことを簡単に説明しているのを聞きながら、蓮華はあくまでも華花に対して言う。
「忘れてるッて結果に対する理由はいくらでもあらァな。その上で、思い出したいと――手にいれてェと、そう言うンだよな?」
「――だって、それがないとあたしがあたしじゃないみたいなんだもん」
「そうかよ。……ンじゃま、取り戻しに行くか。瀬菜、校門とこまで付き添い頼むよ。オラ鏡の、行くぜ。荷物持ってこいよ」
「え、あ、うん。どこに?」
「忘れてるかもしれねェ、最初の場所にだよ。おい数知、こいつ連れてくからな」
「あー……どうぞ」
少し考えたようだったが、蒼凰蓮華に関わることを嫌ったようなのは表情を見ればわかる。対応しつつも、まだ怯えが消えていないようだったからだ。
――ま、その辺りは瀬菜に任せるよ。
そういう想いも込めて軽く肩を叩いて瀬菜を促し、連れ立って生徒会室を出た――と、階段を降りた先にいた人物に、蓮華は一歩前へ。
「――大山教頭、お久しぶりです」
そういえばと、瀬菜は姿勢を正しながら思う。蓮華の敬語は初めて聞いたな、と。
「おや、君はあの時の……そうか、蒼凰蓮華くんだね?」
「いつぞやも、今回もお世話になりました」
「いや構わないよ。私は、私にできることをするだけなのだから。それよりもどうかな、蒼凰くん」
「難しいと、正直に思っています」
敬語であっても蓮華は変わらない態度で、感情を隠そうともせず言う。
「当初から察してはいましたが、あちらは自任を掲げている通り、選択の大半を学生に任せてしまうのですが――これはデメリットでしょう」
「ふむ。選択肢が多いのはメリットであると私ならば思うけれど、違うかな」
「確かに一部、限られた学生やその保護者にとってはそう思えるかもしれません。しかし選択肢が多く、何でもできる――そういった状況におかれて何でもする学生は少なく、その中から選び取る困難さに直面して、その上でなお決定する学生も多くはありません。大半の学生は、――残らないすべてを捨てている。そして選ぶのは、やはり、この学校にあるものとそう変わらない、一般的なものです」
「――そうか。メリットであるのも、環境面がと言いたいんだね?」
「そうです。整った環境、あまりにも恵まれた環境に気付けば良いのですが、慣れた頃に――その当然となったものは、この学校にあるものとそう変わらない環境です。やはり年相応の経験から発想を得るとなると無難なものに……あ、失礼。立ち話でするものではありませんでしたね」
「いや、面白い話だよ。よく考えているね」
「はい。理事長とは懇意にしていますから、自然と考えるようになりました。いや失礼、また改めてお時間があれば」
「おっと、そうだね。一ノ瀬くんと鏡くんを待たせてもいけない。蒼凰くんも、ゆっくりしていってくれ」
「失礼します」
頭を下げて教頭が去るのを見届けてから、頭の髪飾りを揺らして振り向く。
「悪ィ、時間がちょいあったからよ。ンじゃま行こうぜ」
「大山教頭との繋がりは?」
「忍の関連だよ。まァ昔に――名乗りもなしで少しあったけどよ」
「れんくんって顔広いねえ」
「べつにそうでもねェよ。付き合いがほとんどねェのばっかだし」
校舎を出た辺りから生徒会役員特有の白色の制服に青色の中国服、という取り合わせに部活中や帰宅途中の学生の視線が集まって来る。特に気にした素振りもなく、しかし確実に把握しながらも蓮華は携帯端末を取り出した。
「あ、もう校舎出るけどいいよな?」
「うんいいよー」
「お気楽ね」
瀬菜は蓮華を信用しているため気にしないが、普通ならば警戒する方が正常な反応だろう。まあ大丈夫だとは思うが、問題ないとは思えない。
「よォ、今どこよ。――そっか、すぐ行く。なあにしょっぴかれたら他人で済ませりゃいいのよな」
こっちだと、移動した先は一区画先にある大通り。路肩に停車している黒のスポーツカーを背もたれに、黒服の人物がいた。
変わらないわねと瀬菜は思う。黒のスーツに白のネクタイ、そして黒のサングラスはスポーツ選手がつけているものと類似しており、目元を完全に隠している。細身の長身であり、声色はやや低く男性よりは高い――そう、朧(おぼろ)月(づき)咲(さく)真(ま)は見た目ではわかりにくいが、れっきとした女性だ。
「なに、この車。咲真の趣味が悪いのね?」
「開口一番でそれかね。瀬菜はどうやら私を誤解している節がある。いいかね? 端折るがつまり私の趣味なのだから崇高だと言いたい」
「そこ端折るのかよ」
「なに、私が説明を始めると嫌な顔をするか止めるかのどちらかなのでね。私も学習して仕方なく端折ることを覚えてしまったのだよ。まったく……どうしたものか、その上で私を足に使うとは、良い度胸ではないかね蓮華」
「試作型(プロトタイプ)、上がってきたッてンで走り回りてェのよな?」
「野暮用があると、言ったはずだがね」
「否定しねェのかよ」
「肯定はしかねるが概ね事実であることは私自身が認めている。私は自己否定をせんよ」
黒塗りの流線型、車高が低く今時では珍しいガソリンエンジンを搭載してあるのは見た目ですぐにわかる。後部座席はほとんど荷台となっており人の座る場所はない。
蓮華は、自動運転用に限らず安全運転を行う上で法律上必要とされているAIすら搭載されていないことに気付いたが、苦笑で済ませた。
芹沢企業開発課主任の二村という女性が作ったオリジナルの車だ。まだ試作型とのことだが、完成度は高い。
「送迎と言われたが、蓮華や瀬菜ではあるまい。そこの娘かね?」
「どーもー。鏡華花って云うの」
「私は朧月咲真だ、覚えておきたまえ。もっとも私ほどの存在感を持つ女をそう簡単に忘れるほどに記憶容量の少ない人物に、未だに出逢ったことはないがね」
「わお」
これどうすんのと視線で聞かれた瀬菜は、首を横に振って華花に諦めろと伝えた。
「まあ構わんとも、乗りたまえ。行き先は私の実家だがね。急がねば夜中に出歩くことになる」
「そいつァいけねェよな」
蓮華は笑って言う。べつに構わないと思っているようだが、咲真が乗り込んだのを見て華花の傍に行く。
「――鏡の、今のてめェに判断はできねェ。だが、判断材料も判断基準も残ったままだ。理解しようとするな、判断しようとするな、ただ〝そういうものだ〟と一時的に納得して反応や対応を覚えておけよ。そいつァ必ず、望んだ時に役立つもんだからよ」
小さく、返答を求めない助言は華花にしか届かず、その背中をぽんと叩いて助手席へ座るよう誘った。
「道中はそこそこ長いけどよ、鏡の、生徒会長の話でもしておくといいよ」
「……? うん、わかった。ありがとれんくん」
「感謝はいらねェよ? ま、その理由はわからねェだろうけどよ」
「おっけー覚えておくね」
「おゥ――咲真、あんま無茶すンなよ。これでも一応はこっち側じゃあねェからよ」
「わかっているとも。私はそこまで無節操ではないのでね。――では行こうか華花」
「行こうさっちゃん」
「……その呼び方は矯正が必要だね?」
思いのほか静かな駆動音と共に車が去って行くのを見送った二人は、再び学校へ戻った。
「行かせて、良かったのかしら」
「どうかねェ……結果が出るまではわからねェよ」
「ああ、そうではなく、蓮華は良かったの?」
「何言ってンだよ。俺はVV-iP学園の学生として、市立高校との違いを調査しにきてるンだぜ。あっちはついでよ、ついで」
「そう」
あっちとは何のことか問うのは無粋であり、逆ではないかとは思うものの蓮華は嘘を吐かないのだと瀬菜はよく知っている。
――知る必要はないのだけれど。
どのような意図を持って蓮華が行動しているのか、その行動原理は何なのかを知りたいと思うのは、まだ瀬菜が裏社会から抜けきっていないからか。
「心配すんなよ」
「していないわ。蓮華には十割の信頼を置いているもの」
「――おっかねェ」
「あら、応えられるでしょう?」
「応えるよ。他でもねェ瀬菜に対してはいつでも、そうありたいもんよな」
「そう」
「おゥ。あ、土地の確保をいくつかしといたから目を通してくれよ。グラウンドからぐるっと回って生徒会室に戻ろうぜ」
異論はなく、一応は必要だろうと瀬菜は先導して歩き出した。これで余計な虫がつかなくなれば、良いのにと思いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます