05/21/23:30――雨天暁・学校の事前調査

 夜間、二十三時から翌日四時までの外出禁止法案が可決され、実行に移されてからどれくらいになるだろう――犯罪率は極端に低下し、今ではもう外出しないのが当然と思う世代がほとんどだ。

 その時間に外出できる人間は少なく、決まっている。

 端的に言えば殺される覚悟のある者と、規則を遵守可能な者だけだ。実際にこの時間は外出が禁止されているため、殺されても一切の文句を受け付けない。施行された当事はそれなりに死人が出たらしいが、そこはそれ、規則を守らない方が悪い。

 問答無用、だ。

 金色の光を放つ真月の姿はなく、夕刻を過ぎても止まない雨は勢いを少し弱めつつも未だに曇天から降り注いでいる。

 その最中、蒼凰蓮華と雨天うてんあかつきは歩いていた。

 蓮華は相変わらずで、暁は今日も袴装束だ。薄い水色の袴の裾には奇妙な紋様が一つ、大きく描かれている――が。

「つーか、何でお前ェよ、今日は刀――居合い刀じゃねェのよ」

 そう、普段ならば右腰に一振りの日本刀を佩いているのだが、今日は珍しく小太刀を一本、腰の裏に佩いてある。刃を下に、柄は左に――少し変則的だ。

 一般的な小太刀は腰横、いわゆる居合い刀などと同様の佩き方をする。腰裏に隠す場合であっても抜き易さを考えて刃を上へと向けるのが通常のものだ。

「ん? そりゃお前、あれだ。室内に行くんだろ? 何か得物がありゃ何だっていいンだ。勝手の良いモンを選ぶのに理由があンのか?」

「理由はあンだろうよ。しッかし小太刀なァ、昔の瀬菜を思い出すぜ」

「ああ、一ノ瀬は小太刀だし扱ってるの見たことあンのか」

「いやねェよ。ねェけど佩いてるのは見た――お? つーか一ノ瀬と同じ感じに佩いてるよな」

「俺のが源流だけどな。知ってンだろ? 逆手で扱うだけの小太刀術ッてのもあるンだ」

 雨天流武術七代目継承者、雨天暁。同じく十六歳であるため去年に――いや厳密には今年の二月に元服を迎えており、暁は一人前の武術家として妖魔と呼ばれるあやかしを単独で討伐する仕事を持っている。もっともそれはどの武術家でも同じだが――。

 あらゆる武術家の頂点に立つ雨天流、だからこその筆頭と謳われる。その継承者が一人前となった以上、暁は他の武術家に決して負けてはならない。

 負けた時点で、雨天は筆頭でなくなるからだ。暁の言う通り、雨天はあらゆる武術家の源流なのだから、その枷は重く強い。

「饒舌じゃねェかよ」

「そりゃお前、俺の専門分野だぜ? 定型句を返すのに、何を迷うッてンだ。あァ?」

「お前ェは定型句しか返せねェと、それ以外は迷うと言ってンのと同じなのよなァ」

「るせェな」

「それより涼はどうなのよ。誘いかけようにもいねェのよな」

「ああ、一昨日にちょい逢ってたんだが、実家に戻るとか言ってたぜ」

 一昨日ねと、夕方の話を思い出しながら蓮華はにやにやと笑いながら軽く肩を竦めた。

「お、ここか蓮華」

「おゥ――ッて、まあ足を止めてじっくり見る場所じゃァねェのよな」

 正門を正面から捉え、やや空を仰ぐようにして二人は立ち止まり、そして。

「なァ蓮華、こういう時のお前ッてどう反応するンだ?」

「はッ、俺に訊くたァ殊勝じゃねェかよ」

「いやなァ」

 どうしたもんかと頭に手を当てながら校舎の中を見るよう、暁は少し考えてから口を開く。

「知っての通り、対人ッて俺の分野じゃねェだろ。だから蓮華なら俺とは違う対応するんじゃねェかッて思ったンだ」

「だから殊勝だッてンだよ。で? お前ェ一人ならどうすンのよ」

「とりあえず視線合わせる。で、どうすンのかなァッて思いながら待つ」

「どこの乙女だお前ェはよ」

「るせェ」

 毒づきながらも、さてどうしたもんかと蓮華は逡巡する――いや、答えはもう出ているか。

「まず、どっかの馬鹿がこっちを覗ってるのに気付いたのには評価してやるよ」

「つーか、お前が気付いた方がちょっと異常だと思うけどなァ。戦闘は趣味じゃねェとか言ってやがる癖に」

「事実だろ」

「納得しきれねェッての。まあ雨天流には〝シン〟なんて空間把握術があるンだよ。一町部くらいの面積ならだいたいわかる」

「はあン……ま、いいんだけどよ」

 どうして蓮華が気配の察知などできるのか、まだ疑問に思っているようだったがどうせ答えは出てるだろうと思い、蓮華は話を戻す。

「相手は、俺らがどう対応するか覗ってるッてのはわかるよな」

「まァな。読唇されねェよう背を向けて、適当にやってる素振りをしてンのも、だからこそだぜ?」

「おゥ――だからまァ、明確な答えはねェのよ。どう対応したッていい。お前ェの行動も間抜けだが別に良いッてことよ。……ま、相手がどういうヤツかを把握してねェのは問題なのよな」

「つーことは、蓮華はそこまでわかってンのか。で、どう対応するんだ?」

「へェ、ンじゃお前ェ、きっちり四秒後に振り向けよ? それと、少し借りるぜ」

「あ、てめェ――」

 直後、蓮華が隣から消えたのを見て暁はカウントを開始する。よくよく見れば足跡のよう波紋が地面に広がっているのだが、瞬間的にそこに気付くものは少ない。

 ――消えてるッてのは間違いだな。

 実際に蓮華はそこに居るし、移動している。存在はそこに確実、明確にあるのを示すよう波紋という形が出現しているし、気配も薄いがわからなくもない。

 雨天流の歩法が一つ〝波渡はわたり〟――それは己だけでなく、特定の対象を含めて隠す隠密の技だ。

 そして暁が今、使っている技でもある。己の意志で、確実に蓮華だけを隠すように使っている――が、しかし、自分で実行しているかと問われると苦笑したくなった。

 現実に暁が使っていながらも、使うよう仕向けたのは蓮華だ。

 ――いつか使うンなら、今使う可能性もある。

 蓮華はそう言っていた。そして、可能性があるならかつて使うものが今使うことになってもおかしくはない、のだと。

 その辺りを操作するのが蓮華の魔法だ。魔術でも呪術でもなく、魔法なのである。ただし、それを技術として扱う以上は、術式であって、法式ではない――なかなかに複雑だ。

「よゥ、何してンのよ」

 きっちり四秒後に聞こえた声に振り向くと、気配のあった方に人がいる。

 消えた蓮華がどこにいるのかと考えて四秒を費やしたのだろう、その背後に出現し気軽な声をかけた蓮華から距離を取ろうと、驚愕による硬直から解き放たれるよう前へと飛ぶ――飛ぼうとして、「待てよ危ねェッて」という言葉と共に笑いながら蓮華がその襟首を掴む。

 ――おいおい、絶妙な力加減じゃねェか。

 前へ動こうとする力を引っ張る力が均衡を持ち、雨に濡れた地面との摩擦係数もあって足は滑り、しかし腰を地面に落とすよりも早く蓮華は両腕を引っ張ることで停止させた。

 そこでようやく、その人物と暁の視線が重なった。

 ――ッたく、戦闘は領分じゃねェとか言いつつコレか。

 参る話だと苦笑を浮かべ、右手が空を掻く。刀ならばそこに柄尻があったはずだが、今日は小太刀だ。

「ほら、だから危ねェッてのよな。立てよ、ッたく……」

 ゆっくりと己の足で立つ、蓮華より背丈の高い女性は何を言うか迷った挙句、どこか悔しそうに唇を尖らしてから校門の前にまで歩いてきた。

「瀬菜から連絡は行ってるのよな?」

「え、ああ、まあ……ってことは、あんたが旦那さん?」

「おゥ」

「初めまして、生徒会長の数知三四五みよこです」

「俺は付き添いの雨天暁だ」

 直後、嫌そうな顔をして驚いた三四五は一歩下がり、改めて暁に目を向ける。

「あの雨天……?」

「ん? どれかは知らねェけど、まァ雨天なんて他にゃねェ……かな?」

「ねェよ。つーか覚えとけよ暁、こういう反応は一般的だぜ」

 そりゃそうだと、蓮華なら呆れるような反応だ。そうなのか? などと首を傾げている暁も含めてだが。

「つーか何でだ?」

「え、だって武術家の雨天でしょ? そんな戦闘の専門家相手に、どうしろと」

「いや専門にしてンのは戦闘じゃなくッて妖魔関係だぜ?」

「世間はそう見てくれねェのよなァ」

「笑ってンじゃねェ。あー……本気でそう思ってンのか、数知」

「あれ? いや、だって――違うの?」

「べつに違っちゃいねェのよなァ、おい。クッ――いやいや笑っちゃいけねェよな」

 もう既に笑っている。

「俺最近、こいつに虚仮にされ続けてッから才能とか努力とか本気で考えるくれェに落ち込んでンだけど?」

「あはははは! そりゃお前ェ、俺らのレベルで物言ってんじゃねェよ! ……あ、もしかして雨のジジイに聞いてねェのかよ」

「は? うちのクソ爺がどうしたッてンだ」

「いやいや、クックック……あー悪ィな数知、気にすンなよ」

 あの化物、と暁がよく漏らす雨天家の爺ですら蓮華には一太刀すら届いていないのだ。その辺りで悔しがるのは、初めて竹刀を持った人間が剣道段位を持つ相手に挑んで勝てないと悔しがるのと同じだ。

 土俵が違う。

 蓮華にとって武術家ほど容易い相手はいない。

「俺ァ仲介みたいなもんよ、暁が専門家な。時刻は――ん、二十四時までもうちょいか」

「えっと、こっちの事情はだいたい伝わってるの?」

「瀬菜から一通りは聞いてるよ。宿直はなしで電子セキュリティだよな? 零時になりゃ外部から解除されッから、それまでもうちょい時間があるよ。――暁、外から見てどうよ」

「実際に見てェな。気になる部分はいくつかあるが、俺に説明させンな」

「そうそう、こいつ説明とかマジできねェから俺が翻訳しねェといけねェのよ。口下手の極意を教えてもらいたいモンよなァ」

「……? そっち二人は、VV-iP学園?」

「表向きな。登校はほとんどしてねェよ」

「俺ァたまにしてるぜ。道場勝手に使ってるだけなんだが、ま、登校だな」

「褒められたもんじゃねェのよな」

「ふうん。――あ、雨天はともかくそっちの旦那さんは?」

「はッ、なんだ青色ポスト。気ィ遣ってねェできちんと名乗れよ」

「うるせェよてるてる坊主。気遣いも知らねェ野郎がでかい口を叩くんじゃねェ」

 もっとも、言及されなければ名乗るつもりは最初からなかったのだが。

「隠してるつもりもねェよ。蒼凰蓮華ッてンだ、覚えておいてくれよ」

 びくりと震えた三四五は表情を失い、一歩を下がることはなかった。

 否だ、硬直によって下がれず、驚きではなく脅えにも似た表情が浮かんでいる――。

「おい」

 それは蓮華への言葉、しかし三四五は止まっていた呼吸を再開させるような動きを取り、倒れそうになる己の躰を校門に手を添えることで回避する。

「お前何してンだ」

「おいおい、何ッてそりゃァお前ェ仕事だよ、仕事」

「驚愕でも躊躇でもねェ、こりゃァ猜疑でもねェ怯えじゃねェか」

「ンなこと言ったってよ――」

「ブルー……コントロール・ブルー……?」

「――は? ンなふうに呼ばれてンのかよ」

「知っとけ」

「うるせェよ。だいたい自称じゃねェンだ、知るかッてのよ。まァ気にすンなよ数知、ちゃんと瀬菜から〝巻き込まないようになさい。あれでも一応、あれなのだから〟ッて言われてッからよ」

 何がどうあれなのかは、さすがに深く追求しなかったが、三四五は微妙に顔を引きつらせた。

「――と、悪い。少し外すよ」

「おゥ」

 ポケットから携帯端末を取り出して距離を取る蓮華を横目で見ながら、暁は小さく吐息した。

「ま、何を知ってンのか知らねェけど、蓮華はあのまま蓮華だぜ。怯えるこたァねェ。嘘は言わねェしな」

 誤魔化すし、真実を言わないことも多いけれど。

「あの馬鹿、外で何やってンだ?」

「何って――知らないの? 目的のために周囲を巻き込んで大暴れ。その上に成功率は九割九分、被害は結果的に最小限。まるで人を操作するような、服もあるけど冷静の青」

「冷静ィ? あいつがァ?」

 おいおいどういう勘違いだと思いながら振り向くと、声が聞こえる。

「てめェよォ、盗み見してンじゃねェよ。あァ? 底意地が悪ィッてンだよ。……ックック、言うようになったじゃねェかよ」

 視線を戻す。

「どう見ても冷静じゃねェだろ。俺に言わせりゃ、よっぽど感情に素直だぜアイツは――それが、厄介なくれェにだ」

「……雨天は」

「暁でいい」

「あ、うん。暁とブルーってどういう関係なのか聞いていい?」

「どうッて、まだツラ合わせて半年ちょいだ。単純な友達……だろうぜ」

 違うかと、暁は苦笑する。確かに友人であることに違いはないが、内情はもっと淡白であって、友情があるかと問われれば難しい顔をするだろう。

「時間になるまで校舎ン中にゃ入れねェ、これで間違いねェな?」

「あ、うん。セキュリティがあるから――」

「じゃ、中に入らなきゃいいわけだ」

 ひょいと、軽く。膝を曲げて力を込める動作すらなかったかのよう、直立したまま校門の上に立った暁は、すぐに敷地内に身を躍らせた――どうすると逡巡、その間に三四五の視界からは消えた。

「あ……」

「――行かせていいのかよ」

 こちらも、いつの間に電話を終えて近づいたのかわからない辺り、危機感があった。

「一人で勝手に隠れて始末するかもしれねェのによ」

「そ、それを言うならブルーだって」

「俺はわかるからいいよ。野郎がやる程度のこと、後で確認すりゃいい。反応でだいたいわかるからよ」

「友達って言ってたけど?」

「友人だよ、間違いはねェ――が、あるいはてめェらとは違うンだろうよ。そうだなァ……俺らは一人だ。話もする、手合わせもするし親しい間柄だが、全員が違う方を向いているのを知ってるよ。俺らは邪魔しねェ、背中を押さねェし立ち塞がらねェ。ただ、――近くにいるだけなのよな」

「それって……」

 三四五の感覚から言わせてもらうならば、それは学校の隣の席にいる生徒のようなものでしかない。ある意味で親しいかもしれないが、ひどく淡白で冷たく、そして並び立つものでもないのだろう。

「ま、暁に限りゃァ――唯一、背中を任せても良い相手だろうよ」

 実際に去年の八月、それで乗り切った事件もあった。

「しッかし、慣れてねェよな」

「――ああ、うん、そりゃね。こちとら狩人に見つかったら問答無用でしょっ引かれるんだし、必要がなけりゃ出ないわよ」

「はッ、てめェがいくらこそこそしたッて、周りの連中は気付いてるのよな。ただ隠れてッから放置してるだけよ」

「そういうブルーは慣れてる」

「当たり前だろーがよ……ッて、まァわからねェよなァ。おっと、そろそろか」

「――セキュリティの解除は、やっぱ誰かに頼んだの?」

「そりゃそうだよ。……行くぜ」

「あ、うん――、え?」

「どうしたよ」

 頷く間も、視線を外したつもりはなかったのに、飛び越えた様子も気配もなく、蓮華は既に向こう側にいた。

 校門は柵状ではあるものの、いくら小柄とはいえ蓮華が通れるほどに間を広く取っては居ない。ゆえに飛び越えるしか手はないと思うのだが、まるですり抜けたように蓮華は移動している――と、半ば放心状態だったがすぐに気付き、慌てて校門を飛び越えた。

「で、実際に被害が出てンのよな?」

 足取りに迷いはなく、校庭へと向かっているようだった。

「私としては、どうかな、看過しても問題ない――というか、苦情じゃなく生徒も楽しんでいる様子もあったから、放置しとこうと思ったんだけど」

「瀬菜がそれに手ェ出したと、そういうことかよ」

「そう」

 仕方ないかなと蓮華は思う。瀬菜は己の影響で何かが発生することに対し、解決策をもっていない上に気にし過ぎる帰来がある。本来ならそこまでする必要はないのだが、責任を負ってしまうわけだ。

 ――ま、だからこその瀬菜よな。

 己にできないのをわかっていて、解決策を模索する。そういう前向きな部分も含めて蓮華は惚れているのだ、止めろとは口が裂けても言わない。

「瀬菜をフォローするつもりはねェけどよ、実際に苦情が出たら末期だよな。ちなみに楽しんでる状況は末期を通り越して最悪か、中期から後期への悪影響ッてパターンがほとんどなのよ」

「え、そうなの?」

「本当かどうかの調査だよ。俺より暁が専門家な」

「――ね、私のことどれくらい知ってる?」

「他人を詮索する趣味は持ってねェよ」

 立ち位置や過去程度ならば既に知ってはいるが、嘘ではない。蓮華が望んで探り得た情報ではないからだ。

「はあン、コの字の右側に一本で四棟ッて配置かよ。真ん中が中庭で、一本の傍に運動場か――ま、ロの字にしねェのが、なんだかなァ」

 校舎と校舎の隙間はそれなりにスペースがある。第二の中庭とは言わないが、日陰になるため樹木はないものの、ベンチが備え付けられており、おそらく昼食などに利用するのだろう。蓮華は何か物足りなさを覚えたが、すぐに気付く。これがVV-iP学園ならば灰皿が備え付けてあるのだが、さすが市立、そこまでオープンではない。

「おい暁、馬鹿やってねェで這入るぜ。お前ェがいなくッちゃ何もわかりゃしねェだろーがよ」

「――馬鹿言え」空から声がする。「何がわからねェのか具体的に言えもしねェ癖に」

 よっ、という軽い声と共に三階の高さから飛び降りた暁は、袴の裾を乱しもせず少し壁を擦るようにしてから着地する。

「なんかあったンかよ」

「網だなァ。屋上の出入りは禁止してそうだぜ、汚れもあったしな。避雷針は大丈夫そうだったぞ」

「はあン」

 上を見て、視線を校舎の壁に向け、蓮華は口の端を歪める。その反応に二人は気付いたが、三四五は首を傾げて暁はやれやれと頭を掻いた。

「とりあえずこっち行くか。コの字じゃなく一本のやつよ」

「あ、こっちは職員室とか生徒会室、文科系の部室があるのね。防音設備や空調もあるから」

「なるほどねェ。あっちとは随分と違うが、こっちのが一般的なんだっけか」

「そりゃそうよな」

 入り口に蓮華が手をかけ、一拍の間を空けてから押して中に這入る。下駄箱はなくすぐに廊下が左右に伸びており、とりあえず右側の階段へと向かった。

「どうよ」

「怪異が発生してるような空気はねェな。条件が合ってねェ可能性もあるけど」

「――え?」

 三四五が驚きに硬直して足を止め、蓮華は口の端をまた歪ませる。暁はただ、右手で空を掻いた後に腕を組む。

 正面、そこに。

「鏡が――ない……!?」

 そんな当たり前の事実を確認し、踊り場まで移動する。

「ッと蓮華、一応触れるな」

「ンなこと無防備のままするかよ」

 つまり、防備ができるならばやるのだが、今回は暁がいるのだから必要あるまい。

「枠はあるか。馬鹿みてェな確認だけどな数知、ここの鏡が撤去とか割れたとか、そういうナシは――話はねェよな?」

「ない……今日、帰る時にここの鏡見たから……」

「ない、ねェ。おい暁、答えろよ。ここに鏡はねェのか?」

「答えられねェ問いをすンな」

「ははッ、だろうと思ったよ。次行こうぜ」

「……え? あの、あれ? ええ!?」

 同行者はあくまでも監視であって、理解する必要もないと判断したたま説明はなく、三階まで上ってから逆側を降りる。どの踊り場でも十秒ほど立ち止まったものの、そこに鏡はなかった。

「枠だけ全部あるなァ……」

 外に出た三人は迂回して中庭へ。備え付けのベンチに腰を降ろして休憩していた。空を見上げた暁は小雨を気持ち良さそうに受けており、雨に濡れるのが嫌だったのか三四五はベンチではなく木の下だ。

「蓮華、お前これ、どう処理するつもりだ?」

「関連付けは重畳よ、もう転がり始めてるのよな。後は現在で塗り潰していくだけ――なんだけどよ、まァ当人がどうすッかが問題なのよ」

「そんなのいつも通りじゃねェか。――もういいンだろ? 日付も変わった、帰ろうぜ」

「うえ!?」

「そうすッか……で、数知が驚くとこあるか?」

「ああ、調査だけッて言っといたのよな。解決なんぞ知らねェよ――ああ、ま、手ェ回して日中に邪魔する時は生徒会とやらに顔出すからよ、そン時にな」

「案内役、ご苦労さん」

 と、すぐに二人は歩き出し、何かを言う暇がないと、蓮華はそれを理解しつつ、走り出そうとする三四五を制止するタイミングで振り向いて言う。

「セキュリティはすぐに戻るからよ。それと――六六によろしく言っといてくれ。過保護はあんま良くねェよッてなァ」

 血縁ではないとはいえ、弟の名を出された三四五はやはり硬直し、軽く走るよう速度を上げて校舎を出た二人は、すぐにその場から離れた。

「三枚なのよな」

「――やっぱお前、わかってたのか」

「じゃなきゃあんな質問するかよ」

 見えない。ない。

 この二つは同じようで別物だ。少なくとも二人は、三枚は存在していたが見えないだけで、残りは枠だけであると認めた。もっともあの校舎には一枚だけで、残りの二枚は想定でしかないが。

 ならば日中には何故、どこにも鏡があるように見えるのか? つまり、在るのと見えるのとは、また別物という話だ。

 あとは認識の問題――誰かがあると思ってみれば、他のものも見えてしまう場合がある。そうした仕組みを上手く扱うのが、呪術と呼ばれるものだ。

「ま、あっちはいいよ。お前ェが調べたッて既成事実ができりゃァ当面はどうとでもならァな。話変えるぜ暁、お前ェ鏡のは知ってッかよ」

 発音の違う同じ言葉に、暁は逡巡してから肯定する。ちなみに加賀見と同じ発音だ。

「懐かしいなァ」

「知ってるッつーより逢ったことがあるなんて口ぶりじゃねェかよ」

「出逢いは八年前くれェかな。あの頃は馬鹿ばっかやってて、よく鏡家の婆さんに見つかって叱られていたンだ。厳しい婆さんで、うちにゃ爺しかいねェから俺もべつに嫌じゃァなかったンだけど」

「近いのかよ」

風狭かざまとの境に近い辺りか。で、まあ間に空白あって二年前か――久しぶりに逢った婆さん、俺を見てこうだ。〝あらま、悪ガキが大人の顔をするようになったじゃァないか〟。うるせェッてのな」

 苦笑を滲ませ、懐かしそうに言うその意味をわかった上で、蓮華は続きを促した。

「だから言ってやったンだ――叱ってくれるヤツがいねェと、満足に馬鹿もできねェッてな。でまァ、それっきり」

 それっきり――死に際の魂魄に触れて、会話をしたのだから、それ以降はない。

「で? そのキョウがどうしたッて?」

「一昨日くれェによ、涼が一般人に何かしただろ。そいつが鏡家の長女だ」

「――てめェ」

 周囲の温度が間違いなく二℃ほど下がった。すぐに小雨は少しだけ雨脚を強め、肩を掴んだ暁は表情を作らずに蓮華を見る。

「どこまで知っている」

「昔、馬鹿やってた頃に」それは先の暁と同じ前置で。「――都鳥の出生を明かした。過ちであり俺の罪だよ」

「……ふん。それで」

「涼も都鳥の大将も、雨の御大も知ってるよ」

「なら俺がとやかく言うモンじゃねェな」

 ふと、小さな風が生じて温度が戻った。

「まァ俺も、そうじゃねェかとは思ってたが」

「さすが察しが良いよな。口下手な癖に、それを説明できねェだけで理解も回転も早ェのはわかってたけどよ」

「馬鹿、都鳥の鏡面結界に紛れ込んだんだぜ? 単純に考えて系列だろ。近くにゃ鏡があるし、その上に一般人だ。涼はたぶん記憶を誤魔化しただろうが……お前のことだ、不具合が出たのを察したのか?」

「瀬菜の学友ッてンで夕方に顔合わせたよ」

「――はッ、こういうのを縁が合うなんて言うンだろうなァ」

「誰かが関連付けなきゃ、事態は転ばねェのよな、これも。涼はスルーするだろ」

「ンでも実家戻って調べ物でもしてンだろうぜ。だが蓮華、べつに野雨西の怪異と鏡繋がりだからッて関連があるわけじゃねェだろ」

「へェ、ねェと思うのかよ」

 にやにやと笑いながら、蓮華は足を止める。

「正直なところどうなんだよ、あァ?」

「……ねェだろ」

「ンじゃお前ェ、俺が関連していると言ったらどうよ」

「してンのか?」

「確かめてみるかよ」

 誘われていると暁は思う。あるいは乗せられている、とも。

「手がいるンだろ?」

「べつに、暁じゃなきゃいけねェ理由はねェのよな」

「――何をすりゃいい」

 存外に暇だったのかと蓮華は苦笑する。あるいは、ただ後始末として野雨西のことを心配しているのか。

「明日でいい、月のおっさんトコ行けよ。ああ道場じゃねェ、正面から叩いて朧夜堂ろうよどうの方よな。そして、二つの鏡について訊け」

「それくらいなら、まァべつにいいけど――夕方になるぜ?」

「構わねェよ。時刻なんぞに構うほどに切羽詰った状況じゃァねェのよ」

「……お前、構わねェとか言っときながら、だいたい合わせてくるじゃねェか。そこンとこどうなんだ?」

「んー、少なくとも切羽詰ってねェよ?」

 答えになってないと肩を落としながらも、どうしてか、そういう蓮華の言い方に慣れてしまっている辺り、暁もどうかと思った。


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