10/27/10:30――ベル・野雨の見解

 そこそこ長居をしてしまったのは、双海の夫であるところの人形師が、ベルの義体に関して詳細を知りたいからと引き留めたからだった。といっても、そんなに実直な人間ではなく、会話の半分は「どうして俺がこんな野郎のために……」という愚痴だ。こんなにも精巧でしなやかさを演出した作品なのに、女が使わんとは何事だと、まあそういう男だった。研究者にはよくある性質だったので、大して気にならなかったけれど。

 車に戻れば、次はVV-iP学園へ向かってくれとのこと。変わらずベルの運転で車は走り出す。

「ハジマリの場――野雨市は、そう呼ばれるに相応しい場所だよ」

 同じように、両手を頭の後ろに回した蓮華が、そんな言葉を口にした。

「野雨のことを調べ出した切っ掛けはなんだ?」

十一紳宮じゅういちしんぐうがこの土地に二つあることの疑問だ」

「鷺ノ宮と鈴ノ宮か。まァ、お前ェが花ノ宮である以上は、当然の疑問だよな。どこまで知ってる?」

「十一紳宮についてなら、かつて東京事変を押さえ込むための柱にされたこと、くらいか」

「あの手管には、俺も参ってるよ。冗談なく、誇張なく、俺が策士であることを認めた上で言えば――あんな手は打てない。この俺ですら、未だに掌の上で踊っているだけだ」

「……薄いが、何かしらの〝痕跡〟めいたものは、感じている。それが何なのかまではわかっていない」

「俺だって似たようなもんだ。けど、そこを見つけなきゃ、俺も安心できねェのよな、これが」

「……ハジマリの場と言ったな」

「そうだ。かつて、一人の男が手を差し伸べた。男女の二人、大蜘蛛とスノウのことだ。それ以前に始まってはいたんだが――契機と呼ばれるものは、そこなんだよ。表に出てきたのが、そこ」

 つまり。

「魔法師と呼ばれる連中が表に姿を見せた瞬間、か」

「魔術師と違って、魔法師には成長という概念が、そもそもない。常時だろうが限定型だろうが、発展もしなければ、派生もない。ただ、そうあるべき〝法則〟を身に抱く。ただしその〝使い方〟は当人次第だ。そこに限れば、発展も派生もあるんだけどよ、まァ気付くのは遅いよなァ」

「そういうものだと、前提があれば、それは変わらないと思い込む。変わらないものが、違う形を見せるだなんて、人は考えない」

「こと魔法師に関しちゃ、それが顕著なのよな、これが。ともかく、それからなんだよ――そこからだ。大きな原因は東京事変なんだろう、あれによって不安定になった世界は、法則を個人に担わせることで、器そのものの安定を保とうとしている。〝意味〟を背負わせ、〝未来〟を見せ、〝過去〟を担わせ、〝現在〟を固定させ、〝世界〟すら作れるようにした」

「その可能性については考えていた」

「だろうよ。そして、俺はこう言っているわけだ――そいつァ間違っちゃいねェよ、ッてな」

「だが、それは魔法師の在り様だろう」

「そのハジマリは野雨で起きたッてことが、どうしようもなく、ネックになっちまってンだよ。――あるいは」

「あるいは、野雨にはそういう準備が既にできていた」

「ん、やっぱりちゃんと考えてるみてェだな、いいことだぜ。野雨を俯瞰して見えてくるものもあるよな。橘の本家があって、武術家の筆頭である雨天がある。十一紳宮の中でも、元からその名前を持っていた鷺ノ宮があって――VV-iP学園が存在する。芹沢の開発課は、あまり気にしなくてもいいだろうけどよ」

「今は鈴ノ宮もある」

「この配置に意図的なものはない――そうだな?」

「ああ、そう見ている。ただしそれは〝配置〟に限ってだが」

 個個の存在がお互いに関係性を持って、干渉し合うのは当然であり、それでも安定を保って今あるのならば、それは問題ない。だがこの場合、意図的なものというのは、たとえば東京事変を押さえ込むために十一紳宮が作られたような、そういう状況を指している。あれはほぼ同時期に発生したもので、いわば術陣として用意したものだ。けれど、これらは違う。

「新旧を探っても、あまり効果はなかった」

「だろうよ。古いのはどう考えたッて雨天だし、そこに何が続いたところで、まァ全部を繋げる糸はねェと、そんな確認ができるだけよな。けどなベル、俺はいわゆる策士として、この状況を見た時に、こう考えたわけだ――」

 それは、新旧ではなくて。

「――この状況を〝利用〟して糸を張るなら、何をどうした場合において、それは意図が発生し、効果的な場を作ることになるのか?」

「先の話か……さすがに、そこまでの考察はしていない。簡単に言えば、現状況において、何かしらの策が巡らされているのなら、それは何に対しての策か、それを探れということだろう?」

「まァな。けど、これがまた厄介でなァ……」

「そこからは俺の知らない情報だ、開示には注意してくれ」

「わかってるのよな、これが。ただよ、ベル、たとえばだ」

 そう、たとえばなんだが――なんて、妙に嬉しそうな顔で笑いながら言うのは、さて、何故なんだろうか。

「発生が今からざっと三十年くれェ前だとして――」

 だとして。

「ここから先、二十年ぐらいを目安にしてまで、その策ッてやつの手が伸びてるとしたら、どうよ?」

「……たとえ話であってくれと、俺は酒を一本空ける」

「はははッ、そりゃァいい。キジェッチ・ファクトリーの酒なんか、度数も高いし美味いぜ? 入手は難しいけど、お前ェならそう手間もかからんだろうよ」

「そいつは良い情報だ、覚えておく。名前は知っていたが、飲んだことはなかったからな」

 しかし。

「どうして俺なんだ?」

「アブじゃ足りてねェのよな、これが」

「ほかの三人は度外視か」

「マーデなんか更に除外だよ。あン時はああ言ったが――すぐに気付くだろ。俺みてェな策士が、本格的な〝策〟を動かせるのは、せいぜい三度くらいが限界だッてよ」

「まァな。そのための手駒として俺を?」

「それは、半分だ。残りの半分は、紅音あかねと一緒だよ。お前ェがどこまで行くのか、興味がある。アブもそうだけどよ、俺らにとっちゃ、お前ェみたいなのは〝天敵〟だからな」

「敵――か」

「敵には回さねェよ。そうなった時点で終わりだ。勝ち負けもねェ。俺に言わせりゃ、将来的にはアブなんかも、マズイ部類だよ。こっちが千回殺す中で、あいつは一度俺を殺せる」

「現実的な物言いじゃないな」

「ところがどっこい、お前ェら二人に関して言えば――その一回を、千回の中の最初に持ってくるのよな、これが。それが〝見えた〟時点でこっちが退けば、次にやり合った時はもっとマズイ状況が待ってる。だから手出しはしねェ」

「……その見解も参考にはなるな」

「お前ェから情報抜いてるし、対価は適当に貰ってるから、気にするなよ」

 設計図も見せたし、レインとも顔合わせをした。その上で、レインに仕事までさせたのだから、この青色がどこまで考えていたのかを読みたくもなる。だが、読んだところで、おそらく先読みできないだろうこともわかるので、なんだかな、だ。

 ベルが未熟なのか、それとも――。

 広い駐車場に停めるが、相変わらず車の数は多い。職員だけでなく、学生も使っているのだから仕方ないとはいえ、それだけのスペースを確保したこと自体が、このVV-iP学園の広さを象徴しているように思う。

「きたことは?」

「下見くらいなものだ。学園長に挨拶もしていない」

「だろうよ。何しろ今は〝死人〟同然のお前らは、好き勝手動くにも制限がかかる。代理人を立ててどうにかなるようなモンはともかくとして、てめェで人脈を作るには向いちゃいねェよなァ」

「実際に認定証は持ってねえ」

「知ってる」

 向かう先は教師棟。駐車場に面した背の高い建物であり、一階当たりの面積はほかの建物に比べて狭いが、総面積は似たようなものだろう。それだけ高い。野雨の市街から空を仰いでも、だいたい見つけられるくらいだ。

 エレベータに乗り込むと、蓮華がカードを通す。それを横目で見ながら。

「いいのか」

「ん? ああ、いずれお前ェも手に入れる代物だ。システムをハッキングしても、なんとかなるだろ。――相手が嫌がるだろうけどよ」

 パネルに新しく表示された地下の番号を押せば、ゆっくりとエレベータが動いて行く。その際に空気の変化を感じたベルは、しかし、気にしない素振りをしておく。それすら見抜かれているような気がするが、主張は重要だ。

 エレベータから降りると、細い通路が伸びていた。半月ほど前、実家があった場所でも似たような地下室へ繋がる階段を下りたが、こちらの方が快適だ。空調も管理されており、倒壊の心配もなければ、空気が薄くなることもない。

 そうして、二人はたどり着く。

 ――書庫へ。

「いらっしゃーい」

「おゥ、作業中かよ」

「あー、ちょっとメンテっていうか、確認中。初めましてブルー、珈琲なら好きに飲んでいいよ。そっちのは?」

「なんで俺を知ってて、こいつを知らねェンだよ」

「え……気にしてないからじゃないの?」

「俺に聞くな、馬鹿」

 図書館にあるような豪華なカウンター内部には、本が一冊と、自動で動くペンがあり、延延と文字を記している。奥に目を走らせれば、壁がみえないほど遠くまで、書架がずらりと並んでいた。

 だが、匂いがない。

 無機物特有の香りさえ、そこにはないのだ。

 展開されている無数の術陣は、目に見えるよう動いてはいるが、その効果までを見抜くのは難しい。記録しようにも、脳の領域が危うそうなほど複雑だ。

「で?」

「――ベルだ」

「おおう! なんだ、ベルかあ。うんうん」

「俺は名前に拘りがない。鎮痛な顔をしていたコンシスとフェイからの報復、それから変な呼び方が定着したアブは文句が山積しているようだから、面倒だからと俺に回すな。わかったか」

「え、なにそれ」

「名付けのセンスを疑うには充分だと言っているのがわからないのか、――スノウ」

「……わかんない」

 末期的だなと思ったベルはそれ以上言わず、手近な本棚に近づく。

「あ、それは」

 手を伸ばすが、しかし、すり抜けた。

「やっぱり、そうか」

「どうよ?」

「〝認識の錠〟を外すしかないな、これは」

 見えているのに、ない。あるはずなのに触れられない。そういう場合のほとんどが、認識に関係する問題を孕んでいる。人の認識そのものを、どうこうしようというのは、非常に難易度の高いことだが――たった一度でも〝己〟を捨てて、一から始めたベルにとっては、それがどういうことかも知っている。

 己を失くせば、己という器が見ている〝認識〟から逸脱できる。だが、そこまで大げさにすることはないのだ――右腕だけ、認識から切り離し、本が存在する〝位相〟と同化させてしまえば、それは成功する。

 手が触れた、という感覚はなく、視覚頼りに本を引き抜いて、開いた。

「〝圧縮言語レリップ〟だよ、ベル」

「ああ、これがそうか」

「うえ、知ってんの?」

「可能性の一つとして考慮していたものだ。名前は初めて聞いたが、おそらく存在するだろうことは、知っていた。……使えるな」

 速読の要領で数ページに目を通してから、本棚に戻したベルはカウンターに戻り、蓮華から珈琲を受け取ってから、煙草に火を点けた。自動で換気扇が回り始める。

「ベル、説明しろよ」

「ん……そもそも特定の形態を持たない言語だな。おそらく記録者そのもの――でもあるが、どちらかといえば、読み解く側に本質がある。連想……犬と言われて想像するものが人によって違い、また棒を続けて想像するヤツもいるように、だ。圧縮言語そのものは単なる記憶の鍵でしかない」

 収納と、取だし。

 圧縮言語とは、収納の際にラベル付を行うためのもので、それを行うことで高高度圧縮された情報を、簡単に引き出すことが可能になる。ネックとなるのは、いわゆる圧縮と解凍の原理なので、圧縮された情報が多ければ多いほど、取だしの際に大きな情報が展開してしまうことだ。

「現段階じゃ、効率的な使用は見込めない――が、時間の問題だな」

 これでまた一つ、空白領域の確保が楽になる。

「お前ェの〝方法〟には合ってるだろ。つーか、術式の知識はそこまであるもんか?」

「俺の場合は事前知識も含め、だ。施設に入る前に、紅音がぐだぐだと、とりとめのない話をするのを聞いていたからな」

「げ、あんなのよく聞いてられるなあ……」

「……大蜘蛛の説教とどっちがマシだ?」

「んぐっ、――と、ところで? ブルーはどうしてきたのかなあ?」

 それで話を逸らしたつもりらしいが、まあ、いいだろうと視線を投げれば、蓮華は珈琲を飲みながら一休みしていた。

「ん? あー、俺? 顔合わせと、学園に布陣してある術式の調査……ッてところか。もう終わったよ。ベル、この辺りは口に出せる問題じゃねェから気をつけろ」

「諒解だ。しかし……この間抜けたツラを晒しているのが、ハジマリの五人だとはな。紅音の渋面を納得した」

「間抜けって言われてもなあ、心に響かない!」

「胸を張って言うなよ、ばーか」

「それも響かない! もうずっと言われ続けてるから! むふー!」

「いるよなー、こういう情けないけど見捨てられない馬鹿ッてよ」

「癒されないマスコットを囲うクラスメイトに気分を確かめてから言え」

「残念だよ」

「まったくだな……」

「む……これでも、やる時はやるんだよ?」

「その場合は、狼牙ろうがに引っ張られてか? それとも青葉に睨まれてかよ」

「……この子たち可愛くない」

 むすっとした顔で術陣を一気に消した彼女は、迂回するようにカウンターの中に入ると、珈琲を淹れてから椅子に座った。

「あとブルー、最近の動きが〝怖い〟んだけど?」

「どう怖いンだよ」

「なんか、ヤな感じ。私はさー、ほら、記録するのがお仕事だから、それを見てるだけなんだし、先のことはわかんないけど――……私に被害がないなら、いい」

「エミリオンは逃げたぞ、自分の屋敷に」

「……え?」

「ああ、そういえば大蜘蛛の足取りが、日本から消えてたな」

「えええ!?」

「スノウ、紅音のところに行ってもたぶん入れないぜ?」

「ちょっと! ちょっと待って! 父さん締め出し禁止! 私の実家だから! のー!」

「面白いヤツだよなァ」

「だな」

 頭を抱えて突っ伏した彼女は、うーあーと唸っている。

「ちなみに?」

「冗談二割ッてところよな」

「そんなところか。ちなみに――さっき展開してあった術陣は、〝五木〟の認証が必要だな。理事長の席に座るのは、それも一因か」

「忍は今日いねェよ」

「知ってる。藤堂のところに顔見せだろう? 昨日盗んだスケジュールにはそうあった」

「よくそんな暇があったな」

「連中から隠れて設計図を完成させるのと比べれば、片手間で済む問題だ」

「……ちょっとお、物騒な話、しないでよ」

「仕事の話じゃない」

「だよな。ベル、そろそろ二年になるのか? 紅音ンところは?」

「いや――行っていない。一夜にも」

「飯の時間になったら、顔を出すか……あとは雨ンとこだよ。ただなァ」

「なんだ」

「お前ェの後ろを引っ付いて歩いてる橘の零番目、ありゃァなんだよ?」

 何かを言おうとしたら、言い訳じみた言葉が飛び出しそうで、ベルは面倒そうに煙草を吸って、紫煙を吐き出した。

「そいつは、あの女に聞いてくれ」


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