11/04/18:30――名無しの少女・鷺ノ宮の依頼

 その扉を開いて入室すると、お互いの顔が見えない程度には薄暗い二十畳ほどの部屋であることがわかった。忙しなく、とはいかずとも周囲に視線を走らせる様子からして彼女が初めての来訪であることは察せられるが、しかし口元には笑みがある。余裕の、あるいは自信からくる笑みだ。

 背後の扉が自動的に閉まると、一拍の空白を作ってから彼女は軽く肩を竦めた。

「やあ――と、……ふうむ」

「どうかなさいましたか」

 おそらく少女だろう幼さを残す声が途切れると、部屋の主なのだろう落ち着いた大人の女声がゆっくりと訊ねる。顔は見えずとも、いやだからこそか、そこに年齢という垣根を越えた会話が成立するのだろう。

「……ああ、いや、すまないね。この場合は初めましてと言うべきかい? それとも君に合わせて、久しぶりと口にすべきか迷ってね」

 澱みない少女の口調に苦笑の気配が漂う。

「今ここでの出逢いが〝初めまして〟ですよ名もない娘さん。そして私にとってのここが〝ようやく〟なのです」

「そんなものか。まあいいさ、話をしよう。僕はここで立ったまま、君はそこで座ったまま、お互いに近づこうともせずにただ言の葉を放ち合う。それらが結ぶ焦点は、さて、どこにあるんだろうね――」

 その言葉には拒絶、あるいは境界線を引いて隔絶の意味合いを持たせながらも、しかし少女と女性との視線は決してお互いを見て外さない。

「急ぎ足だなんて思われたくはないけれど、まずこれを訊いておこう。どうして僕を呼び出したりしたんだい?」

「――貴女は私共のことに関してどの程度ご存知なのでしょうか、それをお聞かせ願えますか?」

 頷きが二度、それは空気を揺らす結果となり雰囲気として示される。直立したまま腕を組んだ少女は己の知識に打診しながらも口を開いた。

「未来に関する特性を持った魔術師。世界を二分する魔術結社の一つ、魔術師協会から与えられた二つ名は〈刻詠リ・リーディング〉、あるいはコクドクと行為そのものを指す場合もある」

「……まるでカタログデータのようなお言葉ですね」

「辛辣だね、いいさべつに構わないんだよ。この程度で君が誤魔化せるとも思っていないし、僕だとてこの説明を協会がした時には失笑したものさ。そして、だからこそこうも思った――協会にそう思わせておくことで、君たちの家は加盟しながらも本質は隠匿しているのだとね」

「何故、そうお考えになったのですか? 未来を詠むからこその刻詠、それ以上の説明は不要だと――そう思いませんでしたか」

「少し、ほんの少し考えれば陥穽は見えるさ。未来を詠むだなんて馬鹿げた芸当ができるなら、既にそれは人じゃない」

「何故でしょうか」

「不確定性の理を持たない未来ならば、それはもう未来ではないよ。詠むことが未来の確定ならば、あるいは確定された未来を詠むのならば、それは――君たち魔術師が忌避する絶対という言葉を以って、僕は詠んだ未来は外れるのだと言ってやるさ」

 女性は無言を通し、続けろと暗に伝えた。少女は当然のように頷く。

「未来は現在を通過しなければ確定しない。そして、確定したものは過去と呼ばれるものだ。――魔術師は常に矛盾に対する解法を模索する。矛盾そのものに整合性が見つけられなければ術式、あるいはその先に在る法式に至れないからだ――が、しかしこの場合は違うだろう?」

「違いますか」

「違うね。何故なら君たちの行う刻詠は決して外れない。そもそも外れるような事を詠まない――ま、それが表に出ないだけで実際には外れている、なんて可能性を考えなかったわけでもないけれど、違うね。やはり外れないんだよ」

「私共が何を詠んでいるのか、貴女はご存知なのですね」

「言ったろう? 少し考えれば陥穽は見えるとね。だからこれは知っているだなんてものじゃない、ただ察しているだけさ。良い機会だ、これを問うておこう。いいかい? 僕は君に問う――君が詠めるのは、〝世界の意志プログラムコード〟じゃないのかな?」

「――はい、その通りでございます」

「おや、肯定するのは予想外だったな。これは君にとって秘蹟とも呼べるものじゃあないのかい? 僕みたいな輩に対して簡単に言って良いものじゃあないと思うけれどね」

「何をおっしゃいますか。かつては〝識鬼者コンダクト〟と謳われた貴女だからこそお答え申し上げました」

「それは厳密には僕じゃあないさ。――世界は意志を持っていて行動している。自然現象と呼ばれるものによる破壊、それによって示される現実は必ず意図があるものだ。人が利便性を求めたのも、その結果として排斥したものがどういう意味を持つのかも、世界はきちんと今でも教えてくれている。あるいは人が火を熾したのだって世界が手助けし、その道を示さねば事象として発露していなかったかもしれない。君は、いや君たちは、器としてではなく仕組みとしての〝世界〟の意志を汲み取っている。それは思考の断片なのかもしれないね」

 今度は、女性の方が幾度か頷く気配を放った。

「お頼みしたいことがございます」

 そして一言、空気が張り詰めた。まるで背筋を伸ばして居住まいを正したかのような気配に、対した少女はさもありなんと無言で先を促す。

鷺ノ宮さぎのみや家が当代、苑花そのかが詠みし刻をここに宣告致します。――現在、世界は逆鱗に触れられた事に対する制裁措置を模索中にございます。このままでは惨事は世界中に伝播し、崩壊の刻を迎えるでしょう」

「へえ、それは困ったものだね」

 まるで困っていないふうに、あっさりと少女は口にした。冷やっこに落とすしょうゆが切れているんだと、作った後に気付いたような上辺だけの困り方だ。

「お知恵を貸して頂けませんか、殿」

「残念ながらその名はもう誰かにあげたよ。いや、まあ詳しい内容によっては引き受けれなくもないかな――まだちょっと早すぎる。世界がどう思っているのかは知らないけれど、再生を前提にした崩壊であるのにも関わらず、今ここで起きてしまえば人なんてほとんど残らない。その点に関してはどうだい?」

「返答はできません。しかし貴女は、今ではなければ残れるとおっしゃるのですね?」

「……いくつか問うよ」

 少女はさすがに肯定はせず、それを可能とするために主導権を受け取る。

「まず――逆鱗に触れた、これは事実かい? ああ疑っているわけではなく、つまり現在を通過して過去となり、現実として覆らないものかと訊いているんだけれどね」

「はい。誰が、どのようにとはわかりかねますが、少なくとも世界はそれを感じ取ったようです」

「では次に、制裁による惨事――これもまた同様かい?」

「……世界に対して止めろと伝えることはできません」

「よろしい。そして、ああこれが重要なんだ。いいかい? 逆鱗に触れて、制裁がその内に発動し惨事になる――ここまでは変動しないものだ。確定されている。なあに刻詠の言葉を疑う程に僕は事前調査を怠っているわけではないよ。そして、だからこそ今一度問おう。――崩壊の刻が訪れるのもまた事実なのかい?」

「――はい」

「けれど、僕が思うに……崩壊の理由は逆鱗に触れたから、ではないね? 惨事の結果として崩壊する――ここは、厳密には繋がっていない。何故ならば、惨事そのものが崩壊ならば、君は最初からこう言ったはずだ。制裁が発動すれば世界は崩壊してしまう、とね」

「それは……」

 驚きの気配。どうやら女性は自らの言葉に、世界の意志を詠んだ事実を、そこまで見抜いてはいなかったようだ。

「けれど確定はしている、ここに間違いはない。そしてここに陥穽がある。君は、そうだね、君自身が世界に対する意思表示の手段を持てないでいる――つまり、わからない。違うかい?」

「おっしゃる通りでございます。私共は意志を詠み宣託をする、それ以上を自身の手で行えば詠むことそのものを否定することになりますから」

「僕みたいな若造に宣託する気持ちも、まあわからないでもないけれどね」

 少女は問う。

「その惨事が起きる刻限を、君はどう見ているんだい?」

「おそらくは十日から二十日の間であると――これは確定ではありませんが、少なくとも十日はかかると、これを最低ラインと考えています」

「そうかい」

 言って、沈黙が降りた。

 静寂とは違い、人がいる気配をそこに残し、少女は視線を女性から外して軽く歩くことで思考しているようだった。故に重苦しい沈黙ではない――そして女性は、待つことを苦に感じてはいなかった。

「場所の予測もできていないね?」

「はい」

「ふうん……そうだね、不可能ではないだろうけれど情報が少ないな。つまりは人間に対抗手段があり、まだ崩壊するには準備がいるのだと世界が察する程度に被害を抑えればいい。ただし」

 少女は再び女性を見る。

「この場合、君にも役目を担ってもらわなくちゃいけない」

「私共は先も申しました通りに――」

「わかっているさ、直接介入しろと言うわけじゃあない。言の葉で軽く縛ってやるだけさ。縛る――束縛するという行為は、身動きを押さえ込むのと同時に〝きつく〟締めるなんて意味もある。これは固めるってことだ」

「ええ、それは?」

「日本にいる魔術師の家名にね、鷺ノ宮なんてのがあるんだ」

 先ほど女性は自らの姓を謳った。故にそれは何の意外性もない、皮肉のような言葉だ――が。

「そして陽ノ宮ようのみや花ノ宮はなのみやがある。姓だけを見れば関連性があるように思えるね?」

「――」

「君が望むものとは違う結果になるかもしれないが、いいよ、僕が少しどうにかしてみよう。ただし惨事は決して回避できないし、いつか崩壊も起こる。君は今のままでいい、何もしなくていいさ。たぶんね」

「私共は、貴女に依頼して良かったと思える結末を望みます」

「それでいいさ。望むだけならば誰だってできる。けれど忘れないで欲しいね――僕は何かを借りたりはしない。受け取ったものの悉くを誰かに譲渡する、受け渡しの片方だけを延延に続ける異端者だ」

 苦笑し、肩を竦め、そこを出るために少女は背を向ける。

「だから僕も望もう、これだけは何の制限もなくできる」

 扉を開いた。

「どうか二度と、僕に頼みごとなんてしませんように――ってね」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る