11/09/19:00――嵯峨公人・魔術研究
魔術師とは一体何のか。
この問いに関しては誰でも簡単に答えることができる。それこそ一文で済むほどに簡潔で、理性を含めれば納得はできないかもしれないけれど、少なからず理解はするはずだ。
つまり、魔術師とは魔術を扱う人種である。
しかし魔術とは何なのかと問われれば、おそらく定型句と呼ばれるものがない。何故なら魔術師は己の魔術を他の魔術師と同一の捉え方をしないからだ。そして魔術師ではない人間は、魔術が何であるかを本質的に理解できない。
魔術とは学問であるべきだと、魔術師ではない彼女は言う。
「じゃあ学問とは一体何なのか、という話になるんだよ。学者というのは探求者たるべきなんだ。自身が望むそれを追い求める人間を、僕らは学者と呼ぶ。おっと、辞書上の意味合いからは逸脱していないはずだぜ、知識を持つということは学者として当然だからさ。魔術というのはね、特性がなくても得ることが可能なんだ。学問だからね――では何を追い求めるかと問われれば、僕はこう答えるとしよう。〝
そう、魔術は特殊なものではない。ただ己の魔術回路に魔力を通すことで、世界法則(ルールオブワールド)に則って実現可能な範囲の現象を引き起こすものでしかないのだ。
火を熾す。昔ならともかく現代ならコンロのスイッチを入れるだけで済む。そのコンロの仕組みそのものを、魔術回路に置き換えかつ、ガスを魔力と変換すれば魔術によって火が熾せるわけだ。
「では、どうして火が生じるのかと疑問を抱く。原子的な配列を想像し、それを組み立てる。――どうすれば、どういう手順を踏めば、発生させるのではなく火そのものを創造することが可能なのか? その手法に至った時、魔術師であると誇れることだろう。ただし現実として、魔術は火が生じる法則を使って火を熾すけれど、魔法は火が生じる過程そのものに干渉することが可能となる。つまり、火の支配者ならば魔法師ということになるね。まあこれは人間という器の限界がそこだ、という証明でもあるね。法則に至るなんてことはありえない。明確な区分がそこにあるからさ。けれど、そうであったところで一世代で至る魔術師は少ない。故に子子孫孫に継承するのが魔術師の常だ」
何故かという疑問を、
魔術が学問であっても、魔法は学問ではなく在るものだ。学問とは手段で、だからこそ汎用性もあり多くの領域を持つ――が、結論とはその単一で確立するものだろう。
公人は魔術師だ。
生まれつき、親から継承したわけでもなく魔術師だった。その本わから逃げようとは思わなかったし、今では目的もあるため研究を続けている。
時刻は十八時を目前とした頃合。この喫茶店には学校帰りの学生や仕事帰りの社会人が多く立ち寄り、座る場所が埋まる程には繁盛している。公人がここにきたのは二時間も前のことで、入り口から最も遠い二人掛けのテーブル席を占領し、厚い本を開いている。また隣にも厚い白紙の本が開かれており、時折万年筆を持つ手が動きメモを取っていた。
ワイシャツをズボンから出しながらも、きっちりと季節に合ったネクタイを締めている。十一月であるため必須とも言える防寒具であるコートは対面の椅子にかけられていた。その様子を見て誰が中学一年生だと思おうか。確かに背丈は低いものの、ただ低いだけで勤勉な姿は大学生にすら間違うこともあろう。この喫茶店にいるどの学生と比較しても、公人の方が年下だとは思うまい。
公人の耳に雑音は一切入っていなかった。おそらくドイツ語と思われる書物を見る人間も他にいなかったし、ただ己の世界に埋没しているような感覚を彼は享受している。
「疑問は大切なんだぜ。疑問が発生しなければ、先に進めないからだ」
しかし疑問が多すぎてもいけないと、苦笑しながら彼女は言った。それを公人はずっと覚えている。
考えることが多すぎても身は荒んでしまう。だから適量を考えながら、解決をしながら進めばいい。そして保留を念頭にし、実践を考慮して歩いて行く。決して走らずに、しかし体力を残していつか走る時がきても困らないように。
公人の
ただの刃物を創るのは簡単だ。同一の質量があれば、金属物質を刃物の形に変更できる。そこに小型の魔術回路を含めて変化させれば、いわゆる魔術品と呼ばれる刃物を創れる――が、しかし、今はそこで止まっていた。
どうすれば、何もないところから刃物を創れるのかがわからない。その根源的な理由を模索している最中だった。
公人が読んでいるのは、基礎魔術に関することが記された魔術書。特に原理に関して深く追求している書物だ。かつて読んだことのある魔術書だが、今になって読み返すと違う意味で捉えられる事柄が多く、勉学には実に適していた。
公人は思考を口にしない。手を動かしてメモを取り、それを視覚情報として取り込む方が理解が深まる。彼女のように聴覚情報から取り込む方が難しく、理解の及ばない範疇だ。
時刻が十九時を回った頃、ぱしんと何かが叩かれる音で公人は意識を外へと向けた。何事か――そんな疑問を浮かべながら手を止め、ゆっくりと書物から顔を上げると、呆れたような表情で少女が対面に腰を下ろしていた。
「ん……よう」
左手の腕時計で――自動巻きのシンプルなものだ――確認し、ふうと吐息をしながら本を二つとも閉じ、そこでようやく空いたカップに珈琲が入っていることに気付く。
小柄でありながらも、少しふくよかな体躯を持つ少女の名は
「もういいのか」
「あとは常連さんばっかりだし、店長も休憩入れろって言うから。んー、自主的に手伝ってるんだから、べつにいいんだけどね。それより随分と前からいるよね公人。集合は確か二十二時くらいだったと思うんだけど……」
「覚えておけよ。――まあ、時間に正確なヤツじゃないのは知ってるが。俺は帰宅してまたくるのが面倒だっただけだ」
「あれ、でも制服じゃないでしょ。帰宅したんじゃないの?」
「学校や駅前のロッカーなんかに私服は忍ばせてる。制服が嫌いなんだよ」
「そっちのが面倒だと思うけど。まあ駅二つじゃ、仕方ないか。珈琲、サービスね」
「ああ……悪いな。長く陣取ったが迷惑はなかったか?」
「だいじょうぶ。迷惑だったらちゃんと言うから。仕事だしね」
「そりゃそうか」
珈琲を飲み終わった手がぱたぱたと躰を探り、しかし煙草を発見できずに肩を軽く竦めた。未成年の喫煙は国家の赤字増加と煙草税増加と共に規定年齢が下がったことは、今更説明するまでもないが、現在では煙草一箱が六百円ほどで、喫煙可能年齢は十二歳となっている。もっとも、この金額なので手を出す人間も少なく、喫煙可能場所も激減しているのだが。
「狼牙はどうした」
雪芽の弟である
「さあ、どこにいるのかな。放浪癖があるし気にしてないよ。そっちは研究、進んでるの?」
「遅遅とはしてるが、進んでる。ただ前へか後ろへかはわからない」
「へえ、後ろに進むこともあるんだ」
「進むことに変わりはないだろ。後退も見方を変えれば進んでいるのと同じだ」
「ん、それもそっか」
「……お前ってある意味で素直だな。そこは納得するとこじゃないと思うぜ」
「そかな?」
「見方が変わっても目的が設定されている以上は、後退は遠のいているだろ。前進しなくっちゃ到達できない」
「そっかあ。うーん……あたしは公人みたいに明確な目的はないと思うけど」
淡白なのかなと雪芽は頬杖をつきながら考えてみる。実際に公人の言うことは確かだと思ったし、そんなものかと他人事に考えていた部分もあった。疑問は――ない。嘘をついているわけでも、雪芽を困らせようとしたわけでもなし、本心ではないにしろ疑惑はそこに存在しなかったのだから、肯定しても問題なかったはずだ。
というより、否定する要素が一切なかった。だから納得して頷いたのだ。
「でも、どうしてあの子は呼び出しなんてしたんだろうね」
「お前……まさか、あいつが来ればわかるとか思ってんじゃねえだろうな」
「へ?」
図星だった。
「想像とかしろよ。思考しろ、熟考しろ、理由も意味もそこには必ずあるものだ。それが自分じゃなく他人に向かうものだとしても、ないことはないんだぜ」
「いやでも、ほら、くればわかるじゃん」
「前もって考えておくのと、わかることは別物だ。狼牙が頭を抱えるのも頷ける話だぜ、本格的に脳が天気だな」
「……あれ、それ馬鹿にしてる?」
思わず公人は机に突っ伏した。どう考えても馬鹿にしている以外に聞こえはしないだろうそれに、確認を取らないとわからないのか。
「雪芽には思考するって行動が抜け落ちてるな」
「そうかな? でも、流されてるだけじゃないと思うんだけど」
「あいつの台詞じゃないが、お前は流されていないだけだぜ」
「そっか」
「そっかって……ああもういい、お前とはどうも話が合わないな。成長しろ成長」
「失礼な。青葉より胸はおっきいよ?」
「そういう意味じゃねえよ……」
両手で胸を押し上げられ強調して見せられるが、どっと疲れが押し寄せた公人は、大きく吐息して珈琲を口にする。
「――ん? そういやあいつは誰を呼んだんだ?」
「んーっとね、たぶんあたしと公人だけだと思うよ? 紅音(あかね)はくるかもしれないけど」
「どうせ厄介なモンを持ち込むつもりなんだろ」
「かもね。くればわかるってば」
「それはもういい。やれやれだ、行き詰ってるし思考を変えるか――」
「夕食はどうする?」
「……ん?」
「だから夕食。うちで食べるんなら、賄い作るよ? あたしが。ここ重要だから」
「べつに重要じゃないだろ。――いらね。ああ気を遣ってるんじゃない、空腹感もなくてな。それよりも紅茶を作っておいてくれないか」
「あれ、そういや珍しく珈琲よね。同じもの持ってきたんだけど」
「ああ。……どうしてだろうな。きた直後には珈琲を飲んでみようと思ったらしいんだが、記憶にない」
公人はなぜか紅茶が好きだ。どの喫茶店に行っても大抵は紅茶を頼むし、自宅には最低でも三種類の茶葉が用意されている。もっとも金銭的に困っていないからこその趣味かもしれないけれど。
「別に飲めないわけじゃねえし、いいんだけどな。だがあれは駄目だ、缶コーヒーと炭酸飲料。あれだけは駄目だ、どうも性に合わない」
「あたしはそうでもないかな。わかった、紅茶の準備はしておくね。他は?」
「特には。……閉店は確か二十時だったか? しばらく陣取る、何かあったら声をかけろ」
「はいはい。あたしもそろそろ――おっと、ありがとうございました!」
店を去る客に声を上げながら立ち上がった雪芽は、エプロンを片手にそのまま厨房の方へと歩いていく。
知り合ってから――そろそろ一年くらいになるのかと、珈琲を飲みながら思い馳せる。
漠然と魔術を独自に学んでいた公人は、アイツに出会ってから目的意識を強く持つことができた。目指すもの、到達するもの、そして何より自身が刃物を創造することを好むことで足を進め続け――今も、それは続いている。
雪芽と狼牙、奇妙な姉弟に出会うのに事件は発生しなかった。まるで引き合うように、当然のように出会い――それから他の二人も繋がりを持つ。
何に向かっているのだろうかと公人は視線を僅かに右へと落として模索する。
関連性はあらゆる状況に於いて発生し、それを把握するのは困難だ。いつだとて後手――つまり結果が出てからこその過程であり、過程そのものから結果を推測することは実に難しく、それが自分で組み立てるものでなければなお更難しくなる。
けれど、想像しなければ到達することは決してない。
「君がそれを望んだのが、僕の影響であれば――残念ながら落胆せざるを得ない」
否定ではなく落胆を選択した理由は何なのだろうか。彼女ならば公人の意志を否定することも、拒絶することも、停止させることも可能だったのにも関わらず、あくまでも自身の感情を落胆という言葉で示した。
何故、か。
「何故ってそれは僕にとって朗報だからだよ。もしも到達したのならば僕は少しばかり感謝を抱いてしまうくらい、それは好ましいことだ――けれどね、だからこそ僕は僕の感情によって君を利用してしまうと、残念ながら僕は落胆してしまうってことさ」
そうだろうか――。
自分の感情を押し付けたくはないが、公人にしてみれば彼女の役に立つのならば喜ばしいことだ。ただでさえ貰っているものが多くあるのに、少しでも返したいと思うのは心情として道理ではないだろうか。
「だからだよ」
彼女は肯定した。
「君から返してもらったものを、僕は誰かに渡さなくちゃいけない。落胆したくもなるぜ」
ならば、それを公人が納得しているのならば問題はないだろう――。
結局のところ、公人は借りを作ると返したくなるのだ。しかし貸しを作ろうとは思わない。彼女と公人の関係は、言語化が難しい、あるいは罪と罰のような――原因と結果のような、ひどく微妙な関係だった。
友達と言われても否定しない。仲間と呼ばれても否定はしない――が、やはり肯定もしないだろう。
崇拝の念に近いのか、それとも信仰の対象? むしろ親愛に近いのか。
その言葉が浮かんだ瞬間、失笑が自らの口から零れた。親しいも愛しいも公人と彼女との間には存在しない。そんな単純かつ明確なものではなく、しかし困難でもない、やはり微妙な関係なのだ。
再び本を開いた公人は、魔術的な観念からなから有を生じる手法に関してを集中的に模索する。完成形の精度、使い勝手などあらゆる面でそちらの方が得となるし、おそらく現在の手法よりも幅が広がるはずだし、何よりも、位牌を模した黒色の金属を持ち歩くのが面倒だ。
魔術師は魔術を探求すべきである。
公人は彼女の説明に対し、反対の言葉を口にするつもりもなかった。
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