06/13/11:20――名無しの少女・必然の集合
喫茶店内部の雰囲気ががらりと変化した。けれど、何がどう変化したのかを説明はできない。ただ公人がわかったのは、
とりあえず切り替えよう。落ち着き、一つずつを順番に解決していくべきだと深呼吸を一つ。それから。
「よお、ネイムレス。昨日の今日じゃねえか」
「あはは、エミリオンの嫌味は今日もなかなか冴えてるね。僕としてはこんなに早くとは思っていなかったんだけれど、どうして、紅音が見つかったのなら仕方ないさ。そういうこともあるだろう。ちなみに誰が発見したんだい?」
「公人くんだよ――珈琲で良かったかな、どうぞ」
「やあ一夜、宣言通り今日は正面からさ。珈琲はいただくよ。それにしても、エミリオンが? なるほどね、そこの辺りどうなんだい紅音。……――はは、まさにその通りだ。逆だね、エミリオンじゃなくちゃ見つけられない。うん? いや君たち、いつまで突っ立ってるんだ? エミリオンを見習って落ち着くんだね」
とはいえと、彼女は笑う。
「驚くのも無理はないさ。けれど、あれこれ質問に答えるのは面倒でね、どうなんだいエミリオン、事情は聴いているかい?」
「それなりに。青葉にも狼牙にも逢ったって? 目的がなんだか知らんけど、あれか、何かを渡したとか」
「目的は今、この場にいることさ。この野雨に魔法師が揃うだなんて、まあ、紅音のこともあるから必然的ではあるけれど、僕が意図したものじゃあない。だとしてもだ、ここに僕が紛れている異常性に関しては、そうだね、まだ君たちには理解できないだろう。それよりも、なんだいエミリオン、僕の予想していた通り青葉を拾ったんだね」
「お前が想像してたのかよ……放置しとく選択もできたんだろうが、俺は選ばなかった。そんだけの話だ」
「ふうん、なるほどね。けれどエミリオン、これは助言だけ――うん? なんだい紅音。ああ、そりゃ決まってるさ、〝創造理念〟ってことだよ。合ってるだろう? 似合ってる? まあそうだけど……ああ、うん、あははははは、そりゃいい。確かにエミリオンはその特性から〝
「エグゼ? まあいいが、会話が成り立つんだな」
「成り立たせてるだけさ。で、助言だけれど、蒼の草原にはしばらく近づかないことだ。エミリオンが簡単にくたばったら面白くないからね」
「諒解」
「――失礼。確認と質問を一つずつ、構いませんか。……フェイク」
「偽物? いや贋作だと? それもまた的確だ、人として、ならばね。なんだい狼牙、いいよ言ってみなよ」
「まず確認ですが、あなたが私に渡したモノは知識の塊でしょう」
「それは君が、君と青葉がよく知っているはずさ」
「では――何故、渡したのですか」
「君は、縁を合わせるのに理由が必要なのかい?」
「しかし、……いえ、失礼しました。ありがとうございます」
軽く頭を下げた狼牙は席に戻る――が、青葉は大して気にした様子もなく公人の隣に座った。座ったが、特に口を開く様子はない。聞きに徹するつもりなのだろう。
「もう少し突っ込んでくるかと思ったけれどね」
「引き際は心得てるんだろ。それに、どうせお前のことだ、以上は答えねえ気がしてならんけどな」
「どうかな? 僕としては現状にいささか安堵している状況だし、口が滑るかもしれないぜ。気が抜けている時ほど言動には注意しなくちゃいけないけれどね」
「抜けてねえだろ……」
言葉とは裏腹に、彼女から受ける気配はかわらない。ただ、公人としてはそれほど興味もないため、それ以上突っ込むことはなく、つなぎのポケットからそれを取り出してテーブルに置くと、左に滑らすよう彼女の前に置いた。
「――うん?」
「見てくれ。感想が欲しい」
「いいけれど、期待はしないで欲しいね。今の僕には知らないこともある」
「元――だったか。それもどっかの誰かに譲渡したってことだろ、別にそれでいい。俺は今のネイムレスしか知らん」
「そうやって割り切れることが君の良いところだね。あるいは、ただそれほど興味がわかないだけかな? そうであったとしても僕としては喜ばしいと同時に、また恐ろしくもあるよ。なあ一夜、そうじゃないかい? 結局のところ僕に、いや彼らの、いやいや僕たちにとっての恐怖とは、エミリオンみたいな相手が存在することだと僕は思うけれどね」
「……? そうなのか? 俺みたいな凡庸な野郎が?」
「今の公人くんにはわからないだろうね。けれど、俺も同感だ」
「おっと、なあエミリオン、この金属が何であるか推察はできるけれど、まず一つだけ訊くぜ。一度……か二度、とにかく数回だけ、こいつに衝撃を与えたんじゃあないかい? 綻びはないけれど、残滓がある」
「ああ、知り合いに一撃だけ入れさせた」
「一撃? おいおい、それに間違いはないんだろうね?」
「ねえよ」
「ははは、君の知り合いとやらは怖い人種だね。ああ雪芽、大丈夫さ、来客はしばらくないよ。そんな時間を見計らって、結界も作動したからね。そういうことでだ、ちょっと記録を取ってもらえるかい?」
「んー、なんの?」
「もちろんこの金属のさ」
「いいけど……読めるの?」
「何を言っているのかさっぱりわからないね。そもそも記録なんてものは、誰かに読まれるために残すものだ。その記録を読めないだなんて、冗談の類かい? まあいいから頼むよ、その方がよっぽど詳しくわかるだろうからね」
「わかった。えーと、めもめも……」
「……触れただけでよくわかるな」
「ははは、皮肉なものでね、今の僕は知ることに関しては劣っていて、わかることの方が多いくらいなのさ。けれど記録はまた別物だからね、知識とも理解とも違う領域のものだ」
「どう違うんだ?」
「記録は媒介なんだよ、いわば原点だ。知識はそれを読んだものに与えられ、理解とは知識を己のものにした時に初めて発生するもの。そして、そこには必ず恣意、いや主観が介在してしまう。もちろん、記録それ自体にも主観は必要さ。――雪芽の記録を除いてね」
「そんな大層なもんだったのか」
「ふうん……変な子だとはずっと思っていたけれど、公人もそう付き合いがあるわけじゃないのね」
「世間話くれえはする間柄だ。俺はここの客だしな。青葉だって雪芽とは知り合い――なんだろ」
「ただの顔見知り……何よ雪芽、不満そうな顔ね。実際、学校でも似たようなものでしょ?」
「そうだけど、むー」
唇を尖らせながら書き込んだメモ用紙を渡す間、紅音に一瞥を投げるが少年はずっと笑みを顔に張り付けたまま、こちらを見ている。公人の視線にも気づいているようだが動じてはいない、あくまでもマイペースだ。
「――エミリオン」
「なんだ」
「エミリオン、真面目に問うけれどね……」
言葉にもしたが、雪芽の書いたメモを片手にした彼女の表情は困惑と緊張が混ざり合い、真剣そのものだ。相変わらず公人にはさっぱり読めない短い文字だが、雪芽の記録が正確でなくてはならない、とのことは聞いているし、そもそも公人は疑っていない。
「君はこれを量産できるかい?」
「するつもりはない。どう聞こえるかは知らないが、俺にとってその金属は、もちろん完成形をこうして造ることにも意義を見出しちゃいるが、あくまでも金属の生成過程を追ったに過ぎない。どんな工程を踏むのか、それによってどんな成果が生まれるのかを確認しただけだ。刃物を創るのに、わざわざ金属を生成しなくちゃならんなら、最初から金属を創れと俺は言うね」
「エミリオン」
「量産可能なのかってことだろ、誤魔化しちゃいねえよ。一応はできる。誰でも、とは言わないけどな……まだそっから先は見えてねえ」
「……そうか。いや、君にそのつもりがないなら構わないよ。下手な魔術素材より高額で取引できるし、こんなものが出回るようになったらバランスを崩しかねない。いや、僕で良ければ頭を下げてもいいくらいだ。頼む、量産はしないで流通に乗せないでくれ、とね」
「ああ、気をつける」
「うん。ここから先をどう考えているかは知らないけれど、これはこれで一つの完成形だよ。けれど、なあエミリオン、君はこれを扱うことができないんだろう?」
「ああ、ある程度の試験はできるが、それ以上は無理だな」
「やっぱりね。けれど、……技術となると時間がかかりそうだ。しばらく詰めてみるよ」
「……勝手にしろよ」
「その通り、僕はいつだって勝手にしているさ。ま、雪芽にも何か考えておくよ」
「おいネイオムレス、お前にとっちゃこの状況が必要なんだな?」
「通過点としては必要だよ。僕が出逢うことよりもむしろ、君たちが出逢うことでもあり、やはりそこに僕も含まれている。けれど勘違いしちゃいないぜ、僕は君たちに何かを望むことなんてしないよ。動かすこともね。頼みくらいはするけれど、拒絶するのも君たちの自由だ。そして」
彼女は言う。
「きっと、その理由について知るのは、まだ先の話さ」
「いや、何をしようとしてんのかは別にいい。妙に楽しそうだから気になっただけだ」
「それは楽しいっていうより嬉しいさ。急ぎ足ってわけじゃないけれど、一応の成果がここに出てるわけだからね。地味な作業の果て……いやいや、これからもそれは続くんだ、嫌じゃあないけれど、やっぱり結果が出るまでは不安なんだよ」
「不安、ねえ」
「おっと、なんだいその訝しげな顔は。僕だって不安になるんだぜ? 特にエミリオンは苦労したよ。なかなか縁が合わなくてね」
「知るか。だいたい俺を巻き込もうなんて考えるからだろ」
「いやだって気になるだろう? 何しろ、――君は魔術師としても半人前で、あるいは単なる職人で、狼牙や雪芽と繋がりを持っていたんだ。現状を僕なりに考えれば、ひどく珍しいことなんだぜ? ま、だからこそ青葉とも縁が合ったんだろうけれどね。そう考えれば、あるいは危うかったと言い換えてもいい」
「――お前、如月の姉さんを俺に向けたの、地味な作業の一つか?」
「なんのことだい?」
「……」
「そう睨むなよエミリオン」
「睨んでない」
「まあ誤魔化したのは僕だからね。何故わかったんだい?」
「知ること、わかること、それらを妙に意識して口にしたのは、ネイムレスなりのヒントだろ。最近、容姉さんがよく口にするようになった。識鬼者って言葉も狼牙から聞いてたからな、それで当たりをつけただけだ」
難しいことじゃないと締めくくると、彼女は二度ほど嬉しそうに頷いた。
「なんだい、興味なさそうな顔をしてたから聞き流していたかと思っていたけれど、気付いているじゃあないか」
「興味がないのは事実だ」
「酷いなあ」
「興味本位で誰かに害を成す性格じゃねえだろ。被害を許容するかどうかは別にして、選択権は当人に――渡してる。それがわかりゃ充分だ」
「青葉への対応とは随分と違うんじゃないかい? なあ?」
「そうね、まあ……違うわね」
「状況がまったく違うだろ。青葉は最初から内に招いてる。信用はどっちもしてねえが、少なくとも青葉は信頼してる――まあ、信頼ってよりも責任だな。預かってんのが俺なら、預けてんのも俺だ」
「あ……りがとう」
「殺し文句だね」
「うるさいわよ、ええと、ヴォイドでいいかしら」
「へえ? そりゃまた何故だい? ちなみにそう呼ばれたことはないから別にいいぜ、気に入ったよ。けれど理由は知りたいね」
「私と遭った時に、空間から出てきて空間に消えた――そういう印象を受けたからよ」
「なるほどね。実際には光と影ってところだけれど、上手い表現だ。エミリオンのことを僕が口にしたのは、住処が近くにあるってことと、ある程度性格を読んだ上での判断だ。実際にあそこに飛んでいなかったら、そうはならなかった。つまり、逆に言えばエミリオンが引き寄せたってことにもなる」
「ネイムレス、蒼の草原はどうなる」
「封印指定区域ってことになるだろうね。その辺りは一応手を回して忠告だけはしておいたよ。それよりエミリオン、青葉はこれで死人になった。その辺りはどうするんだい?」
「知り合いに打診して、いくつか考えてはおく」
「――じゃ、青葉はがっこ、戻らないんだ」
「そういうことよ。雪芽は面倒を見てくれる人、ほかに探しておきなさいよ」
「えー、青葉に面倒見てもらった覚えがないんだけど」
「私も見た覚えはないわ」
「なによう」
「……雪芽はこれから時間あるか?」
「え? うん、父さんの手伝いは自主的だし、別にいいよね?」
「ああ構わないよ」
「じゃ、これから青葉の買い物に付き合ってやってくれ。日用品なら俺よりも雪芽のがいいだろ。金――は、カードが渡してあるからそれで済ませ。青葉はそれでいいか?」
「いいけれど、公人はどうするの?」
「俺は、……様子見を兼ねて、ツテをいくつか当たるつもりだ。野雨にはそれなりに知り合いは多い」
「たとえば?」
にやにやと笑いながら彼女が口を挟むが、言う必要はないとばかりに横目で見るだけで口を開かないと、彼女は続ける。
「たとえば雨天? それとも如月か、鷺ノ宮? もしくは朧月?」
「お前ね……」
「いささか偏りがあるようだけれどね、言っただろう? 君と縁を合わせるのは苦労したと。それなりに、周囲の縁に関しての知識くらいは持っているさ。何しろ僕はこの野雨市を拠点にして動こうとしているんだからね」
「そこは、訊いておきたいね。あなたは何故、野雨を?」
そんなものは簡単さと、彼女は笑った。
「一夜、君と紅音がこの場所に居る。それ以上に理由が必要かい?」
その言葉には。
誰も答えられなかった。
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