07/03/10:40――如月寝狐・己の領域に
話は終わったのか――遠ざかる気配を感じながら、いや実際にその映像を見ながら、宇宙空間に浮いているかのような状態で寝狐は後ろで手を組んだ。
音を拾おうとも思わない。唇を読もうとも思わない。ただどんな表情で会話をしているのかを見て、病室から去るまで見守る。たったそれだけのことでも楽しいと思える自分が単純なのか、などと思うと苦笑が落ちる。
この空間はネットの世界だ。今ある場所から飛びあがって見れば、俯瞰すれば、無数のラインが行き来しており把握は絶望的。その一つ一つが電子的信号であり、寝狐の干渉可能な領域である。
昔から、そうだ。今ではとっくに、こちらの世界が主体になっていた。
だからこそ。
「おかえり」
心底から驚いた時に、鼓動がかなり高まることを知ったのは、初めてのことだ。
「うん? 間違っていたかな、だとすれば僕は、いらっしゃいと言うべきだったんだろうけれど、それは誤用になりそうだ」
セーラー服の少女は両手を頭の後ろに回し、その空間にふわりと浮かんでおり、やがて上半身を縦に傾けると、その空間が僅かに点滅しソファのような椅子が組み立てられているのがわかる。
両足を僅かに開き、そこに肘を乗せて両手を軽く組む。ぽかんと口を開いたままの寝狐に対し、ああと、少女は苦笑して軽く手を振ってみせた。
「驚いているのはわかるさ。そして、僕は君の同類じゃあないぜ、如月寝狐。それでもこうして逢う方法は――あったと、そういうことだ。まあそのためには面倒な手順を踏んだけれどね、君と話をしたかったから、大した苦労だとは思わなかったよ」
「え、えっと――」
「何故、僕がここにいるのか?」
「そう、それよ」
「うん、まあいいだろう。今の僕なら説明をする制限もなくなったしね。といっても、君に逢いに来て話をしたかったから――と、そう答えてしまってもいいんだけれど、きっと君が求めているものとは違うだろう。しかし、今の君には考えればわかると伝えても、まあ思考自体が正常じゃないからわからないだろうね。とりあえず座ったらどうだい? その辺りでシステムコードを組み立てれば、椅子くらい簡単に作れるだろう?」
「……うん」
ただ右手を振るだけでテーブルと椅子が出現する。腰を下ろすとテーブルにはドリンクらしきものが出現し、ストローに口をつけながら、寝狐はできるだけ冷静になろうと言い聞かせる。視線は彼女へ向けたままだ。
「ふうん? ……いや、まあ説明しようか。まず僕がこの場所に来ているのは、どうということはない、芹沢の全感覚投入型電子端末だよ。まだ流通はしてないけれど、ご覧の通り、正規の手続きをすれば入手することもできる。もっともテスターと言った方がわかりやすいかもしれないね」
「――でも」
「でも、けれど、しかし、確かに反論を並べたくもなる。その通りだ、たとえネットに全感覚を投入できたところで、ここへ来れるはずがない、そう君は思っているし間違いでもないさ。それだ、いやここか、つまり間違って迷い込むことくらいはあるのさ。繋がりが切れているわけじゃあない――特に今の君は、まだあちら側に肉体を持っている、いや、存在を持っている。ではどうすればいい? この場合は、間違って迷い込むには、その現象を意図的に起こすにはどうすればいいのか――だ」
「間違ったものを、意図的に?」
「いいかい、迷い込むことを意図的に起こすことは可能だ。そして偶然とは、手順が明確でないことなんだよ。となれば手順さえ明確にすれば、それは必然として確実なものになる。まあ僕が今回使ったのは縁を合わせる手法だね。僕は先日――おっと、この話はオフレコだぜ? ともかく、如月容にコンタクトを取っている。ま、あちらの場合も縁を使ってはいたが、面倒も多かったね。ちなみに、
「……ちょっとわからないわね」
「だろうね。つまり、世の中には特定の誰かと逢いやすくする方法があるってことさ。僕はそれを利用してここまで来た――迷い込んだ。君に逢うためにね」
「この広い世界で、ここをピンポイントで?」
「あちら側だって広いさ、ここと同じくらいにね。どこに居るのかはわからなくても、君は確かにここに居る。だとすれば逢うのはそう難しくはないさ、あちら側と同様にね」
「――難しくない、なんて言えるあなたはどうかしてる。その姿、アバターじゃないんでしょう? 私と同じ人種って言われた方が納得できる」
「アバターじゃないさ、その辺りの設定は面倒だったからね。僕はインターネットに触れる機会がほとんどないから、そちらは素人さ。あくまでも自称だけれどね。今の僕は魔術師じゃあないし、君とはかなり接点がないね」
「……そう」
「そうさ。ところで、そのドリンクは一体なんだい?」
「プログラムコード」
「それはわかるさ。五感も共有しているのなら君にとってはドリンクなんだろうけれど、雰囲気以外にもきちんと効果があるものかい? 座れと言ったのは僕だけれど、肉体的な疲労もあるのかと思ってね」
「そりゃ多少はあるし、効果はあるわよ。私だって人なんだから」
「なるほど。……いいかい? 今の僕にはあまり制約がない。だから君に、おそらく現実的に起こりうるだろうことを訊こうと思う。気を悪くしたなら消えてくれ、それで構わない。どうせ次もないだろう。これが、僕の本題だからね」
「……なに?」
「君にとって」
彼女は笑いを引っ込め、けれど意図的に片方の唇の端を吊り上げながら言う。
「あちら側の肉体の消失は、困るかい?」
「――」
「問われたことがないって顔だね。けれど、君はじきにそうなる。ああ、もちろん、現状で違う以上は、かもしれないと付け加えるべきだけれどね、その辺りは気にしないでくれ」
「私が、死ぬと?」
「なってみないとわからない」
「……私は、こちらの世界で生きているのなら、それでもいいとは考えたことがある」
「つまり、あちら側の存在が消えてしまっても、この世界で生きているのならば、君はそれで構わないと――そのくらいのことは考えたわけだ。なるほどね、まあ遠からず容が君に似たようなことを訊いた、いや訊くことだろうから、予行演習だと思ってくれて構わないよ。しかし、君もまた、自分の術式を使ってはいないんだね」
「――え?」
「何に、驚いたんだい?」
「使ってはいないって……」
「なんだ、君も、という部分じゃあないんだね。誰と比較したんだと問われても答えるつもりは今のところないから、別に流されても構わないんだけれど、言葉に嘘はない。如月は魔術師の家名だ、そして君もまた同様に魔術を扱える。けれど、存在そのものの特異性が君から〝発展〟の文字を忘却させ、向上心と自身への理解が届いていないのが現状だ」
「それは、そうかもしれない。でもやるかどうかは私が決める」
「その通り。けれど、選択肢を見ていないんじゃ話にもならない。もっとも、僕は強制しようとは思っていないよ。もちろん、君がそれを面白く思ってくれるのならば、足を踏み出すのならば、僕にとってこれ以上嬉しいことはないだろうね」
「あなたは魔術師?」
「違うと、言ったはずだよ。本来ならそれすら、君には理解することができる。ただ……現状では難しい。君が足を踏み出していないこともそうだけれど、それ以上に、君の――あちら側での肉体が足枷になりうるからだ。もちろん、難しいだけで、できないとは言わないさ。何しろ、僕がやるわけじゃあないし、僕にはできないことだ」
「……そう。だったら、私には何ができるっていうのよ」
「世界を広げることさ。いや、違うか――世界を認識することだ。君の本質はね如月寝狐、ネットワークを俯瞰することでも、同化することでもない、その世界に干渉をすることなんだよ」
「この世界に?」
「それだけじゃないさ。何しろ君が本来干渉すべきは、こんな小さな世界じゃない」
「――」
「電子ネットワークは、単に君が最初に接触した世界だったってことさ。そして、ここは世界の一部だ。さっき縁と言ったように、君は、人と人との縁によるネットワークにすら干渉することができる。そして、あるいは、確定はしないけれど、君は世界が構築する人間のデータにすら干渉することが可能かもしれない」
「人と人とのネットワーク……」
「あるいは、人が世界に接触している繋がりだね。誰がどこにいて、誰と繋がっているのか――ま、そうは言ってもどこまで君が干渉可能かなんてのはわからないし、ああ、うん、そうだね、今の僕ならば胸を張ってこう言える。それは――知らないことだ、とね」
もしくは、知ることができない、だ。
「ま、そのことに関しては、容から話もあるだろうし、僕はこれ以上言わないよ。さて、僕はある人物から頼みってやつを受け取ってしまってね、それを君に渡そうかと思って来たんだ。本当はそっちが本題で、これは今の君でも充分にできることでもある。ああ急ぎじゃない、そして断ってくれてもまったく構わない。そのつもりで話をするけれど、いいかい?」
「聞くだけで済むなら、いい」
「ま、そう難しいことじゃないんだけれどね――君にとっては。君はハンターズシステムを知っているかな?」
「それ嫌味?」
「はは、確認みたいなものさ。君はネットワーク上にある、あらゆる情報を簡単に仕入れることができる。セキュリティなんてものは、他人の家の玄関口より簡単に開けるだろうね。まだ発足して間もないのはわかっているかな」
「いろいろ、私が考えるだけでも問題があるのはわかってる」
「まだ若い――といっても、僕よりは年上らしいけれど、現役からの依頼らしくてね、つまり現状では退廃的な、旧体制から逸脱することはできないと考えているらしい。まあ僕から見ても、米軍の弱体化とは表向きに打って出てはいるけれど、それを個人としたところで、軍部の仕組みそのものに変化はない。となれば、米軍お抱えになるだろうし、ならなくても軍部ないし国家そのものが扱う手足になりかねない。いわゆるお抱えの傭兵みたいなものさ」
「まあ、そうね。兵役制度をなくしても、命を代価にする以上、給金はかなり多いし、個人的なスキル――たとえば情報処理系に秀でている人間なら、それだけで仕事になるけれど、今度はその個人をどの国が所有するかって問題に発展するだけで……そういう話でしょ」
「そう、個人の争奪戦になるのは目に見えている。つまり、米国がそれを独り占めする気だとね、まあ彼は読んでいるらしい。ここからが君への依頼だよ」
「繰り返すけど」
「いいさ、わかっている。まずは聞いてくれ。表向き、一般の依頼も受けられるよう懐を開いているけれど、それが建前なのはわかってる。わかった上で、建前にしなけりゃいい――と、まあ面白いことを考えたわけだ」
「建前にしない……実績にしてしまうってこと?」
「そうだ。まずハンターにランク付けを行う」
「それって――あ、ごめん、続けて」
「そうさせてもらうよ。まあ口を挟みたくなる気持ちはわかるけれどね。彼の考えでは、基本的に依頼の達成数を目安とするらしい……と、順序立てて説明しようか。まず、これはもう施行されているが、ハンターズライセンスを得るためには試験を受けなくてはならない。この試験ではどの程度、依頼の代行者として仕事ができるかどうかを見るものだが、現状のままではままならないと言っていたよ」
「一定技術を持っていれば、だけれど、その一定ってラインが曖昧で、どちらかというと低いと私は思う」
「その通り。実際に水準は低い――誰でも、とは言わないけれど、軍学校を出ていれば大丈夫、くらいなものだ。これではお話にならない。そうだね……これは余談だけれど、君ならどんな試験にする?」
「どんなって言われても」
「そうだな、じゃあ筆記試験と仮定しよう」
「文章題で、回答が五十から百字以上になる設問。私なら三時間くらいの試験にして三百問揃える」
「へえ、なるほどね。面白いなそれは……それとなく伝えておこう。ま、試験はともかくだ、依頼を一般から集めようという話から、区別をつけることになったらしくてね。今の構想では一般からの公募を非公式依頼、そして国家からの依頼を公式依頼とする。そこでランク付けが出て来てね、つまり依頼それ自体にも難易度別にランクをつけようって話らしい」
「……それは難しいわ」
「もちろん、ジャンル別にもするべきだ。現状でもこれからも、一定の実力は必要だけれど、ハンターは専門分野によって区別されるはずだからね。そして、必ずしもランク以上だからその依頼は受けられない、といった仕組みにはしない。失敗すれば次がないとは言わないけれど、次がやりにくくなるのは世界の常だ。それでもなお、やりたいのならば好きにさせればいい。その辺りは実際に仕組みを動かさないと馴染まないだろうね」
「うん、まあね……」
「ここに、ランクを上げる条件を付け加えたい。さっきのこともある、君に訊いてみよう。どうするのが的確かな?」
「的確かどうかはわからないけれど……まず、依頼の達成数。基本的に数が多いと予想できる一般公募を重点的に、そして必ず公式依頼って方も最低限一つ以上はクリアしておきたい。ランクはどういう感じ?」
「仮定だけれど、最低をFとして最高はA……いやSかな、そのくらいだ」
「だったら、まずライセンスを取得した時点で、期限を設けて指定数の依頼を成功させることが、ライセンス使用条件にした方がいいかも。悪用も防げるし、結果が出るから納得もしやすい。それと狩人の個人情報みたいなものをある程度、公開する必要性も。それから、依頼の達成数もあくまで条件として、ランクアップの機会は別の手段を考えるべき」
「つまり、たとえば一年に数度の機会があったとして、そこに参加できる条件が依頼の達成数だ、ということだね?」
「そう」
「……よく思いつくね?」
にやにやと笑う彼女の視線に、寝狐は手元に視線を落としてお皿、その上にクッキーを組み立てると、それを口に入れて咀嚼し、飲み込む時間を空ける。
「暇だったから、考えてただけ」
「僕がこうして訊く以前に?」
「そう。米国の意図を読もうとも思って」
「なるほどね。いいよ、いや悪かった。茶茶を入れてしまったね、続けてくれ」
「えっと……そうそう、ランク付け。まあ言っちゃうけど、私も似たようなことを考えてたのよ。上下関係、あるいは親子関係。成長するために必要な条件指定……。付け加えるなら、私はBランク以上になるためには、つまりCからBへ移行する段階には、Bランク以上の数名が認証する必要性を含めたら、とも思ってる」
「ふうん? それは、ハンターの中に溝を一つ作ろうと、そういうことかい?」
「数ばかりが増えても、弱体化する一方だから。最初の定義が難しいけど、数人がランクB以上に指定されればその後は上手く流れるだろうし……それに、まあ、あのさ、その依頼っていうか考えって、あのジーニアスが言ってたんでしょ? 米国の守護神なんて大層な名前の子」
「言っただろう? 当人からの要請じゃあないさ。確かに発生はジーニアスであったとしても、僕のところに来るまで仲介が三人以上いるからね。ま、そうなるように仕向けた僕が言うものじゃあないけれど」
「全体的な考えは同調できるけれど、実現可能かどうかって意味合いでは同意しかねる」
「だろうね、僕も同意見だ。――そこで、君の出番さ如月寝狐」
「え?」
「実現を可能にしてくれ」
「えええ……」
「乗り気じゃないかい?」
「あなたが何より胡散臭い」
「ははは、その通りだから僕としては何とも言えないな。ま、今はまだ何も言えなくてね。そうだなあ……一年後くらいには、君もわかるとは思うけれど。どのみち僕は野雨を基地(ベース)にしているからね。ただ――君がどうであれ、ハンターズシステムは日本にも導入される」
「――え? そんな話は聞いたこともない」
「だろうね。水面下で動かしているし、今の政治家じゃ気付きようもない。ん……まあ僕が絡んでいる話でもあるけれど、胡散臭い僕よりもあいつの名前を出した方が納得しやすいし、サービスにもなるか」
「知り合い?」
「まあね。昔から少し、名義上は僕の保護者扱いになるのかな? ま、といっても顔を合わせたのは二度しかないし、電話なんかで会話する程度の相手だけれど、企んでいるのは二村だよ。二村議員だ」
「――あの無所属、無派閥、個人営業の二村議員?」
「そう、そして付け加えるなら、あの馬鹿な二村だ」
「それ本人の前で言う?」
「言うよ。僕は当人の前で言えないことは、他人の前でも言わないからね」
「……変な人」
「まあでも、二村が関わっているのは嘘じゃないよ。水面下で動いているのは、二村がほかの議員との繋がりをあまり持ちたがらない人間だし、まだ地盤を固めている最中だからだ。僕もそれとなく指示を出しているから情報が洩れていないだけだよ。ただ日本に施行されるのなら、確固たる制度にしておいた方が導入は容易い。君にとっても身近なものになるだろう?」
「……」
「なんだいその目は。ああサービスがまだ足りないかな。となると僕が出せる情報は……そうだね。これはたぶん君の知らない情報だけれど、――ジーニアスは魔術師だよ」
「は?」
「君とは違う、正真正銘の魔術師だ。特性は〝
「……ハンターにも魔術師が入り込んでる?」
「厳密に言うのなら、魔術師でもハンターになれるってことさ」
「それ、必要?」
「どういうことだい?」
「ハンターの基準として、そのレベルが求められる依頼が、出てくる可能性はあるかってことよ」
「……そこまでの規模のものにしようっていうのかい?」
「それなら、魔術を使う条件が、そのままCとBの境界に使えるかも」
「ふうん、その考えは突飛だけれど悪くないかもしれないね。ただ認知はかなり難しいぜ? 何しろ魔術師協会と教皇庁がある以上、魔術師は基本的に管轄の外には置かれない。公の秘密ってことにしても、うんと首を縦に振るとは思えない」
「うん、そうよね。でも、仕方ないと肯定するだけの実力がランクBにあったのなら?」
「個人で、だぜ」
「もちろん」
「やっぱり君は適任だよ。さすがは如月だと言ったら、君は嬉しいか、それとも嫌かな? まあいいさ。とりあえず」
足を組んだ彼女は指先を虚空に触れて、薄い板のようなデータを出現させてそれを寝狐に向けて投げ渡す。
「ジーニアスへの直通連絡先だ。君の正体を明かさずとも、君の考えをきちんと伝えれば協力関係は築けるだろう。やる気になったら連絡するといい。もちろん、最初に言った通り、連絡しなくても別に構わないさ。その時にどうなるかまでは、僕の管轄じゃあない」
「じゃあ、考えておくってことで」
「わかっているとは思うけれど、やるなら連絡は早い方がいいぜ。おっと、そういえば芹沢からテスターの件が先だったかい?」
「――公人さんから聞いた? 知り合い?」
「いいや、そうじゃないよ。二村の娘が芹沢にいるんだ、その繋がりもあって僕は芹沢に明るいのさ。そして、あそこで試作する端末のスペックを使い切れるのは君くらいしか思い当たらないって事実から推察してカマをかけてみたのさ。当たりだったようで何よりだ」
実際には、公人と寝狐との繋がりも知っていたけれど、それを口にはしない。
「ついでに言っておくけれど、僕の接続状況を逆探して居場所を突き止めても、明日には引き払うセーフハウスだから意味がないぜ? ま、やるっていうのなら止めないけどね」
「……慎重ね」
「処世術だよ、こんなものはね。一ヵ所に留まるなら、相応のリスクを負う必要もある。元より特定の場所を持っていないからね、僕に帰るところもないし、ちょうどいいってわけさ。ま、現状じゃ人付き合いもかなり狭めているから、面倒なのは確かだ」
「そんなこと、意図的にできるわけ?」
「君がこの世界で生活していて、意図的にできない出逢いなんてないだろう? 似たようなものさ、僕にとってはね。何しろ僕は世界から見れば異端、いや――陥穽そのものだ。バグってのは発覚するまでバグだとはわからない。隠れてひっそりとやり過ごせばだれの目にも留まらないのさ」
「……訊いてもいい?」
「返答できるかどうかわからないけれど、なんだい改まって」
「一つの社会を作ろうとしてるのよね?」
「ははは、世界ではなく社会か。なるほどね、良い表現だ。それならば僕は、正面から否定することができないな。そう、社会だ。というよりは仕組みそのもの、といった感じになるのかな。もちろん、ハンターズシステムだけのことじゃあないぜ」
「どうして?」
「そうだね、これは冗談として捉えて欲しくはないんだけれど、僕の存在がそういうものだから――かな。何しろ僕が持っているあらゆるものを、誰かに譲ることができる、なんて存在だ。となれば、僕は喜んでそれを行うよ。結局はその一環だし――とはいえだ、僕ができることにも限界はある。それを見極めることも一つの理由だね」
「それ、ざっくりと説明できる?」
「そうだなあ、縁も合っているし、日本の中心に野雨を据えようかなとは考えているよ。中心といっても都心ではなく、心臓という意味合いだ。人口の話じゃあない、仕組みの大元といった感じかな。まあこの辺りは魔術の領分にもなるし、法式も関係してくる。先の可能性を見越して――ともなると、やはり時間はかかるね」
「私に、手伝える?」
「――それこそ、何故だい」
「あなたが一人に見えたから、興味があって」
「つまりは好奇心かな?」
「付け加えれば、私ができることを知りたい」
「やってみたい、だろう?」
「ここじゃない人のネットワークに私が行く方法は、あるのよね」
「知りたいのかい?」
「そうすれば、あなたの意図もわかるかもしれない」
そうだねと言った少女は足を組み変え、背もたれに体重を預けながら右側で頬杖をついた。
「今の君はね、端末を経由してこちら側にきている。つまり、端末から接続されている電子ネットワークから来ているわけだが、それは云うなれば君自身が端末になっているようなものだ。あるいは同化していると言ってもいい。端末のケーブルから、あるいは無線周波数から一般領海へアクセスしているわけだ」
「そう……かな」
「そうだよ。あくまでもアクセス経路はね。今ここでの君自身はスタンドアローンの端末に近い。仲介した据え置き端末だって、結局のところ君の補助装置でしかなく、使おうと思えば手足のように使えるけれど、ないならないで行動できる。君自身が分相応な能力でね」
「よくわかるわね」
「知っているだけさ――おっと、厳密には知っていた、だ。これにも慣れないといけないな。いかんせん昨日の今日だからね、赦してくれると助かるよ」
「昨日の今日?」
「容にあげたのさ」
「……ふうん。ね、結構あれこれ言ってるけど、いいわけ?」
「それはどっちの意味合いで言っているんだい? 情報漏れに関することなのか、それとも君が知っても良いのか」
「ああ、私は前者の意味合いで訊いたんだけれど、後者の意味も知りたいわね」
「情報漏れに関しては一切気にしていないさ。何故なら君は、こちら側での情報の一切を、あちら側では話さないからね。そのくらいの事前調査はしているよ。もちろん、軽く触れることはある。あるが、君は詳細を語らない。まあ問いを投げられれば答えるくらいはするみたいだけれどね」
「本当、よく知ってるわね」
「そして、ああ、君には知る権利がある。そして、まあ半分は僕の愚痴みたいなもので、教えようと意図したものじゃあないさ。余計なことは言わない、その領分、境界線はきちんと見極めている。それはね、今の君ならばともかくも、いつか必ず知ることになるだろう情報を選別しているからさ」
とはいえと、少女は笑う。
「――君が人のネットワークを俯瞰した時、文字通りの観察者になった時、僕のことを覚えていたのならば、という前提があるけれどね」
「そこに、何があるのよ」
「何もかも――と、答えられればいいんだけれど、そうでもないかな。けれど現状では、君にしか見えないものが確実に存在しているよ。ただし、君はそうして独りになる」
「……」
「そこに人は在る、間違いない。君はソレを俯瞰することで把握することが可能だ――けれど、隣には誰もいない。独りであることを認められなければ、君は特定手段で人と接触することすら困難になる。――だが、それでもまだ、独りであって孤独ではないことが救いだろう。これから、あるいはいつか、必ず僕のようにこちら側から君に接触可能な技術を持つ人物が出てくるからね」
それを是とするか否とするかは、寝狐次第だ。
「さてと、僕にはまだしばらく時間がある。次があるかどうかもわからない、あったとしても三度はないだろうこの出逢いを、ここで終いにするのも君に任せよう」
さあどうすると笑いかけると、寝狐は吐息を落としてドリンクを出現させると、それを彼女へと渡すことを返答とした。
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