09/20/20:00――如月寝狐・ハンターズシステム

 端末を媒介にではなく、人を媒介に人のネットワークを俯瞰することは、そう難しくはなかった。なかったが、やはり肉体が現実に存在しているためか、長く居座ることはできず、また疲労も多く頻繁に行くことはできない。

 けれど如月寝狐は、その肉体の消失が近く訪れることを母親から聞いた。

 生き残るためには、こちら側で生活するしかない。なんだか彼女の言葉がそのまま助言になっていて、あるいは掌で踊らされているような感覚もあるのだけれど、では寝狐自身はどうかと自問した時、出てきた答えはあっさりとしたものだ。

 別にそれでも構わない。

 自分には何ができるか、そして何を望むか。そういった欲求は薄いものの、いずれにせよ寝狐にとっての世界とは現実ではなく、今あるここなのだ、肉体がなくなっても構いはしない。

 ただ、近い内にとはいえ、今すぐにではないので、気に留めておく程度で構わないだろう。容も知ってはいるがわからない、などと言っていたことだ、考えすぎても仕方ない。結論が出たのならば尚更だ――と。

 いつものようにテーブルをチェアを再現して座り、緑色の炭酸系ドリンクをストローで飲みながらいくつかの手順を確認していると、ネット空間に接続した形跡を発見して追跡、五秒後にはすぐに本体を捉え、こちら側の領域へ引っ張り上げた。

 寝狐のいる場所はネットワークを俯瞰可能な位置であり、一般領海の中というわけではない。あるいはその一部かもしれないが上部構造といっても差し支えなく、以前のように少女が来た方がおかしいのだ。今までにそんなことは一度もなく――そして、今回のように誰かを招こうなどと思うことも、なかった。

「――」

「落ち着いてジーニアス、米国の守護神。以前に連絡していた通り、呼び込んだだけよ」

「ああ……お前が如月寝狐か」

 その反応で、唐突な移動に対して驚いていたわけではないのだとわかる。緊迫した空気は驚愕ではなく警戒であり、落ち着いていたかどうかはともかくも、冷静だったのに間違いはない。

 ハンター。

 そう呼ばれる人間がここに居る。

「芹沢から機器が送り付けられた時はどうかと思ったけどな、ここ五日くらいで随分慣れた――と思った矢先に、これか。くそっ、移動経路をトレースできねえ」

 左手が空中に浮いたパネルを叩くと、視覚ラインが展開して窓枠がいくつか表示されるものの、結果は言葉通り失敗のようだ。

 ジーニアスと呼ばれる彼は、背格好こそ少年であるものの、受ける雰囲気が大人びた――いや、老いたように感じる。貫禄があるとでもいえばいいのか、鋭い眼光も隠れてはいるものの強い。

「座ったら?」

「話がある――んだったな」

 新しいチェアを出現させると、その仕組みに眉根を寄せたジーニアスは手で触れてから腰を下ろす。

「気になる?」

「好奇心を失った時点で前進はできなくなる。俺らハンターってのは基本的に、あらゆる分野に敏感じゃねえと生き残れねえ……いや、少なくともほかの連中を引っ張れはしねえだろ」

「悪いとは思ったけれど、ざっと行動記録は洗ったから知ってるよ。口だけじゃないことの裏付けはとれてる」

「ネットに痕跡が残るような下手はそう打ってないはずだがな」

「え? あ、ああ……」

 二十枚ほどの写真を周囲に展開してから吐息を一つ。

「各国の衛星まで完全把握して行動なんて、作戦行動中でもそう簡単にはできないでしょ。私にとっては目の一つだもの」

「どういう技術だ……ああ、この作戦はクソッタレだったな」

「技術というより、私の存在自体がネットを俯瞰できる状況なのよ。どう言えばいいのかしら……どういうセキュリティを組んだところで、意味がないのだけれど」

「言いたいことはわからんでもない。それは生まれ持った体質か?」

「そうね、あるいは術式……か、法式の一つ。おそらく如月の家系のこともあるから術式だろうと結論は出ているけれど」

「如月――魔術師の家系? 初耳だな」

「じゃ、ここだけの話にしておいて」

「そりゃいいけどな……やっぱりこっち側じゃ魔力を感じねえ。肉体はあっちにあるから当然なんだろうけど、妙な感じだ。思考も乗せてるってより、文字で打ってるって感覚がちゃんとある」

「その辺りのフィルタをしっかりやっておかないと、危険信号そのものが遮断される場合があるのよ。それに試作型だから」

「使い勝手は悪いな。特に肉体そのものが無防備になる。ネット内部での情報収集でここまでの投影はいらんだろ、せいぜい拡張現実(AR)で充分だ」

「芹沢はそういうつもりで動いてるわよ。だからその装置は、まあ、個人の趣味みたいなもの――と、製作者が言ってた。何かの小説から影響を受けて作ってはみたものの、睡眠装置みたいで恰好悪いからもういい、とかなんとか」

「相変わらずあの企業の連中は……」

「それ、独自のベースプログラムね?」

「わかるのか」

「どちらにせよ汎用性を求めるなら、自分の癖に合ったベースを自作するしかない。まあ私に言わせれば癖ごと全部お見通しになるわけだけど」

「恐ろしい女だな。電子技術も情報収集にゃある程度必要だ――と、お前のメール読んだぜ。かなり俺の見解と似てるし、構想に関しても頷ける部分がほとんどだ。正直に言えば全部任せてもいいと思うくらいにな、よく見てる」

「ありがとう。だから、こうして逢おうと思ったのは協力すると、そう申し出るつもりだったのよ。ただ現実的にどこまでできるかは期待しないで欲しい。私はそちら側――現実の肉体を、所持していないから」

「していない?」

「厳密にはあるけれど、今だと二時間が限度ね。私が生きているのはこちら側だから」

「……なるほどな。いやそれでいい、状況がわかっただけで満足だ。でだ、俺を調べてたんなら丁度いい、一つ訊いてみたい」

「なに?」

「今の俺に、お前が考える基準でランクを付けるなら」

「――ランクB」

「厳しいな。しかも即答ってことは考えてたってことかよ」

「情報を調べるついでにね。魔術を使ってたところも発見したし、それでもまだ足りない部分がある」

 周囲の写真を消していくつかのグラフを示す。

「この辺りのジャンルに苦手意識があって思考が追いついてない。それとこっちは癖だろうけど、一定の傾向が見られる――つまり、視野が狭い。最大の理由は全体把握が甘いってところ」

「甘いか?」

「甘いというより、全体そのものが個人の集合であることを度外視している……いやこれも慣れなんでしょうけれど、あくまでも個人同士の影響が全体を作り上げてるって部分の根源的な意味合いを把握しきれていないというか」

「しばらく表示させておいてくれ、会話しながら見たい」

「いいわよ……はい飲み物」

「おう――って、ここで飲んでいいもんか?」

「気分の問題よ、そう複雑に捉えなくてもいい」

「ふうん。ところで寝狐、ハンターそれ自体が便利屋になるって考えにはどうなんだ?」

「どうと言われても、……そうね、実際には仲介役として存在することになるでしょうね」

「仲介?」

「今でも裏側と表側は別れてる。たとえば、極論だけれど一般人はこの現実に暗殺代行業なんてものがあることを知らないし、妖魔の存在も知らない」

「まあ、裏側のことだからな」

「けれどハンターの存在が介入することで、その二つを繋ぐことにもなる。当事者はハンターだったとしても、依頼を出すのが裏側とは限らない」

「なるほどな、いわゆるクッション役か」

「だからこそ、高いレベルを要求しないとね。後は、行動場所の確保。表立って動く必要はあるけれど、一般から見れば暗殺代行者とそう変わらない扱いになりそうだから、武器所持の規制……は、あまり効果がないにせよ、ハンターだけの時間っていうのもあればガス抜きにはなると思う」

「日本はその辺り、必要だろうな。被害者にすら人権がねえってのが日本の法律だろ」

「法律じゃないわよ……そうだけど。あと死者にもね」

「そこらへんは二村と相談だな。つっても武術家は怖がられてねえんだよな」

「知り合いでもいる?」

「友人がいる。一人だけな、たまに遊ぶ」

「知ってるけど」

「じゃあ訊くなよ」

「なんとなくよ。戦闘力としてはそうでも、対象が違うでしょ」

「そりゃそうなんだが……非公式依頼のシステムに関しては前向きなのか?」

「やれと言われれば、構わないわよ。というか、そっちのシステムに関しては仮想組みしてあるから、後でコード……は、見せてもわからないか」

「ある程度なら読める」

「じゃあ、そちら側に送っておく。確かめておいて」

「頼んだ。――あ、そうだ。電子戦関係で一つ、世界規模で試したいことがあるんだが、聞いてみないか?」

「言ってみて」

「セキュリティを組んで公開、そこにアタックを仕掛けて特定のワードを引出したら勝ち。こっちも何段階かにわけて――まあ十数人くらい、ざっくりとそんな仕組みを作ってみたらどうだと思ってる。これからはネットに触れる機会が多くなるはずだ、セキュリティ意欲の向上も含めて、メリットになるだろ」

「そっちの方が私向きね。ランク付けだとハンターとかぶるから、そうね、爵位なんてのはどう? いわゆる限定された資格試験と同じで、所持していることがメリットになるし、所持していた事実も残るようにして、名前もアクセスコードそのものも公開、ハッキングそのものを堂堂と行える状況にすればいいでしょ。あとは人数の問題ね。多すぎては意味がないけれど、ある程度は欲しい」

「世界的に見て、百人くらいでどうだ」

「厳密には?」

「そうだな……下から男爵五十、子爵三十、伯爵三十、侯爵二十、で公爵十くらい」

「難易度は、たとえばランクB、今のジーニアスが男爵を取得可能か否かってレベルでどう?」

「厳しいな。だが、そんくらいじゃねえと」

「最初はある程度のコントロールが必要ね。とりあえず五段階のセキュリティを組んでおくわ。後のアタックは一般に任せるけれど、それなりの手出しはするわよ?」

「公表すりゃ各国のハッカーが遊び半分でやりだすだろ。そっちの制御は任せられるか?」

「そうね、私の遊びに付き合えるような輩が出るようなら、楽しめるだろうし、いいよ、やろうか。そういうのなら、二日か三日くらいでできる」

「そういうことなら、仕組みができた時点で連絡してくれ。公表と同時に、俺の知り合いを五十人くらいアタックさせてみる」

「……ジーニアス、一ついい?」

「なんだ」

「どうして、仕組みを確立させて――いうなれば、世界を動かそうと思ったの?」

「そうだな……俺は、アメリカンだ。ビッグサムにゃ世話になってるし愛国心もある。だからこそ、見え透いた虚偽ってのが赦せなくてな。軍部解体、いいじゃねえか。個人になったってアメリカンは世界に通用する、そいつを誤魔化す必要ねえ――と、そういう気持ちが最初だ」

「今は?」

「今もそうだが、やるなら楽しい方がいいってのが最近の考えだ。世界を巻き込んで組み上げるなんて、面白いだろ? 俺はトップに立ちたいとはそれほど思っちゃいねえが、後に残せるモンが一つでもあるなら、俺は満足だ」

「……そう」

 だったら、彼女は?

 彼女も何かを残したくて、遺したくてやっているのだろうか。

「いいわね、それ」

「ああ?」

「気に入ったってこと。直通連絡、渡しておく。あなたのその考えに、私もきちんと手を貸すわ。……ま、気に入らなかったら容赦しないけど」

「ははは、そうしてくれ。その方がよっぽど良い」

「成立ね。じゃあここから、社会ってやつを変えてやろうか」

「おう」

 だったら、遺してやろう、残してやろう。

 自分の存在があちら側で消えたとしても、こちら側で存在できているのならば、その証明を残してやろう。

 如月寝狐という名が忘れられてもなお、残したのだと誇れるものを創る。

 始めよう。

 どうなるかもわからないこの世界で、自分だけにできることを。


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