07/02/09:30――嵯峨公人・如月寝狐
如月寝狐との関係を問われた時、公人はおそらく説明に困る。
それは公人が、少なくともこの関係を思考した時、適切な言葉を選択して表現することができないからだ。
友人だ――と言うのは簡単だ。公人としてはそれに近い振る舞いをしているが、寝狐はそう思っていないだろう。かといってどこかの便利屋だとは思っていないし、公人もそのつもりはない。ただの知り合いだと言うほど離れてはいなかった。
関係はある。というのも、寝狐の両親が公人の父親と繋がりがあるらしく、そもそも公人が未成年であることもあって、保護者を買って出てくれたわけだ。そもそも公人は独り立ちすることに躊躇いもなく、年に一度くらい顔を合わせるか否かという状況だったのだ。
そこで、寝狐の病気があった。
そもそも回復の見込みのない状況であったため、落ち着いた環境ならばどこに入院していても同じ。ならば本籍である東京ではなく、人も少なく落ち着いたこちらへ来た。今まさに到着したここ、公立野雨総合病院の裏病棟――あるいは隔離病棟に入院してから公人は出逢い、数ヶ月に一度は顔を見せに訪れる。あれこれ適当に会話をして終わり、そういう関係だった。
今もそれは変わらない。
お互いにお互いの領域は侵さず、さりとてかかわりを否定せず、やはりお互いに――奇妙な間柄だ。説明には困る。
時計に目を走らせればまだ十時を回ってはいない。基本的に何の約束もしないが、時間だけは十時と決めている。それは向こうにも伝わっているだろう。
受付の女性に挨拶をして顔パス。そのまま三階の六号室へ向かい、扉を開くと低く唸るような音が充満した部屋がある。あちこちに置かれているのは据え置き端末の本体で、ディスプレイはベッド脇に二つあるだけだ。一応人が歩くぶんだけの空白があるため迂回すると、ようやく寝狐を発見できた。
リクライニングのベッドは半分ほどたっており、長い髪をそのままにして小柄な少女が薄い緑色のワンピースを着て、にっこりとほほ笑んでいる。よう、と声をかけるとおはようと返された。
「何故か俺が来る時には起きてるよな、お前」
手近にあった来客用のパイプ椅子を引っ張り出して座りながら苦笑すると、だってと寝狐は言う。
「公人さんが来るんだもの、起きてなきゃ損でしょ。……なんて、本当はわかるの。そろそろかなって思った時に調べてみると、だいたい」
「別に四六時中監視してたって構わないって、以前に言ったっけな」
そもそも、公人は監視を気にしないし、されていても構わない。何しろこの世の中で、見られていない、などという状況をまったく考えていないからだ。どこで何をしていても、必ず誰かが見ている――そういう前提で動いているため、それを告げられても、そんなもんだ、で済んでしまう。
ちなみに、これに対して寝狐は信じられない、という顔をした。実際にはそんなものだ。
「起きてて疲れないのか?」
「疲れる。今の私だとせいぜい四時間前後ってところかな。発作があったらそのまま寝ちゃうから、ないって前提だけど」
「充分だ。文字で会話ってのも素っ気ないし」
大丈夫か、などとは言わない。どうであれ寝狐は起きていて、会話をしようとしているのだ、そこに文句を言うのは筋違いもいいところだろう。好きでやってるのならば、負担があってもやらせればいい。
「いつも通り土産はないぜ」
「知ってる。あ、そうそう、先月に逢った時にも思ったから、いろいろ考えてみたんだけれど」
「なんだ?」
「公人さんが変わったって話。何がどう変わったのかを言語化するのに悩んでたでしょ」
「ああ、言ってたな。覚えてるぜ。俺としちゃ手段が一つ増えたってだけ――って、これも前に言ったか」
「そう。で、思ったのが、なんか――嬉しくない意味の方で、私に近づいた気がする」
「――寝狐に?」
「うんそう。私に」
今の私にと繰り返し、微笑しながら周囲の端末を見渡した。そのどれもが稼働しており、ネットワークに接続はしているものの、十数台もある端末の中の二台しかディスプレイには接続されておらず、外部入力装置であるキーボードなどは一つも置いていない。
寝狐は。
――ネットの世界の住人だ。
現実の躰ごとネットに喰われた、病人だ。
「そういう感覚もあるか……もちろん土俵は違うんだろうけど」
「そうね。最近はど?」
「あー、うちにステレオルームができた。入学祝いに買ってみた」
「へえ、公人さん、そんなに音楽聴いたっけ?」
「クラシック全般はある程度、暇な時に流してた程度だ。集中するとどうせ聞こえないから、あんまり聴いてなかった気はするが、これがまた、俄然聴くようになっちまった」
「おお、いいことじゃない。趣味が増えた感じで」
「高い買い物だから、そう頻繁に買い換えもできないぜ。今のところ文句はねえ、さすが芹沢の――あ、それもあった。言い忘れねえ内に言っておくぞ」
「うん、なに?」
「寝狐、芹沢のテスターやらないか?」
「なんの」
「端末。お前、前にここにある端末じゃスペックが足りなくてできないことがある、とか愚痴ってただろ。それを思い出して、芹沢とコンタクト取った時に話半分で伝えたら、条件付きでも報告書さえありゃ問題ねえってことらしくてな」
「――詳しく。一応芹沢の製品も使ってるはずだけど、そうじゃなくてよね」
「ああ。ええと、連絡先は貰ってたはずだから、後で確認すりゃ詳しくはわかる。で、基本的には芹沢企業開発課ってのは、どいつもこいつも機械をいじくり回して一週間を過ごすような変人ばっかのとこだ。
「うん」
「いや順序立てるか。俺がお前の話を半分ぼかして、端末のスペックを全開で使い尽くせるヤツに知り合いがいる。そういうのに渡す端末はねえかって言ったら、ソッコで連絡して筧ってのに打診したら、即紹介しろと。で、理由あってどこに居るとか顔とか情報は明かせないと言ったら、可能な運送経路を確保して当人の了承の下で連絡しろと」
「使い尽くせる、かあ」
「だろ?」
「うん。私にとっては日本にあるスパコンでも足りないくらいだから、それは問題ないと思う。使い方によるから今の現状でも、できないことはあってもやれないことはないから、それなりにいいんだけど」
「ええと……あった、これが連絡先だ」
「……? そういえば公人さん、なんでスーツ?」
「今かよ。最初か最後にしてくれよ、いやいいけど。なんとなく馴染ませようと思って買ったんだ」
「ふうん。あ、そこ置いて。あれ? 紙媒体なんだ」
「覚えたら燃やせってさ」
「あ、じゃあちょっと待って」
布団の上に置いた右手が自然と透明になり、現実味を帯びなくなる。三秒、たったそれだけで寝狐の右手だけが消失し、肘から肩にかけての存在感が薄くなり、だがすぐに元に戻った。
「ん……大丈夫、記録した。燃やしておいてくれる?」
「わかった。連絡には俺の――いや、公人って単語と二村双海って単語を必ず入れろ。ちなみに、二村の方は俺がコンタクトを取った女な。繋ぎに使うのは癪だとか言ってたが、まあこの場合は仕方ないだろ」
「うん。でも搬入経路とかは?」
「そこは俺が何とかする」
「しなくていい」
「ふうん?」
「今日、母さんがくるから聞いてみる」
「――なんだ、俺と同じ手段か。さすがに保護者に話を通さないと、こういうのは手に余るからな。というか容の姉さん、今日来るのかよ」
「そういう連絡きたから。公人と違ってちゃんと連絡してくれるもの」
「うるせえ。今回は伝言もあったからそうしたけどな、この話を引き受けた――いや受けちゃいねえが、ともかく聞いたのだって半年……ってことはねえか、三ヶ月は前のことだぜ? 適当なんだよ俺は」
「知ってる。適当って言いながら、手が離せなくて暇がなかったんでしょ。私に逢いに来てた先月は、そのせいですっかり忘れてた」
「……」
「で、すっごく気にしてたから暇ができてすぐ来てくれたわけ」
「分析すんな」
「人の行動をアルゴリズム化するのは、ここの機材じゃスペック足りないし。でもネットって言うなれば縁の繋がりでもあるから、公人さんがくるってのを監視してたわけじゃないの。なんとなくわかるってところ」
「縁、か。それたぶん当たりなんだろうな。俺も詳しく知らないし難しいが、縁は――繋がりだ。ネットってのはそういう意味だろ」
「公人さんは欲しい?」
「俺はいらね。面倒だ」
「あは、そう言うと思った」
「ま、ちょうどいい。容の姉さんには俺もちょいと聞きたいこともあったし……いや、これが縁ってやつなんだろうけどな」
「誰かに聞いたの?」
「ざっくりとは。つまり、誰かと誰かが出逢うためには必要なものってことらしい。俺と寝狐が出逢うために、容の姉さんと先に知り合って、元を辿れば親父が姉さんたちと知り合いだったってことで、親父たちだって別の縁があったからこそ出逢えた――って具合だな」
「確かに面倒。視覚化すればもっと複雑に、かつ簡単にわかりそうなものだけれど」
「視覚化ってお前」
「あ、俯瞰を前提よ? じゃなきゃ本当に面倒」
「そうやって思いつきで動いてんのか」
「うん、結構そういう傾向は強い。最近は立体チェスを組み立て中。盤面も広げて駒も増やして、わかりやすいルールで」
「売り込みしてるわけじゃねえよな?」
「基本的には。やること見つけないと、何もなかったりするし」
「ああ、そりゃ大変だ。やることねえと本気で参るからな……」
「公人さんはここんとこ、そうでもないみたい」
「まあな。学校は適当、ほかにやることが山積み。厳密に言えばやりたいことだから、いいんだけどな。芹沢もその関係で当たったんだ」
「そっか。私としては嬉しいよ、スペックが上がるならいくらでもしてくれって感じ。芹沢のデータベースに入ったこともあるけど、金の動きとかしかなくて詰まらなかったし」
「堂堂と犯罪を言うな」
「私にとってはあっちが世界の半分だから」
「物は言いようだな」
ちらりと繋がれた三つの点滴に視線を投げ、それを誤魔化すように窓から外を見て肩の力を小さく抜くと、ノックと共に扉が開いた気配がある。公人の位置からでも端末が邪魔で誰かはわからないが、顔を合わせた瞬間、息を飲むような緊張が彼女に発生した。
「あ、きた」
「容の姉さん、久しぶり。どうかしたか?」
「――いや、なんでもないサ。公人が変わってたもんだから驚いた」
「そうか? 俺には姉さんが変わったように見えるけどな」
「ちょっとやつれてるけど、仕事?」
「仕事じゃあないサ、心配しなくてもいい。寝狐は生きてるようで何よりだし、まあ公人も同じサ」
「そりゃ生きてるぜ――と、そうだ。姉さん、芹沢に知り合いいるか?」
「なんのことサ」
「寝狐が端末のテスターするって話」
さきほど話していたことを伝えると、寝狐が最後にやりたいと付け加える。苦笑した容はベッドに腰掛けた。
「いいサ、手配しといてやるよ。知り合いはいるからね」
「いるんだ」
「厳密には配送業者サ。ここにある代物、アタシが運んだわけじゃないサ」
「そういやそうだな」
「ん? 公人も知ってるのか」
「この前に来た時、そこにある一台は俺が組んだんだよ。厳密には増設だけどな。簡単、簡単だからって一時間もかかった。俺も不器用なんだと落ち込んだが、家に帰って調べたら増設にハンダを使う項目がなくてなあ」
「え? そのサイト、浅いんじゃない?」
「お前が深いんだよ……そいつを当然だと思ってるのもお前だ」
「公人さんは据え置き端末持ってたっけ?」
「あるよ、一応な。レシピの検索でよく使ってる」
「公人さんらしい。洋食メインだっけ?」
「今のところな。和食の方が味付けが難しいし、まだ手を出せる段階じゃねえな。ま、レシピさえあれば作れなくもないけど、食うの俺だし」
「栄養バランスとか気にしてる?」
「寝狐に言われたくねえな、おい」
つんと点滴に触れると、寝狐は大笑いした。悪質な冗談にも思えるが、二人にとっては現実を直視した結果として、お互いの世界が違うことを認識した上での、事実確認のようなものだ。見当違いな遠慮などしない。
「つっても、やっぱ多少は気にしてる。あんまり偏るといけないから、そういうのは食った飯で変えてるよ。最近はレパートリーも増えたから簡単だ」
「ふうん。公人さんって、結構無茶してるイメージがあるからちょっと意外かも」
「なんだそりゃ。あのな、責任を誰もとってくれねえなら、自分で責任を持つしかねえんだよ。どの程度の無茶なら問題ないか、きちんとわかってる」
「責任くらい取ってやるサ」
「取るなよ、俺の責任だろ」
「ま、確かに公人が面倒をこっちに投げた覚えはないサ」
「それなりに気を遣ってんだよ。好きにはやってるけどな。……さてと、んで姉さん、俺に話があるんだろ? ここで済ますか、それとも別に移すか?」
「わかるか?」
「カマかけただけ――ってのも、ちょっと違うか。最近、よく他人を観察する野郎と知り合ったから、その影響」
「そのために寝狐との会話を、アタシがきてから続けてたわけかい」
「ん? いや、それはあんまし関係ねえな。俺と寝狐はいつもこんな感じだろ、なあ?」
「まあ、そうね」
「なんだ、疲れてきたか?」
「うん、そんな感じ。久しぶりに起きたからかも……」
まるで躰ごと点滅するように、存在の濃度が変わる。それを見て公人は苦笑した。
「芹沢への連絡だけ忘れるなよ。また来るから続きはそん時にな」
「うん。お礼も適当に考えておくから、受け取ってね」
「期待はしねえよ。じゃあな寝狐」
「またね公人さん」
言って、そのまま寝狐は消えた。いや、消えてはいない――見えなくなっただけだ。点滴は繋がっており、栄養補給を続けているし、手を伸ばせば布団のふくらみからわかる通り、そこに肉体はある。
あるが、ない。
寝狐の実体は今、ネットの世界にあるのだから。
「――どうする姉さん」
「このままでいいサ。まずはいつも通り、最近はどうだ?」
「資産管理に手が回ってねえ。今から申告のことを考えると、どうにかしておきたいんだが……どうもな。税理士に頼むほどじゃないから、どうしたものかってな。一応やってはおくが、もし大変そうなら頼むかもしれない」
「マンションか?」
「ま、それだけじゃねえけど……まだ手放す理由がないからな」
「そうか。もし手放したり誰かに移譲するなら一声かけな」
「……変なことを聞くぜ」
「なにサ」
「本調子じゃねえだろ? 地に足がついてねえ感じする」
「わかるか」
「なんとなく。違ったなら別にいいし、それでも構わずに出てきたなら、理由もあるんだろ。別にいい。本題は?」
「ああ……アンタが魔術師になったってことを、確認サ」
「
「そこまで知ってるなら話は早いサ。というか旦那は、どうしてそういうことをアタシに話さないんだか」
「口止めはしてねえぜ? 俺はてっきり、通じてると思ってたが」
「今日見て初めて気付いたサ。ま、適性があったってことだ。それについてはとやかく言わないけどね、アンタ、本で学んでるのかい」
「それしかねえ――と思ってた。でも、誰かに師事するってのもあるんだってな」
「話が早い。弟子にするつもりも継承もない、ただ膨大な基礎を教えるってだけならアタシでもできるサ。公人が望むなら、そうだね、つきっきりとはいかないけれど多少は教えてあげられるサ」
「そうか。一応聞いておくが、長いのか?」
「アタシらはね、生まれた時から魔術師サ。旦那もね」
「じゃあ頼む。正直、ここから先が難しいんだ。質問に答えてくれるだけでもいい、姉さんには面倒かけちまうけど」
「いいサ。簡単に訊いておくけど、どこまでわかってるんだい」
「そうだな。……俺は」
懐から取り出したのは、やや厚みのあるステンレスだ。双海のところから貰ったものだが、市販のものと何ら変わりのないそれを手の上に乗せ、視線を落とす。
「やっぱり、俺はただの装置なんだろう」
「装置?」
「刃物を創る、ただそれだけの仕組みだ」
数枚の術陣――この時点で公人はその単語すら知らない――を発生させてステンレスを刃物へと変える、いや創造してしまう。握りは公人の手に合うサイズで、刃渡りは十五センチあるかないかだ。
「……話にならんな、これじゃ。造ったなんて言葉すら烏滸がましい」
そこに形状変化以上の汎用性を〝知った〟ため、容は何も言えず、ただ公人が続ける。
「これなら市販品と遜色ねえ。下手そりゃそこらの包丁と同じだ。使えば切れ味は落ちる、一年もしない内に耐用年数を割るし、何の特徴もない。このままじゃ――満足なんてもんは得られねえな」
「……それで、どうするつもりサ」
「どうする? 知らないな。まだ俺は目的なんて持ってねえ。だが現状には不満だ、いや不満しかねえ。この程度じゃどうしようもなく、くだらねえってくらいだ。目的を持つことが馬鹿らしく思えるくらいにな」
「先がないのかい」
「今の方が大変だからな。ま、よろしく頼むぜ。場所はどうする? 俺の家なら面倒がなくて助かるけど」
「……そうだな。とりあえず、そっちに移動して話すか。下に車があるサ」
「オーケイ」
以前に話した通りになったのが癪だ、とは思わない。何故なら今の容は、その一連の流れにおける必然性とこれからが、わからないことを知っている上で、彼女の目的がどこにあるのかを知ることができていたから。
ここから、なのだろう。
なんにせよ、個人的な感情だけで考えても悪くはないのだから、容にとってこの行為は、善悪を度外視した上で、満足できる選択だった。
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