04/25/16:40――名無しの少女・引き継ぎ

「――やあ」

 セーラー服の少女は、玄関から出て来た女性に対して声を放つ。白衣を肩に引っかけた女性は誰だこいつ、みたいに目を細めて睨んだが、少女は特に気にはしない。

「君がこちらに出張していると小耳に挟んでね、僕としてはこれ以上ない機会だと思ってこうして足を運んでみたわけだけれど、在宅のようで何よりだ」

「アンタは何サ」

「少なくとも君の知らないことは全て知っている人間さ。時間はあるかい? ないなら次の機会だ――どうせ君が断るなら、如月一族に話を持って行こうと決めていたからね。その時にでも充分だ。そして、何よりこの玄関口で話しても僕はまったく構わない。君がどうかは知らないけれどね」

「――アンタ」

「僕じゃなくて君さ、如月きさらぎよう。赦すことを忘れた君が、求めている答えが、まさか鷺ノ宮に落ちているだなんて思ってやいなしないだろう? そもそも、アレができることは限定的だ。しかも存外に視野が狭い。利用してやろうって腹なら邪魔はしないけれどね、そうでないなら期待しないことだ」

「アタシに話をさせない気かい」

「こうして口を開けば開くほど、僕という存在についての情報は露呈するんだ、君にとってはその方が良いだろう? いわば犯人が勝手にぺらぺらと自供しているようなものじゃないか。ははは」

「――目が笑ってないのサ、アンタは」

「そうかい? ま、そんなこともある」

「入りな。玄関先で話す内容じゃないサ」

「ふうん? 見る目があるのかないのか、疑わしいところだね」

 それにと、中に足を踏み入れて少女は笑う。

「――家具が一切ないただの箱だ、さして気にはならないね。ここでいい、玄関先だろうが何だろうが、ね。とはいえ、押し付けセールスに似ていなくもない。君なら、いや、たぶん現状では君くらいなものだろう」

「アタシがなんだって?」

「君が〝触媒メディア〟じゃなければ、僕もこうして足を運ばなかったってことさ」

「――なんて、そんなことを知ってる。協会にだって感付かれるヘマはしてないサ」

「僕に知らないことはないからさ」

「……」

「君が知りたがっている、何故、君自身が触媒なんて魔術特性を持って生まれたのか、その理由も知っているよ。もっとも説明はできないぜ? 何しろ、――君には理解ができないからだ」

「なんだい、それは」

鷺ノ宮さぎのみやがどういう理由で〝刻詠リ・リーディング〟なんて名で呼ばれているのか、その盛大な皮肉を感じ取っているのが当人であることを、君は理解できてるかい? そういうことさ。酷いことを言えば、君は知っていることとわかっていることをはき違えている」

「……よくわからないね。アンタは何しに来たのサ」

「そこが本題で、問題だ。いいかい、僕の望みを簡潔に言うと――まず一つ、これは大きなお節介だけれど、頼みのようなものでね。いや実際にこれが手順を踏むのが大変だった。何しろ僕が一度請け負うことでしか、君に渡せないんだからね。おっと、この辺りは気にしないでくれ、君が頷くのなら明日くらいには全部わかる。それで、だ」

「……変なやつサ」

「さて、明日に娘のところに顔を出すだろう? 僕の頼みというのはその件にも絡むことでね」

「アンタ、どこまで……いや、いい。続けていいサ」

「知っていることは全て知っているよ。魔術に限れば、僕に知らないことはない。いや話が逸れるね、とっとと話してしまおう。明日、君が何時に顔を出すかは未定だろう。いいかい、十時頃に君の娘、如月寝狐ねこへ面会に訪れる人物が一人いる。それはたぶん、君が想像すればすぐわかるだろうけれど、彼女の知り合いで、一ヶ月に一度くらいは顔を出す少年だ。詳しくは話さないし、考えればわかることを、あえて口にしないでくれよ?」

「いいサ」

「君は、その少年の後に病室へ赴くといい。少年を見れば、何が変わったのか一目瞭然だろう。そこでだ、君には彼へ基礎知識を与えてやって欲しい――おっと、もちろん彼が望んだらって話だ。けれど、あるいは彼はそれを口に出さないかもしれない。だから訊ねてみてくれ、必要かどうかと。最後まで面倒を見る必要はないぜ? 後は君の好きに、彼の好きにすればいい。ただそういう機会を与えてやって欲しいって話だ」

「……なるほどね。そいつは考えておいてやるサ。アタシだってあいつとは馴染みだ、悪くはしない」

「それでいいよ、構わない。余計なお節介だけれど、僕にとってはある意味、ここで君と出逢うことが必要だったんだ。ついでにってやつさ。それと――君たちは実家が東京だったね。それについては……さて、どうしたものかな。先に回避手段を教えるべきか、それとも僕がやろうとしていることを話すべきか。どちらも同じ話だけれど、順序を違えると誤解を招く」

 言って、少女は小さく笑った。

「僕は〝識鬼者コンダクト〟だ」

「――」

 絶句、そして何かを容が言うよりも早く。

「ソレを君に渡したい」

 驚きの連続でふらりと倒れそうになった容は壁に手をつき、もう片方を額に当てた。だから二分ほど、少女も腕を組んで黙っている。

「……可能なのか、それが」

「できるよ。取引、いや譲渡、いやいや移譲、そのどれもに該当しないものだ。僕はね如月容、僕の持っているものを誰かに渡さなくてはならない。そう己に課している。さすがに、あらゆる何もかもをとは口にしないけれど似たようなものだ。その中でも、魔術師としての僕の存在は大きくてね、君ぐらいしか渡せる相手がいないんだよ。そして、確信もしている。君なら受け取れるだろう、とね」

「アタシが〝識鬼者〟になるって――ことだろう、それは」

「そうなるね。そして、そこからが問題だ。いやそうでなくても同じだろう――君は触媒だ。おそらく僕がコレを渡せば理解できるだろうから説明は省くけれど、君は特異点だ。君がいる場所は消える――君は死ぬ」

「なにを」

「いや、厳密には君たちは死ぬ。如月一族はね。寝狐の〝病状〟を知っている君ならば、なんとなくわかるんじゃないか? 理解はできないだろうけれどね。生身で抗うのは難しい。けれど、まあ無理な方法ではあるが、生き残る術もある。それを選択するかどうかは君次第だが、まあとやかく口出しはしないよ」

 眉間をほぐすように手を当てた容は吐息と共に座り込み、しばらくして顔を上げる。

「――そもそも、識鬼者とはいったいどういう仕組みだ?」

「なるほど、前向きに考えるためにリスクを排除、そのための情報を得ようというわけか。そういう前進は嫌いじゃないぜ。くだらない問いならば適当にしていたけれど、君自身に関わる問題に対し、理解者である僕への問いなのだから、答えるのは筋かもしれない。ま、やろうと思えば強引に渡すことも可能なんだけれどね」

「続けてくれ」

「識鬼者なんて呼称は協会が勝手につけたものだけれど、君に渡すのは仕組みそのものだ。つまり、僕が現状で持っている知識そのものを譲渡するわけじゃあない。時間軸上で考えるなら、僕は現時点までの知識を得たまま、君はここから識鬼者になっていくってわけさ。僕にとっては継続できないことが損失になるんだろう。おっと、言っておくが損失なんてのはたとえの話で、僕としてはまったく構わない」

「その仕組みを訊いてるのサ」

「そうだね、第一条件としては〝知っている〟と〝知らない〟を決定づけることだ。この点に関しては魔術であっても、そうでなくても変わらない。もちろん三つ目の選択肢として、というか答えとしての〝わからない〟もそこに含まれるけれど、今の君に理解しろとは言わないよ」

「それは自動的にか?」

「うん? その辺りは好きに構築すればいいじゃないか。それほど負担はないし、そんなのは最初だけだ。そもそも内世界干渉系だからね。自動的なのはこれからでね――その点が魔術に関連した時、その事象に関しての知識がなく〝知らない〟と判断された場合、それが〝知っている〟にひっくり返る」

「――どうしてサ」

「……説明しようと思ったけれど止めておくよ。その仕組みについて、別にもったぶってるわけじゃなく、体感した方が早いし、それは自分で考えて至るべき解答だ。けれど、魔術において知らないことはない、というのは正しいよ。だからこそ、いろいろとできる。脅迫も、誘導も、簡単にできるからね、だからこそ指揮者がタクトを振るように、ただ知識を持っているだけなのに、いろいろと場を支配したりもできるから、識鬼者なんて呼ばれるのさ。とはいえ、初代識鬼者として僕がやったことだけれどね」

「アンタがやってのかい。協会が大混乱だったとは聞いてるサ」

「そりゃ仕方ないだろう? ――僕にも目的があったからね。なに、死者は二人しか出ていないよ。僕を束縛していた両親だけだ。見た目も事故だし問題はない」

「どっちの意味の〝事故死〟でもアタシは気にしないサ。とにかく、アンタはアタシを利用しようってんだね? その流れで、アンタはその仕組みを渡したい」

「間違いはないよ。訂正もない」

「アンタの目的ってのは教えてくれないのかい」

「僕がやることの成果は、近い内にわかるだろうけれど、結果が出るのはせいぜい、五十年後くらいなものさ。その頃には僕の存在を知ってる人間の方が少なくなってるだろうね。ついでに言えば、君はもうここにはいない。言い方は妙だけれど、死んでいるよ」

「……死ぬ、ね。それはアタシだけじゃないんだね?」

「そうだよ。その話をすると、どうして如月一族が世界に存在しているのかって点を詳しく話さなくちゃならなくなる。それを今ここでするのは、刺激が強すぎるし、君のためにも僕のためにもならないから、教えるつもりはないけれどね」

「アタシらの存在理由、か……誰かにそいつを決められるのは癪だな」

「……? 世の中に決まっていないことなんて片手くらいしかないぜ? 何を言ってるんだ君は」

「――」

「僕がこうして行動することも決まってることじゃないか。個人意志なんてものが存在するように見せかけて、大抵は掌の上で踊ってるだけなんて、そんな当たり前の事実を確認したいわけじゃないんだろう? その規定の中でできることは、せいぜい誘導するくらいなもので、それをするのに五十年かかると僕は言ってるんだぜ」

「……知るってことは、そういうことか」

「うん? いや……まあ、そうだね、そういうことだろう。今の僕は識鬼者だから、僕にとっての当然が君にとっては違うのも頷ける話だ。なるほど、確かに君が妙なことを言うのも納得できる」

「納得したかい、いいけどサ。だったら、どうしてアタシなのか――その理由については?」

「縁を合わせるために必要だったんだよ。あるいは、君と縁を合わせるために必要だった。どちらでも同じようなものだ。まあその辺りもいずれってところかな。それで、どうするんだい? 確かに時間はあるけれど、浪費はしたくないね。いや常に浪費はしてるんだけどね? できれば君の判断を聞きたいものだ」

「受け取れば、変わるか?」

「いいや、変わろうとしないのなら君はそのままだ。けれど僕の手から離れることにはなる。それだけさ。ただ、水を知らない人間は水を欲しない。そういうことだ」

 一度でもその知識に触れれば。

 人は必ず欲するものだから。

「メフィストフェレス」

「――へえ? そう思うかい?」

「違うのか?」

「なら君にとっての僕はメフィストさ。そう呼んでくれて構わない」

「アンタは、必要がなくなったものを誰かに渡すのか?」

「いいや、君にとって必要だと思ったものを君に渡しているだけさ。あるなしの二択で答えるなら、まだ僕にとっては必要さ。けれど君が必要としていて、それを僕が持っている。こんな条件で拒否する方が僕にとっては損失で、失態だ」

「だったらソレは、識鬼者とは関係がないんだね」

「君がそうであるように、これが僕の特異性だから、識鬼者は関係がないね。君の夫とも違うが、近しいものはあるさ。ま、このまま君が僕のことを話せばありえないと一笑するだろうけれど、君が受け取ればわかるさ。いや――わからないかもしれないが、おそらく推察はできる。知識があればそれは可能だ」

「まずは受け取れってことか。いいサ、腹は決めた。受け取るよ」

「そうかい」

 気楽に言った少女は組んでいた腕をほどき、右手を前へ出してから握り、開く。たったそれだけの動作で掌には立方体の中にひし形の立体が埋め込まれ、赤色と青色の球体が浮遊する結晶があった。

「手を」

「ん……」

 差し出された手に結晶を置くと、それは数秒の間を置いて溶けるようにして消えた。

「何も……ないサ」

「急激に何かが変化することはないよ。これは助言だけれど、今日は可能な限り睡眠時間を多くとるといい。睡眠における整理が必要だ。そして、どうか混乱の中、覚えておいてくれると助かるよ。明日に、娘へ逢う時のことをね」

「ああ、気をつけておくサ」

「じゃあ――と、そうだね。たぶん、君が識鬼者になるには数日かかるだろうけれど、そうなると僕への質問も多くなるはずだ。はぐらかした部分も、受け取ればわかると言った部分もあるからね。だから、そうだな……ざっと一年後、たぶんその辺りには僕も暇ができるようになるから、その頃にまた逢おう。今日のように、僕の方から顔を出すよ。できれば君から探さないで欲しいね。まあやってもいいけれど、難しいよ。困難だ。そうなるよう僕も動いている」

「……よほど切羽詰った時に、まだ大丈夫だと言い聞かせるのが五十を超えたら、探してみるサ」

「忍耐強いな、君は。はははは。さてと、これで僕は元識鬼者、君が識鬼者だ。一つ肩の荷が下りたようで、なかなか気分はいいが、目的も果たしたしもう行くよ。君に幸運がありますように」

「ああ、じゃあなメフィスト。次を楽しみにしているサ」

 宣言通り。

 この二人の出逢いの続きは、おおよそ一年後になる。

 けれど彼女の考えがわかるのは、そう遅くはなかった。


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